29日は東京・初台の新国立劇場中劇場で、泉鏡花のオペラ「夜叉ケ池」を観賞した。新国立劇場の芸術監督尾高忠明が年に1回、国産のオペラを上演しよう、と取り組んでいるもので、原作から脚本、作曲、美術、衣装はもちろん出演者もすべて日本人の手によっており、冒頭の夜叉ケ池に鐘の音が鳴り響くシーンから最後まで見ごたえのある出来栄えであった。ことしは泉鏡花生誕140周年、戯曲「夜叉ケ池」が発表されて100年の記念すべき年で、その記念すべき年に世界初演のオペラ「夜叉ケ池」が好評のうちに幕を閉じ、満場の観客から盛大な拍手を受けていたのが印象的だった。
「夜叉ケ池」は岐阜県と福井県の堺にある標高1100メートルのところにある神秘的な雰囲気の池で、昔から水が涸れたことがないとされ、それにまつわる伝説で、池に棲む龍がふもとの村の雨乞い祈願に応えた代償として、長者の娘を連れ去ったとされている。泉鏡花はこの伝説をもとに戯曲を書いた。
オペラ「夜叉ケ池」は幕が開くと、洞窟のようなところに棲む夜叉ケ池の主とされる白雪が鐘の音に自由を奪われて好きな人のもとに行けないと姥はじめお付きの腰元たちに怒りをぶちまける場面から始まる。洞窟はいかにも池の底にある造りで、壮大な物語が演じられることを予感させる。
次いで池の水が流れてくる琴弾谷に蛇女と言われている百合が旅人で鐘撞きのため住み着いた晃と仲良く暮らしているところへ、行方不明となった晃を探して学円がやっててきて、百合に所在を尋ねる。百合は知らぬと突っぱねるが、晃は自ら名乗り出て、鐘撞きとなった理由を話し、学円と一緒に夜叉ケ池を見にいく。一人残された百合は晃がそのまま東京へ帰ってしまうのではないか、との不安にさいなまれながら、人形相手に子守唄を歌って寂しさを紛らわせる。
第2幕で鯉七や蟹五郎らが登場し、白雪が恋に夢中で、日照りのことなど眼中にないなどと噂し合う。そこへ鯰の鯰入が剣ケ峰の若者から白雪への手紙を持参し、開けると出てきたのは水ばかり、そこへ現れた白雪が文を読み、剣ケ峰へ行くというので、姥が鐘の約束を思い出させると、白雪は鐘を砕くよう腰元らに命じる。一方、雨乞いのため必死になっている村人らは百合を見つけ、生贄になれ、と迫る。そこへ現れた晃と学円は百合を助けようと村人たちともみあううちに、鐘を撞くべき丑満時なり、黒雲が立ち昇り、雷鳴がとどろき、大波が押し寄せ、村も人々も鐘も水に沈む。白雪は喜び、この鐘ケ淵を晃・百合夫婦の住居にしよう、と言って剣ケ峰に発つ。水没した琴弾谷に生き残った学円が手を合わせて合掌するところで幕となる。
歌はすべて日本語で、舞台の両袖に掲げられた幕に表示されるのが奇妙な感じで、一体だれに対して表示しているのだろうか、と思われた。あと、日本語を歌う場合、疑問符で終わる時には最後は高い音で終わるのだが、歌にすると高く終わるのは歌いにくいのか、聞きづらいのか、スムーズにいかないのが気になった。
日本のオペラはこれまで天守物語、沈黙などを観賞してきたが、ようやく和製オペラと胸を張って海外に誇れるようなものができた、という感じがした。泉鏡花の戯曲という選定がよかったのと、いままでにない豪華な舞台装置で、ドイツ、イタリアのオペラに比べ遜色ない出来栄えとなったことは大いに喜ばしいことだ。作曲の香月修はじめ関係者の努力が実った、いえる。
「夜叉ケ池」は岐阜県と福井県の堺にある標高1100メートルのところにある神秘的な雰囲気の池で、昔から水が涸れたことがないとされ、それにまつわる伝説で、池に棲む龍がふもとの村の雨乞い祈願に応えた代償として、長者の娘を連れ去ったとされている。泉鏡花はこの伝説をもとに戯曲を書いた。
オペラ「夜叉ケ池」は幕が開くと、洞窟のようなところに棲む夜叉ケ池の主とされる白雪が鐘の音に自由を奪われて好きな人のもとに行けないと姥はじめお付きの腰元たちに怒りをぶちまける場面から始まる。洞窟はいかにも池の底にある造りで、壮大な物語が演じられることを予感させる。
次いで池の水が流れてくる琴弾谷に蛇女と言われている百合が旅人で鐘撞きのため住み着いた晃と仲良く暮らしているところへ、行方不明となった晃を探して学円がやっててきて、百合に所在を尋ねる。百合は知らぬと突っぱねるが、晃は自ら名乗り出て、鐘撞きとなった理由を話し、学円と一緒に夜叉ケ池を見にいく。一人残された百合は晃がそのまま東京へ帰ってしまうのではないか、との不安にさいなまれながら、人形相手に子守唄を歌って寂しさを紛らわせる。
第2幕で鯉七や蟹五郎らが登場し、白雪が恋に夢中で、日照りのことなど眼中にないなどと噂し合う。そこへ鯰の鯰入が剣ケ峰の若者から白雪への手紙を持参し、開けると出てきたのは水ばかり、そこへ現れた白雪が文を読み、剣ケ峰へ行くというので、姥が鐘の約束を思い出させると、白雪は鐘を砕くよう腰元らに命じる。一方、雨乞いのため必死になっている村人らは百合を見つけ、生贄になれ、と迫る。そこへ現れた晃と学円は百合を助けようと村人たちともみあううちに、鐘を撞くべき丑満時なり、黒雲が立ち昇り、雷鳴がとどろき、大波が押し寄せ、村も人々も鐘も水に沈む。白雪は喜び、この鐘ケ淵を晃・百合夫婦の住居にしよう、と言って剣ケ峰に発つ。水没した琴弾谷に生き残った学円が手を合わせて合掌するところで幕となる。
歌はすべて日本語で、舞台の両袖に掲げられた幕に表示されるのが奇妙な感じで、一体だれに対して表示しているのだろうか、と思われた。あと、日本語を歌う場合、疑問符で終わる時には最後は高い音で終わるのだが、歌にすると高く終わるのは歌いにくいのか、聞きづらいのか、スムーズにいかないのが気になった。
日本のオペラはこれまで天守物語、沈黙などを観賞してきたが、ようやく和製オペラと胸を張って海外に誇れるようなものができた、という感じがした。泉鏡花の戯曲という選定がよかったのと、いままでにない豪華な舞台装置で、ドイツ、イタリアのオペラに比べ遜色ない出来栄えとなったことは大いに喜ばしいことだ。作曲の香月修はじめ関係者の努力が実った、いえる。