お城でグルメ!

ドイツの古城ホテルでグルメな食事を。

ホルネック城館

2022年02月27日 | 旅行

ホルネック城館はドイツ騎士団の城塞でした。他の多くの城塞と同様にネッカー川沿いの古城街道にあります。

ホルネック城館の起源はよく分かっていないけれども、13世紀前半の古文書にある記載によると、その頃建造されたのではないかと考えられるようです。そして13世紀の中頃に、所有者であるコンラド・フォン・ホルネックという人物がこの城塞をドイツ騎士団に譲渡し、彼の二人の息子を伴って入団しました。それにより騎士の新しいコミュニティーがこの地に設立されたことになり、コンラド・フォン・ホルネックがその指揮官になったのです。そしてドイツ騎士団によって建物は拡大強化され、近隣の王様を初めとする有力者が次々と滞在しました。このコミュニティーはますます発展し、15世紀の前半にはドイツで3番目に重要な、そして最も裕福なコミュニティーのひとつになりました。ところが16世紀の前半の農民蜂起によってホルネック城塞は憤激した農民に征服され、住居棟も農場も完全に破壊された上、お城の公文書の保管所までもが壊滅しました。城塞はそれでもドイツ騎士団の所有にとどまり、すぐに再建されました。その際、残っていた城塔を含む防御壁の内側に建造されたのは分厚い壁で多階の建物でした。そのルネッサンス様式のお城も30年戦争の時に損傷を受けましたが、すぐに修理されました。そして18世紀の前半には、比較的装飾の少ないバロック様式の城館に改築されたのです。

 

防御壁の一部 1 &

 

防御壁の一部とワイン畑

 

城館の全景 1 &

19世紀の初め、ホルネック城館は世俗化によってヴュㇽテムベルク王国の所有となり、兵営として使われました。その20年後に城館の複合施設は個人の手に渡り、病院、療養所、自然療養所、ビール醸造所として機能しました。そして第二次世界大戦後に短期間、お城はアメリカ軍の病院として使用された後、肺療養所に改装されて1960年まで使われました。

 

複合施設の入り口 ‧ 城館への道

 

城館の真正面 

 

城館を囲む水無し掘り割り 1 &

療養所が閉鎖された後、ドイツに住んでいるトランシルヴァニア・ザクセン人の集まりである <ヨハネス・ホンテルス›援助協会が城館の施設を取得し、<トランシルヴァニア›郷土館として利用しています。

ところで、トランシルヴァニア・ザクセン人とは誰なのかわからないのでウィキペディアで調べてみました。

【トランシルヴァニア・ザクセン人とは、12世紀以降、トランシルヴァニア (こんにちハンガリーやルーマニアがある地域) へ移住したドイツ人を指す名称。トランシルヴァニア・ザクセン人の大半が第二次世界大戦後にドイツへ移住 (帰国) していったが、現在も一部の人々がルーマニアにドイツ語を話す少数民族として残っている。】

現在ここには広範囲にわたる蔵書を持つトランシルヴァニア研究所とトランシルヴァニア博物館があります。中でも博物館はルーマニア以外の地にある最も重要な博物館だそうです。

 

城館の入り口

 

城館の中庭 ‧ 壁の彫刻

<ヨハネス・ホンテルス›援助協会は2015年に一度倒産したのですが、それまでは郷土館の他に城内で老人ホームを、そしてお城の横の新しい建物で養護ホームを経営していました。

 

お城の横の養護ホーム

援助協会の倒産不動産はその後トランシルヴァニア・ザクセン人連邦協会が買い上げ、老人ホームを文化会議センターに改築しました。

全部の複合施設は時たま訪問者に公開されるようで、バロック様式の祝賀会場で文化イベントが開かれるほか、城館の主屋にはトランシルヴァニアのモチーフの絵画コレクションが数多く展示されているそうです。

すでに述べたように施設は常時公開されているわけではないので、外観しか見ることが出来ませんでした。それで付近を散策し、背後の丘に登ってみました。

 

背後から見た城館 ‧ ネッカー川の水門

さて、私の家の料理です。

 

キャベツのイタリアン風スープ 1 &

キャベツを使ってイタリアン風スープを作ってみました。まずキャベツを8分の1ずつに切っておきます。ベーコンをオリーブ油で炒めて、そこにジャガイモとキャベツを入れます。そして鶏のだし汁をいれて20分ぐらい弱火で煮て、塩コショウで味を調えます。妻の作品の土鍋を使いました。食器も妻の作です。寒い季節にスープ料理は最高ですね。

 

子牛肉の茸マルサラ酒ソースかけ 1 &

次は子牛肉の茸マルサラ酒ソースかけです。まずソースですが、茸(シャンピニオンとエリンギ)を細かく切ってオリーブ油で炒め、そこにマルサラ酒と白ワインを入れて煮立てて、さらに鶏のだし汁を加えてしばらく煮込みます。最後は塩コショウで味を調えます。子牛肉の方ですが、片面に燻したハムを張り付けて叩きます。別の片面に小麦粉を振り、フライパンで焦げ目を付けます。焼き上がったらソースの鍋に移してしばらく煮込むのです。上にパセリをふって出来上がり。

 

〔2022年2月〕

 

 

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シュタウフェンベルク城砦

2022年02月19日 | 旅行

私が昔学生時代を過ごしたマールブルクから 20 km ほど南に下がったシュタウフェンベルク町の高台に立つ同じ名前の城砦は、タイプとしては日本でいう山城にあたり、1233年に初めて文書に記述されている。当時は単なる国境防衛施設であったらしい。上城と下城が130年ほどの間隔をおいて建造されたが、その後の戦争で壊されたのは、城の所有者が負けたほうの軍に属していたからである。15世紀に所有者が代わり、改築と補強が施されたにもかかわらず、17世紀の中頃の30年戦争でまたもや破壊されてしまった。その後再建されることなく次第に腐朽倒壊していき、採石場となった。

シュタウフェンベルク町の „故郷を守る会” が2002年から管理している上城の廃墟には本丸と城壁が部分的に残っているが、かなりの規模の城砦であったことがうかがえる。地面は短く刈った草地で、その緑と城壁の荒々しい岩肌のコントラストが眼に鮮やかである。らせん階段で登る城塔の上からの360度の景色が素晴らしい。丘状の起伏がどこまでも続き、近くの2、3の丘には別の城砦の塔が見える。敵の軍隊が近づくのを早く見つけるのに最適であっただろう。塔の上に長く居ても飽きることがない。私は中世に生きていたとしたら志願して見張り兵になったであろう。しかし30年戦争ではドイツのいたるところが激戦地になって、人口が半分になったやら三分の一になったやら言われているので、私は生き延びていなかったかもしれない。

 

上城の廃墟 1 & 2 

城砦の下城の方は、19世紀に当時ギーセン大学で勉強していたフォン・ヘッセン−ダルムシュタット家の二人の王子が取得して宮殿風に改築させた。1925年に当時のヘッセン国の所有となり、第二次大戦後は引揚者や避難民の宿舎となった。そして2001年にドクター・ローベック・企業グループの所有となって改築と修復を経た後、2002年から4星ホテルになっている。現代風に修復改装したにもかかわらず伝統的な昔の雰囲気は侵害されていない、とされている。

〈ドクター・ローベック – プライベート・ホテルズ株式会社〉 には9軒のホテルが属しているが、そのうちの一つである。ドクター・ロルフ・ローベックという人は企業家であり著述家であるらしい。

 

下城 の外観 1 & 2 

 

 

下城の城門 1 & 2 

 

 

下城の城門の内側 ・ ホテルの入り口

キチンと制服を着た訓練が行き届いていそうな明るい女性が、少し込み入った内部の説明をしながら部屋まで案内してくれる。気持ちが良い客扱いだ。

建物の外観と城壁はオリジナルに近いのだろうが、内部は非常にモダンで完全な現代風ホテルである。それでも廊下やロビーには鎧などの装飾品を陳列している。

  

ロビー ・ ロビーの一角

私の部屋は建て増しの部分だ。シングル・ルームだが狭苦しさは感じないくらいの広さがある。天井は白、壁はベージュ色、敷き詰められた絨毯は灰色がかった青色で、照明器具の傘はベージュと赤色を使っていて、茶色系の現代風家具を使いやすく、日本のホテルにもあるように配置している。簡易天蓋を持つシングルベッドだけが城砦ホテルの雰囲気を感じさせる。清潔なバスルームには窓はないが、空気のこもった悪臭はない。ごく普通の化粧備品があり、シャワーのキャビンが広い上、シャワーの直径が大きくてお湯が溢れるように出る。快適な使い勝手の良いシングル・ルームである。電動のよろい戸が付いている床まである窓からは、なだらかなラーン谷と近隣の村を見渡せる。

  

私の部屋 1 & 2 

テレビのプログラム冊子の 〈今日〉 のところを開いてくれているが、これは4星を標榜するホテルの義務だそうだ。星の基準というのは世界各国まちまちで、星ナシから5星まである 〈ドイツ・ホテル格付け協会〉  の基準が、やっとドイツ国内のホテルに関しては統一されつつあるらしい。しかしその基準には従業員の専門性、技量、愛想のよさ、そして優しさなどは含まれない。客としてはこっちのほうが大事な気もするが、それらは客観的に評価できないからだろうか。

夕食は中世の香りいっぱいの 〈騎士の地下酒場〉 というレストランでとる。天井も壁も積み上げた石が丸出しで目の粗いセメントで補強しているが、浅いアーチ型の天井から石が落ちてこないか心配になりそうだ。その天井から古い車輪風の蜀台が釣り下がる。もちろんロウソクではなくて電気に替えてある。古めかしい暖炉があり、鎧やかたぴらや槍などの武器の装飾品を並べている。広いテラスからは私の部屋からと同様に、なだらかなラーン谷と近隣の村を見渡せる。テーブルは花とロウソクで飾られ、BGMはオペラのアリアとクラッシックのピアノ曲。快活な少し雑な感じがする給仕のおじさんの仕事が速い。暖かい4種類のパンがすぐに出てくる。薬草入りのバターと食べると美味しい。メニューには無いが、ワインを100mlだけ特別に注文せさてもらう。

 

レストラン 1 & 2 

レストラン 3

前菜は 〈城砦ガーデンサラダ〉 で、パリパリのパン屑が少しのっている。いかにもその辺の畑から取ってきた様な野菜のミックスサラダである。薄味のフレンチソースが少量かかっていて、この国のレストランでよくあるどぎつい酸っぱさがなくてよろしい。

メインディッシュとして 〈田舎風騎士鍋〉 という料理を注文した。細切りの豚と牛肉・マッシュルーム・ピーマン・ズッキーニ・ジャガイモのごった煮である。スプーンが付いてきたところをみると、下にたまった茶色の煮汁と一緒に食べるようだ。上にルッコラ・サラダがたっぷりかかっている。いかにも騎士が使いそうな焼きのあまい赤茶色の深皿で供された。煮汁の濃い色に似合わず控えめな醤油味に近い味で私の口に合う。壁や天井を見渡しながら中世の騎士がこうしたものを食べたのだと思うと、その雰囲気に没入してしまう。 ここはグルメレストランではないので突き出しも出ないし、最後のエスプレッソにプラリーネ(中にクリーム・ナッツ・ブランディーなどを入れたチョコレートボンボン)が付いて来ない。繊細な料理ではないが、それなりに美味しく食せた。

朝食は城塔にある部屋でとる。こじんまりとしたモダンな明るい部屋で、城塔にしては思ったより広い。暖かいソーセージや卵を含め、割と良い品質で必要なものはすべてある。4星レベルに合致する朝食なのだろう。客が少ないからかレセプション係の女性が給仕もする。昨日とは違う人だがやはり快活でしっかりしているし、特に、仕事を楽しんでいる印象を与えるのは非常に良いと思う。テーブルに 〈朝の便り〉 があって、今日の天気、ニュース、お知らせなどの他、ローベック氏の5冊目の本(自伝)と 〈週末お得プラン〉 などの宣伝文がみられる。

 

朝食部屋

2日目の夕食は、昨晩給仕のおじさんに 〈キャンドルナイト・ディナー〉 というコースメニューにすることを言ってあったので、そのように私のテーブルをセットしてある。ローソクの明かり4つ(昨晩は1つ)、ツタと赤い花の造花、藁で作ったボール状の装飾物、そして赤いハートの置物2つでテーブルを飾ってある。今日は昨日のおじさんの他にきびきびしていて愛想の良い若い女性もいて、二人ともよく気がつくサーヴィスをしてくれる。

一皿目は子牛のフィレのカルパッチョ。バルサミコ主体のドレッシングがかかり、上にサッと炒った松の実とパルメザンチーズを散らしてある。さらにルッコラ・サラダとトマトとキュウリが少し上にのる。カルパッチョをどうやってこんなに上手く切ったのだろう。極薄なのに凍らせて切った痕跡が認められない。バルサミコの味が控えめで軽く、美味しく食べられた。

魚料理はフライパンで焼いたドラーデ(鯛に似た海魚)のサフラン・リゾットと緑色アスパラガスの先端添え、だ。ドラーデの薬味としてローズマリーを使っていて、表面をカラッと焼いている。薄めたコンデンスミルクを皿上に流していて、エッと思ったが、魚に振った塩の辛さとこれの甘さがうまい具合に混ざり合って旨い。

肉料理はバラ色に焼いた鴨の胸肉の下に黒レンズ豆を敷いて、ポテト・甘レモン・ピューレを添えている。煮たサヤエンドウと人参と緑アスパラの茎も少し皿にのっている。肉の焼き具合がいいし、豆がよく合う。マッシュポテトにリメッテ(甘レモン)の汁をたらしているのはフレッシュで、結構意外性を感じる味だ。こげ茶色のソースも辛くなくて旨い。皿を下げる時にいつも美味しかったかどうか訊かれるのであるが、前菜に 〈大変結構〉、魚料理に 〈美味しい〉 と答え、この肉料理には 〈素晴らしく美味〉 という評価を与えた。

そして 〈よろしい〉 と答えたデザートは、自家製のマンゴ・ムースとココナッツ果汁のシャーベットとパッションフルーツ。これはチョコレート味がないのが良かった。チョコレート味は重いから、私はデザートとして食べるのはあまり好まない。

最後はいつものようにエスプレッソで締めくくった。

全体的に量が少なめで薄味で美味しい料理を供する。別にミシュランの星が付いているわけでもなくホテルのパンフレットでグルメを強調しているわけではないが、盛り付けにも気を配っていて、大変良いレストランだと思う。

ここは中世の雰囲気を味わえるし、住み心地もいい。また泊まっても良いと思わせるホテルである。自宅からもっと近いところにも同じ系列の城砦ホテルがあるので、今度はそちらにしてみようかな?!

「チェックアウトをお願いします。」

「満足のいく滞在でしたか。」

「、、、、、うーん、、、、ひとつの点だけ除いて大変結構でした。」

レセプションの女性の顔が険しくなる。

「その点とはいったいなんですか。」

「工事の音です。昨日の午後5時半まで一日中、ドリルで穴を開けるような音が断続的にずっと聞こえて不快でした。」

「ああ、それは上の階でバスルームの工事をしている音です。来週には終わります。」

このような状況で例えば「お気の毒に。」とか、「ごめんなさい。」といった言葉を口にしないのは、若いドイツ人の典型的な反応である。自身の責任ではないことに関しては謝らないのだ。年配の人(すべてではないが、、、)や自分の立場(客商売)を認識している人だったら、「エス・ツーツ・ミア・ライト (お気の毒に)」と言ったであろう。しかし、この言葉は 〈謝罪〉 ではなく、〈同情します〉 と言っているだけである。『謝ったら何を要求されるか分からない。』と無意識に警戒するドイツ人が多いらしく、このような場合に謝罪の言葉はまず聞かれない。ドイツはすぐに謝る日本人には „危険?“ な社会である。

 

〔2012年7月〕〔2022年2月 加筆・修正〕

 

 

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皇帝居城 バート・ヴィムプェン

2022年02月16日 | 旅行

長さ215メートル、幅88メートルの皇帝居城バート・ヴィムプェンは、戦略的に好都合なネッカー川を見下ろす高台に建っています。元々は防衛塔が3本あって周囲をぐるりと城壁に囲まれていたのですが、こんにち残念ながら北側と東側の城壁だけが残っています。それでもドイツに残る皇帝居城で最も大きい規模だそうです。

 

バート・ヴィムプェン市の全景 ・ 皇帝居城の見取り図

12世紀中頃に建造が始まり、中断があったりしましたが、マリエン教会、司教の住居と役所、病院、聖ペーター教会が建てられて13世紀中頃に完成しました。その後、15世紀から16世紀にかけて防衛塔や城門や防壁などの防備施設が増築されたのです。

 

防壁

 

城門 1 &

 

防衛塔 ・ 防壁の上部

しかしながらこの頃火災で大部分が破壊され、それ以来皇帝の居城としては使われなくなりました。その後すぐにヴィムプェン市に皇帝居城の所有権が移り、そして19世紀の前半まで建造物の一部は順次ヴィムプェン市民に売却されて、ロマネスク様式や木組みの家や家畜小屋付きの3階建て住居に改築されました。王宮礼拝堂は教会史博物館になっています。その後も数度にわたって火災による破壊と再建があり、21世紀になってからも複数の建物で度々改装や改築が行われてきました。時の流れとともに東側に隣接していた市街地がかつての皇帝居城に進入してきて、現在は融合しています。

 

町の一角 1 &

 

町の一角 3 &

このバート・ヴィムプェンの町にはお城の一部があり、木組みの家があり、狭い石畳の路地や坂道があって散歩するのにたいへん楽しい町です。

 

町の一角 5 ・ 銀行の建物の装飾

ところで、町の名前の前の部分にバートとあるのは温泉地という意味ですが、それらしき雰囲気はありません。地図上でよく探して見ると、町の外れに屋内と屋外の温水プール施設があります。ここの鉱水は塩分を1,5 - 2,5 %含む冷泉で、水温を32-33°Cまで熱して温水プールの水にしているようです。効能はリラクゼーションと幸福感だそうです。いずれにしても日本の温泉とは似ても似つかないまったくの別物です。

実は雰囲気の良さそうなレストランが幾つもあるので食事をしたいところですが、武漢コロナのワクチンを打っていない私たちは入店することが出来ません。家に帰って夕食です。

 

よだれ鶏 1 &

よだれ鶏とは変な名前なので Google で調べました。

【川菜(チョワンツァイ、四川料理)の一つで中国名は口水鶏(コウシェイヂィ)。 茹でた鶏肉に唐辛子や花椒・ラー油の入った辛いタレで食べる冷菜です。口水鶏の口水は“よだれ”を意味することから日本では“よだれ鶏”と呼ばれ人気が高まっています。】

妻は次のように作りました。

水煮しておいたモヤシを下に敷き、68℃で30 – 40分水煮した鶏の胸肉を置きます。小さく切ったネギを振りかけて、溜まり醤油、ニンニクとショウガの擦ったもの、バルサミコ酢、七味唐辛子、そして胡麻油を混ぜて2、3日冷蔵庫で寝かしておいたタレをかけます。中華の風味を楽しめます。

 

カボチャ餅 1 &

カボチャ餅ですが、最初にカボチャの皮をむいてチンします。熱いうちにつぶして塩を入れて、さらに片栗粉と小麦粉を入れます。それを手でこねて団子状にし、フライパンで焼いていったん取り出します。そのフライパンに醤油、味醂、砂糖を入れてタレを作って、そこに餅を戻してからめるのです。ちょっと変わったカボチャの食べ方で美味しいのです。

 

〔2022年2月〕

 

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宮殿ホテル コメンデ ・ ラメルスドルフ

2022年02月12日 | 旅行

かつての西ドイツの首都ボン。その郊外のうっそうとした木々におおわれた丘にある宮殿ホテル コメンデ・ラメルスドルフは、1230年、現在のボン市ラメルスドルフ地区に十字軍遠征に関連して建造された宮殿風建物で、下界から離れた雰囲気をかもし出している。これは1803年の教会財産没収 (国有化) まで騎士修道会所有の建造物(コメンデ)であり、他の約300のコメンデと共にドイツ騎士団を経済的にサポートするのが主な任務であった。1842年に焼失して新ゴシック様式に再建された前後には所有者が度々替わり、1940年にはドイツ国有鉄道が手に入れた。第二次大戦時には近くに弾薬庫があったにもかかわらず建物は無事であり、戦後、イギリス占領軍の為に働く元ドイツ兵達の宿舎となった。占領軍が去った後ドイツ連邦鉄道はこの建物を講習会用に使っていたが、1967年以来空き家となって荒廃していった。アウトバーン建造の際に壊される運命にあったが、市民運動によってそれをまぬがれて壮大かつ贅沢な建造物は残ることになり、1978年にはこの建物を買いたいという人物が現れた。建物の復旧には3年を要し、今は過去数世紀の間に作られた家具の常設展示場と骨董品店になっている。一部は小さな個人経営のホテルとレストラン・カフェである。

建物は正面からは白亜の外観だけが見えるが、城門ををくぐると、真ん中に泉がある石畳の広場にほぼL字型の建物がある。それは1階部分が薄茶色のレンガ造りで、この建物にダブルの客室10室とシングルが8室ある。2階の部分は焦げ茶色の木骨造りで、私にはこちらの方が白亜より落ち着く気がする。

 

宮殿の正面 (左半分) ・ (右半分; 城門あり)

  

裏側の広場と建物 1 & 2 

入るとすぐに小さなレセプションがあり、奥行きが無いので並列にバーやレストランが続く。人懐っこい感じで気軽に話すスタッフが二人居るが夫婦だろうか。男性はキューバ人で女性はキューバとイタリアの混血だそうだ。男性の方がひとしきり日本のことを褒めた後、

「しかし鯨を食べるのはいかん。」

と言う。

「何を言う。鯨食は日本の文化であるぞ。」

「それでもいかん。」

客が来たので、

「後でディスカッションしよう。」

と言って終わる。

「エレベーターはないのか。」

「古い建物だから、ない。」

延々と狭い廊下が続く。

  

階段の踊り場から下のレセプションを見る ・ 階段を登りきったところ

 

廊下

部屋に入ると染み付いたタバコの匂いが鼻につく。灰皿は無いから比較的最近禁煙にしたのだろうか。薄ベージュ色の極シンプルな部屋で、天井は高く窓が小さい。古いデザインの安っぽい茶色の家具で、冷蔵庫は置いていない。キリスト教関係の絵が数枚かかり、シャンデリアとベッドサイドの照明は中世風デザインだ。造花を挿した花瓶が2つあるが、一輪挿しのバラは生花である。この部屋はダブルをシングルに設えていて、ベッドを広く使えるのは大変に快適だ。小さい窓無しのバスルームで化粧備品は石鹸とシャンプーだけだが浴槽がある。ここは 〈リング・ホテルズ〉 という中級ホテルのグループに属していて、もちろんスリッパとバスローヴを提供してくれるようなランクのホテルではない。

  

私の部屋 1 & 2 

レストランには一度建物を出て 別の入り口から入る。給仕のおじさんに写真を撮っていいか尋ねると、彼が働いている様子を撮って後で送ってくれという。室内は全体をベージュ色で決めていて、テーブルには真っ白なきれいにアイロンがかかったテーブルクロスとナプキン。BGMは私の好きなモダンジャズで、瀟洒な垢抜けた感じのレストランだ。人柄は良さそうだがせわしない給仕のおじさんの存在が、いささかミスマッチである。しかしこのおじさん、メニューにはないが私の希望でグラスワインを出してくれる。

 

レストラン

  

私のテーブル ・ レストランの内部

厨房からの挨拶は冷たいイタリア風煮野菜で、ほとんどのイタリアレストランで供される料理ではあるが、ここのは薄味で結構。

メニューが無いのでア・ラ・カルトだ。

前菜は冷菜で、アスパラガスのマリネ(酢、塩、サラダオイル、ワインに香味野菜や香辛料を加えた汁に漬けること)であるが、あまり私の好みではない。アスパラガスは熱々で、フッとメタンガスに似た香りがするのがいい。横にルッコラ・サラダと生パプリカの細切れを添えている。

主菜として魚料理を注文した。ドラーデという鯛に似た海水魚である。カラッと揚げたその揚げたてが旨いが、皿が冷たいのは残念である。クリームソースが少しかかっている。いろんな種類の煮野菜が付いているが、特に美味しいわけではない。新ジャガの茹でポテトは、以前食べた時もそうであったが、ホクホク感がない。採れたてジャガイモの特徴だろうか。

朝食は 私の部屋のすぐ隣の広間でとるようになっている。白い壁と天井の部屋でシャンデリアと壁の装飾照明が宮殿の雰囲気を出しているが、この建物はどこも窓が小さく、薄暗いのが朝食にそぐわない。各テーブルにバラの一輪挿し。

 

朝食部屋

ソーセージやベーコンといった暖かい食材や卵がないが、朝食に必要なその他のものは全てあり、ハム類の質が結構良い。サーヴィスをするのは普段着のままの外国系のおじさんであるのだが、聞いて見ると南アメリカ人であるらしい。ヨーロッパの宮殿に何となく溶け込んでいないそのおじさんが、隣接する朝食用台所で皿を洗ったり拭いたり、テーブルをセットするのは何だか面白いシーンである。彼も私のことを、アジア人がヨーロッパの宮殿で食事をするのは何となく溶け込んでいなくて面白い、と思っているかもしれない。まわりを見渡すと、宿泊客は男性一人というのが圧倒的に多い。出張で宿泊したようで、新聞を読む人が多く、街のビジネスホテルと変わりがない。中世の気分に浸ろうなんていうのは私みたいな暇なおじさんだけなんだろう。

今日は昨日とうってかわっていい天気なので、小さな庭が付いたテラスでの夕食を薦められる。レストランの客は私ひとりだが、別のホールに2つパーティーが入っていて、給仕のおじさんが汗をかきかき走り回っている。このテラス、下の住宅地域がよく見えるし道路を頻繁に通る車の音がうるさいのであるが、我慢することにした。食事が出てくるまでテラスと庭をうろつくと、そこで見るべきでないものを見てしまった。というのは、塀や石段の陰にいつか客が置いたと思われるグラスや瓶が片付けられていないし、テラスの端の方のテーブルには沢山の吸殻とヤニで黄色くなった水が入った灰皿がそのままになっている。優雅な夕食の気分が台無しである。

遠くに見えるほぼ円柱型の高層の建物はゴミの焼却場であるそうだ。何層ものフィルターを通すので煙が全く見えない。見えないだけでなく、有害な気体は出ていないのだろう(と願う)。発生した熱でお湯を沸かして、近隣の家の暖房のために循環させているらしい。ゴミの処理方法として一番簡単で有益だと私は思う。ゴミを燃やすとダイオキシンが出ると言われるが、ダイオキシンが出ない焼却技術があることはあまり知られていない。

さて夕食であるが、突き出しの鴨の胸肉が良い味だ。これが前菜でもいいくらいに多く供された。

温かい前菜は焼いたウズラの胸肉で、皮が香ばしくて旨い。付け合せにバルサミコ風味のレンズマメと野菜サラダがほんの少し。ただ、これがメインでも良いくらいの量である。

主菜は煮た鞘インゲンとパプリカとポテトが添えられた子羊のCarreだ。Carreとは肋骨の付け根の部分で、子羊の最も美味しいところとされている。普通は横切にして骨付きで供される。ポテトはマッシュポテトを円盤状にして衣をつけて揚げてあり、小さな薄いコロッケみたいだ。油の温度が高過ぎたようで、衣が焦げていて苦い。全体にソースがかかっているのだが、私には味が濃過ぎる。

さて子羊のCarre であるが、形が太い長い棒状になっている。

「これは本当にラム・カレですか。」

「そうです。骨をもう取ってあります。」

そうか、横切ではなく縦切にしたのか。高価な食材のはずなのに、量が多く横切の10数枚分はある。それに、子羊にしては肉が固く脂肪の部位がないし、普段家で食べるラムの味の繊細さや 〈乳臭さ?〉 もない。本当に子羊だろうか、青年羊ではないだろうか、と疑ってしまう。量も最低二人分はあり、残してしまった。

「少し多すぎますねー。」

「私もそう思いますが、料理人のサーヴィス精神の表れです。」

アァー、絶対に子羊のCarreと確信できる料理を少しだけ食べたい!

この宮殿ホテルのパンフレットによると、フランス風・地中海風グルメ料理を提供するということだ。雰囲気とスタイルは(テラス以外)グルメレストランに近いといっても良いが、料理の味は美食と言えるかどうか疑問である。

部屋がタバコ臭かったり朝食の時間に人の話し声や食器の音が聞こえたりと、部屋に関して不運だったし、テラスの悪い状態を見てしまった。

このホテル、外観はえらく立派だが、部屋の設備や装飾、そしてスタッフの教育レベルと接客態度からして、〈リング・ホテルズ〉(中級ホテル)のメンバーに過ぎないのは納得できる。

 

〔2012年6月〕〔2022年2月 加筆・修正〕

 

 

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シュテッテンフェルス城塞

2022年02月10日 | 旅行

ドイツ中部を流れるネッカー川沿いにあるハイルブロン市から南東に15分走った所に、色々な文化的催し物に使用されるシュテッテンフェルス城塞があります。

 

遠景の中の城塞 1 &  

 

遠景の中の城塞 3 &  

 

入り口

その歴史ですが、近隣の他の城塞とおそらく同じ時代、すなわち11世紀ごろに建造されたと思われます。早い時期から何度も所有者が替わり、16世紀後半にはルネッサンス様式の城館に改築されました。その後も頻繁に所有権が移ったり、戦争で破壊されて再建されたり、増築や改築を繰り返したのです。第二次世界大戦の後短期間アメリカ軍が管理し、その後教会のレジャー施設や老人ホームとして利用されました。そしてまた2、3回所有者が替わり、20世紀の終わり頃から現在の個人所有になりました。

 

城門の方向へ

 

城門の脇 1 &

 

城門 ・ 城門とその脇

 

城門の内側 ・ 城門と中庭の間

こんにちシュテッテンフェルス城塞は経済活動をしており、一般に公開されています。具体的に言うと、城主 (所有者) は城塞の施設を、たとえば大規模なレセプションやコンサートや演劇などのイベントを催す地方自治体や団体に賃貸するほか、夏には庭園にビアガーデンを開きます。2007年からお城で毎年一度城塞祭りが開かれ、騎士のコスプレ、音楽、中世の手工業の紹介などが盛大に行われるようです。さらに城主はシュテッテンフェルス村の丘でブドウ農園を、そして高原ではスタッドファーム (種牡馬繋養牧場) を営んでいるとのことです。

 

中庭 1 &

 

中庭にある井戸 ・ 城塞の一番奥の部分

さて、自宅ではオーブンを使って料理することが比較的よくあります。その内のふたつを紹介します。

 

カレイとジャガイモ(ズッキーニではありません)のオーブン焼き

カレイとジャガイモのオーブン焼きは、まずジャガイモの皮をむいて、5㎜ぐらいの薄さに切って耐熱容器に敷き詰め、少し塩をします。その上に、塩コショウをして一晩置いていたカレイを載せます。カレイにオリーブ油をたっぷりかけて250℃のオーブンで15分焼くのです。簡単な料理ですが、ジャガイモが揚げたようになって香ばしい。

 

アボカドのオーブン焼き

アボカドのオーブン焼きは少し面倒です。始めにアボカドを半分に割って種を取り出し、中身をくり抜いて果肉を細かく切ります。その果肉にトマト、オイル漬けでない水煮のシーチキン、マヨネーズ、塩を混ぜて、それをまたアボカドの皮に詰めます。その上にチーズを振りかけ、オーブンの上焼きで10分焼くのです。熱々で美味しくいただけます。

 

〔2022年2月〕

 

 

 

 

 

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