吉田松陰は、妹・千代に女性としての生き方を、手紙で書き残しています。
松陰は、ペリーの黒船に乗って海外渡航することを企てて失敗し、その罪によって獄中につながれます。松陰は、同囚の富永有隣と、曹大家(そうたいこ)の『女誡』を訳した時に次のような言葉を記しています。
「節母烈婦あり、然りて後孝子忠臣あり、楠、菊池、結城、瓜生諸氏においてこれを見る」。すなわち、優れた人物は、母親・女性として立派な人の影響の下に、現れているということです。
松陰の母・滝子は、明るい性格で、家を支え、貧乏でも毎日風呂を炊いて子供たちの心がのびやかになるように努めました。滝子の母親としての愛情や智恵が、松陰という偉人を育てたのでしょう。
松陰は、そうした母の下に育ち、自分の妹・千代に対して、女性としての生き方を書き教えたのでした。千代は、松陰の4人の妹のうちで、一番上でした。千代は長州藩士・児玉祐之に嫁ぎました。安政元年12月、野山の獄中にあった松陰は、千代に手紙を書き送ります。その手紙から、現代の私たちにも通じる点を、以下に記します。
まず、総論ともいうべきものとして、次のように書かれています。
「凡(およ)そ人の子のかしこきもおろかなるもよきもあしきも、大てい父母のをしえに依る事なり」。つまり、子供の人格形成には、父母の教育が大切だということです。
「男子は多くは父の教えを受け、女子は多くは母のをしえを受くること」。男子は父性の、女子は母性の教育が重要だと言っています。
「十歳巳下(いか)の小児の事なれば、言語にてさとすべきにもあらず、只だ正しきを以てかんずるの外あるべからず」。幼い子供は、言葉でさとしてもまだわからないので、親が自らの態度で示して教えようということでしょう。子供は親の背中を見て育つ。
「昔聖人の作法には胎教と申す事あり。子胎内にやどれば、母は言語立ち居より給(たべ)ものなどに至るまで萬事心を用い、正しからぬ事なき様にすれば、生るる子なりすがたただしく、きりよう人に勝るとなり」。胎教というのは、最近の流行のようですが、東洋の儒教は、古代から胎教の大切さを説き、具体的な実行法を教えていました。松陰も妊娠期間中の母親のあり方を説いています。
さて、次は、妻としてのあり方についてです。「元祖巳下代々の先祖を敬ふべし」。先祖を敬いなさい、ということです。このことに関し、松陰は、以下のように書いています。「婦人は己が生まれたる家を出て、人の家にゆきたる身なり。(略)ややもすればゆきたる家の先祖の大切なる事は思い付かぬ事もあらん、能々心得べし」。つまり自分の実家の先祖だけでなく、嫁いだ家の先祖を大切にしなさいと説いています。
「神明を崇め尊ぶべし」。神を敬いなさい、ということです。「神と申すものは正直なる事を好み、又清浄なる事を好み給ふ。夫(そ)れ故神を拝むには先づ己が心を正直にし、又己が体を清浄にして、外に何の心もなくただ謹み拝むべし。是(こ)れを誠の神信心と申すなり。その信心が積もりゆけば二六時中己が心が正直にて体が清浄になる。是れを徳と申すなり」。正直・清浄とは、日本人の心の理想ともいえるものです。
「親族を睦じくすること大切なり」。親戚と仲良く、親族が調和するように努めなさい、ということです。
この手紙を書いた時、松陰は25歳。兄としての愛情と、教育者としての誠意に心打たれます。千代は松陰の手紙を一生繰り返して読み、松陰の教訓に従い、子供の教育に努めたといいます。
わが国には、かつて立派な人物が多数現れました。そうした人物が出現した土壌には、家庭にあって強くやさしく子供を育てる母性の力があったことを思い返したいものです。
参考資料
・『日本の思想 19 吉田松陰集』(筑摩書房)
次回に続く。
************* 著書のご案内 ****************
『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1
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松陰は、ペリーの黒船に乗って海外渡航することを企てて失敗し、その罪によって獄中につながれます。松陰は、同囚の富永有隣と、曹大家(そうたいこ)の『女誡』を訳した時に次のような言葉を記しています。
「節母烈婦あり、然りて後孝子忠臣あり、楠、菊池、結城、瓜生諸氏においてこれを見る」。すなわち、優れた人物は、母親・女性として立派な人の影響の下に、現れているということです。
松陰の母・滝子は、明るい性格で、家を支え、貧乏でも毎日風呂を炊いて子供たちの心がのびやかになるように努めました。滝子の母親としての愛情や智恵が、松陰という偉人を育てたのでしょう。
松陰は、そうした母の下に育ち、自分の妹・千代に対して、女性としての生き方を書き教えたのでした。千代は、松陰の4人の妹のうちで、一番上でした。千代は長州藩士・児玉祐之に嫁ぎました。安政元年12月、野山の獄中にあった松陰は、千代に手紙を書き送ります。その手紙から、現代の私たちにも通じる点を、以下に記します。
まず、総論ともいうべきものとして、次のように書かれています。
「凡(およ)そ人の子のかしこきもおろかなるもよきもあしきも、大てい父母のをしえに依る事なり」。つまり、子供の人格形成には、父母の教育が大切だということです。
「男子は多くは父の教えを受け、女子は多くは母のをしえを受くること」。男子は父性の、女子は母性の教育が重要だと言っています。
「十歳巳下(いか)の小児の事なれば、言語にてさとすべきにもあらず、只だ正しきを以てかんずるの外あるべからず」。幼い子供は、言葉でさとしてもまだわからないので、親が自らの態度で示して教えようということでしょう。子供は親の背中を見て育つ。
「昔聖人の作法には胎教と申す事あり。子胎内にやどれば、母は言語立ち居より給(たべ)ものなどに至るまで萬事心を用い、正しからぬ事なき様にすれば、生るる子なりすがたただしく、きりよう人に勝るとなり」。胎教というのは、最近の流行のようですが、東洋の儒教は、古代から胎教の大切さを説き、具体的な実行法を教えていました。松陰も妊娠期間中の母親のあり方を説いています。
さて、次は、妻としてのあり方についてです。「元祖巳下代々の先祖を敬ふべし」。先祖を敬いなさい、ということです。このことに関し、松陰は、以下のように書いています。「婦人は己が生まれたる家を出て、人の家にゆきたる身なり。(略)ややもすればゆきたる家の先祖の大切なる事は思い付かぬ事もあらん、能々心得べし」。つまり自分の実家の先祖だけでなく、嫁いだ家の先祖を大切にしなさいと説いています。
「神明を崇め尊ぶべし」。神を敬いなさい、ということです。「神と申すものは正直なる事を好み、又清浄なる事を好み給ふ。夫(そ)れ故神を拝むには先づ己が心を正直にし、又己が体を清浄にして、外に何の心もなくただ謹み拝むべし。是(こ)れを誠の神信心と申すなり。その信心が積もりゆけば二六時中己が心が正直にて体が清浄になる。是れを徳と申すなり」。正直・清浄とは、日本人の心の理想ともいえるものです。
「親族を睦じくすること大切なり」。親戚と仲良く、親族が調和するように努めなさい、ということです。
この手紙を書いた時、松陰は25歳。兄としての愛情と、教育者としての誠意に心打たれます。千代は松陰の手紙を一生繰り返して読み、松陰の教訓に従い、子供の教育に努めたといいます。
わが国には、かつて立派な人物が多数現れました。そうした人物が出現した土壌には、家庭にあって強くやさしく子供を育てる母性の力があったことを思い返したいものです。
参考資料
・『日本の思想 19 吉田松陰集』(筑摩書房)
次回に続く。
************* 著書のご案内 ****************
『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1
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