お城でグルメ!

ドイツの古城ホテルでグルメな食事を。

ロムケルハレ王国

2022年06月29日 | 旅行

魔女で有名なハルツ山岳地方にあるゴスラー市の南に、ホテルとレストランだけがあるロムケルハレという地域があります。ここは「ロムケルハレ王国 - 世界最小の王国」としてマーケティングされていて、人々に人気の遠足先になっています。

 

検問所 

 

西暦1900年の〈王国のお城〉 (ウィキペディアより) ・ 現在の〈お城〉 

 

正面 ・ 人工滝の上から 

 

滝の水が流れ落ちる所

なぜこういう状態になったのでしょうか。

19世紀初頭、現在ロムケルハレ王国があるオーカー渓谷の交通を促進するために道路の拡張が始まりました。それにより木材の運搬も容易になり、交易業者は容易にこの地に到達することが出来るようになりました。それで同世紀の半ばが過ぎた頃にレストハウスが建てられ、その30年後には宿泊施設も出来ました。同時に、ロマンティックな魅力を演出するために、約350m離れた川から水を引いてハルツ地方で最も高い (約64m) 人工滝が造られたのです。この施設は当時何千人もの訪問者を魅了しました。

 

人工滝 ・ 〈お城〉の外観 1

 

〈お城〉の外観 2 &

ところが第二次世界大戦の最後の数日間で施設はひどく損傷し、再建は1948年まで続きました。

そして1988年以来このホテル・レストランは「ロムケルハレ王国 - 世界最小の王国」として営業してきたのです。なぜこのようなマーケティングのアイデアが出て来たかというと、この地がどの自治体にも割り当てられていない未編入領域に位置しているからです。

何はともあれ、現在では25の通常客室の他、四柱式ベッドまたは天蓋付きベッドを置いた魅力的なテーマルームが6室あります (プリンセスルーム、王子の部屋、眠れる森の美女ルーム、眠れる森の美女スイート、シンデレラルーム、公爵夫人スイート)。

 

テーマルームの例 1 & 2 (王国のホームページより転載)

その他いろいろな催し物、例えばダンスやコンサートイベント、観劇ディナー、衣装パーティー、クリスマスパーティーなどが行われるし、王国の小さなお城の礼拝堂で結婚式も出来ます。飲食に関しては世界各地及び地元の料理に加えてヴィーガンとベジタリアン料理も供し、喫茶店では〈王立の〉製菓工房で作られた自家製のケーキを提供します。

 

〈お城〉の内部 1 &

 

〈お城〉の内部 3 &

 

〈お城〉の内部 5 &

 

〈お城〉 の内部 7 &

ロムケルハレ王国では4ユーロ払ってお城ツアーをしたい人には査証 (ビザ) が発行されます。ビザによる収益はすべてお城の修理と改修に使われるそうです。なお、この地に遠足に来てレストランの洗面所を使いたい人は、1,5ユーロの通過査証 (トランジットビザ) を取得しなければなりませんが、レストランで飲食をすれば全額返還してくれます。

 

税関の掲示

 

査証 (ビザ) ・ 通貨 ケーニヒスターラー (どちらも王国のホームページより転載)

驚いたことに、というか当然といえば当然なんですが、ロムケルハレ王国には国歌もあるし、ケーニヒスターラーという通貨もあります。しかしながらケーニヒスターラーがかつてアメリカで偽造された後、それは市場から取り除かれ、今やコレクターにとってのみ価値を持つお土産になりました。もちろん王国の訪問者もケーニヒスターラーを購入することが出来、2,- RKT (ケーニヒスターラー硬貨) の場合5ユーロを支払います。

ところで、ロムケルハレ王国の歴史を語る場合、お城 (ホテル・レストラン) が私の住むハノーファーの王様、ゲオルク5世 (1819-1878) の狩猟用別邸であったという話もあります。それを現在スザンネという王女が引き継いでいる、ということです。しかしそれを証明する古文書などが存在しないので、真偽のほどは不明です。

私たちは約20年ぶりにこの王国を再訪しました。人工滝の上まで急斜面を登り、そこから水路沿いの道を含む山道をハイキングしたのです。そしてその後ロムケルハレ王国の喫茶店でお茶をしました。ダージリン紅茶でリンゴケーキとチーズケーキを食べ、ゆったりした時間を過ごしました。スザンネ王女も他のスタッフといっしょにテキパキと給仕の仕事をしていました。

 

ダージリン紅茶

 

リンゴケーキ ‧ チーズケーキ

 

〔2022年6月〕

 

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ヴィルキングへーゲ水城館

2022年06月27日 | 旅行

このところ古城ホテルで美味しい食事にめぐり会っていないので食に力を入れていそうなところを探してみると、アウトバーンを2時間ほど西南西に走ったところにある中規模の学生都市ミュンスターの郊外に古城ホテル・ヴィルキングへーゲがあり、インターネットのホームページにレストランのチームを紹介している。

それによるとシェフは若い頃このホテルのレストランで修行をし、2年前にその当時の師匠が亡くなった後、跡を継ぐように帰って来たようだ。その間スペインをはじめ内外のレストランで腕を磨き、中でもすぐ近くのオスナブリュックという町にあるミシュラン2つ星にいたことが彼の〈売り〉であるようだ。さらに副料理長はデュッセルドルフの1つ星で、そしてパティシエ長は複数の星付きレストランで修行をしたことがあるらしい。

日本でも、どこそこで修行をした、という話はコックの勲章のように語られるが、その修行の内容を知らなければあまり価値はないと思う。たとえばパリの有名レストランに極東の若い男が2、3年いてもフレンチの神髄を教えてくれるはずはなく、せいぜい野菜を刻んだり肉を切り分けたりするのに終始するだけであろう。もちろん、これは何の根拠もない私の偏見である。

ともあれ私は西洋料理に関してはミシュランの評価を一応の目安にしているので、もしかしたら美味しい食事が、、、、と、かすかな期待を持ってこのホテルに来たのである。

堀に囲まれ思いのほかこじんまりとしているヴィルキングへーゲ水城館は、古文書によると1311年、日本では鎌倉時代の末期に建造された水城砦にその元を発する。そして16世紀の中頃城館に建て替えられ、1719年にはバロック・スタイルに改築されたそうだ。ずっと貴族の田舎の所領であったが20世紀中頃にゴルフ場を持つホテル・レストラン に変更され、その3年後に火災にみまわれた。再建後も伝統的な城館の特徴は維持されたそうである。1970年には隣接する農舎もホテルに組み込まれて客室に改築された。この部分はそれから20年後、宿泊客の高い要求に答えるべく部屋数を減らして、新しい構想で贅沢感のある客室とスイートルームに改装された。ヴィンネッケン家の3世代にわたる家族経営で、個人的な雰囲気とサーヴィスをモットーとしているそうだ。

  

水城館 1 & 2 

 

水城館 3 

レセプションは母屋にあり、エントランスの隣の部屋は豪華なサロンである。

 

サロン

私はスイートルームのシングルユースを予約していたので、かつての農舎にまわされた。

 

かつての農舎 

こちらの建物のエントランスは超モダンで、白をバックに紫のランの鉢植えと紫色が目立つ座場が映える。ここに果物とビスケットを宿泊客が自由に取れるようにしてあるが、良いホテルでは各客室に置いているのが普通なので、ここは少々手抜きの感がある。

  

エントランス ・ 廊下

部屋に入るとまず居間で、ルーム・パヒュームのかすかな香りがただよい、紫色のソファーセットが眼を引く。 壁と調度は水色と白で統一しているが、調度は安っぽい。カーテンの代わりに引き戸にしているのが面白いけれども、私はカーテンのほうが暖かみがあっていいと思う。小さな戸棚の中に冷蔵庫をはめ込んであり、窓の下はすぐ堀で、その向こうはゴルフ場になっている。

  

私のスイートルーム 1 & 2 

次の間はダブルベッドのある寝室で、色彩も設えも居間と同じである。かつては2部屋だったのをぶち抜いたのか、テレビと電話機がそれぞれ居間と寝室にある。

  

私のスイートルーム 3 & 4 

寝室の奥が極薄のベージュ色で統一した広いバスルームで、特大バスタブ、特大シャワー、ビデ、便器、ダブルの洗面台がある。アメニティー・グッズの質と種類は標準的だが、スリッパとバスローヴがあるのはうれしい。

 

バスルーム 

スイートといってもシンプルで豪華な感じはしないが、とにかく窓が大きく全部広々としていて住み心地抜群である。ただシャワーのノズル掛けと風呂栓、それに窓の取っ手などが〈軽く壊れている〉。つまり、壊れてはいるが使うのに影響なし。

レストランは城館にある。古い絵、シャンデリア、テーブル上のローソクとグラスに浮かぶ切花、そして銀食器が落ち着いた雰囲気をかもし出している。音楽が流れていなくて静かなのもいい。

 

レストラン

黒スーツに蝶ネクタイできめた数人の男女のサーヴィス係がいるが、何だかとりすましているようで愛想がない。料理の説明が少ないか全くないし、水を注いでくれない。勢いとリズムがない、楽しく仕事をしている感じがしない、、、、の、無い無い尽くしである。もしかしたら仕事環境をめぐって雇用者と意見の対立でもあるのではないか、と心配してあげたくなる。

まず黒と白のパンと、ありきたりなバターと塩とオリーヴオイルが出てきた。パンは切ったあと長く置いてあったのだろうか、固いし不味い。美食への期待が揺らぐ。 

8品の〈グルメ・メニュー〉がスープとチーズ盛り合わせを省いて6品に出来るので、そうしてもらう。

突き出しは小さなグラスの底に濃い紅茶、その上にカボチャクリーム、その上にヨーグルトゼリーとライスクラッカー。非凡な組み合わせであるが美味しい。

驚いたことに突き出しがもうひとつ出る。まるで高級レストランみたいではないか。タコのカルパッチョのゼリー固め、煮たアンズ、バニラアイス、そして棒状のクラッカーにイカスミ・マヨネーズを点々と載せてある。うーん、旨い。蛸とイカ墨を使うとは、なかなかやるなー。また美食への期待が膨らんできた。

1品目: アーティチョーク(食用アザミ)のクリームを敷いた上に、生の帆立貝の薄切りとスライスした冬トリュフを並べている。横にアイスクリーム、ライスクラッカー、そしてマメ科の植物の若芽(食用)。非常に美味しくて、思わず、パンで皿をゴシゴシこすって舐めるように食べてしまった。

2品目: ノルウェー産のタラで、当地ではスクライという白身魚の切り身の生暖かいマリネに、レムラード(マヨネーズに香辛料などを加えたソース)をかけてある。添えてあるのはレタスクリーム、赤カブクリーム、タコ煎餅風の赤いクラッカー、煮たキュウリと赤カブ、マヨネーズ、クラッシュゆで卵(白身と黄身を別々に)。何となく信号色になっていて色彩豊かだ。全体的に薄味でたいへんに美味である。

3品目:  生姜の甘煮の上にパイナップルのシャーベット。生姜は強い味だがシャーベットが淡く酸っぱくてさわやかだ。

4品目: 子羊の首肉で、ソースはトマトの煮出し汁。付け合せはサイコロ大に切った茹でポテト、煮たナス、刻みサラダ菜、そしてパリパリのライスクラッカーである。肉の焼き具合も私の好みで満足満足。

5品目: あれあれ、テーブル上にナイフとフォークがなくなっているのに料理を持ってきたなー。どうするんだろう。・・・・気がついて、あわてて隣のテーブルからそれを持ってくる。

軽く茹でて表面を焼いたと思われる牛肉のヌガーソースかけ。(ヌガー: 果実片やクルミなどを混ぜた飴)付け合せは、Puy産のレンズマメ。Puyとは世界で最も美味しいレンズマメが採れるといわれるフランスの村Le Puyである。他にネギとニンジンの煮たのん、ジャガイモのピューレ、ノヂィシャが皿に載る。不味くはないがヌガーソースがなんとも甘すぎる。甘味が好みの私でさえ甘すぎると思うのだから、妻だったら文句タラタラだろう。妻といえば、今頃日本で美味しい和食を堪能しているだろうなぁー。

6品目: 今がシーズンのカボチャのプリンとゼリーをメインに、赤カブシャーベット、ココナッツクリーム、ゴマのクロカント(カラメル糖とゴマで作った糖菓)、そしてザクロ。軽くてたいへん結構である。

食後のエスプレッソにひと口お菓子が3つ付いている。

2晩目はア・ラ・カルトで注文する。突き出しの2品が昨晩と同じなのは仕方がないだろう。

前菜は子牛のカルパッチョで、胡椒、チャービル、エストラゴンなど、いろいろな香辛料が入ったソースがかかっている。同じ皿に載るのは少々青臭いマメ科の植物の若芽(食用)、魚のすり身ゼリー、生エビのすり身のゼリー巻き、緑色のパン切れ。少し薄いが繊細でたいへん満足のいく味だ。

メインディッシュは天然物ヒラメである。焼いた切り身に泡立てバターソースをかけてある。添えてあるのはニンジンの薄切り、メキャベツ、サイコロ状ポテト。面白いのは皿の半分に半渇きのイカスミ・ソースがへばりついていることと、ブイヨンのシャーベットだ。時間が経つにつれてブイヨンの味が強くなってくる仕掛けである。旨い。魚肉はプリプリで食感がいいし盛り付けもすばらしい。

デザートは栗入りのウィスキー・タルト(ケーキの一種)とバーボン・バニラ・ムース。他に金柑の皮とマロンの煮たのん、板チョコ、チョコソース、チョコカステラがついている。そして、何と、小さな金箔3枚を散らしてある。これは西洋料理では例外的なことなのだが、どこで金箔を添えることを学んだのだろうか。

ここの料理は味はさることながら、盛り付けの際に色彩の鮮やかさとその配分を考えているし、全体的に量が少ない。芸術品といえると思う。テーブル1回転を目安に予約を受け付けているし、料理をお盆に載せて必ず2人で持ってくるなど、星付きレストランのノウハウをもっている。サーヴィス・スタッフの仕事ぶりがイマイチだが、料理に関しては私の偏見と独断でミシュラン1つ星半レベルではないかと思う。

朝食は城館の地下で。地下と言っても幅広い絨毯敷きの豪華な階段で、下りていくと広いサロン風の部屋がいくつもある。そこで待っていたのは4星ホテルにふさわしい充実した内容のビュッフェである。

  

朝食部屋 ・ ビュッフェ

が、、、、、

「すみません。サモワールの水が冷たいのですが、、、。」

「はぁ? そうですか。」

「朝食に来るのが早すぎたんでしょうか。」

写真を撮るために私はいつも他の客が来る前に朝食に行く。

「そんなことはないんですが、、、、。あっ、見てください。コンセントをさしていません。」

と、原因を見つけて得意げに言う。

『おいおい、ここは謝るのが先でしょう。』と思うが、この国ではこれが普通で、私は気を悪くすることもない。

このヴィルキングへーゲ水城館は半世紀以上前から営業ということで長いからか、すべてルーティーン化しているため接客の心構えが少々たるんでいる感じで、部屋に小さな欠陥があるし、レストラン部門にも欠けた食器などの軽い欠点がある。でも住み心地がいいし食事が美味しいのでまた来ようかな。それまでに開業当時はあったであろう輝きと活き活き感を取り戻してくれたらうれしいのが、、、、。

 

〔2013年10月〕〔2022年6月 加筆・修正〕

 

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ファイツホェハハイム城館

2022年06月25日 | 旅行

ファイツホェハハイム城館は今年の春、マイン河流域で休暇を過ごしたときに訪れたお城で、ヴュルツブルクから北東に10km離れた所にあります。この城館はかつてヴュルツブルク大公の、後にバイエルン王の夏の邸宅であり、周囲のロココ様式の庭園で知られています。お城の始まりは17世紀の後半です。その後拡張されて、18世紀の中頃現在の外観になりました。

 

城館 1 &

 

城館 3 &

 

裏正面の階段の石像 ・ 庭園の一角と隣の建物

中に入って見学することは出来ませんでしたが、すべてのフロアはバロック時代のものでバロック様式のインテリアの一部も保存されているそうです。19世紀初頭の8年間、お城はヴュルツブルク大公の夏の邸宅で、この間にいくつかの部屋は現代的な帝政様式に改装されたそうです。その数年後にヴュルツブルク大公国が廃止されると城館の複合体はバイエルン王に引き継がれましたが、彼はめったに城を使用しませんでした。

 

城館と庭園の一部 ・ 庭園の様子 1

 

庭園の様子 2 &

 

庭園の様子 4 &

 

庭園の様子 6

その一方で、周囲の庭園はヴュルツブルク市民にとって人気のある遠足の目的地になったのです。1918年の第一次世界大戦後に城館と庭園はバイエルン自由州の管轄となり、1932年以降は博物館として訪問者に開放されるようになりました。そして今世紀になってから数年にわたって広範囲に修復され、4月から10月まで開館しています。

庭園に建つ石像

庭園内の建造物

 

その建造物の正面にある貝殻で作られた生き物の像 1 &

私たちは車で訪れたのですが、車がすれ違えない細い道を挟んで庭園の向かいにファイツホェハハイム城館と時を同じくして建てられた立派な駅舎があります。当時、夏にヴュルツブルク大公やバイエルン王を訪れる各地の王家の人々や貴族たちがこの駅を利用したとのことです。

 

駅舎 ・ 駅舎から見た城館施設への入り口

駅舎の向かいの入り口から入ると見事な左右対称の城館が正面にあり、その周囲に広大な庭園が広がっています。訪れたのが4月の初めだったので、植物がまだ緑でなく花もほとんど咲いていなかったのが残念です。庭園内の石像やちょっとした石のベンチ、そして幾何学的な木々や植物の配置などをみると、いかにもお金をふんだんに使って造った庭園であることがよく分かります。

 

弁当

まだ観光シーズンに入る前だったからか庭園を散策している人はそれほど多くなかったので、その一角で昼食の弁当を食べました。すし太郎、卵焼き、パセリの根、厚揚げの煮物、サヤインゲンのベーコン巻きです。

 

〔2022年6月〕

 

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ドリュベック修道院

2022年06月21日 | 旅行

修道院とは、キリスト教において修道士がイエス・キリストの精神にのっとって祈りと労働のうちに共同生活(修道生活)をするための施設だ。男子修道院と女子修道院とがあるが、ドリュベック修道院は旧東ドイツ、ザクセン・アンハルト州のハルツ地方にある昔のベネディクト会修道女の僧院である。このドリュベック尼僧院は877年の古文書に初めて記されているのだが、のちにその古文書が偽造だったことがわかり、それ以来960年の史料での初言及が学術的に正しいとされている。いずれにしても古い。それにしても、そんな大昔になぜ修道院の起源の偽装工作をする必要があったのか、興味があるなぁー。12世紀には増築と広範囲にわたる改築がなされた。

一般にベネディクト会修道士の修道院というものは、広大な土地所有のほか、学校、図書館、薬草園、薬局、さらに各種のアトリエや工房を動かすことによって社会に大きな影響力を持っていたものである。

神のもとで平穏であるべき修道院が中世後期には揺れることになる。宗教改革や農民戦争の無秩序状態が修道女にとっても深刻な節目となったのである。尼僧たちの追放、盗賊団による放火、そして30年戦争の混乱は僧院の荒廃をもたらし存続が不可能になった。17世紀末から18世紀中頃にかけて大規模な立て直しが行われ、20世紀の初頭には新しい女子修道院長のもとで再び動き出した。第二次世界大戦後の1946年にザクセン州の社会奉仕に関する役所が、最後の修道院長マグダレーナの要望によりドリュベック修道院を管理することになり、40床のベッドを持つ保養所として機能することになった。現在は神学教育研究所、静寂の家、神学院、そしてメディア・センターをもつ集会場として使われている。かつての穀物倉など数棟の建物に分散して100を越す客室がある宿泊施設で、〈キリスト教的ホテル業者連盟〉のメンバーになっている。

 

かつての穀物倉

付属の僧院公園は18世紀中頃に描かれたプランによって造園されたもので、造園時に植えられた菩提樹は現在周囲5,5m。ハルツ地方の公園の一部として芝生の庭が5面あり、それぞれに祈りを捧げるための東屋が建っている。

  

菩提樹 ・ 僧院公園

これら修道院の建物は〈ロマンティック街道〉 の見所のひとつになっていて、(旧西ドイツにある有名な 〈ロマンティック街道〉は別物)敷地の外に大きな駐車場があって、日帰り行楽者も多く立ち寄るようだ。

かつて修道女たちが住んでいた建物にレセプションがあり、質素でいささか殺風景だが2ヶ所にある座場は居心地がよさそうである。

  

レセプションがある建物 ・ レセプション

 

レセプションの前のソファーセット

施設の性格上仕方がないのかもしれないがフロント係のおばさんがつっけんどんで、もてなしを受けている感じがしない。この建物にある客室には修道院時代のオリジナル家具を置いていてロマンチックな感じを出しているそうだが、私の部屋は別棟にあり、昔馬小屋であったらしい。古い家具や柱が廊下に散見できるが、完全に現代的に改装されている。

 

別棟

小さなシングルの客室は明るく清潔であるが家具が簡単なつくりで、昔住んでいた学生寮を思い出す。

  

私の部屋 1 & 2 

学生寮と違うのは、頭髪と皮膚両用の液体石鹸がひとつあるだけで他にはまったくアメニティー・グッズを置いていないシャワー付き洗面室が、部屋の中にあることだけである。携帯もスマホも圏外であるし、思っていたとおり客室にテレビがないので、本を持って来ていなかったら枕元に置いてある聖書を読んで過ごさなければならないところであった。何かと制限も多く、レセプションは8時から18時まで、週末と祝日は14時までしか開いていない。環境に留意する、という理由で、3連泊以上のときだけ部屋の掃除をしてくれるようだ。日本だと普通だが、当地だとめずらしく朝10時までにチェックアウトしなければならない。さらに、部屋には冷蔵庫も水も置いてないのに飲み物の持ち込みは禁止で、別の建物にある自動販売機を利用するように示唆している。

ところで修道院で一番大事な教会であるが、立派な外壁とは裏腹に、内部は破壊されて略奪されたのを元の形にではなく、セメントと簡単なブロックで付け焼刃的に修理して新しい置物や電気オルガンなどをそろえて何とか形を整えた感じで、神秘的な雰囲気はまったくない。

  

教会 1 & 2 

 

教会 3

2食付ということで予約したので食事時間を調べてみると、夕食は1時間15分、朝食2時間、昼食1時間、午後のお茶1時間という風にきっちり決められている。軍隊のようだ。

あまり時間がないので、夕食開始時間ちょうどに味も素っ気もないレストランの建物に行くが、ビュッフェ形式でレストランというより無機質な大学のカフェテリアのようである。

 

食堂

夕食はドイツの伝統的食習慣である冷たいパン食かと思っていたが、なかなかどうして、チーズとハム各種をのせる平たい黒パンの他にサラダ数種類、生野菜(パプリカ、ニンジン、キューリ)に薬味ヨーグルトソース、3種類の魚の燻製と酢漬け野菜がある。温かい料理として鳥モモのグリル、パプリカのひき肉詰め、鳥ささ身のカレー味シチュウ、鮭の切り身のクリームソースかけ、そしてスープまである。飲み物はワイン、ジュース、水道水、ミネラルウォーター、ビール、食後のお茶とコーヒーが無料で供される、というか、2食付宿泊料金に含まれている。ビュッフェなので温料理が少し冷めていて、味はまあまあ。学食よりはいいという程度だ。

どこから湧いてきたのかすごい人の数で、若者が多い。まさに学食風だ。30人ぐらいのグループがサッと居なくなったら、同じ大きさのグループが申し合わせていたかのようにあれよあれよという間に入ってきた。その他に子供づれの若い夫婦や初老の夫婦や小グループが入り乱れている。まったく落ちつけなくて、ゆっくり食後のコーヒーを飲む雰囲気ではない。私は30分もかからずに食べて出た。

客室や食堂棟に置いてある冊子やパンフレットにはやはりキリスト教関係のものが目立ち、食堂棟の各テーブルには食事の前のお祈りの例文リストが置いてある。誰もお祈りなどしていないが、、、、。

朝食も同じ場所でビュッフェ形式。暖かいものはないし贅沢感もないが、朝食に必要なものは全部ある。

僧院公園の横に〈庭師の家〉というこぢんまりとした建物があり、カフェとワイン酒場とおみやげ屋がはいっている。中は思ったより広くて、2階席もあり感じがいい。

  

庭師の家 1 & 2 

若いおばさんが2人勤務しているが、尼さんではない。店ではキリスト教にちなんだ雑貨、置物、装飾品、リキュール類、本と冊子、それにトレッキング地図を売っている。ここで昼食の代わりにチーズケーキとアッサムティーを食し、トレッキング地図と〈聖書ダイエット- 体と心のために -〉という本を買った。ハルツ国立公園の真ん中を当時の東西ドイツ国境が南北に走っているのであるが、この地図は国境をはさんだ東西の地域のトレッキングコースをしるしてある。〈聖書ダイエット〉という本は聖書の文章を引用しながら健康食や栄養素に関して解説していて、やせるための実践書としての機能はあまりない。

驚いたのは2日目の夕食だ。何に驚いたかというと、日によってこんなにも夕食の内容が変わっても良いのか、ということである。ハム・チーズ類の種類が少なく、飲み物は水道水とお茶とコーヒーだけ。温かい料理が〈鶏肉の白ソース煮〉1種類だけで付け合せはライスであるが、全部冷めていて味そのものも良くない。卓上塩をかけてやっと食せた。私が帰るとき、〈白ソース煮〉がなくなっていて〈鶏肉の焼いたの〉に代っていた。どうして小出しにせずに同時に出してくれないのか。ケチ!  客の数は昨晩とかわらず、夕食開始時の18時15分に行くともうたくさんの人が食事をしている。昨晩もそうであった。時間にもルーズな運営であるらしい。ここの食事は文化としての食事ではなく、単に空腹を満たすための食事にすぎないと判った。

2回目の朝食ではチーズとハムの種類が明らかに少ないし生野菜がない。その代わり果物がある。前日に比べて全体的に貧しい。

今までの経験からすると、ドイツではほとんどすべてのホテルやレストランに従業員または客として外国人が居る。ここはかなりの数の宿泊客が居るのに、2泊してみた限り外国人に全く会わなかった。周りは皆ドイツ人で、私の存在が意外なのだろうか、興味深く見る人がいて、私は浮いている感じだ。ドイツ人の言動の規範であるキリスト教の施設の中にいる異教徒、日本人は異質な存在である。以前から人里離れた厭世的な現役の修道院で数日静かに過ごしてみたい、と思っていたが、今回の経験でそういう所は居心地が悪いのではないかと思うようになった。神道と仏教の影響を受けている私の感性が受け付けないだろうし、空気がしっくり来ない違和感があるだろう。日本人のキリスト教観からするとやさしい穏やかな世界であるかもしれないが、一神教であるキリスト教は排他的である。ニーチェに言わせると邪悪な宗教であり、私も政治的な暴力的な宗教だと思う。

チェックアウトのときにレセプションで、

「私のような個人の宿泊客は少ないのですか。」

「はい、70パーセントはグループです。週末は個人客が少し増えますが、、、。」

「グループというのは全部キリスト教関係ですか。」

「いいえ、公共団体や企業のお客さんも来ますね。」

「隣の部屋に居るグループはキリスト教の関係者みたいですね。」

「はい、そうです。」

中高年の人10人ぐらいが、円座でテーブルの上に数本のローソクを灯して聖なる歌を歌っている。

「テレビとスマホがない生活もいいですね。おかげで静かに過ごせました。」

「そうでしょうね。それでは、お気をつけて。」

「ありがとう。」

 

〔2013年9月〕〔2022年6月 加筆・修正〕

 

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ブランケンブルク城

2022年06月17日 | 旅行

正確な人数は知らないが、魔女が住んでいるという山野が連なるハルツ地方にブランケンブルク城は建つ。

18世紀初頭に建てかえられて現存するバロック様式の城館は、12世紀頃この地に建造された城塞の跡と16世紀のルネサンス期の建造物にその源を発する。貴族たちの権力のバランスによって 所有者がたえず替わり、狩猟のときに使われたり、多くの催し物によりこの地方の文化の中心になったり、長期にわたり空き城であったり、20世紀初めには居城に改築されもした。そして第二次世界大戦の後、ブランケンブルク町がソ連の占領地になったときに城館は没収されて人民財産となり、療養所として利用された。1957年から東西ドイツ統合後の1991年までは国内商業取引を教える専門学校であった。10数年間まったく利用されていなかった城館の大規模な補修工事を公益団体〈救え・ブランケンブルク城〉が2005年から段階的に進め、2008年から新しい所有者〈大きいブランケンブルク城・株式会社〉のもとで今も工事中である。

外から見た私の印象であるが、資金不足なのか他に理由があるのか、工事の進み具合が非常に遅いようである。

  

大きいブランケンブルク城 1(山の上) & 2 

 

大きいブランケンブルク城 3 

このブランケンブルク城を町の人は〈大きい城〉と呼んで、〈小さい城〉と区別している。〈小さい城〉は、〈大きい城〉から、100 ヘクタールもある城館パークのゆるい斜面を降りたところにある1725年に建てられた城館で、バロック風のテラス庭園を持つ。現在17世紀から19世紀までの骨董品やこの地方の生活を展示する博物館になっているのだが、改装を理由に2010年の夏から閉館している。かといって工事をしている様子はまったくなく、建物の裏は荒れ放題である。

  

〈小さい城〉 ・ 〈小さい城〉 の庭園

この二つの城館とそれぞれに属する庭園、それにキジ鳥庭園が全部つながっていて、町の東部の広大な見所となっている。ここからハルツの山に向かってトレッキングやサイクリングのコースが無数にある。

 

サイクリングコースの標示

私が宿泊した〈城館ホテル・ブランケンブルク〉は〈大きい城〉でも〈小さい城〉でもなく、見所の複合体のなかに建つ別の建物である。

19世紀の半ばに500人の兵士からなる大隊がこの地に駐留することになったとき、歩兵部隊の兵舎として建造された。第一次世界大戦までこの兵舎は新兵の訓練所として使われたが、終戦時にヴェルサイユ条約によりその機能は終結させられた。そして1933年まで一般人の住居になっていたらしいが、第二次大戦時には再び軍隊の宿泊施設として利用された。敗戦後の1946年にはソビエト軍にその管理権が移って、市民の住居としての利用だけが許されることになっていたので、2009年に今日の4星ホテルへの大規模な増改築が始まるまで、この文化財保護の対象になっている建物には一般市民が住んでいた。

  

ホテル ・ 入り口からロビーへの通路

2010年に開業したホテルには68の客室と2 つのジュニア・スイートがあり、少々暗いロビーがが大変広い。サイクリングやハイキングやトレッキングを楽しむ客が多いようだ。外国人客も居る。

 

ロビー

レセプションで、

「仕事ですか。それともプライベートな旅行ですか。」

「プライベートです。あっ、しまった。嘘をつけばよかった。」

「ははは、そうですね。次回はどうぞ。」

観光地に仕事で宿泊すると保養税が免除されることがある。一晩2百円くらいであるが、今回3泊するのでばかにならない。

客室はシンプルなモダンなつくりで家具も新しく、城館ホテルをイメージさせる骨董品などまったく置いていない。ツインの部屋としては普通の広さだが、私は一人なので十分に広い。バスタブのある清潔なバスルームには必要最低限のアメニティー・グッズはあるが、スリッパとバスローヴが無い。金庫があり、インターネット接続が無料なのがうれしい。歴史のある建造物のはずだが改装が完璧すぎるため、住み心地はいいけれども歴史を感じさせる雰囲気はナシ。しいて言えば天井が少し高いのが普通のホテルと違うところか?! 部屋にあるインフォメイションの冊子には近郊の見所の説明も書いてあって充実しているし、痒いところに手が届くような心遣いが感じられる表現が多い。

  

私の部屋 1 & 2 

テラスが付いている大広間風のレストランは大変に現代的である。シャンデリアも一応下がってはいるがモダンなデザインだ。テーブルにキャンドルと花一輪を置くことでいい雰囲気を演出しているが、ナプキンが紙であるしBGMがアメリカの流行歌のようで、必ずしもそれに成功しているとは言えないようだ。サーヴィススタッフは中年のおじさんと若い女性と隣のおばさん風のひと。みんなキビキビハキハキしていて感じが良い。

「これ美味しいよー。」

という世話焼きおばさん風サーヴィスも好感がもてる。

 

レストラン

お通しは出ずにパンとバターとクリスタル塩が供される。塩にはいろんなドライフラワーを刻んだのが混ざっている。パンが旨い。メニューもあるが、あまり食欲がないのでアラカルトにする。

前菜は平たいパイに鳥肉のラグー(細かい刻み肉入りの香辛料のきいたシチュウ)をかけている。ラグファン(パイのカップや貝殻に詰めた上等なラグー)は知っているが、こういう供され方は初めてである。それにレモンと黒っぽい冷たいソースをほんの少しかけて食するのだが、このソース、酸っぱくて強烈な何かの味がする。何であるかはどうしても特定できなかった。

「このソースは何ですか。」

「ヴォチェステルです。」

「はぁ、ヴォチェステルですか。」

「そうです。ヴォチェステルです。」

このソースの得体の知れないアクの強さが気になって調べて見ると、正確に発音したフルネームは〈ウースターシェア・ソース〉(日本で言うところの 〈ウスター・ソース〉 か?)といって、有名な英国の薬味ソースであるらしい。何から出来ているかと言うと、酢、大豆、ワイン、糖蜜、アンチョビー、コショウの鞘、チリ、生姜、シャロット、ニンニク、タマリンドの果肉。それに企業秘密の添加物が加わる。何の味か特定できなかったわけだ。

今までこってりしたラグファンしか知らなかったが、酸味のせいかあっさりしていて美味しく食せた。

メインディッシュは〈蒸したタラの切り身の辛子ソースかけ〉。辛子は有名なフランスのディジョン産の軽い種類のものを使っている。付け合せはバターでサッと炒めた不断草(ホウレンソウに似た野菜)とトリュフ入りニョッキ(パスタの一種)だ。辛子ソースがマイルドで風味があってたいへん結構である。不断草は葉脈の部分が少し硬いので、もっと若い若葉かホウレンソウを使ったほうが良いのではないか。本当にトリュフの香りがするニョッキのゴムのような食感が新鮮だ。

前菜、主菜、ともに美味しかったが、皿をしっかり暖めていなかったのは残念。

一般にグルメのレベルがまだ低い旧東独で旨い料理に出会うのはまれである。ここのレストランのシェフに脱帽。

朝食は同じレストランで。全側面を占める大きなガラスをはめたドア から陽光がふりそそぐ。給仕の女性は美人ではないが、心のこもった(と思われる)笑顔がかわいい。ビュッフェ形式の朝食で供されるものの種類が多くて質も良い。例えばデザートの食べごろのメロンだけみても、ウォーター・メロン、ハニー・メロン、マスク・メロンの3種類を用意している。そしてサモワールからは沸騰したお湯がふんだんに出る。(実はこの国では水またはスイッチが入っていなかったり、お湯が十分熱くなかったり、サモワールに問題があるホテルが多い。ロシアの湯沸かし器を使い慣れていないのだろうか。)ここの朝食は私が今まで宿泊した4星ホテルの中で最高と断言できる。

城館ホテル・ブランケンブルクは長期滞在に最適だと思う。全体的に広々感があり、客室がモダンで住みやすく、毎日無料でインターネットを使える。食事、とくに朝食が充実しているし周囲に遊ぶところが沢山あるのもいい。

実はブランケンブルク町には郊外にもうひとつ、レーゲンシュタインという名前の城砦がある。比較的やわらかい砂岩で出来た岩山に建てた、というより岩をくりぬいた様な砦で、295mの山頂全域が要塞跡だ。

  

レーゲンシュタイン城砦 1 & 2 

この城砦が古文書に現れるのは1167年で、自然に出来た岩穴を利用した恰好の防衛施設だったようだ。しかし14世紀中頃の戦闘で落城し、その100年後にはもう廃墟になってしまった。無数の岩穴はその当時すでに見所として旅人の見学地であったが、1670年にこの施設は再び山岳要塞に改装整備されることになる。その後7年戦争のときにフランス軍に占領されるも、1年後にはプロイセンが奪い返した。が、フリードリッヒII世はすぐに城砦を破壊させる。再び敵の手に落ちて陣地にされるのを防ぎたかったらしい。

19世紀早々にはこの要塞跡にもう観光客のための飲食店が開業した。その飲食店〈パノラマ食堂・レーゲンシュタイン〉で昼食をとったのであるが、ロケーションを反映して〈強盗騎士・炒めポテト〉を注文した。

 

パノラマ食堂

何が〈強盗騎士〉なのか判らないが、炒めたジャガイモの上に豚肉のメダイヨン(フィレ肉の円形ステーキ)2個とマッシュルームとチーズをのせてオーブンでサッと焼いた料理である。野菜サラダが少し傍らにのる。熱々の皿で持ってきたのはいいが、肉が硬い。味は悪くないのだが、、、、、。チーズが少々塩辛くていかにも重い。ドイツのジャガイモは本当は美味しいのに、ここのは風味がない。サラダの鮮度が低い。良いところはほとんどないのに、悲しいかな、駐車場から歩いて登り起伏のある要塞跡を歩き回って空腹だったので、比較的美味しく食べられた。

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先回訪れてからすでに10年近くになるが、〈大きい城〉と〈小さいの改修はどの程度進んでいるのだろうか。気になるところである。近いうちに再訪してみようと思う。

 

〔2013年8月〕〔2022年6月 加筆・修正〕

 

コメント
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