お城でグルメ!

ドイツの古城ホテルでグルメな食事を。

ツー ・ ブルクハウゼン城塞

2020年09月28日 | 旅行

南オーストリアからドイツの自宅に帰る途中、その国境で一泊しました。泊まったのはオーストリア側の小さな村にある 〈城塞の展望〉 というホテルです。この一風変わった名前は、国境であるザルツァハ川のドイツ側の高台にあるお城をホテルの客室から見渡せることによるのです。

 

ホテル到着直前 ・ ホテル

 

ホテルの駐車場から 1 ・ ホテルの駐車場から 2

このツー・ブルクハウゼン城塞があるブルクハウゼンの町は11世紀前半の文献に初めて王室の領地として言及されていて、同時にお城に関しては町の伯爵の所有であることが記されています。城塞の最も古い部分が11世紀の前半に建造されてから数世紀にわたって何度も増築による拡張が行われました。

 

城塞の最古の部分 1 ・ 城塞の最古の部分 2

 

城塞の最古の部分 3 ・ 城塞の最古の部分 4

 

城塞の最古の部分 5 ・ 城壁と湖

特に、トルコ民族の接近に対する恐怖は、15世紀の末頃から16世紀初めにかけての大規模な城塞拡張につながったのです。その際に、お城は要塞としての機能に加えて、機能するコミュニティのためのスペースを提供しなければなりませんでした。その結果、自己完結型の広々とした要塞と住宅城の形をとった複合施設になったのです。これは1.051メートルもの大変長いお城の施設で、ギネスブックに入ってから 「世界最長の城」 と考えられています。

 

入り口にかかる見取り図

もちろん16世紀以降も城塞は軍事的意義を持ち続け、中でも17世紀の30年戦争中に、迫りくるスウェーデン軍を前にして防御機能が特に強化されました。この長い尾根の位置は、防衛に際して非常に有利でした。それはお城が征服されたことがない理由の一つです。19世紀になってナポレオン占領中の過程で、古くなった城塞の北側はフランス軍によって取り壊されました。同時に、城塞の老朽化が指摘されて解体の話も出ましたが、ブルクハウゼン市民によってそれは回避することができたのです。19世紀末頃お城の中核部分の最初の改装が始まり、そのうちのいくつかは複合施設の外観に強く影響を与えたのですが、20世紀後半になってから今日まで、お城の複合体全体がさらに改装されました。

城内の礼拝堂 ・ 中庭の様子 1 

中庭の様子 2 ・ 城門のうちのひとつ 1

 

城門のうちのひとつ 2 ・ そこにかかるワッペン

こんにち城塞の大部分はバイエルン州に属し、その管理下にあります。中庭には拷問博物館、市立博物館、バイエルン州立絵画館、写真博物館など、いくつかの博物館があります。その他、プライベートな住宅街、イベントルームとビジターセンター、そしてキオスクと公衆トイレ、及び城カフェもあります。冬には、この世界最長のお城で長いクリスマスマーケットが開店するそうです。見どころ満載の広大な城塞ですが、訪問者にはガイド付きツアーも用意されています。

 

お城から町を見る

 

町からお城を見上げる 1 ・ 町からお城を見上げる 2

さて、オンラインで調べた通り、私たちのホテルの部屋から城塞の全貌を見渡せます。が、低い位置からなので背の高い建造物しか見えません。部屋もテラスも広くて居心地の良い客室です。

  

部屋からの景色 ・ 夜景

部屋からの展望を楽しんだ後、宿泊しているホテルには夕食を供するレストランがないので、国境であるザルツァハ川の橋を徒歩で渡ってブルクハウゼンの町へ行きました。ところで、お城はもともとは国境にある城塞ではありませんでした。18世紀の末頃、ザルツァハ川に国境が引かれたようです。

 

国境の橋

食事をしたのは、町で一番古いホテル・ポストのレストランです。歩道に張り出したテーブルに座りました。いわゆる高級レストランではなく、主に観光客の胃袋を満たす田舎の飲食店の風情です。

 

ホテル・ポスト

飲み物はいつものようにノンアルコールビールで、私の前菜はハーブ・バゲット付きのトマトスープ、妻のそれは夏野菜のサラダです。スープは少し酸っぱめで、サラダはごく普通。

 

トマトスープ ・ サラダ

そして妻は 〈皮殻付きローストポーク、天然ソース、バイエルン産キャベツ、ゼンメル(小型で皮の堅い白パン)入り団子〉 を頼みました。〈天然ソース〉 とは何のことか分かりませんが、穏やかな味でキャベツによく合います。肉が、特に皮殻が硬いのですが、味は悪くありません。団子は重すぎてほとんど残しました。

 

ローストポーク ・ シュニッツェル

私の主菜は 〈シュニッツェル(薄切りカツレツ)、コケモモのジャム、フライドポテト〉 です。この肉も硬い。少し揚げ過ぎのようで、衣が焦げる寸前なのです。ジャムが瓶詰の既製品で別の果物なのは何とも残念です。唯一満足したのはフライドポテトです。

何だか周りがガチャガチャしていて居心地が悪いので、デザートもコーヒーも取らずに町の散歩に行きました。

 

古い町並への入り口

古い建物もなかなか興味深いのですが、この町でコンサートをしたジャズ・ミュージシャンの名前とコンサートの日付を刻んだ石板が石畳の道路に数多くはめ込まれているのに気が付きました。マイルス・デイヴィス、オスカー・ピーターソン、カウント・ベイシー、デイヴ・ブルーベックなどなど。世界的に大変有名なジャズ・ミュージシャン、その数数十人です。こんな小さな町をジャズの巨匠たちが訪れたことに驚きました。現在でもジャズ・フェスティバルは行われているようですが、私が好んで聴いたミュージシャンはもう過去の人になっているので、それ程興味はありません。

 

朝食室からの景色

ジャズと城塞が好きな人はこの地を覚えておくといいでしょう。

 

[2020年9月]

 

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ホーエンヴェルフェン要塞

2020年09月22日 | 旅行

南オーストリアから北に向かう10号アウトバーンは何度か走ったのですが、ザルツブルクの手前で左側の山頂に立派な要塞があり、気になっていました。そしてこの度立ち寄ってみたのです。

 

ホーエンヴェルフェン要塞 (Wikipedia より)

アルプスで戦略的に重要なポイントにホーエンヴェルフェン要塞の建造が11世紀の後半に開始され、それから100年以上にわたって順々に増築拡張されてきました。ところが、16世紀前半に農民戦争の過程で要塞は放火されて損傷を受けてしまったのです。その後再建するとき、お城を強化する為に大幅な改善が行われたそうです。そしてザルツブルクが世俗化された後、19世紀の前半から要塞はバイエルンの支配下に入り、ヨハン大公によって改修されて狩猟ロッジとして使用されました。19世紀の末にはオイゲン大公がこの不動産を取得して、自身の居城に拡充しました。ここには彼の大規模な芸術と武器のコレクションもありました。第二次世界大戦の前にお城で炎はなかったものの盛んにくすぶる火災が発生し、被害はかなりのものでした。オイゲン大公は再建のために彼のコレクションの大部分を売却しなければならなかった上、ナチスにお城を明け渡すことを余儀なくされました。戦時下、要塞はナチスの幹部養成学校として使われ、戦後、ザルツブルク州の財産となりました。お城は当初憲兵隊の訓練センターとして使用されていましたが、1987年以降観光資源として開放されています。

 

要塞 1 ・ 要塞 2

 

要塞 3

ホーエンヴェルフェン要塞は1968年にクリント・イーストウッドとリチャード・バートンが共演したハリウッド映画 『エージェント・ダイ・ロンリー』 の舞台になって以来、こんにちまで絶えず沢山の映画やテレビドラマの撮影場所及びコンピューターゲームの画像などに利用されているとのことです。

 

要塞の見取り図

山裾にある、人気の観光資源にしては小さめの駐車場に幸運にもスペースを見つけて、山頂のお城に行ってみることにしました。斜めの電車のような昇降機の切符を買おうとすると、意外と高額なのです。何でも、乗車料金の他に要塞の入場料とガイド料と三つの博物館の入館料がセットになっていて、セット以外の買い方は出来ないとのこと。それなら20分ほど山を登って行こうとすると、それでもセット料金から電車の乗車賃だけを引いた金額を払えと言う。私たちは博物館にもガイドにも興味がなく、ただ自由に歩き回って要塞という建造物を見学したいだけなので、その為に高額な料金を支払うのは馬鹿らしいと思いました。さらに、人気のお城であることを逆手にとって強気の料金設定にしているのが癪にさわって、見学するのはやめたのでした。

それで、川の畔のベンチに座ってお城を見ながら昼食をとりました。今日の弁当は2種類のお握り (子持ち昆布入り海苔巻き、梅干しと鰹節入りでトロロ昆布まぶし) です。

 

お握り ・ おかず

おかずは、炒めサツマイモ、肉団子、ヒジキ、キュウリの甘酢漬け。

このお城に立ち寄ったのは、ドイツの自宅への帰り道です。昨晩は休暇用ヒュッテで最後の晩餐でした。

 

キュウリ ・ 海老とネギ

 

煮豆 ・ 大根

 

パプリカとヅッキーニと鶏皮 ・ 焼き鮭

 

ご飯 ・ 塩鮭

もちろん妻の手作りで、キュウリの甘酢漬け、海老とネギのぬた、煮豆、大根の糠漬け、パプリカとヅッキーニと鶏皮の煮込み、煮詰め酢と醤油をかけた焼き鮭のニンニク添え、ご飯と塩鮭。

 

デザート

そして私の手作りで、バナナ、ブルーベリー、ラズベリー、干しブドウ、ヨーグルト、砂糖を混ぜたデザートです。

2週間の休暇が終わります。自宅まで900㎞程あるので、途中1泊して帰ります。

 

[2020年9月]

 

 

 

 

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ヘロルデック城館

2020年09月15日 | 旅行

夏休みの2週間目は南オーストリアで過ごしたのですが、イタリアに抜ける国境まで10分弱のところにある休暇用アパートメントに行く途中で、湖と周囲の山々のパノラマの景色を望む森林の南斜面に建つヘロルデック城館に立ち寄りました。

 

お城 1 ・ お城 2

お城 3 ・ お城 4

 

お城 5

この小さなお城は1912年頃に個人の別荘としてシャトースタイルで建てられました。第二次世界大戦直前の1938年に国家社会主義ドイツ労働者党 (ナチス) が手に入れて、幹部養成学校として使われました。終戦後、オーストリアはケルンテン州の州政府が引き継いで子供のための保養所になり、1988年にはアメリカの宗教コミュニティであるカルバリーチャペルが購入しました。それ以来、ヨーロッパ中のキリスト教団体のカンファレンス及びレジャーセンターとして利用されています。 

 

湖へ下りる階段 ・  湖と湖岸の町の一部

ヘロルデック城館はロマンチックな白塗りのフォトジェニックなお城です。われわれが行った時は何も催されていないらしく、誰も居なくて静かでした。庭からは湖と湖岸の町の一部が見えます。小雨がぱらつく天気でしたが、これはこれで良い雰囲気でした。お城はこじんまりとした建物ですし、山の斜面にあるため庭も小さいので、15分ほど滞在しただけですぐに目的地を目指して出発しました。

目的地は、上述のように、あと10分走ればアルプスの峠を越えてイタリアに入る所にある広大なスキー場のはずれで、ヨーロッパ各地にリゾート施設を持つスイスの 〈ハピマック〉 が経営する、緩やかな山の斜面にあるアパートメント群です。私たちは30年以上前から 〈ハピマック〉 の会員なので、光熱費などの付随費用を払うだけで宿泊自体は無料なのです。

 

リゾート施設 1 (レセプション、レストラン、ショップなど) ・ リゾート施設 2 (アパートメント群)

トレッキングを終えると少し甘いものが欲しくなるので、ほぼ毎日ケーキなどを宿に持ち帰ってテラスで午後のお茶をしました。

 

アパートメントのテラス

オーストリア名物は 〈アッペルシュツリューデル〉 というお菓子。要するにシナモンの味が特徴的なアップルパイで、パウダー砂糖がかかっています。バニラアイスクリームや生クリームをのせて食べることがよくあります。

 

アッペルシュツリューデル 1 ・ アッペルシュツリューデル 2

後はごく普通のケーキです。

 

ケーキ 1 ・ ケーキ 2

トレッキングで汗をかいてシャワーの後で午後のお茶。良い休暇でした。

ところで、トレッキングの道沿いの景色の良い所にはしばしばヒュッテがあり、自家製の新鮮なミルク、ヨーグルト、チーズを食することが出来ます。ミルクとヨーグルトを試しましたが、たいへん濃厚で美味しいものでした。

 

ヨーグルトの蜂蜜かけ

 

[2020年9月]

 

 

 

 

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フィンステルグリュン城塞

2020年09月08日 | 旅行

12世紀の中頃オーストリアのザルツブルクとシュタイエルマルクの境界線上に城塞があったと、当時の古文書に書かれているとのことです。この地域は重要な交通の要地だったので、その監視と通行料の徴収を行っていたと思われます。14世紀から15世紀にかけてこの城塞に、近くにある銀山の管理所と採鉱問題を取り扱う裁判所が置かれていました。城塞は中世には別の名前で呼ばれていて、こんにちの 「フィンステルグリュン」 という名前は、17世紀の前半に初めて文献に現れるそうです。このフィンステルグリュン城塞には、ザルツブルクから南東に140㎞くらい走ると着きます。

19世紀の中頃に山火事によって破壊されましたが、同世紀の終わり頃にある伯爵がその廃墟を買い取り、昔の土台と建材を使用して新しいフィンステルグリュン城塞を再建したのです。第2次世界大戦中はドイツ帝国の学術と教育をつかさどる省に賃貸されて、女性教師のためのセミナーなどが行われていました。その際、所有者である伯爵の了解なしに "賃貸契約が結ばれていた" と推測されているそうです。

戦後は、短期間野戦病院であった後、ボーイスカウトやプロテスタント教会の青少年部が賃借してシンポジウムなどの催し物を開催するのと並行して、改築や増築がなされました。その後20世紀の後半に、結局教会の青少年部がお城を買い取ったのです。

 

遠くから見たお城  

 

お城の前の広場 1 ・ お城の前の広場 2

こんにちフィンステルグリュン城塞は "プロテスタント教会の冒険と余暇の家" として、すべての宗教と宗派に属する人々 (主に青少年) に開放されていて、セミナーや合宿の場になっています。我々が訪れた時も、多くの子供たちが滞在していて屋内外で活動していました。毎年9月にはお城祭りが開かれ、21世紀になってからは、何度も映画のロケ地になったそうです。

 

入り口の脇に立つ塔 ・ 入り口

 

お城 1 ・ お城 2

 

お城 3 ・ お城 4

 

お城 5 ・ お城 6

私たちは建物の (中には入れないので) 外観を見学した後で、周辺の山を散策しました。滞在している休暇用アパートメントで作った弁当はいなり寿司です。

 

いなり寿司 ・ おかず

おかずとして、大根の漬物、ウイキョウの炒め物、昨晩のステーキの残り、茹でブロッコリも詰めてきました。

宿に帰ってから、ハノーファーの自宅から持って来た食材と当地のスーパーで買ったものを使った夕食です。妻は健康を考えて野菜の料理をよく用意するのですが、それは休暇中でも変わりません。

まずはトマトとサラダ菜のサラダ、そしてドイツの自宅の庭でとれた日本のキュウリの漬物です。日本のキュウリは小さくてキリッとしていて、歯ごたえが良く美味しいのです。

 

サラダと漬物 ・ 新鮮キュウリと白味噌

新鮮なキュウリには白味噌を付けて食べます。妻は最近、白味噌やもろみ味噌や納豆など、発酵食品を自分で作ることに凝っています。

そしてヒジキと、塩と醤油で微かに味を付けたサツマイモの油炒めです。

 

ヒジキ ・ サツマイモ

カレーには牛のすね肉の出汁を使い、鶏肉、玉葱、ニンジン、ウイキョウ、ショウガ、ニンニク、ポロネギ、ブロッコリの茎が煮込んであります。実はカレーは、私が自分で作ったカレーの方が私は好きなのですが、これは秘密なのです。

「じゃあ、自分で作ったらっ。」

と、ふくれられるからです。

カレー ・ デザート

デザートはいつものように私が担当します。バナナ、ぶどう2種、干しブドウ、ヨーグルト、砂糖を混ぜました。

後片付けも私の担当ですが、最近は食器洗浄機の付いたアパートメントが多くなったので助かります。

 

[2020年9月]

 

 

 

 

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