リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

『歴史としての支配』その他の本のお知らせ

2016-04-30 16:54:47 | 「歴史としての支配」
 隈の『歴史としての支配』が「現在入手できません」というサイトがあるそうです。詳細は不明ですが。
 こうした場合、その他の隈の本を含めまして、本人から送れますのでご一報ください。
 下記アドレスから星をアットマークに変えてください。
 dantes★to.707.to
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9割の人々の席巻

2016-04-29 21:10:30 | その他

こんばんは。いよいよGW。うれしいことで。わたしはカレンダーどおりお休み。とりあえず今日は浮世のことをクリアする日。

 さて、実はこの5月というのはすぐに日焼けすることが示唆しますように人間には大変危険な時期で、日向を歩くとすぐに体内に水分不足をきたすものです。6月の晴天ともなれば気温も30度を越えてくそ暑いので気づくのですが、5月では、年寄りは水分不足に気づかないで血管に血栓を生じさせる。さらに車で渋滞道路を帰るなんてのは最悪ですね。なんてことは例によって、世間の人は知りませんが(検索してみました)。みなさまにおかれましては、親御様が出歩く折には喉が渇かなくとも水分を摂取するよう、ご指摘ください。
 以上、本日の役に立つブログでした。ではみなさま、連休を有意義にお過ごしください。

 以下どうでもいい話。
 先週ブログ記載後、NHKのニュースがうざい。
 「熊本県と大分県では活発な地震活動が続いていて、震度1以上の地震はこれまでに770回を超え、」 ってやつ。昨日だかは930回とかいってた。なんでいいたがるかねえ、「不安を煽ってないか。東日本や阪神は、、、」って書こうとしたら今となってはネットで批判がどんどん出てくるね。誰だってそう思うさ。少し気なり頭なりを使えや。会長のヨタに根拠を与えるだけだぞ。
 
 、、、なんて続けると常連の方は、「うるせえ、いいわけ無用。遊びやがってまたサボんのか」とお思いでしょうか。
 じつはサボる気ではなく必死な思いで、うそですが、それなりに勉強せん、と借りた本がくずで。「またか」ってそうなんだからしょうがない。藤野渉とか島田豊とか星埜淳とかその他のことです。みんな代々木ですから借りたほうが悪いといえばそうなのですが、上部構造論で「アカデミック」なのは代々木しかいないからしょうがない。党員以外の生存者はくるっと引っくり返ってますけどね。
 でも呆れ返ったなりにこの間のバカバカしさも加えて、下記の仮説として、見限ることができました。

 というわけで、本日の付録。
 表現商売人には2通りある、ということで集約しました。
 1 真理に奉仕する人間。私等のような人間たち。私以外は実証的な社会学者のことです。
 2 社交グループに奉仕する人間。自称理論家のほとんど全部です。ジンメルもバカでなければこういう違いを明示し、社会科学に貢献できたのですが。
   ま、ともかくも、そういう人間。
   
 わたしなどは、今まで 「後者は(社会)科学者であるわけがない。ただの評論家だ」、ということで気にも留めませんでしたが、評論家が圧倒的に大学教授等をしている近代を考えるに、それはおかしい。彼らもバカなりに社会の一員であろう、と。「おう、さすがの年寄り」 と思いませんか? 若い連中はそこまでは思いもよるはずがない。
 ともかくも「真理を越えて」 社交グループに貢献することが、人間のある種の一群ないし大群の、人間の9割以上を占めつつ、さらに理論の分野までに食い入ろうとするそんな人々の、近代的姿容であり、ポイントは、他の権力的賞賛の消えた近代ではそれは一般常態である、と。
 ここまで喝破した人間はいないのではないか。
 
 「バ~カ。当たり前だ」? しかしその当たり前さが分からなかった。不覚。 ときおり不思議を愚痴っていたように、社会科学徒と言うものは、あまりにも当然に、真理に奉仕するものだと思っていたのですから。
 でも言い訳ですが、世代というものはそういうものです。戦前の文化はみんな「聖真理」ですよ。戦前の文化というのは全ての日本文学古典を指します。夏目漱石や太宰治。中原中也のことです。みんな真理を自分で掴もうとしている。しかし現代人の大半は、真理など屁とも思ってないのではないか、と。
 まあ、そんな明治大正の人々ではなく、人民の意識は近代化したにもかかわらず変わろうともしなかった昭和の「知識人」の奴らが悪いのかもしれませんね。東大なり京大なり、いやさ、各種旧制高等学校なり、日本共産党なり、ブントなりトロツキスト連盟なり、その他、派生する友だち連合の馴れ合い表現趣味者たち。
 
 というわけで、しかし上部過程論のテーマであるべき本件は、私論には加えません。
 私はもう上部構造論以上、論は展開しないつもりですので、私には永遠の仮説です。
 そんなんどうでもいい。そんな仮説の解答は誰のご飯も改善しないからね。
    ただ、そう思うと、よりいっそう、ご訪問のお客様に代表される読者の部類の方だけが、人類の頼りですね。
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小さな藤の記事

2016-04-23 15:16:14 | 断片
 こんにちは。あいかわらず今日も朝から面白くないことしかありません。救いは夕食時の酒だけですね。
 なんかいい記事でもあったら紹介しようと思って新聞を読めば、朝日新聞は語彙試験の宣伝、一級合格者の言、「出版のような活字にまつわる仕事」。まつわる? それって日本語じゃあんめえ。長くなってもしょうがないから展開しないが、記者もそんな発言を載せるなよ。こっちもけなしても面白くないし。

 仕事が乗らないので乗らなくてもできる読書でもしておこうと、先週はポランニーに手を染めてしまいました。1冊目が役に立たず、それでは次、また次、と泥沼。結論はただのアホ。そんなことは昔は知っていましたが、昨今新訳等も出てるので、これは私の間違いかも、と。1週間、残りわずかな人生の無駄。虚しい。なんだろう、こんなワークを推す連中というものは。
 しかし、栗本もいいところがあると知りました、物事をはっきり書くからくだらなさがよくわかる。うじうじした前掲の連中よりずっとまし。褒めてないか。ほんとに良いと思ったのですが。
 
 最後はもうこのままアホだろうと思ったので、口直しにと、昔、院のすべりどめ先に考えた(ってこっちが難しそうだったが)O大学のYamg某助教授の成熟した姿の論文の所収本も取り寄せました、が、、、虚しい。結果がこんな「学者」になってしまうのでは行かなくてよかった。かの先生、なんでも理論系を反省して、現実へ向かうようにしたそうですが、実証に移ったのかと思えばただの評論に移ったもよう。ま、ともかく幸いわたしの先生ではない。幸せ、、、?
 
 こんなことを書いていてもしょうがない。
 さて、どうにかライフラインは落ち着き始めた地震、行政弱すぎ。 
 益城町(65k平米、3万3千人)、宇土市(74k平米で3万7千人。ケタあってます)とか、小さすぎとしかいいようがないじゃないか。3万人の税金で何ができるというのか。なんでそんな弱小自治体が好きなのかわからない。
 川崎が金持ったって、143k平米ある。さいたま市なんて200k平米以上あるし、横浜にいたっては400k平米以上。
 そんだけあって初めて多少の地域被害は飲み込めるのに。
 貧乏そうでも大きくはある八代市(一般会計600億)の復旧度と何年後かに比べて、負けたら近辺市・町は全部合併したほうがよいのでは? まあ大きければ地域など経済合理性でしか見ないようになるけど、それがいやで反対しているわけでもないでしょう。
 
 なんて書いてもつまらないので買い物にいってきましたら、藤の花の季節ですね。自然だけは裏切らない。子供のころ、藤色は好きだったな。
 役に立つブログ、せめて藤の花の見方を。小雨の日がよろしいです。もっともあまり降ってると香りが届きませんから、朝降った昼間の曇りとか。
 関東地方ですと「あしかがフラワーパーク」とかありますが、ご多分にもれず外国人がたくさんで情趣に重大な欠陥があるのでは?
 お近くの藤棚でしばし佇むのがよろしいです。
 わたしんとこの近くだと、百草園とか。
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若い方の健康レシピ

2016-04-17 10:34:27 | その他
 こんにちは。樹々は黄緑一色、ハナミズキが白く咲き出す今日この頃、思うに樹々や花々も気持ちがよいのでは?
 気持ちが悪いことを苦労してやるという化学反応は、生物には起こらなそうな気がします。とするとまさに喜び溢れる5月ですね、って4月だけど。(cf.「5月の歌」小学唱歌)
 
 なんて明るく。どうしようかと思いましたが、昨日の朝日の夕刊は「号外」状況。地震の記事(=写真)と埋め草の記事のみ。朝日にはそんなに熊本県人が多いのか(ただのいやみ)。まるで昭和天皇死亡記事のよう。おまえら楽しんでんだろ、という気さえする。挙国一致がそんなにいいというなら、あえて半県人はもうそのテーマは書くまいと思いました。
 そう思いません? まあ、こんなブログへ来る方だし。
 なんでも右へならえ。列からはずれりゃ「いいカモが来た」と、ここぞとばかり日ごろのコンプレックスの発散。ばかやろう。文句はてめえの客や上司に言え。
 若い方が亡くなるのは可哀想ですけれどね。でもそれは毎日起こっていることです。
 
 というわけで、本日の題は「庶民のポトフ」。
 題が違う? ブログ題にしますとなんの罪もない方に検索されてしまうんで。こちらは対象者限定ブログです。
 ポトフというのは肉・野菜を薄味のスープで煮込んだだけの野菜。よく「西洋おでん」とか言いますが、根本的に違う。おでんは高価すぎ。これは作った方はご存知でしょう。でもポトフは肉さえ手に入ればあとは常備菜のみで作るものです。とはいえ、塊り肉を使うので牛肉は高くつく。 ネットだとウインナーソーセージが多いですが、匂いが溶けるのと、既に加熱済みのウインナーは煮ると出し殻になる点でお薦めできません。安くないし。 ではどうするか?
 1 豚肩ロース肉を使う。場合によればカナダ産100g90円で入手できたりします。目に付いたら買って冷凍しておきましょう(冷凍肉は1週間くらいで使いましょう)。
 2 これを4、5センチ角に切って、肉汁閉じ込めと風味づけに、普通の油で炒めて周りを焦がしてから煮ます。オリーブオイルなんて使っても匂いが飛んじゃいます。
   「なんか角煮のよう。忙しいんだからあんなもん作る時間はねえよ」
   いやだいじょぶ。柔らかくは煮ません。ナイフで切って食べるものです。柔らかいと気持ち悪いです。
 3 適当に煮て火 を通したら、肉を出して煮汁は気前良く捨てます。
   捨てなくても「肉なし豚汁にするとおいしい」 という情報もあります。確かに豚汁の味がして十分です。が、早めに使ってください。
   「捨てる」主な理由は、ポトフが残るからです、というか残るほど作ったほうが効率的だ、というわけですが。
   とくに皆さまのような若い方は (このブログは若い方限定でもあります) 家族が少ないでしょうから、塊り肉が余りますが、無理して全部食べるものではありません。健康のため、野菜を多く取り、肉も残します。
   で、肉が多いと、せっかくの野菜の味が分からなくなります。さらに、残った場合、2日も経てば肉臭くなります。豚汁でしたら味噌でごまかせますが、薄味スープですからもろ臭い。
   で、捨てます。
 4 さておうちの一番大きななべに入るだけ野菜 (と煮えた肉) を詰め込みます。野菜は煮る時間が許すだけ、できる限り大きく切ります (小玉ネギなら切らなくてもよし)。ナイフで切って食べますので。種類はなんでもよし(ただ、本日のテーマとしては、大根は下煮にして臭みを取ります)。その隙間に水をいれます。全部がかぶらなくていいです。ふたをしますので蒸し煮されます。そして、ブイヨンキューブを2個くらい。決していれすぎないように。あとは塩こしょうで味を調えます。大量に胃に入れるので塩量にはご注意。
   この際お酒があればおちょこに一杯くらい欲しいものです。できればワインがよろしいですが、どうせ少しですから同じでしょう。
 
 で、野菜が煮えたら終了。決して牛肉には負けないものです。なお、薄味ですので、食事をパンで済ませられる方はパンがお薦め。ポイントは、肉を煮た汁は「捨てる」。
 
 (付1) 残ったものは、カレーやトマトをいれるのが普通ですが、要するに主に臭み対策です。本件の場合、そのまま食べられます。
 (付2) これをチャンスに、スープを取って冷や飯を煮てチーズを入れてチーズリゾットにするという手もあります。リゾットをお店で食べたことがある方にはお薦めです。食べたことがないとどの程度の水量・チーズ量か分からないと思うので、店で食べてから作りましょう。
 ネット情報だと、リゾットを固形ブイヨンで作る、というのが多いですが、おすすめできません。香辛料臭くて。ブイヨンスープは好きですが。しかし、このポトフ残りのスープなら上品にできます。煮すぎてどろどろにしないように。
 なお、冷や飯でなく米を炒めることから始めるのもよろしいですが、後始末が面倒ですので覚悟の上どうぞ。
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ひとことだけ

2016-04-16 10:31:17 | その他
 こんにちは。熊本はどうも大変なことで。
 当家の2、3の親戚は幸いに家具の倒れも少なく、無事というほどで済みましたが、強い地震はまだ続いているとのこと。まずはお悔やみ申し上げます。
 
 道に割れ目の線など走って、断層とか分かってるならどうにかならないのかねえ、と思いましたが、すぐに地権者や不動産資本が家を建てちゃって知らない人が買う、という現実ですね。ただ、なんでもこの程度の地震なら改正後建築基準法(81年、00年)に沿えば、倒壊は避けられるとのこと。まあ、技術系の法律は信用できそうです。
 関連して、もう今日の新聞には磯田道史による過去の熊本の地震の記事がかなり長文で載っていました。
 やはり苦労した学者は違いますね。よく勉強してます。彼にはいつも感心。これで左派ならいいのですが。
 
 というわけで、続いて話を変えても書きづらいので、いったん終わらしておきます。
 
 関係の皆様には大変ですが、被害は広さのことだけに言及すれば時間が経てば公共でかなりの程度までなんとかなりそうです。
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勉学のススメ

2016-04-09 21:42:17 | その他
 こんばんは。本日は久しぶりの花見びより。私儀、久しぶりに昭和記念公園なる名称の公園にいってまいりました。
 よかった、花吹雪、その他。20年ぶりくらいですが、荒地だった公園もすっかり草々に包まれて。東京地方の方には、すでに井の頭公園よりお薦めといわざるを得ない(なお、他の花との関係で、少し遅めの時期が良いです)。まあ、名前が悪いのは本人のせいではありません。
 
 さて、そのため夜になった今このごろ、テレビには小室等とか谷村新司とか吉田拓郎とかが出てて。
 なっとくいかん人々のソサイアティだ。
 結局、「フォーク」も歌が好きなやつだけの世界になってしまった。「歌わなければならない」人たちは二度とマスコミに出ることもなく。そんなもんはフォークじゃあねえ。そんなもんらがボブ・ディランを歌ってもしょうがあんめえ。
 歌が好きなだけのやつなんかのことはどうでもいいですが、そういえば、なぜ「歌わなければならない」人間が消えるのか、次回作品「上部過程」も9割がたできたのですが、こうゆうのは書いてなかった。といっても100字くらいで消えるそんなテーマは読んだって誰も気にとめやしない、3行だかんね。読者の方々の頭はもっとでかいことにめくるめいている(はずだ)し。じつはそんなとこがこの1、2日の課題。うまく、種々の立場の読者の要求を統合させるという。
 
 さて、前回に引き続いてしまおう、中高年的言い残し。本日は、勉強のすすめ、4月だかんね。
 大学生の方々には教授陣がいるからどうでもいいけれど、まあ聞けないところで、新入生は英語を多読し、第2外国語の語尾変化をきちんとやるように。で、20歳になったら多読の済んだ英語と、それに語尾変化の済んだ第2外国語を、今度は1字1句ごまかさずに読むように。文系、理系を問わず、これしかありません。
 といっているのにどうせやりゃしないだろうけど、「これしかない」とまでいっている心に気づかないようでは、何をいってもしょうがないし。「いやこれは」「ではこれは」、、、学生が当たり前のことをやるのは当然です。
 
 さて、労働者の方々への勉強のすすめ。これは文系でも社会科学限定。
 英語等はいりません。そんなものは学者になりたいだけのやつがやればいい。何語で読もうがおんなじです。ときどき、「原語で読むとこんなに簡単」とか「これは原語の意味はこうだから本当はどうで」とかいいたがるバカがいるが、はっきりノータリンです。人間の思想とは、そんな一字一句で左右されるものでは決してありません。本筋が分かれば目を瞑ってもあなた自身で代書できるものです。そんなやつのいうことを聞いて人生をムダに費やしてはいけない。
 社会科学で重要なのは
 1 「ドイツ・イデオロギー」を初めとするマルクスの書。
 2 アダム・スミスの「国富論」。
 3 「法の哲学」をはじめとするヘーゲル。
 4 「経済原論」をはじめとする宇野弘蔵。
 5 労働法の労働者の立場に立った概説書。
 まずはこれだけでよろしい。これらをきちんと読めば、あとは興味のある分野を「知識」として読むだけ。それで大学卒、院修了、その他の人間と同等以上の社会科学的能力がつきます。近代経済学書など1冊もいりません。不安でしたら高校の政経の教科書をよく読めばよろしい。それ以上はまったく不要。安心して毎日勤務してください。
 
 ここで、5番目がミソ。
 ほかの事はよいのですが、社会科学系の大学に行かないと、あるいは行っても、「法律」の読み方ができません。法律はこれを都合の良いように解釈して主張する「道具」です。頭の悪い法学部学生に「法律にこう書いてある」などとだまされてはいけません。ほんとにアホほどそういいたがるものです。「書いてある」!!! びっくり。
 根本が違う。法には何も書いてありません。法律はあなたが使う道具です。
 労働者サイドの労働法は、その点、わかりやすく「ほんとかよ」みたいな論理を駆使してくれます。ほんとかどうかはどうでもよろしい。法はあなたが解釈した結果が正しい。これを学んでくださいまし。
 
 なんか少しテーマがずれましたね。
 こんなことを書こうとしてたのかな?? 忘れた。
 なお、エンゲルスはマルクスを凌ぐ天才ですが、初学者には難しすぎて読めないはずです。マルクスを全部読んでから、まず「国民経済学批判大綱」を読んでください。薄いです。
 
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いわゆる「知的生産の方法」の2

2016-04-02 20:49:06 | その他
 こんにちは。3月末で前のバイトが終わり、次は来週からなので昨日は休み、お花見で久しぶりに井の頭公園に行ってきました。ついでにこれまたとても久しぶりに、公園の雑木端で煙に巻かれて焼き鳥を食べようか、と焼き鳥「いせや」へ。
 さて、おやおや「いせや公園店」はオシャレ改築。都会じゃ立ち飲み店が流行ってたころ、昭和の焼き鳥屋がオシャレに改築するってなあ、田舎だねえ、、、経営者的には向かいにある高いだけの料理屋のようになるのが夢だったのかねえ。 
 で論外なので、まだしもの吉祥寺駅前「いせや本店」へ。が、混んでて2階へ上がってしまったせいか、ぜんぜん「いせや」じゃなくなってしまってた。らしいのは焼き鳥1本80円だけ。焼きとうもろこしはじゅわっと凍るほど冷たいし。
 なんともざんねん。井の頭池の端のおでん・うどん屋も小綺麗に立て替えてアイス売ったり、いまどきの子たちはそんなのがいいのかねえ、、、どこもおんなじでつまらない、とかいう感性はないのか。
 
 他方、世間は相変わらず愚かな議員と貧困労働者の話題ばかり。パート・アルバイトじゃなくて、派遣が増えたからめでたい、んじゃ話にならない。日本では非正規はもうほとんど2千万人。後進国との神の手による統合とはいえひどい話だ。
 
 というわけで、本日は前回の続きといたします。いわゆる「知的生産の方法」の2。
 
 8割がた内容のできた自分の作品が、章単位くらいに適当に分類されましたら、いよいよ、昔ここで褒めたことのある、梯明秀氏の出番。
 わたしなどもう40年来の本上での付き合いではありますが、自分の脳メモリー容量の欠乏がありますので、「資本論への私の歩み」の最終章にあります 《資本論構成の図式》 を開きまして(開くだけ。読まない。というか、読むほど具体的内容はない)、おもむろに自分の論の構成を思念するのであります。梯の当該の図はぐるぐる円環が描いてあるだけの小学生でも書けそうな図ですが、その簡易さがとても扱いやすい。
 
 ここで、自分の論の中でどこからでもいいですが、「始め」=始元というやつを見つけるわけです。自分の論の根本ですね。
 社会科学ですと、どこから始めても、その地点で、「なんで?」「じゃあそのなんでのそれはなんで?」と突き詰めていくと原理のようなものがでてきますので、この原理を格好良く並べるのが始元。資本論の「商品」ですね。わたしはそういう衒学的なことはきらいなので、率直に出てきた原理を明確に書きますし、それが正しい態度だと思いますが。
 
 さて、さっき「どこから始めてても」よいといいましたが、この文の示唆するところは、「始元」などといっても、そこからどこへいくかは自由だ、ということです。それは始めの一点から万物へ進行してゆく進化の道筋のようです、と、梯先生が聞いたら膝を打つべきだと思うのですが、先生、現実はそこで考え込んでしまうでしょうね。
 要は、根本からどこへ行くかは論者の視角によって決まる。当たり前のことです。自然は万界を保有すれど人の生きる道は唯一つ。 by Kuma。
 ま、どうでもいいですが、始元とは実は、人間に沿って、自由なものなのです。
 そんなことは初めて聞いた?
 当たり前です。私以外は、どんな大学教授も、自分の頭で考える能力もないし、実際考えてませんから。
 
 元に戻って、なので、論を形作る人は「原理」を提出し、そこからおもむろに、始めに下向を始めた地点へ戻ってゆく、さらにそこを通り越して上向してゆく、そういうものなのです。
 
 次。ざっと配列が満足するだけ終了しましたら、ついで、やっと御大、ヘーゲル大先生の出番です。
 詳細な目次を打ち出して、小論理学の目次と見比べる。これは読者の読みやすさのためです。自分では分かりきっているので他人様のことがわからない。ヘーゲル先生の力を借りて、前から読んでいけば素直に理解できるようになっているか、構成をし直す。
 「そんなことをするからお前の文は読みにくい」わけではありません。読みにくいのは私が生来無口なせい。
 これは宇野弘蔵大々先生もした作業ですが、あちらの方の心までは存じ上げません。
 
 
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