鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

自らのの眼を信じた馬券戦術が立て続けに的中した喜びに浸った

2010-04-26 | Weblog
 25日は久しぶりに東京・府中の東京競馬場へ出かけた。場外馬券ばかりやっていると、宝くじを買っているような気分となってきて、たまには競馬場で馬の走る姿を見て楽しみたい気になってきて、ムズムズしていたのだ。花粉症がまだ治りきっていないので、マスクと襟巻きをして防寒対策をしたうえで、勇躍競馬場へ乗り込んだ。午前9時半頃、南武線・府中本町に降り立つと、結構なひとの波で、遅かったかな、と思ったが、いつものゴール板上の観覧席に楽々と席を確保できた。早速パドックに行くと、まだ出走馬は出てきていない。第1レースの発送時刻を見ると、10時10分で、入れ込んでいるのは馬でなくこちらだった。
 定刻の出走30分前に第1レース3歳未勝利戦に出走する16頭の馬が出てきたので、じっくり眺めていると2番のレディスキッパーと15番のアドマイヤオンリーの2頭の馬の前に踏み込む姿が力強くて、断然他馬を圧倒している。40年来、こうしてパドックで馬を見てきているが、いまだにどうして馬をも見たらいいのか、確信が持てない。といいながら、自分の眼を信じるしかない。最初だし、ここは自分の目が合っているかどうかで、2番と15番の1点買いでいくしかない、と決めた。すると、その通り15番、2番の順に入って馬連はバッチリと当たった。3着までを当てる3連複は外れたが、幸先いいスタートに気をよくした。
 次の第2レースの16頭立て3歳未勝利戦は4番のスマイルタイムがやたらよく見え、次いで1番のイチエイクリッパーなる人気薄の馬の気配がいいので、ここも1番4番の1点買いに、3連複で遊んだところ、1番の馬が逃げて4番の馬が追い込んできてその通りとなり、中穴を的中した。この余勢を駆って、第3レースの14頭立て3歳未勝利戦も見立てた通りの12番、13番と入って、第1レースから第3レースまで立て続けに的中してしまい、この日の稼ぎを超えてしまった。永らく競馬をしているが、第1レースから3レースも続けて馬券を当てたことは初めてのことだ。30年くらい前に取材先の広報の初めて競馬をする2人を連れて東京競馬場へ来た時に午後の6レースを立て続けに当てたことがあったが、それで運を使い果たしたのか、その日以降1年間馬券が当たらなくなったことがあった。その時は単に競馬新聞を見て予想したのがたまたま当たっただけで、なんら根拠のある馬券の購入でもなかった。
 今回は実際にパドックで馬を見ての購入なので、いよいよ名人級の域に達したのか、と思ったら、それがいけなかったのか、第4レースの18頭立て3歳未勝利戦は外れてしまった。それでも第5レースの16頭立て3歳500万下戦は読み通りに5番、16番で的中となり、「今日はどこまでいけるのか」と期待に胸を膨らませていたら、第6レース以降はとんと当たらなくなってしまった。
 それでもいいと思った馬が1着、もしくは2着に来たりして、馬を見る眼だけは狂ってはいないな、と思っていたが、メインの第11レースフローラステークスではねらった馬が発送前に放馬してエネルギーを使い果たしてしまうという不運に見舞われる始末で、勝利の女神から見放されてしまった感もあった。
 未勝利戦クラスの馬の場合、厩舎の馬の仕上げに差があるので、見ればすぐにわかるような感じがあるが、クラスが上がってくると出走する馬はいずれも目いっぱいに仕上げてくるので、見た目に差がつかなくなる、という側面もある。馬の走る雰囲気は体型、歩幅、歩く様子、目の動きなど一瞬のうちに感じ取るもので、いわく言い難いものがある。ダービーなど大レースに出走するような馬は完璧に仕上げてくるので、差を見つけるのは難しい。
 それにいくつものレースを見ていくうちにどんな基準で見ていたか、こちらの物差しも分からなくなってくる。競馬場へ来る前の日に徹夜でもしようものなら、もう馬を見る眼は狂っている、といっていい。だから、前日はゆっくり寝て万全の状態で臨まないといけないのはいうまでもない。
 ともあれ、25日はいままでにない馬を見る眼の確かさを実感することができた。午後から観客席に風が吹き荒れたこともあって、その喜びが続かなかったのは残念だったが、稀有な体験ができた貴重な一日だった。
 
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