ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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仏教27~仏教と科学、アインシュタイン

2020-07-13 10:12:32 | 心と宗教
●仏教と科学

#キリスト教と仏教の違い
 近代西欧科学は、西方キリスト教の文化圏で発達した。ローマ・カトリック教会は、地動説を主張したガリレオ・ガリレイに有罪判決を下した。ダーウィンが進化論をと唱えると、これを否定した。キリスト教を信じるならば科学を認められず、科学を認めるならばキリスト教を信じられない、という関係が続いた。
 だが、20世紀末になって、ようやくローマ・カトリック教会は、自らの誤りを認めるようになった。ガリレオの死去から実に350年後、1992年(平成4年)に教皇ヨハネ・パウロ2世はガリレオの異端裁判の判決を「教会の過ち」と認め、ガリレオに謝罪した。2015年(平成27年)には教皇フランシスコが、世界の創造についての科学理論は神の存在と矛盾するものではないと、進化論とビックバン理論を認める演説を行った。
これに比べ、仏教は、地動説も進化論も否定しない。仏教では、無から宇宙や人間を創造した人格神を認めないから、地動説や進化論はその教義に反するものではない。仏教が説く因縁果の法則は、因果律を宗教的にとらえたもので、因果律は人間が経験を通じて見い出す法則であり、また宇宙・生命・精神を貫く法則でもある。哲学・自然科学・社会科学に共通する。仏教では、キリスト教のように、人格神の意思によって物事が生成変化するとは考えない。その点で、仏教は科学者が受け入れやすい宗教と言えるだろう。

#アインシュタインと仏教
 20世紀最高の天才物理学者であるアルベルト・アインシュタインは、ニュートンの機械論的世界観の体系を包含する相対性理論を樹立したことで知られる。相対性理論の発表後、アインシュタインは、宇宙には神の意思による秩序があると信じ、その秩序を明らかにするための理論の構築に心血を注いだ。自然界には、重力・電磁力・強い核力・弱い核力の四つの力がある。アインシュタインは、後半生の約40年間、これらの力を統一する統一場理論に取り組んだ。その試みは、彼の死を以って中途に終わった。
 アインシュタインは、科学の最先端を切り開いた科学者だったが、科学と宗教が対立するとは考えず、宗教に意義を認めていた。彼は、著書『私の世界観』(the world as I see it.)に、次のように書いている。
 「人生の意味は、何だろうか。この質問に答えようとすることは、当然、宗教に関わってくる」と、アインシュタインは言う。そして、宗教には、三つの段階があるとする。第1段階は、恐怖の宗教で、原始人が恐怖の感情によって、人間に似た存在を創造し、機嫌を取ろうとする。第2段階は社会的・倫理的な宗教で、社会的な感情が生み出した賞罰を司る摂理の神の概念によるものである。興味深いのは、続いて、アインシュタインは、第3段階の宗教として、「宇宙的な宗教感覚(cosmic religious feeling)」を挙げることである。
 アインシュタインは、「宇宙的な宗教感覚は、それを持たない人に説明するのは、非常に難しい。それに対応するような擬人化された神の概念がないためである」という。そして、ここで仏教に言及する。「ショーペンハウアーの素晴らしい著作で学んだように、仏教は、宇宙的な宗教感覚の、ずっと強い要素を含んでいる」と。そして次のように続ける。「宗教と科学の領域はそれぞれはっきり互いに区別されているにもかかわらず、宗教と科学には強い相補的な関係と相互依存性が存在する。宗教は目標を定めるものであるけれども、それにもかかわらず、宗教は、最も広い意味での科学から、設定した目標の達成に貢献するものとは何なのかを学んで来ている。宗教なき科学は不自由(lame)であり、科学なき宗教は盲目(blind)である」と。
 また、アインシュタインは、「理性における成功を強く体験した者は、誰もが万物に表れている合理性に畏敬の念を抱いている」とし、「科学・宗教・芸術等の様々な活動を動機付けているのは、崇高さの神秘に対する驚きである」と言う。彼は「崇高さの神秘に対する驚き」を以って自然を研究し、「万物に表れている合理性」に畏敬の念を抱いていたのだろう。彼のいう「宇宙的な宗教感覚」とは、こうした驚きや畏敬の念に裏付けられたものだったと考えられる。また、彼は、著書『信条と意見』に、「私は、宇宙的な宗教感覚は科学的な研究の最も強い、そして最も崇高な動機であると主張する」と書いている。
 ここで注目したいのは、アインシュタインが、先の引用にあるように「仏教は、宇宙的な宗教感覚の、ずっと強い要素を含んでいる」と書いていたことである。彼は、ユダヤ教徒であり、シオニズムの支援者だった。ユダヤ人としての行動は、信仰というより民族的な意識によるものだったのだろう。アインシュタインは人格神の存在は認めず、自然の法則を神としており、ユダヤ教の教義とは異なる考えを持っていた。彼の宗教思想は、数学的神秘主義者ピュタゴラスと、汎神論哲学者スピノザの折衷であると分析されている。そうしたアインシュタインが、一方では、仏教を高く評価していたのである。
 アインシュタインは、次のように言っている。「現代科学が必要としているものに応える宗教があるとすれば、それは仏教だろう」(H・デュカス+B・ホフマン編著『素顔のアインシュタイン(Albert Einstein, the Human side)』)。「仏教は、近代科学と両立可能な唯一の宗教である」(フレデリック・ルノワール著『仏教と西洋の出会い』)。
 これらをまとめると、アインシュタインは、仏教には「宇宙的な宗教感覚」が強くあると認め、仏教は「現代科学が必要としているものに応える宗教」であり、「近代科学と両立可能な唯一の宗教」だと考えていたことがわかる。こうしたアインシュタインの見解に基づいて、彼のいう第3段階の宗教は、しばしば “cosmic religion(宇宙的な宗教)”と呼ばれている。
 もっともアインシュタインがどの程度の深さで仏教を理解していたかは、明らかでない。仏教の教えのどういう点が現代科学が必要としているものに応えたり、近代科学と両立可能といえるのか、アインシュタインは、具体的に語ってはいない。
 その点、次に書く科学者たちは、科学的世界観と仏教の教えの類似性を、様々な観点から述べている。

 次回に続く。

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