お城でグルメ!

ドイツの古城ホテルでグルメな食事を。

ミシュラン 2つ星

2024年08月06日 | 旅行

我々の家から車で10分の所に、興味をそそるレストランがあります。その建物には以前〈四季〉というレストランが入っていて数回行ったことがあり、結構良い味の料理を提供していました。そしてその建物に比較的最近〈ヤンテ〉という名前の、ミシュラン2つ星をもつレストランが入ったのです。これは行くしか無いでしょう、、、ということで、行って来ました。

 

入り口

入り口の位置が変わっていましたが、内装は根本的に同じです。古い建物で、趣のある入り口です。近年高級レストランで普通になって来た、格式にこだわらないサーヴィスをここでも採用しているようです。一言でいうと、自然体での接客ですね。サーヴィスに関して面白い発見がありました。高級レストランでは通常料理ごとに新しいカトラリー(洋食で使うナイフ・フォーク・スプーンなど、料理を口に運ぶための食器)をテーブルに並べてくれるのですが、ここではテーブルに作り付けの引き出しから次の料理に必要なカトラリーを自分で取り出すのです。給仕スタッフの負担が減るし、我々も自分勝手が出来て合理的だと思いました。それから、テーブルの水差しからは必要に応じて自分で水を注ぐように言われました。

 

テーブルセッティング  パン と バター

さて料理ですが、7品メニューひとつしかありません。しかしながら、個人の事情や好み(食材とか量とか)を色々考慮してくれるとのことです。

まず自家製のパンとバターが出てきました。

〈ワイン旅行〉という、各料理に合うように厳選されたワインを約100mlずつ7種類供するアトラクションは、アルコールを飲まない私たちには合わないので、〈ジュース旅行〉にしてもらいました。ジュースと言っても市販のそれでは無いし、市販のそれのミックスでもありません。シェフが色々な、普通はジュースにしない材料も使って作ったオリジナルのジュースです。

レストランのホームページには、次のように書かれています。

〔シェフのトニー・ホールフェルドは、シンプルと洗練された要素を組み合わせて、印象的で革新的な料理を生み出します。どのお皿にも、生き生きとした色とりどりの味が盛り付けられています。ソムリエのモナ・シュレーダーが、厳選されたワインで独創的な料理を盛り上げ、料理体験を完成させます。この二人が、お客様がゆっくりとリラックスできる場所をハノーファーの真ん中に造りました。ワインの伴奏付きのメニューでは、思い出と新しい発見を同時に行うことができます。〕

 

アペリティフ  突き出し 1

さて、アペリティフもさわやかな自家製ジュースです。

実は料理もジュースも、その材料と作り方を詳しく説明してくれたのですが、その口調が早いのと内容が複雑なのでよく分かりませんでした。

 

突き出し 2  突き出し 3

この3種の突き出しはどれも工夫を凝らしていて旨いのですが、味が濃いのです。寿司を食すとき、まず白身の魚のような薄い味、そして終わりの方にトロや鰻のような濃い味を食べるように、西洋料理のコースもまず薄味から始めるべきではないか、と思うのですがどうでしょう?

 

ジュース 1  海老 + ルバーブ + 生姜

ジュースと料理のソースの両方にルバーブを使うことで、相性の良い組み合わせにしたのでしょう。合点のいく発想ですね。日本食の影響でしょうか、海老が生に近い。見た目に美しく美味しい料理ですが、突き出しと同様に味が濃いのです。

 

ジュース 2  イワナ + スイバ属の野菜 + クルマバソウ

ここでもジュースと料理の両方にクルマバソウを使っています。(クルマバソウ: ドイツなどではヴァルトマイスター(Waldmeister)と呼ばれ、クマリンの芳香があるためビール、リキュール、ジュースに入れて飲むこともある。またアイスソース及びアイスクリーム、ケーキ、ゼリー、グミ菓子、キャンディなど菓子類の風味付けにも使われる。)ジュースにはキュウリも入っているそうです。魚は半生で、これも旨い。

 

ジュース 3  アスパラガス + うなぎ + えんどう豆

意外にもチコリとハイビスカスを使ったジュースです。料理には、アスパラガスを縦に裂いて鰻とえんどう豆を包み込む、という手間をかけています。少々塩辛いのが残念です。

 

ジュース 4  ロブスター + 行者ニンニク

この料理は特別注文でコースの中に入れて貰いました。全部で8品のコースになった形です。ジュースに生姜と何かの柑橘類を使っています。ロブスターは外をカリッと焼いていて中は半生です。行者ニンニクのディップソースつけて食べます。それにロブスターの頭部で出汁をとった、煮つまったようで辛いスープが付きました。

 

ジュース 5  仔牛 + サラダ + りんご

なんだか忘れましたが、赤いジュース。料理はサラダの下に隠れた仔牛の胸腺です。あまり味がしません。普通の肉の方が良かったなー。

 

ジュース 6   + セイヨウニワトコ + キュウリ

レッドビートと麦芽を使ったジュースで、シェイクしてあるので泡がたっぷりです。鳩の肉はメディウムに焼いています。その他、肝臓風味のゼラチンと手で持って食べられる焼いた腿の部分が供されました。キュウリを板状に切って巻いてあります。

 

ジュース 7  レタス + ヤマドリタケ(ポルチーニ)+ ミルク

このジュースもシェイクして泡立っています。ここからはデザートで、レタスのシャーベットが印象的でした。盛り付けが美しい。

 

ジュース 8  イチゴ + スイートシスリーの根 + ライラック

灰緑色の、何であったかを忘れた、でも美味しかったジュースです。軽くてさっぱりしたデザートでした。

この後好きなコーヒー豆を数種類の中から選んで、テーブルでコーヒードリッパーを使って入れてもらえるのですが、もう腹一杯だったので丁寧にお断りしました。それでもやはり3種類の焼き菓子が出て来たので、一部は持って帰ったのです。

 

焼き菓子

4時間かかった食事でしたが、満足した時間でした。このレスランの料理は芸術性満載で意外性があり、新しい味を発見出来ました。特に料理とジュースの組み合わせが絶妙で、後でシェフと話したのですが、将来パティシエのような、料理に合うオリジナルなジュースを作る職人が出てくるのではないかと思いました。

提供されるメニューは4から6週間で変わるそうなので、また時期を見て行こうと思っています。ただ、確かに美味しい料理だとは思うけれど、我々の味覚には全体的に味が濃いのが残念です。フォルクスワーゲンの本社があるヴォルフスブルク市のミシュラン3つ星レストランの味を思い出しました。この二つのレストランに何らかの関係があるのかどうかは知りません。

 

〔2024年8月〕

 

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フレヒティンゲン水城

2024年07月27日 | 旅行

フレヒティンゲン水城は、私の住んでいるハノーファーから真東に100㎞少々離れたところにある人工湖の畔に建っています。昔の東ドイツに属する土地にあり、第2次世界大戦後の1945年に東ドイツ政府に収用されるまで、シェンク・フォン・フレヒティンゲン家の先祖代々の居城でした。

その歴史ですが、何でも14世紀の初め頃に近くの採石場の石を用いて造られた天守閣や防御壁を備え、要塞化された城として建てられたそうです。15世紀後半の火事で深刻な被害を受けた後、古い城の一部を組み込んで後期ゴシック様式の建築要素を追加することで、フレヒティンゲン城の複合施設は最初の大きな構造変更を受けました。その100年後、防御態勢がもはや中心的な役割を果たさなくなった城はルネッサンス様式で再設計されたとのことです。そして狩猟小屋、農場の建物、住宅、馬車小屋として使用されました。南側にあった厩舎は19世紀半ばに乗馬場に改装され、後に学校の体育館として利用されるようになりました。第2次大戦終戦直後の土地改革の過程で、城などを含むソビエト占領地域の貴族の全財産が補償なしに没収された後、フレヒティンゲン城はいわゆる回復期施設、老人ホームと住宅、結核患者のための施設、皮膚科病院、精神科の州立療養所として使用されました。そして国家人民軍が入城して人民軍の兵舎として使用された後で、この環濠のある城は再び老人ホームなって、20世紀後半には天守閣に内部エレベーターが設置されたそうです。20世紀の終わり頃の政変 (東西ドイツ統合) 後、当初はまだ老人ホームとして使用されていましたが、すぐに城は個人投資家に売却されました。そして今世紀に入って城をキャッスル・ホテルに変える計画が繰り返されてきましたが、これらの計画はまだ実行されておらず、建物は現在使われていません。

城の西岸には池を持つイギリスの風景式庭園があり、“大砲広場”には1880年に作成された大砲のレプリカが置かれています。

 

水城 1 & 2

 

水城 3 & 4

冒頭で述べたようにこの水城があるフレヒティンゲンの町はかつての東ドイツで、それ故、しばしばそうであるように、さびれた感じが漂っていて人影がたいへん少ないのです。おかげでゆっくり散策出来ました。

 

水城 5 & 6

人工湖の他に大小の趣のある池が複数点在し、ハスの葉っぱが浮かび水鳥が遊んでいます。池と湖の周りの林には散歩道がたくさんあり、手漕ぎおよび足漕ぎボートの乗り場もあるので、天気の良い週末などはそれなりに賑わっているのかもしれません。

 

水城 7 ・ 散歩道 と 休憩場

 

城門 ・ 城門から見た建物の入り口

城門は固く閉ざされていて鉄格子の間から荒れ果てた入口とそこに続く道が見え、寒々とした雰囲気が漂っています。水と緑に囲まれた周囲は良い雰囲気なのに、死んだような城はまことに残念です。

 

昼食

城門の右にあるゲートハウスは一応レストランだけれども、土日しか開いていないようです。さらに月曜日だということもあり、町のレストランやカフェが全部休みか夜だけの営業ということで昼食を食べるところがありません。それでスーパーマーケットで買って、当日泊まるホテルにチェックインして部屋で遅い(15時)昼食を摂りました。

カリフォルニア巻きには火を通したサーモンのサラダとアボカドを巻いてあり、ゴマをふりかけています。醬油、ワサビ、ショウガは小さな袋に入って提供されます。残念ながらご飯がべちゃべちゃで風味がなく、美味しくありません。今までの経験で旨くないのはわかっていましたが、何となく買ってしまったのです。それと甘い菓子2つ、家から持って行ったバナナ、部屋に付いていたガスなし水です。宿泊する部屋はスイートなのに電気ケトルもお茶セットも冷蔵庫もありません(詳しくは別のブログで)。なんとも味気ない昼食になってしまいました。

 

〔2024年7月〕

 

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ショェーニンゲン城館

2024年07月05日 | 旅行

ショェーニンゲン城館は私の家があるハノーファーから東南東に1時間20分ほど走った、昔の東西ドイツ国境の西ドイツ側にあります。14世紀中頃に狩猟小屋兼国境の要塞として建設されました。その後16世紀から17世紀にかけてルネッサンス様式で改築されて以降、武器庫が取り壊され住居として使用されていました。ところが19世紀前半にこの地方の行政機関がショェーニンゲンから他所に移されて以来、城は荒廃して行ったのです。20世紀の後半になってやっとショェーニンゲン市が城館を復元して一般公開しました。さらにバロック様式の庭園と城の建物に隣接する公園を整備し、現在はホテルレストランを持つ複合施設になっています。

 

城館 1 & 2

 

庭園 ・ 中庭

 

裏門 ・ 街の様子

ショェーニンゲン市は小さいけれどこぎれいで、軽い傾斜のある都市です。城館は街の賑わいのすぐ近くにあって現代的に修復しているため、城としてさほど面白くありません。何か公的な施設が入っているようです。城のすぐ上にあるギムナジウム(日本でいう小学校 5 年生から高校 3 年生に相当する生徒が大学進学を目指すことを念頭に 通う学校)の下校時で、生徒が城の敷地を通って帰って行きます。小高いところにある城の周囲には池がいくつかある広大な斜面の公園が広がっています。

 

レストラン ・ 水

さて昼食ですが、外壁の外から入るようになっている城の建物の一部であるレストランでとりました。

飲み物は小さい瓶の炭酸水です。

前菜はミックスサラダで、まずその量に驚きました。そしてその新鮮さに感激したのです。野菜は全部パキパキで、自家製のドレッシングは少し酸っぱくて優しい味でした。

 

ミックスサラダ ・ 城館バーガー (パンの上部をずらしています。)

サラダを何とか完食してハンバーガーに相対しましたが、これもでかい。私はハンバーガーはそれほど好きではないのですが、〈城館バーガー〉という名前に興味をそそられて注文したのです。内容的には失敗でした。挟んでいるのはサラダ菜、キューリの酢漬け、紫玉ねぎ、トマトで、それはいいのですが、肉が焼き過ぎでガチガチに硬いし市販のソースが不健康そうで不味い。パンのほとんどとフライドポテトを3分の1ほど残しました。最後に久しぶりに飲んだエスプレッソが美味しかったのです。

午前11時半の開店と同時に入って1時間半後に出るまで、私が唯一の客でした。給仕スタッフのおばちゃんに親切な対応をしてもらいました。

 

 当時の東西ドイツ国境 (オリジナル) 1 & 2

ところで、ショェーニンゲン城館のすぐ近くに、当時の東西ドイツ国境の野外博物館というか国境施設そのものを残しているところがあります。部分的に修復していますがオリジナルをしっかり残していて、なかなか見応えがあります。国境に接して東ドイツ側に村があったことに驚きました。

犬の散歩をしている女性がいたので話しかけてみました。

「 あなたはこちら側(西側)に住んでいるのですか。それともあちら側(東側)ですか。」

「 あちら側です。」

「 そうですか。当時、国境が開いたときはどんな様子でしたか。」

「私はまだ小学生だったので、状況がよく分かっていませんでした。以前は不自由な社会だったけれども、家族や地域の人々がみんな寄り添って強い絆を持って生活していました。国境が開いて自由にはなったけれども、人間どうしのつながりが淡白なものになったような気がします。

 

〔2024年7月〕

 

 

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ヴァルベルク城塞

2024年07月01日 | 旅行

ヴァルベルク城塞は私の住むハノーファーから東南東に約100km、かつての東西ドイツ国境の西ドイツ側であるニーダーザクセン州東部のエルム山脈の東端に建っています。

 

城 と 堀の一部 1 & 2

この堀のある城は13世紀初頭に某貴族によって設立され、何世紀にもわたって先祖代々の本拠地でした。その後17世紀前半の三十年戦争でひどく損傷しましたが、より要塞化されて再建されました。

 

全体像 

 

正面 ・ 右斜め 

 

城 と 池

何度か所有者が代わった後、20世紀の前半に某学校協会が商業学校を運営するために城の複合施設を買収して大規模に再建しました。第2次世界大戦中は軍病院として、戦後の数年間はヘルムシュテット地区の結核病院として使われた後、20世紀の後半からは農業貿易技術学校の訓練センターとして利用されて来ました。そして今世紀に入って何度か改修工事が行われ、現在ホテル&レストランが営業している他、城内で子供演劇、オペレッタ、ワイン祭り、城祭り、コンサート、クリスマスマーケットなどの催しが開かれます。

 

中庭 ・ テラス

城の周りには耕地が広がり、それを納得させるかのように城の向かい側にかなり大規模な農場施設があります。全体的にこぢんまりとまとまった城で、花壇や道沿いにバラの花が目立ちます。横の広場で何か催し物の準備をしているし、中庭に座っているとホテル&レストランのスタッフが頻繁に行き来します。なかなか活気に満ちた古城です。

 

城に属する農場の入り口

城の周りには全く飲食店がないので、帰りのアウトバーンのサーヴィスエリアで簡単に昼食を食べました。ドイツでは割と知られた魚貝類だけを扱う〈北海〉という軽食チェーン店があったので、そこでアラスカサーモンに衣をつけて揚げた料理にポテトサラダをつけてもらいました。本来は魚にハーブが入ったクリームソースが付くのですが、サラダの味が強いのでそれと一緒に食べようと思ってソースは断りました。さらに、サラダも少しだけにしてもらったため少々貧弱な皿になりました。サラダがいつものように少し酸っぱめで美味とは言えませんでしたが、サーモンは表現がサクッとしていてなかなか良い味だったのです。

 

アラスカサーモン と ポテトサラダ と スプライト

 

〔2024年7月〕

 

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ヴァンツレーベン城塞

2024年06月27日 | 旅行

ハノーファーから東南東に走って約2時間、かつての東西ドイツ国境を超えると間もなくヴァンツレーベン町に入ります。この町の北の外れにヴァンツレーベン城塞は建っているのです。城に属する公園はそのまま広大な森につながっています。というか、城とヴァンツレーベンの町が森の中にぽつんとあるのです。

城門をくぐると真ん中に塔がある広い中庭で、そのまわりに円を描くように低層の城の建物が並んでいます。原型ではなく新築または修復した建造物ばかりのようです。

さて、最初にヴァンツレーベン城塞の存在が述べられているのは10世紀の古文書だそうです。当時二重の溝と城壁を備えた丸い城として建てられ、ヨーロッパ最大の低地に建つ城のひとつです。13世紀に建てられた高さ30メートルを超えるロマネスク様式の天守閣は、今日この地域の象徴(シンボル)になっています。その後、14世紀後半にヴァンツレーベンの領主は資金不足のためマクデブルクの大司教に城を売却し、大司教は16世紀の後半にかつての防御的な城を住宅の城に変えて増築しました。そして時の流れと共に傷んだ家屋と農場の建物は18世紀後半に再建拡張され、荘園を営むある家族が賃借しました。そして第二次世界大戦終了まで、領地の貴族の小作人によって管理されていたのです。

戦後ヴァンツレーベン城は赤軍に接収され、東ドイツ政府の時代には銀行、農業生産協同組合、幼稚園などのさまざまな施設として使用されていましたが、資金不足のため崩壊の危機に瀕していました。しかしながら東西ドイツ再統一後、城は地所の最後のテナントの子孫によって取得そして長年にわたって徐々に修復され、今世紀初頭の大規模改修工事終了後は独特の雰囲気を持つホテルの複合施設に生まれ変わりました。

城門 ・ 城門の内壁にある扉の装飾

 

中庭の様子 1 & 2

中庭の様子 3  城門の中庭側

チェックインの後、おばさんスタッフがレセプションの真反対側にある別の棟の私の部屋を指差して示してくれました。スイートのシングルユースを予約しておいたので広いのですが、少し寒々感があります。ベットルームが少し高いところにあって雰囲気が良いし、家具調度および天井の梁と柱が古くて趣はあるのですが、スイートルームなのに次のものがありません。ホテルに関する情報冊子(電話はあるけどレセプションが何番であるか、さらにWi-Fiのパスワードが分からない。)、近くの観光案内冊子、冷蔵庫、お茶セット、電気ケトル、スリッパ、バスロープ、タンスは2つもあるのにハンガーなし、アメニティーグッズは液体せっけん一つだけ。つまり、広さと雰囲気が良いけれど住みにくい部屋なのです。

さらに苦言を呈すると、ハウスキーピングがおそらくチェックアウト時間前(チェックアウト時間はどこにも明記されていないのですが、、、、)の9時半に来ました。連泊するので、と言って追い返しましたが、その日は部屋を片付けてもらえないことになりました。

 

私の部屋 1 & 2

夕食はホテルのレストランでとりました。夕食としては珍しくも、ビュッフェ形式です。雰囲気の良い夕食場で中年のおじさんと若い女性がサーヴィス係です。サーヴィスと言ってもビュッフェなので食器を下げるだけですが、、、、。

 

レストラン ・ サラダとデザートの一角

いろんな料理が提供されていますが、その一部だけ示します。

 

ビュッフェのほぼ全貌 ・ 煮野菜 と ラザーネ

  

舌平目の料理 ・ コック・オ・ヴァン

他にも数種類あり、前菜盛り合わせとラザーネとパンナコッタはイタリア、カルパッチョはスペイン、ドイツの甘味デザート、フランスのコック・オ・ヴァン(雄鶏の赤ワイン煮込み料理)、ドイツ-スイスのレシュティ(主にジャガイモから作られる)。あとはインターナショナルかな? 

私は飲み物をノンアルコールのヴァイツェンビールにして、定番通りスープ、前菜、主菜、デザートと進めて行きました。

  

ヴァイツェンビール ・ ズッキーニのスープ

スープが少し塩辛すぎました。サラダはバルサミコソースで食べました。メインのコック・オ・ヴァンは味が濃すぎて肉が硬いのが残念でした。ただ野菜の細切りを舌平目で巻いて煮てある料理だけが、何だか繊細な味がして美味しかったのです。

 

サラダ ・ メインディッシュ

パンナコッタ と 甘味デザート

私の経験および独断と偏見で言うと、ビュッフェ形式の食事で感心するほど美味しい料理が出されることはありません。今回も舌平目の料理を除いて同様のことが言えそうです。

 

朝食場 ・ 私の朝食  

朝食場も感じの良い部屋でした。ごく普通の朝食ビュッフェですが、数種類の、午後のお茶で食べるような小さな四角いケーキがあるのが珍しかったのです。私は食べませんでしたが、、、、。

 

〔2024年6月〕

 

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