駒子の備忘録

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ミュージカル『ジキル&ハイド』

2009年11月10日 | 観劇記/タイトルさ行
 日生劇場、2001年11月13日ソワレ。
 19世紀末のロンドン。医者のヘンリー・ジキル(鹿賀丈史)は病院の最高理事会に臨んでいた。長年研究を続けてきた「人間の善と悪を分離する薬」の人体実験の許可を得るためである。婚約者エマ(茂森あゆみ)の父ダンヴァース卿や友人のアターソン(段田安則)が危惧したとおり、理事会でジキルの要求は却下され…原作 R・L・スティーヴンソン、台本・作詞 レスリー・ブリッカス、作曲フランク・ワイルドホーン、訳詞 高平哲郎、演出 山田和也。
 ミュージカルというよりはオペレッタに近い構成でしたね。セリフがほとんど歌になっていて、逆にダンスシーンはほとんどありません。
 しかし難しい歌が多かったなー。不安定なのは歌い手の力量なのかそういう曲なのか、とにかく聴いていてあまり気持ちよくなかったです。あゆみお姉さんも『三文オペラ』の方がよかった。
 一番よかったのは娼婦ルーシー・ハリス役のマルシア。これが初舞台とは思えない、パンチのある歌声を聴かせてくれました。やや力任せではありましたけれどね。逆にミュージカル初挑戦の段田さんの歌にはひやひやさせられちゃいました。
 お芝居としても残念なことにあまりおもしろく思えませんでした…原作も読んだことないんですけれど。まあ舞台用オリジナルストーリーのようなものらしいのですが。
 ジキル博士があまりチャーミングに見えなくて、感情移入できなかったせいでしょうか?
 たとえば、私だったら…そうだなあ、ジキルをもっと生真面目で神経質で理想家肌の、好青年なんだけれど危なっかしいところがある、とかいうふうにしたかもしれない。
 気がふれてしまった父親を治すために研究をしているのだけれど、本当は自分にも父の狂気が遺伝しているかもしれないと恐れている訳。もっといって、人間の悪の面とか狂おしい面とかを認められない訳。エマに対しても天使のように崇めていて、エマはそんなジキルの愛をちょっと重く感じていたりもする。残り少ない独身時代の夜を楽しもうとアターソンに連れられていったパブで娼婦ルーシーに会うと、彼女は人間なんて誰でも醜い悪の面を持っているものよ、とか言う。実験が許可されなかったので自分で薬を飲んでみることにしたジキルは、ハイドに変身(?)してしまい、ジキルを馬鹿にした病院理事たちを次々と殺して歩く。殺人に興奮したハイドはその足でルーシーのところへも向かうが、彼女はむやみと露悪的になっているハイドの瞳に、ジキルを見出す。結局のところジキルは聖ばかりでありたがり、ハイドは邪ばかりであろうとしているが、もともと人間とは両面合わせ持つものなのだ。エマはジキルを想い気遣い、ルーシーはハイドを想い気遣う。だがついに人間のそうした本性が認められなかったジキルは、結婚式の夜…!
 という感じでしょうか。これなら納得できるんでけどなあ。勝手に演出しちゃダメですね。
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