Joe Wilder / Wilder 'N' Wilder ( 米 Savoy MG 12063 )
照明の灯りが反射してキラキラと輝くトランペットからゆったりとメロディーが流れてくる様子が、何の手も加えられずそのまま録られたような感じだ。
ヴァン・ゲルダーが第五のメンバーとして施したカッティングが冴えに冴えわたっている。 演奏の良さよりも音の良さが先に立って、終始圧倒される。
スタンダードを、趣味のいい演奏をする4人が集まって、ゆったりとした速さでのんびり穏やかに演奏するだけの内容なので、特にそれ以上どうこうという
ことは何もなく、心地いい流れにこちらもただ身を任せていくだけなのだが、そういう中でやはり際立つのがレコードから出てくる音の生々しさだ。
ジョー・ワイルダーの演奏を聴いていると、こういう独特の語り口で吹けるトランペット奏者を最近の録音では聴いた記憶があまりないような気がしてくる。
一聴すればすぐに、ああ、これはジョー・ワイルダーだな、とわかる。 音程の怪しいところは多々あるものの、この「語り口」という言葉でしか表せない
演奏は一度聴くと耳から離れることはない。
最近のジャズはどれを聴いても同じような演奏に聴こえる、というボヤキが絶えないのは音楽形式の話もあるだろうけど、それ以上に鳴らされる音の非個性化に
依るところも大きいのかもしれない。 演奏者たちは身体と楽器のコントロールに心血を注ぐよりも、録音技術の進化に乗っかった音の響かせ方・拡散のさせ方や
組合わせの妙に没頭しているように見える。 そこには遊戯としての愉しさはあっても、音楽としての在り方には違和感を持つ一定数の人が出てきてもおかしくない。
ジョー・ワイルダーのこのアルバムは特に画期的な内容とは言えないかもしれないけれど、それでも聴いた人の心を捉えて離さないところがあるのは、おそらく
ブラウニーやマイルスと並んでもおかしくない、この人だけの音と演奏が聴けるからではないか。 例えば、私がブロッツマンの演奏を好むのはそれがフリーだから
ではなく、彼にしかできない演奏が聴けるからである。 そういう意味では、ワイルダーのこのアルバムもブロッツマンの諸作も、私から見れば特に違ったところは
何もない。 形式上の違いなんて、些細なことに思えてくる。
本当にこういう演奏家は見なくなったと思います。 もう、こういうのは流行らないんでしょうか?
ウィントンにこれを聴かせて、何て言うか聞いてみたいですね。
一曲目はコード進行で何となくチェロキー?と理解できましたがクリフォードの突っ走るようなチェロキーとは対称的な演奏でとても面白いと思います。
最近はこういった味のあるトランペッターが本当に減りましたね。
ウィントンマルサリスが現れて以降 破綻のない、ひたすら技術に傾倒したトランペッターばかりでとても残念でございます。
確かに引き込まれる音ですね。 このチェロキーの解釈は斬新だと思います。 全編に歌が溢れた名演です。
モノラルレコードに嵌るきっかけとなったレコードがこのアルバムです。正に濃厚な語り口 A面1曲目のチェロキーはテーマーを飛ばしてトランペットソロから入るので 何の曲?と思いましたが激しくもゆったりとした歌がそこにありました。