鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

権力の監視というマスコミの使命を改めて思い知らせてくれた映画「ペンタゴン・ペーパーズ」

2018-05-16 | Weblog

 16日は東京・日比谷の日比谷ミッドタウンにあるTOHOシネマズでスティーブン・スピルバーグ監督の映画「ペンタゴン・ペーパーズ」を観賞した。1週間くらい前のゴールデンウイーク中に見ようと思って行ったら満員で入場できなかったので、平日ならと出掛けた。米ワシントンポスト紙の社主であるキャサリン・グラハム女史がヴェトナム戦争時のニクソン大統領に歯向かって、ヴェトナム戦争の国家最高機密文書をすっぱ抜き、後のウォーターゲート事件につながり、ニクソン大統領を辞任に追い込んだ歴史的事件を扱ったもので、いま安倍政権下でマスコミの在り方が問われているなかで、他山の石としてもらいたい映画である。

 「ペンタゴン・ペーパーズ」は1967年米国が国を挙げてヴェトナム戦争に取り組んでいるなか、現地サイゴンを訪れたマクマナラ国務長官が現状を探るため、前線の兵士のダンを呼んで、現下の状況をつぶさにヒアリングする場面から始まる。軍の幹部が明るい見通ししか述べないのに前線の兵士であるダンは苦戦している状況を正直に伝えると、マクマナラ長官は目の前で「よく伝えてくれた」と感謝を述べ、米軍はヴェトナム各地で苦戦していることを思い知らされる。ダンはその後米国に帰国するが、マムマナラ長官の視察の状況がランド研究所に保管されていることを知り、密かに4000ページに及ぶその文書を盗み出し、ニューヨークタイムズ紙に持ち込み、1971年になって特報として大々的に報じられる。

 一方、ニューヨークタイムズ紙のライバルでもあるワシントン・ポスト紙のベン・ブラッドリー編集主幹は部下に命じてなんとかその秘密文書を手に入れることを命じ、部下がダンに接触し、全文を手に入れ、同じように特報をしようとするが、すでにニューヨークタイムズ紙に報道差し止めを命じていた米国政府は国家の反逆にもなりかねないとして社主のキャサリン・グラハムと編集主幹のベンに報道を思いとどまるように迫る。ワシントンポスト紙はニューヨーク証券市場に上場したばかりで、大手スポンサーも支援を打ち切るような措置に出るとも脅してきた。ところが、メリル・ストリプ演じるグラハム女史は断固として、はねつけ、敢然と政府追及の記事を掲載することを決断する。

 社運をかけての決断は意外や、マスコミ各紙の追いかけるとこおrとなり、最高裁にまで持ち込まれた政府の「報道差し止め」命令は却下され、ワシントンポスト紙の勝利のうちに終わった。グラハム女史が重大な決断を下した際にマスコミの使命は権力の監視にあるとの言明は安倍首相にも聞いてもらいたい、とつくづく思った。

 このワシントンポスト紙の国家機密文書スッパ抜き報道はすぐ後のウォーターゲート事件につながり、米ニクソン大統領を辞任に追い込んだ歴史的快挙を生んだ。安倍首相にべったりの読売新聞、産経新聞に見習ってもらいたいものだ、と深く思った次第。また、こんないい映画がことしの米国アカデミー賞の候補にもならなかったのは一体どうしてだろうか、と不思議にも思った。まさか、米国でも日本と同じように今年になってから公開された、とでもいうのであろうか、このあたりは来年のアカデミー賞の行方をみて判断するしかないのかもしれない。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍首相が自らに対する忖度があったことを認める発言を公然と行っている背景にあるもの

2018-05-15 | Weblog

 過去一年以上にわたって国会をにぎわせ、世を騒がせてきた森友、加計学園問題が終息の感だ出ているが、どっこい違う意味で大団円に近づいている。というのは安倍首相がこのところテレビや国会の答弁で、「忖度はされる方の人は気がつかないもので……」といかにも忖度される側には罪がないと言い始めていることである。これまで安倍首相の方からは指図したことはないし、頼んだことはない、ということで、官邸、および官邸周辺の答弁は終始一貫してきた。つまり、忖度のその字もないということで通してきた。ところが最近になって、忖度はあったのしてもされる側はしらないと忖度があったことを公然と認め出したのである。だれかがその方向へ舵を切ることにしたのだろうが、大きな作戦ミスであるのは間違いない。

 これまで「忖度はなかった」ことで通してきたのだが、これは忖度そのものがあったことを認めることに他ならない。忖度することがあったのであるが、忖度される側はそんなことには気がつかなかったで済まされるわけがない。これは忖度されるような政治姿勢であったことを公然と認めることで、忖度することで特定のグループなり、集団、組織になんらかの利益がもたらされることになれば、政治が歪められたことにつながりかねないことになるわけで、国としては放ってはおけないことになる。つまり、国の税金の使い道に大きな変更をもたらすことになり、国民の公平感に差が出てくることになりかねないからだ。

 忖度されるような政治が行われのは上に立つ者がそう仕向けているからで、上に立つ者の不徳の致すことに他ならない。つまり、忖度を行わなくてはならない風土を生んでいるわけで、結果的に忖度しなさい、と言っていることと変わらないこととなる。上に立つものは忖度がされないように組織の運営を図るべきで、忖度が行われていることを知った時点で、そうしたことにないように改善を図るべきである・

 安倍首相がかく公然と忖度の存在を認めるようなことを公然と口にするようになったのは、ここへきてマスコミの世論調査で安倍内閣への支持率が下げ止まってきた兆しが出てきたからだろう。先の日経の世論調査では支持率が1%アップし12、13日のNHK世論調査でも内閣支持率は前回(4月)と同じだった。日経の支持率アップの際には安倍首相自ら麻生副総理に電話した、とのことだった。いかにも株価チャートと同じように内閣支持率にことのほかセンシティブな安倍首相らしいことである。

 安倍首相がもうひとつ9月の自民党総裁選への確信を強めている背景には野党の足並みがいまひとつそろっていないことがあげられる。1年以上にわたって森友、加計学園問題で安倍首相の足元を揺さぶってきたが、いまだに突き崩せない不甲斐なさに国民はいら立ちを隠せないである。安倍首相はじめ与党を追及する材料がいずれも朝日新聞や週刊新潮などマスコミのある腫のスッパ抜き記事によるもので、野党みずからが調べてきたものではない。マスコミが抜いた記事をもとに安倍首相追及していることに国民は知っているから、国民はそろそろ飽きがきているのも事実である。

 森友、加計学園の底に隠されていて、まだだれしも気付いていない、かつ安倍首相がぐうの音もでないような事実を掘り出してきて、国会で追及してもらいたいものだ。そうすれば安倍首相は総裁三選どころか、一挙に退陣していくことだろう。

 それにしても一度は崖っぷちに立たされた安倍首相の首を落とせない自民党の石破茂議員はじめ総裁選に出馬を噂されている面々がすっかりおとなしくなっているのも解せないことである。安倍首相では自民党はもたない、と宣言して、自ら出馬を宣言するような議員がいなかったことも情けないことである。安倍首相の忖度を認める発言の裏にはだれも対抗馬たりえないとの自信の裏返しなのかもしれない。一番被害を蒙るのは国民であるのはいうもでもない。

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする