リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

ニッポンイデオロギー概況(その1)

2023-10-28 16:36:41 | 上部構造論
 こんにちは。やっと秋と思ったらもう10月も最後。紅葉のネット情報によると、五色沼(標高700m)、裏磐梯(800m)は色づき初めというとこだそうで。なのに、今日のyahoo写真によると、岐阜の高山付近の1000mあたりでは綺麗に色づいてるもよう。岐阜のほうが寒い? 裏磐梯は開けて明るいからか?
 この辺じゃ、駅前のフラワーボックスにサクラソウが。いまどきはプリムラというのね。俺らの頃にはこんなの2月3月の花なのに、年齢と共に花の表す季節を変えられてしまうというのも差別だな。
 
 いいけどこの間(かん)ずっとスーパーの買い物つらくない? トマト(359円)は買わなくても生きていけるが、なにからなにまで高くて買えない。お金はないとは言わないが、手が動こうとしない。こういうのを「手が出ない」というんだね。
 物価上昇3%とかいってやがるので計算してみました。
 日常食料の30%アップは(50%と言いたいが、ならして)、当家のようにエンゲル係数35%の家では、この35%について3割上がるので、35×0.3で、本当は10.5%の物価上昇です。(それに残りの65%について3%だかアップする勘定です)(あってるかな?)。、
(どこの国でも、自国の国語と、算数だけは必須教育です、し、それだけであとはだいじょぶ。夜間中学の方、算数と国語だけは頑張ってください。もちろん三角関数なんか、そういうのがあると知れば十分)
 もとい、何の話でしたっけ? 国会議員の給料は高すぎないか? 議員再選は不可にして、失職議員は一から職業を始め直したらいい。 

 さて、風呂場の電球がイカれて、と前書いたのが5年前。こいつが新品の電球の会社を選ぶんですが、今回OHM社のもだめ。前はYAZAWAの電球が点かなかったのだけれど、結局、点くASAHIが異常なのだろうか、、、
 ま、ともかく、白熱電球(シリカ電球)なんかもう売ってなくて。安い電球でも5年もっのに。
 ところで何倍もする値段のLED電球、常夜灯のように使ってたやつ、暗くなって明かりの意味なさなくなったから5年で取り替えました。世の中そんなもんです。電気屋の陰謀。
 確かにLEDは使用電力は少なくなってるけどね、大枚はたいてそれだけのこと。高いから暗くなっても切れはしないから我慢してしまう。
 
 またところで、7月にガス台をIHヒーターに替えたと言いましたが、電気代が高くなるのを恐れていたところ、いまだにガス代(減少)との差っ引きは月に千五百円ほどの黒字になってます。
 その点では問題ないというところでしょうか。ただし、ずいぶん料理がまずくなりました。火入れの加減の工夫がたいへん。若人が料理をしてくれる老人家庭以外には奨めません。あくまで安全との交換です(アクリルセーターでも大丈夫)(言ったけど、鍋をハンカチで持ってたら火が丸い鍋底を回ってハンカチ燃え出したんだよね。)。

 さて、ニュース、ってゆうか。最近クマへの風当たりが強くて。わけわかんねえクマ擁護者がいるので輪をかけて話題を複雑にして。いやだなあ、、

 「日没後の道 人と思って「こんばんは」とあいさつ→熊と判明、全力で逃げた 大学サイクリング部員が恐怖体験明かす」(まいどなニュース)
 これは秋田。当たり障りのないニュースで。
 「こんばんは」「ウォ。ウォンウォンウォ」
 かわいいじゃん。
 わたしなんか犬と暮らすよりはクマと暮らしたい。ニャンコと暮らすならトラのほうがいいな。哺乳類みな兄弟。
 ま、牡グマや牡トラは悪いのもいるだろうが、なんでも人間と一緒。

 ずっと昔さあ、「動物占い」ってのが流行って、職場でやって貰ったら、「お前は黒豹だ」っていうの。かっこいいじゃん、すっかりその気になってたら、最近ネットでやったら「虎だ」っていうのさ。おっかしいなあ、、まあ世の中なんてそんなもの。後に広めたほうが勝ち。
 みなさんも自分の動物がいやだったらほとぼりの覚めたころにネットに「古式伝来のやり方ではこうだった」として打ち出せば、10年もすればそっちが定説になるよ。

 なんか長くなりました。そのうち調子悪い、、、ふつうの方はまたね。

 
 さて、本日のお題ではこっちも長く。

 とっかかりはネット情報。最近のマルキストの品質低下には目を覆うばかり。
 痛々しいハマス・テロとガザ無差別爆撃の評はこうです。
「堪えに堪えながら怒りにうち震えてきたガザ人民とその指導部たるハマスが、いまや〝座して死を待つよりは撃って出ん〟の精神で越境攻撃を決行したのだ。全世界の労働者階級・人民は、、、、いまこそ奮起し闘いに起ちあがるのでなければならない。」(K派機関誌)

 おめでてえ。
 そしたら生き残りのマルキストが反論してました。

「ハマスが感じ怖れた「死」とは何であったのか。それは、「パレスチナ・ブルジョア国家の樹立」の展望がなくなる、ということだったのである。
 今回のハマスの軍事攻撃の目的は、イスラエルとサウジアラビアの国交樹立の動きをぶち壊す、ということにあったのだ、といわなければならない。もしも、この動きが進展するならば、パレスチナに国際法上認められた国家を樹立するという展望が遠のいてしまうのだからである。、、、
 中央官僚は「ガザ人民とその指導部たるハマス」と言う。だが、ハマスはガザ人民の指導部なのでは決してない。ハマスは、ガザの労働者・人民を支配している行政諸機関、この行政諸機関を握っている地域権力者なのである。、、、
 パレスチナの労働者・人民とイスラエルの労働者・人民と全アラブの労働者・人民は、ガザ戦争を阻止し、この地域全体の労働者・人民のプロレタリア的解放をかちとるために、プロレタリアートとして団結しよう!」
(北井信弘のブログ)より

 世の中バカばかりではない、とほっとしました。
 K派の下部同盟員は,案山子だろうか。50年の月日というのは人間を案山子に変える?!

 ま、いいや、で、ここでの問題は、なんでこんな「評」が存在しうるのか。
 それはつまりさ、「やる気がない」。もう一歩踏み込めば、当該集団の目的にあっていない、ということだね。
 そもそも主義者の理論は、仮に主意的に進めば(事態を自分たちの思うとおりに進めることができるのなら)、すべての弱者を救える、という方向で洗練されている。この1点を放棄したら、それはただのリベラル、ないしセンチメンタリスト(感傷主義者)にすぎなくなる。耐えに耐えたものが反乱すれば肩を持つなど、50年前同じことをいってみたらどうだったんだ。B派ともC派とも共闘して、日本の歴史も少しは変わっただろう。なんだ、政治主義者のくせに。
 いや、ここでいいたいのはK派も変質しきったな、ということです。
 つまり、威張りくさってみたって、結局、彼らは気づいていないが彼らの究極的目的は放棄された状況なのだ。全ての弱者が勝利する社会など、そんなものは「我々の目的ではない」というわけだ。

 といって、それは他人にはどうでもいいことではあります。リベラル思想も感傷主義思想も、それを欲しい人間には役に立つイデオロギーです。
 ただね、それで左翼だと言わないでほしいだけです。胸糞が悪くなる。
 ましてやマルキストなどと。そんなていたらくでは草葉の陰で泣く人間も何人もいるだろうに。「そんなことで私は命を落としたのか?」。大丈夫、あなたはそんなことで死んだのではない。
  
 ところで「事態を自分たちの思うとおりに進めることができる」なんてことがあるでしょうか? ありません。だってさ、人は利害で動く。なんていうと若人は反発もするでしょう、それじゃウェーバーの利害状況などという現象学だ。しかしそういう意味ではありません。これを言い換えるなら、「人は1週間ご飯を食べなければ死んでしまう」からです。大人は明日ご飯を食べられるためにいやいやながら何かをしている。明日ご飯を食べるために、その「いやいや行為」を正当化させるのがイデオロギーです(したがってウェーバーの机上の空論ごときと一緒にされては困る)。かくて、イデオロイギーは社会の利害通りに「多様に」自分の正当性をがなりたてる、にすぎない。この「すぎない」ことが理屈の上で「事態を思うとおりに進めることができ」なくさせるのです。
 マルクス主義のイロハ。これだけは昔っから本家の黒田にも理解できなかった。

 さてまたところで、それはなんか騙されているようだ、正しいものは正しいのではないかとふつう若人は思う。
 ここで、若人や学者やイデオロギー闘争当事者らの社会に身をおいてみましょう。
 そこでは勝利は(優越は)正しさの如何に関わります。「少しでも正しい理論を」。そこで「理論のK派」の存在意義です。一番まともなマルキスト集団の美名こそ、その集団的根拠です。「事態を自分たちの思うとおりに進めることができる」ならば。個別の唯我独尊の世界でなら、ですが。
 しかし、その地位も消えた、というより自身で放棄した。これからどうなるんでしょうねえ。

 まだ若人には疑問がありそうです。
 そんな政治的なイデオロギーを持っているのは一部の人では?
 そう、そうでない人のイデオロギーを政治被排除イデオロギーと呼んでおきましょう、って名前が悪い?
 もともと「正当性」とは、社会の賞賛と優越がなんらかの権力に維持されている状態を指します。
 政治から排除された人たちにとって、まず第1に、イデオロギーは当時の公認道徳や民衆道徳(仲間内の道徳)を根拠として持たれます。井戸端会議の95%の根拠です。
 ついで第2に、権力に対抗することが許可されている社会にあっては、そうした道徳に対抗する地点で、個別に紡がれます。ネットのストレス解消の95%の根拠です。
 いずれも理解不能なごく少数の意見が交じります。
 
 上記の状況は、具体的には、行為者の自意識を形成した「時代」と、それを保持することがエリートのしるしである所属集団・準拠集団の様相で雑音が入ります。自民党国会議員集団のようなものです。その結果
「戸籍上の性別変更に「手術必要」の規定は「違憲」…最高裁が初判断」(読売新聞オンライン)
 などという、そもそも誰がそんな法律作ったんだ、と耳を疑う現実が生ずるわけです。初めから違憲に決まってるじゃないか。
 思い出したよ、「シャイロック」。ベニスの商人。ちょっと前ならユダヤ人差別で思い出しても口にはしないが、今となってはちょうどいい。シャイロックの契約は民法違反で成立しないと習ったが、そもそも憲法違反だ。
 
 しかし、この類の雑音は、時代の中で消し飛びます。それは政治イデオロギーによるものではなく、政治被排除イデオロギーの発現によるわけで、支配社会においては常にイデオロギーは政治的なのです。
 
 と、(その1)終了。なんか心が暗くなった。わたしには明るさが必要、、、

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一冊、推し。

2023-10-21 16:31:38 | その他
 こんにちは。お元気? わたしゃ鼻炎からいくつもの連鎖で体中が悪い。明日も晴れるってさ、気晴らしにどっか遊びに行けるといいね。
 東京地方は、秋晴れが続いてます。あさってからは枯葉散る秋のもよう。
 ツタだかカズラだかの葉が一部紅葉、赤くなって落ちたりしたのを容器に入れてテーブルに飾るのもおつなものです。って、都会じゃ壁のツタをむしるしかないか。

 秋ともなれば満を持して待った鍋の季節。といいながらまだ気温はブレるので、昼暑かったら皿盛りにしようともくろんだ、おでん。
 おでんは人参が美味、とあえて挑戦的に。
 以前勤めているときにニンジンがうまいといったら居合わせた人たちに総スカン(関西弁)。そんなもの入れない、って。ネットで見たら他にもそうやってみんなに馬鹿にされた子供たち、多々のもよう。
 いえ、おいしいのです、スーパーのパックにははいってないけど。汁は濃いめに、ニンジンは柔らかく煮て味を沁み込ませて。里芋と一緒。野菜臭さが消えてお菓子のよう。わたしは野菜が嫌い。
 そしたら、「ちくわぶがいい」って。そんなの入れないよ。なんでも山形以南関東を通って長野までで入れるそうです。九州じゃあすいとんの代わりだね。
 
 と、せっかく体調の悪いのを押して作ったら家人の調子も悪く、冷蔵庫入り。
 
 さてニュース。
 「タクシー不足で地方が悲鳴 業界はライドシェア導入に反対」(産経新聞)
 ライドシェアって白タクね。これは富山県の例。富山でタクシーなかったら、誰も観光に行かないよ。私が用事でいったときも全部タクシー。バスなんか来ないし。青森でも1台のタクシーが救いの神だったし。バスなんか来ないの、というより時刻表前に最終が行っちゃったし。観光客を呼びたいなら、まったなし。
 
 次。
「非正規ワーカー待遇改善法の提案を発表  人間らしい労働条件とジェンダー平等の働き方実現  田村政策委員長が会見」(赤旗)
 偉いじゃないか、朝日新聞では目に入らなかったから、内容の「柱」を転記しようとしたら、もう山のような内容。確かにあれこれの法律全体を変えなきゃいけないからね。共産党、努力が偉い、というべきでしょう。どうせ通らなくとも宣伝するのが大事。

 もひとつ偉いのは
「「壁の向こうには水もない」国連事務総長が物資の早期搬入を訴え 具体的時期には言及せず」(TBS NEWS DIG Powered by JNN)  、、、エジプトの検問所にて訴え。
 事務総長が事務室でアナウンスするんじゃなくて現場の最前線で訴えたところに感心。いつもやってる? いい人なんだね。しかしもう74歳だよ。外人の年寄りは行動にアタマが伴っててすごいね。

 さて本日のメインは本の推薦。
 柏葉幸子作、竹川功三郎絵「霧のむこうのふしぎな町」講談社文庫、1979。
 知ってる? 童話だけど。作者21歳。
 いや、なんてこともない話なんだけどね、体調の悪い時にアットホームな気分になれてよかった。つまんない論文なんかやめて、こんな小品を書きたいなあ。。
 何がいいって、挿絵がいい。とても懐かしい絵。バージョンがいろいろあるけど、私が読んだのは竹川氏のね。
 その主人公の顔がぷっくらしてアットホーム、今探せば作者の顔なんだろうけど、私なども小学生では顔だけはぷっくらしてたから。過去そんなこともあった、という。登場人物のオウムの「バカメ」いわく「このぷっとふくらんだこむすめはなんだ。ふくらし粉でもくわせたのか」
 ほんと内容はなんでもない、けれど続きに浸りたい本。だけどもう無理だね、(作者)おばさんだもん。子どもの時代がいいわけではないけれど、幸いなるかな、わたしは心の中だけは子供。
  
 さて、今日も個人的な感想に終始で気が引ける。
 たまに、ごく一部の人に役に立つブログ、今日はスチームアイロンの秘密。
 ご自宅のアイロンはなに? 当家はスチームアイロン、パナソニックNI-S55、大スーパーのロングセラー。今は値上げしてNI-S56って売ってる、元は2,900円ほどだったもの。
 で、そのアイロンが3日に1回くらい布地に引っかかり出す。これはなに? 検索しても出てこない現象。いくらアイロンの底を磨いても直りゃあしない。
 もう10年悩んだ結果、これはスチームの穴のせいだろう、と。スチーム使わないから。
 スチームアイロンでスチームを出さずに使うと、陰圧のような状態が生じて、布地をスチーム穴に吸い込むんじゃないか? なので、これを回避するにはときどきスチームを出せばいいのではないか? と。

 10年悩んだ末にしては何だかわからない結論ですが、ポイントはたまにスチームを空打ちする。
 
 今日は6時から多摩川花火。10月にやるのよせよ、と毎回思うのですが、なんでかね、時季外れで花火代が安いのだろうか。守銭奴の世田谷区・川崎市両者の設定席はデラックスペア席25,000円。腹が立つから雨に濡れちゃえと思うところ、残念ながら、雨はさっき東京・埼玉県境を通って行ってしまいました。わたしはマンションから見るからいいんだけど。
 みなさまには、人をねたんじゃいけませんぜ。お天道様はちゃんと見てるから。もう暗いけど。

(P.S. 5時50分から6時まで、にわか雨が相当降って有料シート等を濡らしていきました。私は別に祈ってはません。花火はその後やってます。)


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

説明「社会学」の例示の注(その3)

2023-10-15 20:19:16 | 社会学の基礎概念
 続きです。

 世の中には75年前イスラエルがアラブの領土を横取りしたのが悪いとかいう人がいます。そりゃ悪いでしょう。しかし、だからと言って、人を殺すのが正義だと思ってくれちゃあ大間違いです。その前はどうだったんだ、500年前は。1000年前は。ハマスの先祖が住んでたとでもいうのか。この世の中で、そんなふんぞりかえって過去を消せる民族など、京都のヤマトンチュウくらいしかいない。そしてそんなことは今の事態とは関係がない。関係は今そこで生きている人間たちがどうやって消費物資をとり、どうやって家族と暮らしているか、です。そんなことはバカ以外にはわかるでしょう。イスラエルにも、生きて、家族と暮らしている人間Aがいて、人間Bがいて、人間Cがいるんだ。そんな人々を無視できる人間は、ハマスと安楽に暮らす無責任な日本人しかいない。なぜか。まともな人間であればそれは世界中に普遍の状況だからと知っているからです。偉そうに言って、なぜ世界が見られない?
 それじゃあ今生きている被侵略者のこのくやしさはどうするんだって?
 家族が死なない範囲で対抗することです。赤ん坊でなきゃわかるだろうが。死にたきゃ勝手に自分で死ねよ。俺りゃ止めないぜ。その仕方も知らなきゃほんとにバカだ。
 もちろん、そんな地味な対抗はいやだ、どんな同胞が死んだってかまわねえ、俺はやる。というクソの気持ちもわかるさ。世間にはざらにいるからね。だからおいらも地獄の番人としてお前らを待ってるぜ。 
 
 いちおう、バカでなければわかると思うのですが、記しておきます。

    ほんと、夜書くとおだやかじゃないね。
 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

説明「社会学」と「状況」の提示と例示(その2)

2023-10-15 10:23:24 | 社会学の基礎概念
 こんにちは。東京地方、昨日とは打って変わって本降り。今日はマラソンのオリンピック選手選出だそうですが棄権続出の大波乱。こんな日に走らされて、どうにかなんないのかねえ。
 今日は昨日の続きですが、これですぐに続きを書いてしまうと1日の価値がない。この年になると1日は貴重です。というわけでどうせ誰も気にしやしない趣味の将棋もの。

 世間で藤井8冠という人がいるの知ってます?
 このブログの登場は初めてですね、興味ないから。しかし8冠(8個のタイトルを同時に持っている)ともなれば話題にしておこうか、と。
 この人はわたし的に普通にいい人。だから、一般から言えば「そうとうまとも」な人。いまのところわたしはなんのモラハラもない。若いからね。
 昔、将棋に谷川浩司という人がいまして、20歳のころはなんのモラハラ対象ではなかったのですが、中年も過ぎると怪しくなっていく。まあ人間、よほどでないとそうなるので、別に谷川氏を貶めるつもりはありません。藤井氏が未開花というだけ。
 で、肝心の彼の将棋、これがつまらない。つまらないので興味がない、たとえ8冠であろうと。
 将棋なんて趣味だからね。お互い最善手を指すって、五分五分でゲームを進める、ってこと、それ、なんか面白い? 本人はいいよ、それが主義なんだからね。しかし見てたってつまらない。将棋は本人がどういう構想で戦うか、ってことに意義がある、その構想の成就をハラハラしてハタでみる、というところね、ポイントは構想の価値、、なんてことを書いてもしょうがないけど、私の趣味が将棋と知っている人あてのメッセージ。だから書かないの、って。
 
 さて、昨日の(その1)の趣旨は、「このハマスの人殺し共が。いい気になるなよ」ということでした。読み取れなかったらもう一度お読みください。
 しかしそれはハマスだけが悪いのではなく、それを支える一般大衆が9割悪いのだ、とも書きました。同様にもう一度お読みください。それは、1937年に始まるしな事変、アメリカ帝国主義IMEは「しな」の変換もさせませんが、「支那事変」です。日中戦争などとふざけるな。日本の一方的侵略です。で、もとい、しな事変を代表とする侵略戦争の責任の9割が一般大衆の責にあるのと同様です。
 その理由を、「説明」として記したところです。

 ここで、古典的な説明社会学である理解社会学ないし解釈社会学について、その欠陥の第1は理解ないし解釈の基盤が恣意であり、しかもウェーバーの場合はそれが間違っている、という点にあるのですが、今回の主題はそこではありません。仮に理解や解釈に根拠があった場合、その社会学と、将来に向けて使用可能な因果連関の立言が必須の科学との、関連はどうなるか、という問題です。

 そもそも行為主体は、支配者であろうと被支配者であろうと同様です。そこで万人に見える形で行為の原理と原則を提出します。その原理等の真理性はあちらこちらで検討されるべきであり、きちんと文章で示されている限りそれは可能でしょう。そのための「例示」です。
 われわれは行為者の信条、意欲、動機、は、いわば把握しつくしているのです。その信条その他の行為主体の構えに働きかける状況の内実が、科学の本体であって、その状況の提出の現実的結果が間違っていると知れた場合において、その主体の事情の析出手順の非科学性が問われるのです。

 状況とは、たとえば、植民地エリートに働きかける行為共同性を成立させた当該植民地諸人民の行為環境のことです。つまり「誰でもなろうとする」支配者になれない状況における個人をそうでない道に引きずり込むのが状況です。
 人は状況の中で支配者となり、また対抗権力者となります。科学は、行為の原理・原則によりそうならざるを得ない行為環境を提示することによって、その資格を得ます。因果連関上、「そうならざるをえない」ことがわかるからです。
 つまりたとえば、プーチンが「なぜウクライナを侵略するか」という問いの答えは、いかに中立を装ってみても、そもそもがイデオロギー的立場でいろいろに変わる評論であり、科学ではありません。
 「プーチンはウクライナを侵略しうる。それはこれこれの環境的理由だ。」という将来連関、また「それではこれに対して現在の行為主体たるA男、B嬢、彼らと同様の環境を持つCは、何と何という選択肢をもちうるか」、という将来連関に使用されうる、行為環境に内在する因果連関の定言の提示が、科学なのです。

 さてところで、じゃあハマスについていってみろ、といわれたところでそれは無知識では無理。その場で生きている人間にさえできるかどうかわからない情報量が必要です。その情報を提出するのに寄与するのが実証社会学、その他経済上の知識です。

 そして経済単位の違う「他国民」たるわれわれの、いったん学問を離れた課題は、先進国プロレタリアート貴族として、後進諸国家の理不尽な死を止めることにあります。あるいは、正確に言えば、理不尽な死を止めることはできなくとも、理不尽な死を意味ある死、次の世代、引継ぎ者たちに伝え得る死に変えることにあります。そんなことができるのか? できます。常に人は一人ではないからです。人の生はつながっているから極東のプロレタリアート貴族が、自分の友人宛にかように書き留めているのです。小鳥は山火事を消すために小さな口で運んだ水滴を投ずる。その行為はそれに終わらず、それを関知した人間が人間の中で広めることができる。それはあえて科学でなくとも「例示」によってできる。世の中はそういうものです。
 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

説明「社会学」(その1)

2023-10-14 16:47:30 | 社会学の基礎概念
 こんにちは。ようやく涼しくなってさわやか。平年より少し遅くキンモクセイが香っています。みなさまにはお仕事もはかどって、ってせっかくの休みの時にいいわれたくないか。
 まだ日中歩いてると暑くなるけど、それをいったらほんとにいい日なんて1ケ月しかない。さらに鼻水が止まる日をいれたら2,3週間だね。今年は秋の花粉が特にひどい気もするけど、医者に行くほどじゃないから気のせいか。
 
 先日は秋なので栗の実を買いました。7,8年ぶり。栗ご飯用の皮を剥くのが嫌で買わなかった。
 今年のテーマは茹で栗。おさじですくって食べようというのは二の次で、茹でて皮をむけばむきやすいんじゃないか。と。
 なるほど、と思ったあなた、それが違った。渋皮剥くとき実がやわかすぎてぼろぼろ。粉末栗。渋皮なんて取らなくとも食べられる、という方はいいですが、少なくとも見た目は悪い。
 まあ栗がゴロッとエバッているのもお総菜品のようで、さほど品がいいとは思えないし、粉ばかりでも茹でたせいで逃げた香りを補う、ともいえそうですが(多少は大きいのも残ります)。
 結論として、5,6個そこらの栗屋敷から貰って皮剥いて炊くのがよろしいようで。黙って拾うと心の狭いばあさんが怒ったりするからね。

 さて今日は昔話と、
「消える高校学食、どうすれば「持続可能」に? PTA予算で無料キャンペーン・インスタでPR・事業者撤退で元保護者がスタッフに…工夫重ねる現場を訪ねた」(中国新聞デジタル)
だって。
 これは広島の高校。元保護者が、、というのはやりすぎじゃないかね。元保護者だって遊んでるわけじゃない。いまどきはコンビニも弁当屋もあるし。違いは値段だけじゃん、、たって、学食定食450円なんていってる。高! 横浜市じゃないけど、弁当屋と組んで安くすればいいだけじゃん、弁当屋の弁当は鼻につくけどね。
 私の高校も定時制生徒用に学食があって、うどん・そば、25円くらいで売ってたけど、途中で昼間の営業やめちゃって。でも校内パン売り場あったからねえ(わたしはお弁当を作っていただきました)。わたしの高1の時の親しい友人は、食パン2切れだけ持ってきて食べてたよ。 
 と、これは懐かしいから。

 それからニュース1個。
“子供留守番禁止”条例案なるものが撤回されたって。
小3以下の親は、常に子供と一緒にいないといけないんだってさあ。埼玉県の自民党と公明党議員の議員条例。埼玉の自民党の田村琢実というやつが、世間を自分の思うとおりに動かしたくて、「正義感」あふれた条例を作りたがってるもよう。田舎もんのやることといったら地主のドラ息子と同じだ。そいつの育ちは知らないけど。
 で、世間に非難されて結局撤回なのですが、俺は悪くない、説明が足りなかった、などとぬかしている、ので、ここに条例案を貼っておきます。

”第六条の二 児童(九歳に達する日以後の最初の三月三十一日までの間にあるものに限る。)を現に養護する者は、当該児童を住居その他の場所に残したまま外出することその他の放置をしてはならない。”

 説明が足りないも何もない。そのまんまじゃねえか。どこが世間の批判と違うのかいってみろよ。
 わたしゃ残念。条例通したら次の選挙ぼろ負けだったろうに。

 さて本日は、久しぶりに理論条項。

 これは古い10月9日の記事(赤旗)
「パレスチナのイスラム組織ハマスは7日、イスラエルに大規模攻撃を行い、同国メディアによると民間人を含む少なくとも350人が死亡し、1860人以上が負傷しました。イスラエルのネタニヤフ首相は・・・ハマスに「容赦ない報復を行う」と宣言しました。」
 ご存じのように今の状況はもっとひどい。

 なにこれ?
 理解不能。ハマスというのはプーチンの手下か?
 
 皆様におかれましては、失礼ながら、おそらく、こんなこんなの事情があって、とか、いやその事情はもとはといえばこれこれで、とか、、、
 まあものわかりのよろしい。
 分からねえのは、プーチンは自分も家族も死ぬわけじゃないから理解できる。
 しかし、ハマスってのは、自称、自分も家族もガザにいるという触れ込みじゃないか。なんで自分の家族を殺すようなことをするんだね? (ほんとはスパイに踊らされたという憶測は立つが今はそれはおいておく)
 家族の命より大事なものとはなんだ? 宗教? 民族? 国家?
 いや、これ本気で聞いているわけ。誰か知ってる? 知らないしょ。文章では聞いてても、自分の心では知らないしょ?
 そんな知らない行動をするやつらって狂信者?
 
 さて、ここで、みなさん、「違う、彼らは狂信者ではない」と頭では解しているでしょう。なんせ自分たちも「自衛隊は必要」とかいってるんだから。で、自衛隊員はなんのために死ぬの? 国家? みんなの平和な生活? 平和な生活のために戦争するの? よく子供が聞くよね、それはお子さんが正しい。「国民」はすでに疎外され切っている。
 
 というわけで、説明「社会学」(その1)
 
 ハマスなどと自主団体の名称がついていても、それは要するに支配者なのです。 
 疎外された支配者の支配意志は、(疎外された、なんて、受身でいうようなものでもないのですが)、それはその支配が複数の支配の関係の下で作り上げた行為共同性によって、分かりやすく言えば自律的に、「お互いの」人民を死に追いやるのです。  
 その被支配者の人民は「将来の国家」なり「宗教的統一」なりの名の下で自殺的に死に殺人的に他の人民を殺す。
 恐れ入った疎外状況です。

 この時点で利益のある者は、「擬制の支配者」の他では、関係行為者の「自己の生の意味」を疎外されて作り上げる者しかいない。そんなものが人間の生の意味とは、とんだ自己満足ですが。

 ここでちょっと、ありうる言葉の行き違いに考慮しておきましょう。
 まず、今問題になっている、たとえば「国家」とは、観念にすぎません。頭の中のお化けです。
 そうか? 国家はそんな支配者や人民の頭の中にあるような観念的なものではなく実体的なものではないか?
 そういう国家もあります。支配者の統治領域のことです。これは地図に描けるように、観念的なものではありません。
 さて、では聞きましょう。そんな国家の死、あるいは領域の崩壊に、あなたは家族やあなたの命を懸けるのか? 妻子の命をかけるのか?
 かけては悪いとはいっていません。そういう赤ん坊のような人と話しても無駄なので、はいさようなら。
 わたしは、実は妻子の命のほうが大事なのに、そう公言出来ない人の話をするのです。

 が、ついでもう一つ、ありうる言葉の誤解をはっきりさせておきましょう。
 「くに」の期限である「ムラ」とは、つまり生産共同体とは、なんら観念ではありません。
 ある生産共同体、いわゆる「農村」や「漁村」におけるムラへの構成員の表象は、それなくしては自己の生存が危うくなる「なにか」です。というよりは具体的に、灌漑も、また短期で始末をつけなければならない収穫作業も、その協同体なしにはすまされない生命線です。従って、隣のムラとの水争いの戦いは、やはり生命線です。そういう協働を生産共同体と呼んでいるのです。
 しかし生産共同体の長についていえば、別に彼がいなければ済まないものでもない=死んだってかまわない。あるいは「この村」だって、隣村との水争いなど、自分も隣村の成員になればいいだけのことです。隣村がいいといえばの話ですが。
 さてそんな村で、隣村が、最近は渇水が続くのでこの村と同時に寄合を持とうと言ったらどうなのか。いやな奴はどの村にもいる。まあ持ちたければ勝手にすればいい。
 具体的な生産関係とはそういうものです。誰もその統合に命などかけはしない。両村の構成員が生き延びるために寄合を共同にするのです。それが嘘だというのなら、平成の大合併など歴史上に存在しない。彼は自己の生命の名において、自由です。
 そしてこの場面には観念世界など存在しないのです。来年の渇水をどうするのか、それは両村民A,B,C,それぞれの次の生き死にに関わる、彼らの生理的将来状況なのです。人は生きるために行為をする。本来。
 
 そんな前提の下で、まず、この観念の「国家」等とはなにか。
 
 人間は自己の将来がかかる状況を、一言の言葉にして表します。他者に注意を授けるためです。いわく「火事」「洪水」「地震」。同様に、人はそれを言えば支配者の賞賛を得られ、仲間から優越しうる状況を体感します。「国家のために」です。それは「支配者」のためでないところで被支配者のストレスから逃れているわけです。「支配者も俺らと同等だ、そう本人が言っている」。実は死ぬのは人民だけですが、それは今問題になっているわけではありません。それが「行為の目的」なるものです。
 この賞賛的・優越的条項にかかわる自己の将来は、賞賛と優越ですが、実際の彼の行為は、支配者が言うままの行為であり、自己の将来のための過程的な現実の行為として行為者は捉える。この乖離が、いいたければ、「疎外」です。この観念作業には自己の行為後の位置は、支配者には都合のいいことに、関わらないのです。
 親は子の弁当を作る。それは子のためであり、行為後の疲労のためではありません。ほんとうに個が満足するかどうか、それは知らなくとも親は「子のために」弁当を作る。それを疎外といってもしょうがありませんが、過程的な行為と観念作業との乖離です。
 つまり、国家とは、行為者の行為論上の願望と支配者の御都合主義的語彙体系との合致点です。

 同様に、支配者の行動も、彼の生き死にについて行います。支配者の本性は「自由」です。生きてさあどうすれば部下や他の支配者の賞賛や優越を得るか。それが彼らの平常です。 
 しかしその根拠が「国家」である場合がある、というより国家を定立させざるを得ない状況があるのです。これが支配者の観念上の疎外状況です。
 第1に、自己の賞賛と優越のために、人を殺し、自分を殺しても満足な形式について認識しておかなければならないし、 
 第2に、その自然史的過程を国家が包摂する過程を、それを結論として、人民に述べ立てなければならない。

 これらが「愚かな」「狂信的」殺人行動の中身です。あるいは平凡な人民の、実は支配者に設定された被支配行動です。
  
 もちろん以上は科学ではなく「説明」にすぎません。
 それは科学の原理を適用した「1面の事実」というだけのものです。その実体は、原理の「ただの例」です。
 例をもって説明し、この原理を因果連関の構成素にしたものが科学なのです。
 が、すでに読者の方々の混乱が見えてますので、(その2)に回します。
 もう5時なの。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

みじかい。

2023-10-07 17:23:23 | 断片
 こんにちは。今日はさわやか。カメムシが暖かさを求めて窓際にやってきます。
 ご自宅に入ってきたらカメムシはむやみに逃げないから、おもむろに広告紙にでも乗らせて外にほおってください。
 朝は半袖じゃ涼しいから、衣替えをしようかな。箪笥の入れ替え。例によって鼻がずうずう、くしゃみが連発。
 さて、うまくいった人は3連休、わたしもちょっと都会にでようかと思って美術展系さがしたらなんにもないねえ。自然派としては、近辺散策にはまだ早いしね。
 来週あたりは東京も地域の催しが多いので、お近くの商店街や神社仏閣を見回すのもよいかも。
 
 ではニュースでも見てみます。
「アマゾン配達中にけが、個人事業主でも労災認定…1日100件以上配送など「労働者」に該当」(読売新聞オンライン)
 これはすごい。朝日なら1面、と思ったら端っこ。1面メインは沖縄県知事の辺野古工事保留記事。認めるわけないじゃないか、ばかばかしい。
 まあいいや、要は企業が委託偽装形態をとっても被雇用者だよ、と労基署が認めたという話。
 次は裁判所で判決して欲しいものだ。ていうか、労基法に書けよ。

 次。 
「路線バス運転手が足りない…続々と減便・廃止、運転手確保に苦しみ広告で「このままではヤバいです」(読売新聞オンライン)
 運転手さんはどした、と思えば「待遇の良い他の観光バス会社などに転職」
 だってさ。
 だから何度も言うように「人員不足」なんちゅうもんは待遇問題。給料あげろよ。「ヤバいです」じゃないよ。

 今日はそれでおしまい。
 ずっと諸後進国状況を見てると(読んでると)暗くなって。ただでさえ目が見えなくてやる気が出ないのに。極めつけが後進ロシア。すでに私の中では人民革命でさえないけれど、じゃあ、と本当のことをいおうとすると、やっぱり経済学(次回作予定)から離れてしまう。四六時中お悩みなのだね、食事メニューのお悩みの合間に。
 ともかく、社会学は社会科学の帝王なことだけは確かです。
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする