駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇花組『ラスト・タイクーン/TAKARAZUKA∞夢眩』

2014年05月03日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 東京宝塚劇場、2014年4月13日マチネ、18日マチネ、29日ソワレ。

 1930年代のアメリカ。ハリウッドのタイクーンと呼ばれる若き天才映画プロデューサー、モンロー・スター(蘭寿とむ)はかつて自らが見出した大作映画のヒロイン女優、ミナ・デービス(蘭乃はな)と恋に落ちたが、結婚発表からまもなく突然の事故で彼女を失う。だが撮影中の映画セットから出火する騒ぎの中で、ミナと瓜ふたつの女性キャサリン(蘭乃はなの二役)を目にして…
 脚本・演出/生田大和。F・スコット・フィッツジェラルドの未完の小説『ラスト・タイクーン』を原作にした生田先生の大劇場公演デビュー作。花組トップスター・蘭寿とむのサヨナラ公演。

 なんと友会で一回も当たらず、友達に取り次ぎを頼んでなんとか3回観ましたがすべて二階席で、そのせいもあってかちょっと客観的に見すぎてしまったかもしれません。
 結論から言うと、作品の出来としては私は退屈しました。及第点は…ギリギリくらい?
 もちろん原作が未完という問題はあるのでしょうが(未読なのでどこまで原作準拠なのか知らないで書いています、すみません)、だったらもっと換骨奪胎してしまってもよかったのではないかなあ…

 まず主人公のモンロー・スターですが、まず名前を再考した方がいいと思いました。同じ原作を元にしたまったく別の作品『失われた楽園』では違う名前にしていたんだし、なんでもいいと思うんですよね。
 とにかく日本人にとって「モンロー」と言ったらマリリン・モンローなワケで、少なくとも男性のファーストネームとしてとてもメジャーだとは思えません。苗字のスターも苗字として認識しづらい。なんてったってこれは宝塚歌劇であり、スターと言ったら路線生徒のことになっちゃうでしょ?
 それから、キャラクターの魅力の見せ方が足りず、演じているまゆたんに任せきりすぎると思いました。だからファンでない人とか何も知らない人が観ると、このキャラクターは嫌な男に見えてしまうと思います。少なくとも私はちょっとそう感じてしまいました。貧しい少年時代にわずか5セントで夢を見せてくれた映画、自分を救ってくれた映画、そんな映画を自分でも作りたいという夢、情熱、それはいいよ? でも営利企業に雇われてやってるんだったら利益を上げることは大切だし、夢や情熱のためとはいえスタッフを死ぬまでこき使っていいということはないはずで、利益を追求するブレーディ(明日海りお)や労働組合を作りたいというブロンソン(望海風斗)の方が正論を述べているように私には思えました。それに対してモンローはなんら具体的な代案を示せていない。これはあまりカッコよくないんじゃないですかね…
 かつこのこだわりの「映画」が、タカラジェンヌにとっての「舞台」に引っ掛けてあるのだ、ということはわかりますよ。でもだからこそモンローが作ろうとしているその肝心の「映画」が『千夜一夜物語』だとか『椿姫』だとかでいいのか、とかも私には引っかかりました。だってそれってアリモノじゃん、オリジナルじゃないじゃん。いや既存の題材をものすごく斬新に生まれ変わらせて大衆の支持を得たいとかなんとかいうならまだしも、なんか文芸路線とかやってるワケでしょ? それって目新しくないしヒットする気がしない…とか考えてしまうのは私が業界ズレしすぎ? でもだったらむしろ、今までに誰も観たことがないどころか考えたこともないような夢の映画を作ろうとしている、とした方がよかったのではないかしらん?
 それくらいのパワーがあれば、これは大劇場版から脚本がかなり変わってすっきり理解しやすくなったそうですが、一度は造反しかけたスタッフたちがやっぱりモンローの下で一丸となってがんばろうとする、という展開が納得し易いと思うのですが…
 でもまあ、そんなスタッフたちを置いて、資金繰りにメドも立たせられないままモンローは事故で死んじゃうんですよね? いや飛行機が落ちたのはモンローのせいではないよ? でも無責任だよねえ…その後、ボックスレー(華形ひかる)の脚本らしき作品が撮影される様子が表されますが、はたしてそれは現実たりえたのかはなはだ疑問です。そんな無責任極まりない男に主人公を書いちゃっていいの生田先生?と私は言いたい。
 もちろん志半ばに命を落とすことは誰にでもありえることで、その無念さには共感できますし、その後のサヨナラ展開は涙ナミダです。でもなあ…
 そしてキャサリンがその後ちゃんと生きていけたのかも私にははなはだ疑問で、こんなヒロインを書いていいのか、ヒロインにこんな仕打ちをしていいと思っているのか生田先生?と私はやっぱり言いたいのでした。

 二番手スターが演じる主人公のライバル・キャラとして、ブレーディさんはなかなかよくできていたと思います。みりおも健闘していたと思うし、頭が小さくてすらりとしたスタイルの良さは決して小柄には見えず、良かったと思います。文無しで情熱しか持っていなかったような少年を拾って育ててやったのに、あっという間に才能を開花させて自分の手を離れ、自分の言うことを聞かなくなった。そんな相手への怒り、焦り、自分へのコンプレックス。そうしたものをみりおは達者に芝居で見せていたと思います。
 ただモンローの方があまりにもブレーディを歯牙にもかけていないので(笑)、ドラマとして成立していなかった、ということですよね。
 対して恋敵キャラのブロンソンですが…みんな大好きブロンソンですが、私はまったく萌えられませんでした。
 というか生田先生はDVとかストーカーとかしちゃうような依存体質で束縛的な男性の心理というものがまったく理解できていないのではないでしょうか。なんかすごく台詞にリアリティがなくて上滑りしていて意味不明、という気がしました。せっかく演技巧者のだいもんが鬼気迫る芝居をしているというのに…
 そもそもキャサリンはイギリス人で、ロンドンで好きになった男に売られかけて(売春を強要されそうになった、ということか? 今ひとつ不明瞭なのだが…)アメリカに逃げてきたそうですが、大西洋を渡ったら着くのは東海岸ですよね? だったらニューヨークですでにモンローに出会っていてもいいのでは…そして西海岸に流れてくるにしても先立つものがいると思うのですが、その費用はどうしたんでしょうね?
 そしてブロンソンとはハリウッドというかロスで知りあったんですよね? エドナ(仙名彩世)と知り合うのとどちらが先立ったんでしょうか?
 というのもエドナというのは女優を目指して、あるいは単に成り上がることを夢見ていて、そのためならば財力や権力を持っている男に身を任せることも辞さない生き方をしている女性ですよね? もっといえば売春婦まがいの暮らしをしていると言ってもいい。
 キャサリンもそうした仲間だったのか? でもだったらこういう女たちってルームシェアとかしてけっこう暮らしていけてたりしますよね? なのにブロンソンに助けられたっておかしくない?
 あるいは売春でなんとか生活はしていけていたけれどブロンソンと恋に落ちて売春はやめてブロンソンと暮らすようになった、ということ? でもだったらエドナはキャサリンから離れていくと思いますよ? 友達でいる意味ないもん。
 それともロスで死にかけていたところをブロンソンに拾われて救われたの? ならエドナとはどこでどう友達になるの? どんな友達なの? キャサリンを束縛しておきたいはずのブロンソンが娼婦まがいの暮らしをしているエドナとの友達づきあいを許すのって変じゃない? それともブロンソンもまたロンドンの男同様にキャサリンに身体で稼がせようとしていたということ? だから脚本家のパーティーに行ってこいとか言ったの? いいカモを探してこいと言ったということ??
 でもそんなことでもなきゃ、ブロンソンが高級取りであるはずはなし、キャサリンを働かせもせずに養い飼うことなんてできるはずないんだよね。一帯彼らはどんな生活をしていたのか? その上でどんな愛憎関係にあったのか? 私には全然見えませんでした。
 キャサリンのだめんずっぷりがよくわからないというより、キャサリンの愛が、生活が、人生が、キャラクターが見えない。だからミナに似ているということ以上の何がそんなにモンローにとって価値があるのかもさっぱりわからず、ラブストーリーとしてもこのお話に納得しづらかったのでした。
 海での会話とかに茶目っ気は感じるし、それはミナとはまた違ったキャサリン独自の魅力だったのかもしれないけれど…ちょっと弱い、よねえ。
 そしてそんなキャラクターでもヒロインではあるワケで、だけどモンローの死によって放り出された形になって、墓参には行けているんだからブロンソンに殺されることはなかったのかもしれないけれど、では墓参のあと彼女はどうしたの? ブロンソンのところに帰っていくということなの? それとも別にできることが見つかったの? それって何? 全然見えません…
 こんな無責任な書き方しちゃダメだと思うよ、生田先生…

 演出的にも、ラジオニュースでの訃報が『ヴァレンチノ』っぽいよね、とか、冒頭の椅子にふんぞり返って偉そうにしてってのが『クラシコ・イタリアーノ』っぽいよね、とか、海で愛を語るのはまあベタすぎるてオリジナルがどうとかではないがしかし『華やかなリし日々』でもあったよねとか、そういうデジャヴ感満載なのは痛かったです。それこそもっとオリジナリティ、斬新なエピソードや演出が見たかったです。自分が観てきて素敵だと思ったことをそのまんまただやるんじゃ駄目なんですよ。
 組子をなるべくたくさん出してあげようとか、ラストはやっぱりサヨナラ仕様にしたい、という意気はいいと思いました。まずはデビューおめでとうございます、ここからさらに研鑽を積んでいい脚本・演出家になっていってください。宝塚歌劇に愛情があることに関してはまったく疑っていませんので。エラそうですみません、しかし一観客の率直な意見です。

 というわけでまゆたんはそれはそれはスーツが粋でカッコよかったです。ご卒業おめでとうございます。
 みりおも次期トップスター、楽しみです。そしてだいもんはどこかで組替えしてあげるといいんじゃないかな、もう出来上がってしまっている気がしますよ…
 らんちゃんは難しい役どころを健闘していたと思います。
 よかったのはやっぱりセシリア(桜咲彩花)かなー。嫌な困った女に見えそうなんだけどギリギリでいじらしいお嬢さんに見えていたと思うのは、私がベーちゃん好きだからかな…
 キキちゃんやあきらはまあ、あんなものかな。まよちゃんはさすが上手いけどねえ。柚カレーちゃんは声がまだまだだけれど成長に期待。

 メガステージは柵・演出/齋藤吉正。私は無理でした…前半を我慢するにしても、後半の選曲のセンスがひどすぎる…
 でもさすが花組といったショースターっぷりは楽しませていただきました。でもしばらくはまたショーがないんだな、もったいない…


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