鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

時代の風潮を映す鏡としてのノーベル賞に却って親しみが湧く

2012-10-13 | Weblog
 12日、ノルウエーのノーベル賞委員会はことしのノーベル平和賞をEU「欧州連合)に授与する、と発表した。夕刻、テレビにテロップが流れ、「そんなことありか」と唖然とした。「60年以上にわtって欧州の平和、和解、民主主義、人権の進展に貢献した」のが受賞の理由というが、前日の中国の莫言氏にノーベル文学賞を授与したのに続いて、ノーベル賞の権威を自ら否定するようなことあっていいものか、と思った。さきにノーベル医学生理学を受賞した山中伸弥京大教授の緯業にも関わってくるだけに深刻である。
 EUにノーベル平和賞を授与すると聞いて、真っ先に考えたのはお手盛りではないか、ということだった。ノルウエーがEU加盟国ではないか、と思ったのだが、ノルウエーは非加盟国だったので、そこまで選考委員会は狂ってはいなかったことになる。ただ、ノルウエーは欧州の一角を占めており、準EU的な地位にある、と思われても仕方ないだろう。とすると、仲間うちでの授与となり、そこまでやるか、という気にあんってくる。
 しかもEUはもともと通貨統合や関税をかけることなく貿易をする経済的な側面の強い連合で、およそ平和のイメージからは遠かった。確かに経済の安定は平和につながるし、平和には欠かせない要素ではあるが、平和を目指して通貨統合をしたのか、と考えるとやや違和感がある。
 なのに平和賞を授与したのはいまEUはギリシャ、スペイン、アイルランドなどが経済的に岐路に立っており、より強固な結束が求められている。こうした時期に平和賞授与という光りを充てることによって、改めてEUの存在意義をアピールしよう、との狙いが込められている、とみることもできなくはない。
 ただ、それでもEUのような巨大な組織にノーベル平和賞を授与する違和感はどうしても残る。EUが受賞するなら、国連やIMF、世界銀行といった組織がもらうようなことがあってもいい、ということになる。もちろん、過去に赤十字国際委員会や国連難民高等弁務官事務所、ILO(国際労働機関)、核戦争防止国際医師会議、国境なき医師団、国連平和維持軍、国際原子力機関などがノーベル平和賞を受賞したことはあるが、今回と同様どうしても違和感は残る。やはり、ノーベル平和賞って一体なに、という疑問が湧いてくる。やはりノーベル賞は個人を対象にした方が割りやすいし、意義もあることになるだろう。EUのような巨大な組織がたかが9400万円もらっても全体の資金運用金額からすれば屁でもない。さりとて会長なり、議長が個人的にもらうのもおかしなことになる。
 と考えてくると、やはり政治的な意味合いしか考えられなくなる。中国にとって2個目のノベル賞授与となる前日の中国の莫言氏への文学賞授与は日本の山中教授にノーベル賞を授与したので、ここは領土問題で関係が険悪な日中両国へ1つづつノーベル賞を与えておこう、との判断が働いた、と考える、と分かりやすい。EUへの平和賞も経済的に苦境に立つEUへ政治的というか、励ましの意味を込めて送っておこう、と考えたのではあるまいか。
 ノーベル賞といえどもその時々の事情なり、状況に応じて影響を蒙らないとは言えない、といことだろう。なにせ、人間が考えて決めることなのだから、どこかでバイアスがかかり偏向することがないとも言い切れないのだろう。その方が時代の風潮を映す鏡としてのノーベル賞として親しみが湧いてくることだろう。
 
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