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お城でグルメ!

ドイツの古城ホテルでグルメな食事を。

ホテル ベンターベルク

2025年04月24日 | 旅行

我々の住むハノーファーから近い村に、この近隣でよく知られたホテルがあります。

  

ホテル 1 & 2

 

ホテル 3

このホテル・べンターベルクは20世紀初頭にその礎石が置かれ、第一次世界大戦で営業が中断された後、20世紀の前半に近代化されました。第二次世界大戦中は捕虜と強制労働者の収容所としてゲシュタポ (ナチスドイツの秘密国家警察) から押収され、その被収容者は近くの弾薬工場で働いていたそうです。戦後10年たって再びホテルの営業が始まり、1970年、新しい時代に対応できるように改めて近代化されました。その4年後には当時のサッカー世界チャンピオンであったブラジルチーム (ペレを含む) が宿泊したことによってホテル・べンターベルクは広く知られるようになり、お客さんが増えたので1982年に増築されて大きくなったのです。その後も歌手グループのケリー・ファミリー、元連邦首相シュロェーダー、元州政府首相ヴルフなどが宿泊したり食事をしたりしたとのことです。2014年に息子がホテル経営を両親から引き継ぎ、現在に至ります。

  

別棟の客室棟 ・ 裏庭

ホテル・べンターベルクは自宅から30分程で行けるので、もちろん宿泊はしませんでしたが、「海の幸を食べる」 という催しがあったので食事をしに出かけました。

  

レストランの内部 ・ われわれのテーブル

過去に近代化や増築をしてきた為いささか複雑な構造の、しかしながら清潔感あふれるレストランで提供されたのは「七つの海」 と名付けられた5品のコースメニューです。

アペリティフは、妻はミックスジュースで私は食事中の飲み物としてアルコールフリーのビールを注文しました。

  

アペリティフ ・ パンなど

そして定番のパンとバターなどのつけるもの。

突き出しはサーモンの薄切りで、ハーブ入りのソースとバルサミコ酢がかかっています。結構いけますが、ソースとバルサミコの組み合わせを良しとするか、お互い邪魔しあって良くないとするか、意見の分かれるところでしょう。

  

サーモンの突き出し ・ マグロの料理

コースの初めはマグロです。タルタルステーキとタタキのデュエットで供されました。私たちは胡麻をふりかけたタタキの方が美味しいと思いました。マンゴなども皿上にあります。

次は殻つきのまま焼いたエビと生温かいサフラン・リゾット。味付けは、アイオリ (ニンニク、オリーブ油、卵黄で作る一種のマヨネーズ) とロブスター風味の泡です。旨い。

  

エビの料理 ・ 魚スープ

三つめは地中海料理風の魚スープに茄子のクリームをのせた揚げパンをつけています。千切りの野菜もカラッと揚げています。これも良い味ですね。

そしてメインはオヒョウ (北方海洋産の大ヒラメ) の料理です。驚いたことに海苔で巻いています。付け合わせは2色のズッキーニのグラタンとニンジン、グリーンアスパラ、ジャガイモです。

  

魚料理 ・ デザート

最後は蜂蜜をからめた温かい桃とアイスクリームにシャンペン・クリームソースがかかっているデザートです。

全体として大感激するような味ではないけれどわりと美味しくいただけたし、盛り付けに気を使っているようで見た目が美しく、シェフの努力の跡が見られるコースメニューでした。

このレストランでは来月寿司を含むいろいろなアジア料理を提供するアジア週間が催されるので、また行ってみたいと思っています。

 

〔2019年8月〕〔2025年4月 加筆・修正〕

 

 

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湖畔ホテル ウェーバーファールト

2025年03月31日 | 旅行

休暇を北イタリアで過ごした帰路、ミュンヘンの南のテゲルン湖畔にあるホテルに一泊しました。

ホテルの玄関に車で乗りつけると、男性スタッフが車を地下ガレージに駐車してくれた後でスーツケースなどの荷物を部屋まで届けてくれます。ロビーではピアノの生演奏をしています。

  

ホテルのロビー ・ 廊下 と ソファー 

廊下は広くその突き当りにはソファーを置いてあり、湖を望むことが出来ます。

立派な家具が備え付けられた私たちの部屋はたいへんに豪華で、湖が見えるバルコニーがあります。そして歓迎の意味でしょうか、テーブルには菓子と果物とミネラルウオーターを置いてあります。

  

バルコニーから湖を望む ・ 菓子 と 果物

我々が旅装を解いて汗を流した後、夕食に行っている間に部屋係のスタッフが一度使ったタオルを全部取り替え、すぐ寝られるように寝具を整え、部屋を片付けてゴミを捨ててくれていました。まさに超一流といえるホテルです。

さて、私たちはなぜこのホテルに宿泊したのでしょうか。

なぜならここにはミシュランの3つ星を保持するレストランがあるからです。このレストランは 「ミシュランガイド」 だけではなく、他の良く知られたガイド本「ファインシュメッカー」、 「シュレマー・アトラス」、 「ファルタ・フューラー」、 そして 「グスト」 でも最高の評価を得ているのです。ただ、「ゴ・エ・ミヨ」 では20点満点のうち19,5点にとどまっています。いずれにせよ、このレストランのシェフは現在のドイツの料理界で最も評価の高い料理人でしょう。

 

レストランの評価

実は私たちはここのシェフが若い頃、つまり他のホテルのレストランでまだミシュラン2つ星の頃に彼の料理を食したことがあるのです。興味がある方は過去の投稿の 「ヴェルンベルク城塞」 を参照してください。

さあ夕食です。

 

レストランの入り口

アペリティフとして一種のミックスジュースを頼んだのですが、これは失敗でした。まるでお子様用であるかのように甘ったるいのです。

  

テーブルセッティング ・ パンなど

定番のパン、バター、オリーヴオイル、そして岩塩が出てきました。パンは何もつけなくてもふわふわでコクがあり旨い。

最初のアミューズブーシュは木材のブロックにのせて供されました。前面にシェフの頭文字 CJ をくっつけています。ニンニクとハーブが入ったオリーブ油を塗ったパンとキノコとカイワレみたいな植物。それに、マグロのタルタルだったと思うのですが忘れました。

  

アミューズブーシュ 1 & 2

二つ目のアミューズブーシュは白身だけ固まって黄身が生の卵を使っていますが、残念ながら何だったか忘れたのです。

あるレベル以上のレストランでは料理を持って来たときに何であるのか言ってくれるのですが、すぐに記録しないと食事が終わるころには忘れてしまいますね。

どちらも結構大がかりなアミューズブーシュで、どちらも旨い。

コースメニューは5種類の料理で、そのうちの3つは複数の料理の中から選べます。

料理 1: 私が選んだのはヨーロッパチョウザメのムースです。中にほとんど凍った小さなキュウリの玉が入っており、カクテルのジンフィズを少しかけていて、上に本物のキャビアが20グラムのっています。いやー、感心しました。この料理は言葉で表せない程美味しい。

  

チョウザメのムース ・ 魚の冷菜

妻は魚の冷菜を選びました。シイラ、キュウリ、タイ国産のアスパラガス、ハーブを使った料理です。残念ながら少し酸っぱ過ぎでした。酸っぱさが直接的でまろやかさがないのです。氷の塊を使って供されるのですが、その下に板状のスイッチを敷いているので重さでランプが付き氷塊が赤く光ります。私の好みで言うと明らかに凝り過ぎですね。

料理 2: このウミザリガニ科のエビと胡麻とハーブを使った料理には 「香港風ザリガニ茶」 と名前が付いています。また出方が面白く、改造したコーヒー用のサイホンを使っています。アルコールランプを点けると液体が上にのぼり食材のエキスを吸って、消すと下に降りてくる仕掛けです。

  

エビ料理の演出 ビフォア & アフター

凝った演出ですが効率は悪いと思われます。料理はグッとくる濃い味で、生のエビがプリプリで旨い。

 

エビの料理

料理 3: 私の次の選択は 「オーストラリアの黒と金」 という名前です。オーストラリア産のトリュフ (セイヨウシュウロ) 15グラムを細かく削って、中に生の卵黄を埋め込み、全体に金粉を振りかけています。味付けにハーブも使っているようです。トリュフの香りがたいへん強い、今まで食べたことがない料理です。

  

オーストラリアの黒と金」 ・ アミガサタケの料理

妻が選んだのは乳飲み子豚のハムを尖ったアミガサタケに詰めて、エストラゴンとシェリー風味の煮出し汁で味付けした料理です。乳飲み子豚のハムは初めてなのですが、味が濃くて旨いのです。

料理 4: 4番目の料理の食材はノロジカの背肉、大根、クレソンです。鹿の肉にはクランベリー・胡椒ソースがかかっています。肉の焼き具合が良く、美味です。

 

鹿肉の料理

料理 5: 私のデザートはマスカルポーネ (生チーズの一種)、イタリアン・アイスクリーム、サクランボ、ピスタチオから成ります。米のポップコーンも入っていて、そのポリポリ感がいいですね。重くなくて美味しい。

  

マスカルポーネなど ・ ラズベリーの菓子

妻のには「ユルゲンス (シェフの名前) のおばあちゃんの温かいラズベリー菓子」 という長い名前が付いています。彼の思い出の甘味なのでしょうか。特注だと思われる小さなケーキを焼く用具で供されました。アミューズブーシュで一度使った木材のブロックがまた出て来たのは残念。温かいラズベリーと冷たいアイスクリームのバランスが絶妙です。ラズベリーが酸っぱい、と思いきや、まろやかなのです。ここにもポリポリ感の食材があります。何でしょう。

 

擬似コルク栓

食後のコーヒーは頼みませんでしたが、シャンペンのコルク栓に似せたチョコレートが出てきました。

こうして3時間のディナータイムが終わったのです。

ところで食事環境ですが、テーブルに着くときには椅子を引いてくれる、洗面所に行ったらナプキンを新しいのにかえてくれる、など、客の扱いが丁重です。ただBGMが軽いポップスで、周囲の雰囲気に合っていないような気がしました。

今夜の食事で大変気になったことがあります。一部の料理の提供の仕方が凝り過ぎていることです。そしてそれに深い意味が感じられなく、単なるアトラクションに過ぎない気がするのです。

和食は古い中国の哲学 「陰陽五行」 の考えを取り入れた料理であるに留まらず、食器や盛り付けで、さらに木の葉や木材、あるいは石や竹を使うことで季節感を出したり、何か精神的なものを表現していると思います。部屋の装飾やそこに流れる音楽も大事な役割を担う 「総合芸術」、 というと言い過ぎでしょうか。

以前ヨーロッパのレストランで鹿の肉を使った料理を食べたとき、キノコを立てたりして皿の上を森に見立てた盛り付けをしているのを面白いと思いました。

最近西洋料理が食材において和食の影響を受けていることは明らかですが、今後その他の点においても同じ流れになってくるのでしょうか。私個人的にはそれを期待しています。

翌朝の朝食は別のレストランでとりました。ビュッフェの規模がたいへんに大きく、ありとあらゆる食物が提供されます。

  

朝食会場 ・ ビュッフェの一部

  

私の朝食 1 & 2

ヨーロッパのアルプス地方はわりと頻繁に行くので、またこのホテルに立ち寄ろうと思います。次回が楽しみです。

 

〔2019年8月〕〔2025年3月 加筆・修正〕

 

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マラーノ ・ ラグナーレ

2025年03月29日 | 旅行

マラーノ・ラグナーレは人口約1.800人の、漁港がある小さな町です。紀元前1世紀頃にローマ軍の町として出来たようです。そして16世紀の中頃にはヴェネチアに支配されました。

ところでこの町では、フリウリ語 (ロマンス語系の言語) を話すウーディネ県に属するにもかかわらず、今日なおヴェネチアの言語を話しているそうです。

町の中心に大きな広場があり、1.000年以上もの歴史を持つ塔が建っています。

 

港に来るとちょうど船が出るところです。向かいの半島の先端にある結構大きい町リニャーノに行く船のようです。片道40分というのを確かめて飛び乗りました。が、リニャーノの町には興味がないので乗ってきた船ですぐにマラーノ・ラグナーレに帰って来ました。リニャーノの滞在時間15分。

   

リニャーノの海岸 ・ ラグーン 1 

  

ラグーン 2 ・ マラーノ・ラグナーレの中心部

 

マラーノ・ラグナーレの一角

この辺りの海は広大な潟 (ラグーン) のためほとんどが浅瀬なので、船が航行可能な場所は杭で海路を示してあります。

  

海路 ・ 海路標識 1

 

海路標識 2

マラーノ・ラグナーレおよびその周辺には自然保護地区、鳥の生活圏の観察場、この海域の魚を展示した水族館、昔の漁師の家屋などがあります。

  

水族館 と 鳥の観察場 ・ 漁師の家屋の内部

先述の塔のすぐ近くにあるレストランで食事をしました。隣のテーブルでは子供を含むイタリア人2家族のグループが、「チンチン」(イタリア語で「乾杯」の意)と叫んでいます。その言葉は日本語ではね、、、と、、、教えてあげませんでした。

 

レストラン

さて、面白い供し方の前菜がありました。5種類の料理が少量ずつ前菜としてセットになっているのです。隣のテーブルの女性はこれを食べて、スパゲッティを食べて、それからメインディッシュに移っていましたが、5種類の前菜は我々にとっては少量ではないので1人前注文して二人で食べました。

まずサラダ風の湯でダコです。オリーヴ油がかかっています。新鮮なタコがやわらかく、味は見た通りの味です。キノコがあるのはなんだか場違いの感じがします。 

  

湯でダコ ・ 焼きアナゴ

そして焼きアナゴ。オリーヴ油と胡椒で食べるのですが、味は明らかにタレをつけた日本の焼きアナゴの勝ちですね。

焼いた帆立貝にもオリーヴオイルがかかっています。

  

帆立貝 ・ エビ

4つ目はエビにハーブのソースとオリーヴ油。

最後は焼いた魚の野菜添えですが、これにもオリーヴ油がかかっています。

 

焼き魚

5種類の食材はどれも新鮮で良いのですが、味付けのヴァリエーションがたいへん少ない。何にでもオリーヴ油をかけるのですね。今度こういう食事をするときは少し醤油を持ち歩きたい。でも、「日本人は何にでも醤油をかける。」と言われるかな?

そして妻の主菜は甲殻類のラビオリです。味のベースはトマトですが、それだけではなく複雑な味が美味しい。

  

ラビオリ ・ スズキの一種

私の主菜は最後の前菜と似てしまいました。ハーブとオリーヴ油をふりかけた焼き魚(スズキの一種)で、ホーレンソウのような野菜とポレンタが付いています。もう満腹だったので何の感動もありませんでした。

デザートはパスしてエスプレッソ。

 

エスプレッソ

味はイマイチのものがありましたが、新鮮な海の幸を堪能しました。

  

〔2019年8月〕〔2025年3月 加筆・修正〕

 
 
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パルマノヴァ

2025年03月26日 | 旅行

16世紀の末に計画都市として造られたパルマノヴァは人口約5.500人の町で、その星形の外観は今日まで大変良く保たれています。

 

1600年頃のパルマノヴァ(ウィキペディアより)

 

こんにちのパルマノヴァ(ウィキペディアより)

この町は本来城塞都市としてトルコのオスマン帝国からヴェネチア共和国を防衛するために、そしてその後ハプスブルク帝国から守るために造られたのです。この任務はナポレオンに征服されるまで200年以上にわたって果たされました。18世紀末からオーストリアが委託統治するようになったりイタリアに属するようになったりしましたが、19世紀の中頃を過ぎた頃最終的にイタリアの手に落ちました。第一次世界大戦の時パルマノヴァはイタリアの重要な軍事基地になり、それに応じて野戦病院や軍の訓練場などが設置されました。それゆえ砲撃により破壊される運命に会いましたが、3か所の門だけは無事でした。その他教会も3か所残っています。1960年にパルマノヴァは国の文化財になり、2017年にはユネスコの世界文化遺産に登録されました。

  

門 ・ 別の門の上 

  

門の内部 ・ Piazza Grande 

町の様子ですが、真ん中に町の規模に不釣り合いな広さのPiazza Grande (壮大な広場) があり、そこから道路が放射線状に出ています。広場の真ん中には巨大なイタリア国旗が立ち、広場の周辺部には立派な教会や数軒のカフェやレストランが並んでいます。

  

教会 ・ 教会の中

  

街の様子 ・ 市役所の一部

町の外には星形の緑地が広がり、ノルディック・ウォーキング、サイクリング、散歩、そしてハイキングに最適です。最短距離で町を1周するのに1時間かかります。太陽光線がきつくて暑いので、私たちはその最短距離を3分の2周しただけです。

  

ウォーキングマップ ・ ウォーキングエリア 1

  

ウォーキングエリア 2 & 3

この地のみならず、やはりイタリアの低地の夏は暑いので至る所でジェラート (イタリアン・アイスクリーム) を食べました。冷えたスイカも美味しいですね。

ピーチとアプリコットの味がする飲むヨーグルトだと思って注文しましたが、何だかフワッとした冷たくもないクリームの飲み物でした。果物の味もほとんどありません。残念でした。

 

クリーム系の飲み物

色々なジェラートです。ねっとりしていて美味しい。店ごとに作っているので店の味があるのです。

  

ヨーグルト と ピスタチオ ・ イチゴ

  

バニラ と オレンジ ・ パイナップル と レモン

 

イチゴ、ココナッツ と ピスタチオ

ドイツも今年はたいへん暑いのでアイスクリームが美味しいでしょう。

 

〔2019年8月〕〔2025年3月 加筆・修正〕

 

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アドリア海沿岸 の グラード

2025年03月19日 | 旅行

トリエステからアドリア海沿岸を北西に1時間ほど走ると人口8000人ほどの町グラードに着きます。グラードは、そこより少し内陸の都市であるアクイレイアの港湾都市として、おそらく紀元前2世紀頃出現し発展していったと思われています。ここはヴェネチア湾の最東端にあたります。数百年にわたってグラードは海賊や近隣の町の悪党団から襲われ略奪されたにもかかわらず、旧市街には歴史的に重要な教会や建物が残っています。

  

教会 ・ 遠浅の海

グラードをヴェネチア共和国が支配した時代は中世の末期から18世紀の終わりまでです。そして19世紀の初め頃からハプスブルク帝国に属するようになりました。この時代にグラードは海水浴場および漁港として発展したのですが、第一次世界大戦の勃発により「オーストリアの避暑地」の時代は終わりました。そして1919年から最終的にイタリアに所属するようになったのです。1920年代には再び中部ヨーロッパからの観光客がおおぜい訪れるようになりました。特に1960年代から旅行業が栄えており、こんにちグラードの住民は漁業と旅行業で生活しています。主に夏にはイタリア国内、オーストリア、ドイツから子供連れの家族が、この家族にやさしいグラードで休暇を過ごそうとたくさんやって来るのです。

幾つかある港湾のひとつに面した魚市場の隣にある魚料理専門レストランで昼食をとりました。

 

魚市場

  

港湾 と レストラン 1 & 2

テーブルの上にある舟の折り紙を開くと、なんとそれがメニューなんです。そしてパンは袋に入っています。面白いですね。

  

メニュー ・ パンが入った袋

さて、妻が注文した前菜は魚のマリネとウイキョウのサラダ。レモン汁をかけて食べます。何の魚か分かりませんが、新鮮で旨い。

  

魚のマリネ と ウイキョウ ・ シーバスのタルタル・ステーキ

私のはシーバスのタルタル・ステーキです。少し薄味ですがこれも結構。魚の卵かな?と思って食べた黄色い丸いものはどうやら穀物の一種のようです。

そして妻のメインはイカの蒸し煮のポレンタ添えで、これはイマイチでしたね。やはりイカはグリルか揚げるかするのが良いようです。ポレンタはまぁ普通ですかね。イタリア人が割と頻繁にポレンタを食べるのは意外でした。

   

イカの蒸し煮 ・ 魚の「天ぷら」

私の主菜は天ぷら生地に包んだ魚の切り身です。「天ぷら」という言葉に引かれて注文しました。日本の天ぷら粉を真似ているようですが、少し似て全く非なるものです。甘酸っぱいソースで食べる「天ぷら」は日本の天ぷらのイメージをかき消して食すると、これはこれで美味しくいただけました。

デザートはパスしてエスプレッソ。勘定書きに貝殻をのせてきました。

  

エスプレッソ ・ 勘定書き

天気もロケイションも素晴らしく、少しだけ高級感のあるレストランで過ごした午後でした。

 

〔2019年7月〕〔2025年3月 加筆・修正〕

 
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