オーチャードホール、2003年9月3日ソワレ。
ニューヨークのウエストサイド。ポーランド系移民のジェット団と、プエルトリコ系移民のシャーク団との間には争いが絶えない。ジェット団のリーダー・リフ(カール・ウォール)はかつてのリーダーで今はグループを抜けてドラッグストアで働くトニー(この日はマイケル・ソメーゼ)を誘い、ダンスパーティーへ赴く。トニーはそこでひとりの少女と出会い、恋に落ちるが、彼女はシャーク団のリーダー・ベルナルド(ホアン・ベタンクール)の妹・マリア(この日はエカテリーナ・ソロヴィエワ)だった…オリジナル演出・振付/ジェローム・ロビンス、音楽/レナード・バーンスタイン、脚本/アーサー・ロレンツ、作詞/スティーブン・ソンドハイム、演出・振付/ジョーイ・マクニーリー。1957年の初演以来数々のプロダクションで上演されてきた傑作ミュージカルが2000年にオペラの殿堂、ミラノ・スカラ座で公演され、2003年7月に再演。そのオリジナル・プロダクションの来日公演。
やっぱり「マンボ」が楽しい、「アメリカ」が大好き、「サムウェア」が美しい…
しかし彼らはいくつなんだろう…マリアはデビュタントなんだし、このダンスパーティーの会場はハイスクールの体育館なんでしたっけ? だから彼らはハイティーン、青春、思春期、若者なんですよね…
外人さんのキャストだから仕方がないんだけれど、ものすごくおっさん、おばはんに見えてしまいました…いやでももちろん俳優さんたちがいい歳であることは間違いがないのだけれど、実際の本物の向こうのハイティーンってのもきっとみんなこんな感じで、ゴツくてがっしりしていて、日本人が考えるような繊細な青瓢箪なんてのはお門違いなんでしょうね。いい歳した日本人がそれでも向こうでは子供に間違えられるのも道理です。
ベルナルドやリフがごつすぎることを別にすればイメージぴったりで、トニーもおっさん臭いぎりぎりだけれど愚連隊を卒業して大人になりかけていてちゃんと働いているやや朴訥な青年、きっと現役時代?も拳の力ではなく人望でみんなを治めていたんだろうな、と想像される青年のイメージぴったりでした。
だからなあ、マリアがなあ…プリマドンナは仕方がないのでしょうが、これまたガタイ良すぎ…ブライダルショップの場でスリップ姿で登場して、ドレスの襟が浅いの丈が長いのと乙女の不満を並べるのがファーストシーンなわけですが、そのスリップ姿のあまりに立派な上半身はいっそ犯罪では…いかにもロシア人っぽい鼻の高さがまたなんとも…
思えば、数年前に公演した宝塚歌劇版は良かったなあ。ユウコちゃん(風花舞)のほっそりして可憐なマリアは愛らしかった…くっすん。
私はどうもこのマリアとは合わないらしく、オペラふうの歌い方は上滑りして聞こえ、クインテットの「トゥナイト」では悪目立ちしていて美しく聴こえず、ううううむ…でした。すみません。
お気に入りのアニタ(ソランジェ・サンディ)はかっこ良かったです。しかしシェイクスピア『ロミオとジュリエット』にはアニタにあたるキャラクターがいなかった訳で(強いて言えばジュリエットの乳母ですが)、これは新設された役な訳ですが、アニタのレイプシーンは本当にいつもいつも見るのがつらくて、でも絶対自然な流れだし、この役とこのお話の流れが作られた意味をいつもいつも考えてしまいます。
そういえば映画や舞台で『WSS』は何度か観ていますが、今回ほど
「トニー、おまえが悪いんじゃ!」
と思えたことはなかったかもしれません。タイミングの問題か、トニーがリフを止めたからリフがベルナルドに刺されたのであり、トニーにベルナルドを刺す権利なんかないぞオイ、と思えたのです。この根本的なしょうもなさはしかし、ロミオのキャラクターを踏襲しているのだから正しい訳ですよね。うむう。
そしてラストは、こんなに暗いお話だったっけ…と思いました。私の印象では、最後は、何ものにも侵されない威厳を示して未亡人然としたマリアが(ショールをかぶりませんでしたっけ?)、許すとも許さないともつかずただ静かに去っていく…というもののような気でいたのですが、今回のラストではマリアは打ちひしがれた感じで去っていき、チノ(デイヴィッド・リーザー)は逮捕されて号泣しながら引っ立てられ、アニタは祈りの言葉を呟き、ドック(ヘルマン・ペトラス)はかっくりうなだける…という感じで、救いのない絶望感漂うものだったので…
このご時勢だけに、もう少しだけ光明が見えるものを観たかった気がしました。
ニューヨークのウエストサイド。ポーランド系移民のジェット団と、プエルトリコ系移民のシャーク団との間には争いが絶えない。ジェット団のリーダー・リフ(カール・ウォール)はかつてのリーダーで今はグループを抜けてドラッグストアで働くトニー(この日はマイケル・ソメーゼ)を誘い、ダンスパーティーへ赴く。トニーはそこでひとりの少女と出会い、恋に落ちるが、彼女はシャーク団のリーダー・ベルナルド(ホアン・ベタンクール)の妹・マリア(この日はエカテリーナ・ソロヴィエワ)だった…オリジナル演出・振付/ジェローム・ロビンス、音楽/レナード・バーンスタイン、脚本/アーサー・ロレンツ、作詞/スティーブン・ソンドハイム、演出・振付/ジョーイ・マクニーリー。1957年の初演以来数々のプロダクションで上演されてきた傑作ミュージカルが2000年にオペラの殿堂、ミラノ・スカラ座で公演され、2003年7月に再演。そのオリジナル・プロダクションの来日公演。
やっぱり「マンボ」が楽しい、「アメリカ」が大好き、「サムウェア」が美しい…
しかし彼らはいくつなんだろう…マリアはデビュタントなんだし、このダンスパーティーの会場はハイスクールの体育館なんでしたっけ? だから彼らはハイティーン、青春、思春期、若者なんですよね…
外人さんのキャストだから仕方がないんだけれど、ものすごくおっさん、おばはんに見えてしまいました…いやでももちろん俳優さんたちがいい歳であることは間違いがないのだけれど、実際の本物の向こうのハイティーンってのもきっとみんなこんな感じで、ゴツくてがっしりしていて、日本人が考えるような繊細な青瓢箪なんてのはお門違いなんでしょうね。いい歳した日本人がそれでも向こうでは子供に間違えられるのも道理です。
ベルナルドやリフがごつすぎることを別にすればイメージぴったりで、トニーもおっさん臭いぎりぎりだけれど愚連隊を卒業して大人になりかけていてちゃんと働いているやや朴訥な青年、きっと現役時代?も拳の力ではなく人望でみんなを治めていたんだろうな、と想像される青年のイメージぴったりでした。
だからなあ、マリアがなあ…プリマドンナは仕方がないのでしょうが、これまたガタイ良すぎ…ブライダルショップの場でスリップ姿で登場して、ドレスの襟が浅いの丈が長いのと乙女の不満を並べるのがファーストシーンなわけですが、そのスリップ姿のあまりに立派な上半身はいっそ犯罪では…いかにもロシア人っぽい鼻の高さがまたなんとも…
思えば、数年前に公演した宝塚歌劇版は良かったなあ。ユウコちゃん(風花舞)のほっそりして可憐なマリアは愛らしかった…くっすん。
私はどうもこのマリアとは合わないらしく、オペラふうの歌い方は上滑りして聞こえ、クインテットの「トゥナイト」では悪目立ちしていて美しく聴こえず、ううううむ…でした。すみません。
お気に入りのアニタ(ソランジェ・サンディ)はかっこ良かったです。しかしシェイクスピア『ロミオとジュリエット』にはアニタにあたるキャラクターがいなかった訳で(強いて言えばジュリエットの乳母ですが)、これは新設された役な訳ですが、アニタのレイプシーンは本当にいつもいつも見るのがつらくて、でも絶対自然な流れだし、この役とこのお話の流れが作られた意味をいつもいつも考えてしまいます。
そういえば映画や舞台で『WSS』は何度か観ていますが、今回ほど
「トニー、おまえが悪いんじゃ!」
と思えたことはなかったかもしれません。タイミングの問題か、トニーがリフを止めたからリフがベルナルドに刺されたのであり、トニーにベルナルドを刺す権利なんかないぞオイ、と思えたのです。この根本的なしょうもなさはしかし、ロミオのキャラクターを踏襲しているのだから正しい訳ですよね。うむう。
そしてラストは、こんなに暗いお話だったっけ…と思いました。私の印象では、最後は、何ものにも侵されない威厳を示して未亡人然としたマリアが(ショールをかぶりませんでしたっけ?)、許すとも許さないともつかずただ静かに去っていく…というもののような気でいたのですが、今回のラストではマリアは打ちひしがれた感じで去っていき、チノ(デイヴィッド・リーザー)は逮捕されて号泣しながら引っ立てられ、アニタは祈りの言葉を呟き、ドック(ヘルマン・ペトラス)はかっくりうなだける…という感じで、救いのない絶望感漂うものだったので…
このご時勢だけに、もう少しだけ光明が見えるものを観たかった気がしました。
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