リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

次々回配本計画

2015-09-05 14:18:01 | 行為
 こんにちは、毎日天気が悪いですね、外回りの方ごくろうさまです。
 当方バイト中につき時間がばんばん飛びます。昔は当然のことで(それ以外時間がないわけで)夜中までなにか書いてたところですが、残念ながらもう、それをやるとマイナスな気がします。わたしなどアイデア勝負ですから、外見だけ書けても、それじゃあそこらの学者せんせいとおんなじで。きっかけが消えるだけならぜんぜん書かないほうがいい。
  、、、やっぱり辞めたほうがいいのかねえ。
 
 というわけで、次々回配本のテーマが決まりました。
 『上部過程論』。
 なんじゃそりゃ、って、まあ「社会意識論」ですね。下部構造がいかに社会意識に転化するか、という。
 40年来の懸案ですが、今ならさらさらと書けそう。時間さえあれば。これで「三批判」のような3部作のできあがり。
 ひとの年齢が気にかかるお年頃で、カントの「判断力批判」を見ると66歳の出版だって。
 とすると私にはまだまだ時間があるのでなにも急ぐこともないのですが、なかなか他の長期的な将来計画が浮かばないところもありまして。
 こんだけ考えて浮かばないというのは、そんな計画のタネは世間には転がっていない、ということでもありそう。で、目先の自転車操業をしていくしかないような。
 
 さて、世間は相変わらずの暗い話ばかり。なんだね、シリア。めちゃくちゃ。40年間の権力者が悪い。そういうのを暗いと思うのは善人ばかりで彼らは決して政治家にはならない、というところが、人間の根本の原罪ですね。
 そういえば先週は国会デモ、ご苦労さまでした、わたしは日和ましたが。橋下が、そんなのは国民のパーセント以下、と強がりをいってましたが、政治家が怖いのは家で時事放談を見ている連中の数ではなく、実際に何人がオレっちんとこへ来るか、であり、その数が現実も決定します、って日和ったくせにね。(時事放談てまだやってんの、この前知った) 人間、調子のいいことをいってもいけませんが、今日の天声人語、人が変わって3年くらい、思想はどうでもウソはつかないので良かったけれど、今日のはいただけない。
 ”選挙年齢は18歳になったが、酒・タバコは18歳ではいけない、年齢の「ものさしはいろいろあっていい」”だってさ。こういうのはオポチュニストでも「御都合主義者」 と訳すね。てめえで物差し選んどいて、「いろいろあっていい」 はねえだろうが。よかあねえよ。
 判断能力ができたから選挙年齢を引き下げたんだから、酒タバコの判断もできるんだよ。それ以外の選択肢なんかない。
 どうも天声人語は二人で書いてるようだけれど、そうなら署名いれたほうがいいんじゃないか。(その後;社説で、法の趣旨が違うから、とか書いてあった。だから、よしあしを判断するのは当事者だろうが。朝日は、そんな判断力も自律力もない当事者が、政治の行方を選んで国を潰すことを許すよりも、肺がんの治療費が上がることのほうが重要なのか。そうでないなら酒・タバコは全国民に禁止、といえ。以上、怒り。)
 
 さて、以下は、マニアックな話。
 仕事の気分転換に借りた、鎌倉孝夫、佐藤優「はじめてのマルクス」 ㈱金曜日。仕事中は本は読んでも、まずは気分転換優先になって、こういう読書時間も効用が悪そうで。まあ、それはそれ。
 佐藤優の本というのは、まんがのようで(ざっと読んで面白い、それだけ)、忙しいときは見ないようにしてましたが、これはためになりました、鎌倉が。
 降旗節雄の論は、宇野をゆがめてるんだそうです。以下、鎌倉談。
 ”降旗は「商品・貨幣・資本の関係が社会関係全部を支配するというとらえ方」をしている。「商品経済の関係がすべて完全に支配していると」間違って考えている。” そうです。
 なんだよ、そうじゃん、何が違うって、と思うのですが、鎌倉に言わせると、違う。
 ”ほんとは〈商品・貨幣・資本はそれ自体、自立的根拠がないという意味で、宇野はこれを流通形態と規定したのです” と。 えーーー、ほんとかよ。それは知らんかった、が、ほんとかねえ、、、
 おりゃ、うそだと思う。何だよ、流通が関係概念だなんて。うそこけ。流通はただの実体だよ、そうでなければ実態。関係概念じゃなくて抽象概念。
 流通は、生産物が消費者に手に入る一瞬前の時間であり、この一瞬間は微分法が存在するのと同じ意味で存在し、逆に「同じ意味においてのみ」存在しないんだよ。
 実体は労働力の商品化ってのもおかしな話だ。労働力を実体として、これを資本(の変態)の関係がつかんでいる、というのが普通の物言いじゃないか。
 が、もう返しちゃったし、本文も数行、論理を飛ばしてしゃべってるだけなので意図は不明。違う論もあるのだなあ、ということでご紹介。なにしろ、まんがのような本で。しかし、降旗に1票。

 この本の全体は、例によって佐藤の自分の偏見的読み語りの独壇場。鎌倉のこともずいぶん褒めるのですが、さすがに鎌倉も気になったんでしょう、後書きで疑念を呈していました。
 わたしなど、佐藤の宇野やマルクスへのほめ言葉は大変まずい読みのせいだ、と思いましたが、まあこれで宇野経済学のことに初めて触れる若人が出るんならいいんじゃないか、とも思います。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 埋め草で失礼 | トップ | 本当らしき認知 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

行為」カテゴリの最新記事