リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

同志というには根本的に違う

2022-01-29 14:45:12 | 断片
 こんにちは、「寒」もあと1週間を切って、無事に天気良く過ごす東京地方、いつもの白梅はほころび始めましたが、いつもの蝋梅はつぼみも見えず、もうだめだね、こりゃ。残念、、、
 高校の仲間の樹木葬の木は蝋梅なのですが、もう10年経って、そこそこの樹木になったでしょうか、ずっといっていないけど。そこは30年で元の山に戻すそうなので、そもそもあまり持たない樹なのかもしれない。
 
 さて、本日はほとんど新聞に出ない情報のツイート。

 琉球大学大学院感染症・呼吸器・消化器内科教授・・・藤田次郎氏
「(発症の)沖縄県のデータでは、デルタ株は平均5.6日、最長14日でした。一方、オミクロン株は平均2日で最長5日。すべての方が5日以内に発症しており、ほぼ異なった病気になったといえるでしょう。もう一つ大事なのが、ウイルスを排出するピーク。デルタ株は発症時にはウイルス排出量がピークを迎えており、発症2日前まで遡って濃厚接触者を探していました。これが困難でしたが、オミクロン株は発症して3~6日後にピークがくるので、発症前の濃厚接触者を捕捉する必要がありません。熱が出たときに接触していた人だけが、その後5日間気をつければよいことになる。」
「沖縄県では第6波に入って2万3千人以上が感染しましたが、残念ながら亡くなった方は、1月24日現在、70代のお一人です。致死率は2万3千分の1。」(デイリー新潮)

 これは鼻水を出してたり頭が痛そうにしている人間にだけ気を付ければいい、と読めるのだけど、ほんとうかね。
 まあ気休めにどうぞ。毎日気にして通勤というのもいやでしょうし。
 ちなみに川崎市発表分で亡くなった方は、直近16000人について4人。0.025%。もっともみな60歳以上だから、0.2%くらいかな。
 ともかく、食欲なくとも食べられるレトルト食品をご用意ください。ゼリーとかね。
 
 次。朝の片づけ時に背中で聞いたのが,NHKニュース、この秋流行ったテーマで、各国と比べてこの20年の日本の賃金の伸びが各国と比べて低いのは、クビにしないで会社がなんとか雇っているからだ、とかしゃべってました。
 そりゃまああるだろうけど、失業率で2%の違いって、賃金総体の割り返しでも(約)2%しか違わない、というのが、数学はできないけど算数ならできる人間の考えだと思うけれど、、、
 わたしも秋には「なんでだよ」と思ったけどわからなかったので、もう一歩見直したら、比較対象が「フルタイム労働者賃金」なんだよね、非正規の皆様全員が該当されるでしょう。
 そりゃ上がんないわね。時給10円上げるのだってたいへんなんだから。
 他方、1990年からの20年で非正規労働者数は労働者の20%から34%にアップ。そりゃ、下がりますぜ。
 そんなことは赤旗でも書けばそれで済むのに。
 (ところでこの数字は桜井哲夫の「今村仁司の社会哲学・入門」にある数字なんだけど、日本の総労働者が700万人も増えている。いまいちだね。増加はせいぜい300万人弱だから、残りの400万はなに、とか注釈をつけなければ。)
 
 今日はね、つまらないからもうやめようかな。江原由美子とか読んでると、ほんと勝手にやっててください、という気になるのね、フェミニズム。なんか根本的に違う、歳はそう違わないのだけれど。
 やっぱ団塊とか戦中がまともだね。生きる姿勢が違う。
 今の救いは雨宮処凛くらい、それも半分は願望だけれど。
 
 団塊でプルードンの訳者がいて、日記を時々見に行くのだけれど、今日見たら、
 「Bella Ciao(さらば恋人よ)」が昔歌って懐かしいとか書いてあって。
 わたしは世代は後だけどこういうの得意なのですが、まったく知らない。
 パルチザンの唄だとかで、へええ、と思ってyoutubeを見たら、ミルバ(という歌手)のがあった。
 o bella, ciao! bella, ciao! bella, ciao, ciao, ciao!
 オ ベラチャオ、ベラチャオ、ベラチャオチャオチャオ!
 すばらしい。
 ラ・マルセイエーズとか、民衆軍隊の歴史がある国の軍歌は、気持ちの入れ込みが違うね。
 
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実践のための理論の資格

2022-01-22 16:37:35 | その他
 こんにちは。寒い中、お勤めご苦労様です。東京地方、寒くてぜんぜん散歩に行っておりません。散歩道の小さな蝋梅は花が開いたと聞くのですが、買い物帰りに見る蝋梅が、今年はぜんぜんつぼみが見えなくて心配。なんかもう老木っぽいし、梅というのもソメイヨシノほどじゃなくても、そうは強くない気がする、経験上。
 
 そういえば、病気にやられて全滅の青梅の梅林が、若木林だけど復活したそうな。お近くの人は行ってあげてください。若い方なら毎年のように大きくなっていくのを愛でる楽しみができますぜ。
 わたしんとこは残念ながら遠くて。このご時勢だしね。いつかまた梅見酒をしたいなあ、見晴らしがいいんだよね。
 
 さて、おなじみのコロナ、若人の皆様は知らないでしょうが、もう世間は「まんえん」状態。ともかく子供たちがぞくぞくとかかるのに驚き。尾身は手を上げて(あきらめて)しまいました。何をしてもおんなじだとのこと(わたしの解釈)。「満員電車もあぶない」と厚労省かが言ったそうな。いよいよ年寄りは引きこもるしかないようです。若い方々は数日続く熱発に耐える食料をご用意ください。
 しかし、おんなじなら飲食店も自由にさせりゃいいのに。
 
 良いニュースもあります。 
 「岸田文雄首相は20日の衆院本会議で、日本の男女賃金格差にかかわって、企業情報を載せた「有価証券報告書の開示項目にするなど、企業の開示ルールの在り方を具体的に検討していく」と表明しました。日本共産党の志位和夫委員長が代表質問で、企業の実態公表を義務付けるよう求めたことに対する答弁です。」(赤旗)
 やるじゃん、共産党。まあEUのお墨付きのようだけれど、だれも言わなきゃそれでおしまいだからね。
 こうゆう事実報道による「刺激」が大切。女性がいかに収奪されているか、という。日本じゅう平等幻想が強すぎるからね。
 そういえば、御用組合「連合」は、自民党支持に切り替わるそうな(わたしの解釈)。どうせ、旧同盟(という右翼グループ)だからね。このさい労働運動も反省して全労連(という共産党グループ)と全労協(という旧社会党)と合併して、御用連合と競ったらいいやね。多少は世の中よくなるかも。
 
 さて、次回本は、構成の修正を兼ねてまとめに入ろうとしているところ、すぐ手に入らないので残しておいた参考文献に手をつけ、「差別主義」定義で有名な、しかし、それしか話題の出ないメンミの「差別の構造」を神奈川県立図書館から借りました。
 ははあ、これは気持ちの良い本、決してためにはなりませんが。被差別と差別者の立場を、よく書き分けて、わざわざ県立まで行かないと(取り寄せないと)いけないのは、地区図書館職員の判断ミス。
 余談ですが、川崎市図書館の正規職員のアホさだと思うのですが、たかだか県立の=貸出専用の所蔵図書に、永久保存所蔵が目的の国会図書館並みのチェックをして貸し出すもんで、委託業者も借りるほうも、全くの時間の無駄にあっております。川崎市ないし神奈川県の関係者ご覧になったら、バカと言ってやってください。
 ここは改行して言いますが、最近の若い60歳前の連中の事大主義といったら。知性を疑うしかない。
 
 元に戻って、で、「差別の構造」が定義しか有名でないわけはわかりました。社会学系統で利用するような箇所は他にないから。それだけに定義を使う人間のあさはかさが感じられてしょうがない。メンミはそんなこといってないじゃん、て感覚。そりゃ書いてあるけどね。所詮、社会学の差別背景の説明に終わる文章に、生きている人間の書物を参考図書に挙げるな、という気がします。
 
 フェミニズムもさあ、加納実紀代氏もいってるけど(「まだ「フェミニズム」がなかったころ」)、今どきは、(ってもう2,30年も前で今は知らない)女性大学教授連が寄ってたかってたかだかの背景説明理論を高邁化して聞いても読んでもわからないものにして。ほんとになんのための理論なのか。 
 田中美津氏だかにも上野千鶴子氏がいわれて、「いや彼女らも行動してる」とか怒っ(たフリし)てたけど。そういう問題じゃないし。
 理論はそれに並進することをもって戦えて、初めて「理論」。
 正しくなんかなくていいんだ。人それぞれ課題は違うんだから、正しい理論なんていらない。そうではなくて、聞いた人間が共に歩めると理解し、並んで行進できる理論こそ、闘いの理論なのだ。
 と、いくらいっても主義者にはわかりゃあしねえな。こういうのは小学校で教えてほしいよ。
(誤解を除く注:なんか「嘘でもいい」と言っているように響くので。そうではなくて、本人が正しいと思ってればそれでいい、あるいはしょうがない、世の中そういうもんだ、という意味です。世の中、私のように正しい人間ばかりではない。それにしても人間は自由を獲得しに動くし、それでよい。
 実は本当のことを知っているのに、こっちのほうがウケがいいからとウソを言うのは主義者の「幹部」が得意とするところです。あるいは幹部でなくとも頭のいい社会学者はそうするところで、そういうのを「マヌーバー」といいます。頭がいいって誰だ、とか、そういうことは言いませんが。
 まあ、ほめてるんだし。)
 
 さて、ちょっと外に出てましたら、もう4時半、でも日が伸びましたね。
 大掃除でわたしのアコギの1番弦が切れているのを発見。どうせ指先がやわになって押さえられないのだけれど、このたびようやく張り替えました、ら、6弦ギターなのに12弦に見える。困ったもんだ、すぐ目の前にあるのにね。
 いや、この書いている文字も顔を付けるようにしないと見えないんだけどね。もう眼内レンズを入れ替えるしかないか、、、

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神経細胞発火への対応条件(素人だよ)

2022-01-15 15:23:51 | その他
 こんにちは、みなさんお元気? 今日明日は雪も一休みのような。本来は雪遊びとかよさそうな土日なんだけどね。
 今日はほんとは成人の日、って知らないか、元服の日。月曜は町に出たら珍しく和服の娘さんが多くて。今年はパステル調に金。
 と思ったら,yahooニュースに写真、これは絢爛豪華に修正としか思えない。「横浜・川崎で成人式、晴れ着姿の新成人集う」(AFPBB News)
 下の記事の写真のパターンがほんとに近い。
「石川翔鈴(18)が11日、都内で「振袖TEENSお披露目イベント」に出席し、書き初めを披露した。」(日刊スポーツ)
 少しハイキー(露出過多)だけどね。最近の写真はぜんぜん信じられない。
 で、成人年齢も18歳に変えるんだとか。家人が「18歳で和服が自分で買えるか」と怒ってました。私どもは成人式なんて知らないけどね。これを機に、セーターとパーカーに変えたらいい。

 今日はセンター試験だって? 「いや、共通テストだ」? おんなじだよ。大学入試センター様御提供。文部省の自分の仕事づくり。文科省だって? だからおんなじだったら。
 ここはときどき受験生にためになることもいっておりますが、本日は数式受験対策。数学や物理だね。
 この数式を使う問題というのは「わかった」ではだめ。式を道具化できるまで記憶しなければならない。
 言い古されてる? 今の主張は「「わかった」ではだめ」と言う点。数式が頭に並んで仕舞ってあって、そのどれを使うべきか、という、そのくだらない作業にしか「脳神経の発火」は寄与しない、というところね。ここが数式学のまともな学問とは違うところ。「わかった」しかない記憶では、入試問題を見たときに脳神経が発火しない。
 しかして、受験生諸君は受験勉強の時に分かろうなどと思ってはいけない。そう思えば分かった瞬間にやる気がなくなるからです。ともかく問題を何度もバカのようにやって式の形を記憶する。
 そんな事を今ごろ言うな? 当日だぞ、って。
 だからさ、人生なんて長いんだから。前にも3浪の立派な人たちの話を書いた通り。今日は突然だからみんなの知ってる広松渉にしますか。彼など高校中退後立派に暮らしてたから、高卒認定後、東大の3歳も下の同じゼミ生相手に、教授の代わりに助手仕事をしていたという、すべて世の中の社交関係はその現在時点の実力で決定される。世の中はそういうものです。もちろん広松レベルでよければ、の話ですが。と、これは浪人の推奨か。

 だいたい、私の大学の社会学専攻で、現役なんか9名中2人でしたよ。構成割合2割です。昔はそんな時代です。お前は、ってわたしゃセンター試験がなかった時代だから数学5点でも総合点でそこの大学に入りましたけど。
 なにえらそうに、って、その一方、わたしゃ14歳以降の授業一般を聞いた記憶がない(聞こえてくる声を排除する努力の大変さって、したことがないとわからないでしょ)ので(16歳以降は声だけは聞きました)、そのときの自分の受験努力を覚えてるんだよね、国立大学受験しようと思って啓林館の数学Ⅰの教科書だけを頼りに、「あ、っそうか」と思いながら過ごした高2の冬の夜、ほんとけなげで、今思えば自分がかわいそうでかわいそうで、、、意味がわかった、でおしまいにしたから受験にはほとんど無駄で、5点。

 話を変えます。泣ける話。
 その1、中島みゆき「麦の唄」、NHK連続ドラマ主題歌。

   なつかしい人々 なつかしい風景
   その総てと離れても あなたと歩きたい
   嵐吹く大地も 嵐吹く時代も
   陽射しを見上げるように あなたを見つめたい

   麦に翼はなくても 歌に翼があるのなら
   伝えておくれこきょうへ ここで生きてゆくと
   麦は泣き 麦は咲き あしたへ育ってゆく

 恋歌? 応援歌?
 いや、中島みゆき本人がかわいそうでかわいそうで泣けてきました。
 こんな修道女のようになっちゃって、、、
 「どんなに辛かったかってことか?」 そうです。そういう意味です。

 その2、「この広い野原いっぱい」森山良子 youtubeでは「 デビュー曲 2001 昭和の歌」。 
 歌自体は泣けもしませんが、本人歌いながら歌詞の通告をしている。次の小節前で、歌声喫茶みたいなやつね。
 涙がにじんじゃいましたよ。これは中島と逆、あの孤高の18歳が、今はみんなとこんなに幸せそうにして、と。

 川崎市もコロナは先週の5倍。3百数十名、保健所は詳細調査を放棄してました。
 それにしちゃ、町でたむろする若人は何も気にかけてなさそう。いいね、そうやって若人が人間の(疾病の)歴史を切り抜けてきたんだね。

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どうでもいいことども

2022-01-08 11:50:32 | 断片
 こんにちは。新年いかがお過ごしですか? そろそろ日常生活のような。しかし現役の方々は連休があって、まだ乗らないというところでしょうか。
 東京地方、昨日の朝は一昨日の雪の翌日で空が澄み渡った良い天気。マンションのほかのうちの(部屋の)こともが「見て! 見て!」と、樹々に積もった雪景色を見てはしゃいでましたが、初めて積もった雪を見たらそりゃ驚くでしょうね。
 わたしも高校のころ寮があって行った菅平を思い出して、とても懐かしかった。初めて見た青く晴れ切った雪山の記憶で。
 
 と思ってたら、gooのニュースで「あれっぽっちで大雪かよ」という、毎度の声が、最近は「雪国マウント」っていうんだって。そんなこといっても東京の道はアスファルトだし、町には階段だってあるし、、、あはは。
 いや、十日町の人はそういう中途半端にくだらないことはいわないので。
 実際、昔、12月の札幌駅前の大通りを渡るとき、派手に転んでた普段着の人がいたよ。まあ札幌は北国であっても雪国じゃないか。
 ほんと、昨日の外出は転ばぬよう気疲れしました。
 
 さて、年が明けたら予想にたがわぬコロナの急成長。でもこの増加の速さは予想外なんだけど。
 川崎市は1週間で64倍だよ、って64人だけど。現役世代一般というわけでもない、うち20代・30代で8割。60歳以上は2人。
 どうするんだろうねえ、これから。引きこもっても消費するところがなきゃ、いくら先進国だっておしまいだぜ、カネが回らないから。左翼はなにを逼塞(ひっそく)してるんだろうねえ、今表に出なきゃ出る日はないのに。生き残ったわずかな左翼は、資本家と税金の取り合い論議ばかり。
 
 それはそうと、アメリカ軍基地からウイルスがダダ洩れ、って、なんでウヨクは「アメリカは沖縄から(日本から)出て行け」と言わないんだい? 「あとは自衛隊に任せろ」って。もちろんそんなこと言ったら誰もカネをくれないからだろうけど、恥ずかしくないのかねえ、もちろん恥なんてないだろうけど。
 「そのうち言う」って? まあ憲法改正したら消費の落ち込んだ大衆に見切りをつけて、軍需産業が出てくるかもね、とりあえず政府が税金使ってりゃカネは回るし、ウヨクへの反米宣伝費も資本家から出るようになるでしょう。そうなりゃヤクザじゃなくて「右翼」を名乗れるね。おめでとう。
 
 まあくだらない。
 ところで七草粥ってあんなわずかな葉物でどうすんの? とずうっと不思議だったんだけど、あらためて野菜なら(場合によっては野菜でなくとも)なんでもいいんだ、と確認しました、にんじんやら里芋やら、そのときある野菜七つ入れてたんだって。そりゃそうだろうけど、文字記録で見ないと人に言えない。なにしろそういう風習がなく育ったから説得力がない。ちなみにまずいお粥じゃなくて雑炊の地方もちゃんとあって、それもそうだし。そもそもお粥なんて麦作地帯で押麦を固形のまま炊いてもまずかろうし。
 でさ、スーパーで1セット500円さ。乾燥野菜も売ってるけど、お金を捨てたような不味さだったぞ(300円だったから買った)。
 ま、どうでもいいか。
 ついでに、スーパーで北海道産「いずし」が珍しく売ってたので買いました、ハタハタ、ホッケ、ニシンのうち、ハタハタ。ら、どうもこれは、、ただの鮨飯だったよ。美味しいけどね、腐ってなくて(つまり、本来どうにも食えない(に近い)はずなのにおかしい)。と思ってネットを見ても怪しいものばかり(おいしそうなものばかり)。伝統製品はどこにあるのだろう、、、作るのに時間かかるからねえ。
 
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youtube 2件

2022-01-05 09:21:10 | 断片
って、懐かしいトップページ変更。
 昨夜書きながら、こんなおとなしい文は変更要らないな、と思ったのですが、やはり庶民的には下品ぽいので変えます。

 で、すぐ出るのがyoutube。
 まずは世代間伝達。労働者人民賛美の歌

 "橋を作ったのはこの俺だ"

 「I'm The Man That Built the Bridges」トム・パクストン。1965.

   俺の先祖や子孫には 偉い奴など一人もいない でも
   石炭掘って町を作り この祖国(くに)を作ったのは俺達だ
     橋を創ったのはこの俺だ
     道路を作ったのも この俺だ
     強いこの腕と身体で この祖国(くに)を作ったのは俺達だ

 と、大昔高石友也が元気に歌ってましたが、それじゃなくて、原曲のトム・パクストン。
 とても庶民的に納得がいく歌い方をしています、感心。

 なんて言うと、「そんな白人の歌を。お前は先住民への視点がない、帝国主義的侵略を賛美している」、とかなんとかいう奴が。そんな議論してどうだというのか。
 そりゃ私にはござんせん。庶民だからね。それで、お前には1965年、アメリカに生きていたらあったとでもいうのか。
 うそこけ。
 時代には時代の歌があり、常に前衛というものが、庶民であってもいたのだ。
 それをけなすのは、(今の)時代の追随者に過ぎない。

 おおあぶねえ。また悪口になってしまう。
 褒めて終わんなきゃね。

 で、口の筋肉の体操にと、若人は知らない「今日も夢見る」をyoutubeで検索したら、フォークルのデータがあって、見たら北山修がしゃべっている。北山も貌はわかるが50年ぶりに聞けば、だれかわかんねえ。だれや、お前。ひどい声変わり。昔は何度もコンサートで聞いたのですが。そんなになって出てこんでええわ。
 は、いいのですが、その話し相手がアルフィーの坂崎幸之助、この人は知っててもバチがあたらない。私のような端境期の人間で、若人に「フォークソング」思想を何とか伝えようと頑張っていて、考えてみれば得難い人だ、と感心したところです。わたしにもこんな人が欲しい。いや、この時代には北山より坂崎のほうが偉いのだ、ということです。
 時代はその時代の人を欲する。
 まあ、わたしも幕の引き時というところで。



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「お前の人倫的責任は?」

2022-01-04 20:19:14 | 断片
 これはウイスキー1杯分余計の憂さ晴らし。
 いつもの皆様におかれましては、また来週。

「保管に“6億円”、廃棄にも費用 「アベノマスク」含む布マスク、政治家の法的責任は」
 今現在、gooに載ってる記事。
 出所はわかりませんが、この手の議論の不愉快さったら。
 文句言ってるてめえはその間なにしたんだよ。300億のカネを払って野党の非難にこたえる、これだけの決断ができたのか。いいや絶対にできやしない。お前にあるのは権力(法律)にすがって、なんとか自分の優位を確保しようとする、その根性だけだ。自分でできもしない「偉大な」決断をした人間に対して文句をつけていい気になっている、お前はほんとうに疑いもなく人間のクズ。権力者に立てさえつけばそれで自分は偉いと思う、それは人間の誠実な営為への侮蔑だ。

 これだけを言いたくてスケジュール外のブログ更新をするわたしというのもなんだけど(はい、モラハラ。我々以前の世代では、モラルとは生き死にだったんだからしょうがない)、次回作って、こうして今の原稿をモディファイ(その方向に向かって修正)しようと思うんだよね、それがせめてもの、生き残った者の斃れた者への責務、あるいは言いたければ償い。私は言いませんし言いたくもありませんが。


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オカルト(その14;生命と物質と霊)

2022-01-01 11:04:06 | オカルト(途中から)
 初春のお慶びを申し上げます。
 東京地方南部、本日もぎらぎらとした朝日、外人が太陽を黄色く描くというのもよくわかります、今日の太陽はどこも赤くない。きっと空気が乾いた国でのことでしょう。
 
 今年はお客さんたちが去年の暮れのうちに来てしまって、それはそれでうれしいし安全でよいのですが、そこから先の気が抜けてしまいました。なんとか大掃除のしめと買い出しで持ち直し。できればお正月はお正月のほうがいいですね。
 さらに、老齢化で就寝時刻が早くなったので年越しそばを昼食にしてしまったのですが、それはそれで天ぷらそばとか(の大カロリー)にしてよかったのですが、大みそかのご飯を食べてしまうとソバのことを考える必要もなく気が抜けて。なんでも習慣を違えるとすっきりしません、て、さんざん食って飲んだあと、ですが。
 
 みなさまは実家とか行ってます?
 まあ世の中、墓に布団はかけられませんぜ、というのが自分のことになるのがいいづらいね。

 ところで、お客さん用のケーキ屋のことを考えていて、当町のケーキ屋の名前、なんて言ったっけか、とふと違う名前が浮かんだ「アマリエンボーン」。
 なんだろう、とても懐かしい名前。
 ネットで苦労して検索したら大昔池袋西口にあった喫茶・ケーキ・レストランだって。今はドコモだった、北口店。なんだろね、ぜんぜん記憶にないのに名前だけは浮かぶアマリエンボーン。40年以上前、何かいいことがあったのだろうか、池袋はその頃の地元だけどそんなとこ自分ひとりじゃいかないしね、、、
 ま、それだけの話。
 
 さて、本題は、お正月恒例のオカルト。本日は霊界問題。
 治部真理・保江邦夫「脳と心の量子論」、1998.によると、「生命は量子的波動である」、と。
 ま、いいかげんな私の集約ですが、どうせむこうも現象の学だから、真理の次元ではそんな把握でよろしい。
 で、そこで霊界です。すでに喝破したように、霊というのは波動ですが、ここで、普遍的な波動のなかでは、人の霊とは人間の間で共有的なものであり、いわゆる市井の言い方を借りれば、人は他人が心の中に生かせている限り生きているのだ、と。だって、波が突然切れたら元の波は波にならない。流れているから波です。

 以下論理です。
 第1に、霊は人と人の間を共に通じて存在している。普遍的な量子の間を波打ってるのですから当然です。ここで、量子という塊に、つまり物質に、こだわっている論は初めから却下です。じゃあ、人間てなんだ。その波動がとても濃い、一地点です。
 ここで、ある人のポイントが喪失したらどうなるか、それは残りの人の間で共に通じて存する、というのが、普通の人間の発想でしょう。ポイントが消えたからといってなくなったら、その波動は波動ではなくただのポイントからの放射です。
 もちろん濃い一致点が消えたら波は次第になだらかになります。
 ここでの「一地点」とは濃さで表わされますから、現象は真逆ですが、水面にインクを垂らしたのと同じ、といっても若人はインクを知らないのでしょう、絵の具を絵筆から垂らしたのと同じです。で、水に落ちた絵の具は、いくばくかの間に大きな水の体積の中に消える、がそれまでは水面を漂う。いくばくとは生命時間でまあ十年くらいでしょうかね。なにしろ「共有」ですから、共有先も消えていくと結局は人には見えなくなる。 
 しかして、死んだ人間は、生きている人間たちが心で思う限り、生き続けている。
 それは記憶上生きているのではなく、生命の波動上、その反映として生きている、と。
 ここで反映とは何か。
 つまりは霊界は生命世界の影ですから、波動的性格は同様です。他方、物質界も中身は量子ですから波動的性格を持つわけです。
 
 「生きる思い」である霊界、つまりしに思いは生命の物質界における存在過程から生じる意味ですから、その意味を担う存在が必要である。それが「生命を持つ物質」です。
 かくて、宇宙には生命も物質も霊も、相互依存的に存在する、どれが欠けてもいけない、というわけです。
 どうでしょうか、それだといかにも生命と霊が統一的に把握されていないでしょうかね。まあトートロジーがあるわけですが、存在が先にありき、だからしょうがない。


 わたしの今年の年初の抱負は、明るく暮らすこと。昨年、一昨年とろくでもなくて、話し声まで暗くなってしまった。あといくらも残ってない一生、せめて明るく暮らしたいものです。
 そのためには、まずは短調になってしまった音声を長調にしようと。突然笑えったって無理だからね、まず基礎作り。理論的でしょ。
 
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