お城でグルメ!

ドイツの古城ホテルでグルメな食事を。

城館ホテル レルバッハ

2022年01月30日 | 旅行

城館ホテル・レルバッハはドイツで最も人口が多いノルトライン・ヴェストファーレン州の2大都市、ケルンとデュッセルドルフとで3角形を作る位置にあるベルギッシュ・グラッドバッハという小さな町に建つ。ケルンの郊外電車を終点で降りて約4kmのところにある、都市の喧騒から隔離されたようなところである。本来この地には1384年に初めて文献に現れる水城塞があった。数度にわたり所有者が代わった後、1900年にその水城塞は取り壊された。その2年前、すなわち1898年に水城塞の脇に英国風の領主の館が建てられ、それが町の文化財保護の対象になっている現在の城館である。このネオ・ルネッサンス調の城館は1961年から1987年まで某研究所として、そして1988年にはテレビドラマの舞台装置として使われ、大変な費用をつぎ込んだ復旧作業の後、1992年からは39の客室と13のスイートを備えるホテルとして営業している。広大な英国風庭園には水を高く吹き上げる噴水をもつ池があり、黒鳥やアヒルなどの鳥が遊ぶ。

  

庭園から城館を見る  城館の全貌

 

入り口

中に入ると大きなシャンデリアがかかる吹き抜けのロビーの横にカフェがあり、そこからテラスに出られる。そこでお茶をしながら、ちょうどテラスの下の庭で始まろうとしている結婚式を見学する。関係ないながら、若い新郎新婦を祝福してあげようと思っていたが、どちらも60歳前後のカップルである。何回目の結婚なんだろうか。興醒めがして部屋に引き上げた。

 

ロビー  ロビーから上に行く階段

 

結婚式の様子

ホテルの内部は廊下が広く、数箇所に立派なソファーセットを置いている。心地よい雰囲気だ。

 

階段の踊り場

2階にある我々の部屋のドアを開けるとまず玄関の間で、ここには洋服戸棚だけがあり、もう1つドアを開けて寝室兼居間に入る。天井が高く全体的に薄紅及び薄茶色系のシットリと落ち着いた部屋で、絨毯が敷きつめられ、堅牢なつくりのセンスの良い家具が余裕をもって配置されている。古い風景画が1枚、花の絵が3枚、鳥の絵が1枚、そして卵の絵が3枚かかる。

  

我々の部屋 1 & 2 

窓が大きくて明るいバスルームには広いシャワーと湯船があり、洗面台がダブルだ。器具も使いやすくて、化粧備品はペンハリガン製である。他のホテルでは普通白色なので、薄茶色のバスローヴと赤いスリッパが印象深い。

 

バスルーム

ミニバーの飲み物が無料であり、テーブルに果物と個人宛の挨拶カードを置いている。我々が予約していたグルメ・プランに含まれるシャンペンのサーヴィスがある。スタッフはみんなにこやかで愛想よく、しっかり仕事をしているという印象を受ける。さすがドイツで最高級レベルに属するホテルだ。

さて、夕食が楽しみである。付属のレストランは、2012年に2星に格下げされてしまったが、1998年から2011年までミシュランの3星評価を得ていた。

天井と壁がガラス張りでテーブルから裏庭の緑を望む。裏庭の隅にある石の建造物の一部はかつての水城塞の名残だろうか。スタッフのサーヴィスは早いし、きちんとしていて丁寧である。婦人がハンドバックを置くための台を、私のカメラのために足元に用意してくれる。

  

レストラン ・ 我々のテーブル

 

テーブルから見る外の景色 (裏庭)

さっそく4種類のパンと、それにつける少し塩が入ったフランス製バターとルコラ・クリームがでる。ルコラは青臭くて、バターの方が美味しい。

シェフが自筆のサインをしているグルメ・プランのメニューがテーブルに置いてある。

ソムリエが来た。

「ワインは何にしましょうか。」

「私たちはあまり飲めないので、このメニューに合うワインをグラスに一杯だけ下さい。」

「メニュー全体に合うワインはありません。それぞれの料理に合うワインを供しています。」

この台詞は正解かもしれないが、接客業をしているソムリエの答えとしては正しくないと思う。これまで、ここよりも評価が高いといわれるレストランでもグラスワインを注文したが、黙って、最適と思われるワインを持ってきた。私はあまり飲めないくせにイタリアの濃い赤ワインが好きなので、よく最初からそれを頼むのだが、異議を挟まれたことは無い。ハンブルクにある有名レストランのマネージャーが言っている、「お客様のいうことはすべて正しい、お客様の駄洒落は全部面白い、というのが接客の心がけです。」日本でいう、「お客様は神様です。」だ。

ソムリエとの会話は続く。

「しかし、私たちはワインを何杯も飲めないのです。」

「それではこうしましょう。まず、最初の料理に合うワインを持ってきます。それを飲んでしまった後でどうするか考えましょう。ノン・アルコールのワインもあることですし、、、、、、。」

「えっ、ノン・アルコールのワインって、そんなに沢山種類があるのですか。」

「はい、もちろんです。」

ということで、コースメニューが始まる。

突き出しはマッシュルームのクリームで、下にパリパリ・ライスを極薄に敷いている。それと赤と緑のパプリカ・ゼリーである。食材の味がしっかり出ていて、繊細で美味い。

2つ目の突き出しはエストラゴン(中央アジア原産のヨモギ属の野菜)がテーマということで、タラとリンゴと緑茶クリームとキャビア、海老、そして兎の背肉にそれぞれエストラゴン・クリームを組み合わせている。エストラゴンが少々青臭いが、全体としては悪くない味だ。

さて8品コースの最初は、マリネにした(酢・塩・サラダオイル・ワインに香味野菜や香辛料を加えた汁に漬けた)サバである。ウイキョウ、フサスグリ、そしてケフィア(発酵乳の一種)が付け合せ。我々の好みでは、まぁまぁといったところか。そしてソムリエお勧めのワインは、ここライン・ヘッセン地方のそれである。フレッシュでサッパリしていて美味い。

次も魚料理で、エイにブイヨン煮出し液をかけてある。緑と白の豆とタコの料理が少し。タコとイカの区別がつかないらしく、メニューには 〈イカ〉 と誤表記している。給仕が飲み物の注文を聞くので、私のワインの残りは妻に回して、

「ノン・アルコールのワインがあるとのことですが、、、、、」

「はい、ございます。お望みですか。」

と言って、何やら緑色の液体を持ってくる。

「これは、特に豆料理に合うように作った、豆の汁です。」

『えっ、ワインじゃないじゃないか。』と思ったけれど、もう抗議するのが面倒なのと、料理に合わせたノン・アルコールの飲み物というのにも興味があり、そのまま受け入れることにした。

この 〈豆の汁〉 であるが、青汁風で大変に不味く、料理に合う合わないの問題ではない。何だか詐欺に遭った気分である。

3品目は今が旬の白アスパラガスとそれを使ったプリン風の料理で、食材の味が良く出ている。横には北氷洋でとれた海老の料理がのる小皿と、マッシュルーム料理の小皿が並ぶ。どれも軽い料理で美味である。そしてこの料理に合うのは、冷たい昆布茶であるらしい。時々スーパーで見かける市販の壜詰めだ。

次は塩漬けにした子羊の舌。オドリコソウ(踊子草)に属する植物で作った液がかかり、コールラビ(キャベツの原種ケールの一変種)が付け合せてある。子羊の舌の味など全くしなくて、この食材である必然性を感じない。この料理と相性がいいのが、なんと、熱々の台湾産白茶だそうだ。

5品目のメイン料理は雄ノロジカの背肉の低温料理で、妻には絶妙な焼き具合に仕上がっているが、私には少し焼き足りない。しかし旨い。

横に並ぶ小皿の1つに内臓(肝臓と心臓)の刻み煮込みが入っている。私の好みではないし、繊細なメニューには味がどぎつ過ぎる、という点で妻と意見が一致した。飲み物はマルツ・ビールである。このビールはアルコール分が殆んど無く、栄養満点で、病気の時や妊婦の飲料に適しているといわれる。給仕は、甘みを抑えていて薬味が少し強いビールを選んだ、と言うが、所詮安っぽい市販の瓶詰めビールである。

次には、何だか順番が変な気がするが、これで口内をサッパリさせて欲しいと、ヤエムグラ属の植物のゼリーが出た。バターミルクの泡がかかり、2、3の果物が少し。サッパリしていて大変に美味しく感じた。飲み物は無い。

7番目はデザートで、サクランボの甘煮、チョコレート、桜花、ケシの実とサクランボのアイスクリーム。飲み物はもちろんサクランボ・ジュースだ。

最後に4種類のプラリーネが出たが部屋に持ち帰ることにして、別注文のエスプレッソで〆た。

コース全体としては料理が軽めで、一部、妻と私が 〈青汁系料理〉 と名付けたように、植物の青臭さが鼻についたが、結構美味しく食べられた。

ただ、鹿の内臓や子羊の舌など安価な食材が目立った。フォアグラやトリュフや帆立貝などの高級食材を使えば良いというものでもないが、何だか、出来るだけ原価を抑える努力をしているように感じられた。

最も頭にきたのは、ソムリエが、それぞれの料理に合うアルコール無しのワインがあると、でまかせを言ったことである。そして安っぽい出来合わせのノン・アルコール飲料を提供したことだ。ワインの中でもそれ自体の味と主張があって食事の伴侶にならないものがある。例えばアイス・ワインなどのデザートワインが典型的だ。ここで供されたノン・アルコールの飲み物はどれも、もともと食事の同伴飲料としてではなく、それだけで成り立つ特徴を持っていてそのまま楽しむためのものだから、とりわけ繊細な料理には合うはずが無いと思う。ここにも客に高い飲み物を注文させて収益を増やそうという意図を感じるのは、うがち過ぎだろうか。部屋につけてもらう勘定書きにサインをするとき、明細を説明するのはいいが、チップを書く欄をしっかりと指摘するのはいかがなものか。

我々の 〈アルコールはあまり飲めないので、コース全体にだいたい合いそうなグラスワインが欲しい。〉 という要望に応じなかったソムリエは、接客業者として失格だと思う。全体的にこのレストランは、客をレストランの都合に合わせようとしているように感じられる。なぜミシュラン3星から2星に落ちたのか我々には判らないが、私がミシュランの調査員だとしたら、上に述べた理由で低い評価を与えるであろう。

レストランを出る時、シェフが厨房から挨拶に出て来て握手をした。

「ぜひまた、いらっしゃって下さい。」

「はい、よろこんで。」

でも、我々はもう来ないだろう。

妻が言う、

「ここ、近いうちにつぶれるんちゃう?」

結婚式のイヴェントであろう、打ち上げ花火があり、客が夜遅くまで騒いでいた。

朝食はレストランとは別の部屋である。窓辺以外の席が少し暗いが、良い雰囲気だ。食物の質と量、スタッフの態度など、完璧に近いサーヴィスといえる。8時半に朝食を終えて部屋に帰る時点で他の宿泊客はまだ誰も来ていない。今日は日曜日なので皆ゆっくりしているのだろう。

  

朝食部屋 1 & 2 

 

〔2012年5月〕〔2022年1月 加筆・修正〕

 

 

 

 

 

 

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ナイッペルク城塞

2022年01月27日 | 旅行

ネッカー川沿いのハイルブロンからほぼ真西に、直線距離で15㎞離れた所にナイッペルク城塞はあります。

 

葡萄畑

このお城は牧歌的なワイン用の葡萄畑が広がる地域を通る古城街道にあるお城のひとつで、12世紀に建造された山城なのです。

 

城塞の遠景 1 &

 

城塞の全景

遠くから見ると堅牢な2本の城塔が印象的です。ロマネスク様式で建てられた古い方の塔は8x9メートルの太さで、高さ20メートル。壁の厚さは2,5メートルです。13世紀の前半に造られた方は、太さ10x10メートル、高さ26メートル、壁の厚さ2メートルです。この2本の城塔が共通の環状囲壁に囲まれていることから、異なる時代に建てられた二つの城塞がひとつに統一されたのでは、、、、と推測されているそうです。

このブドウ園を含む城塞施設は何度もその所有者を替えた後、19世紀の前半には誰も住まなくなり、老朽化し荒廃していきました。その数十年後にこの地方の某伯爵が城塞施設を農場に改造すべく、農作業用の建物とテナントが住むアパートが建てられ、現在でも大農園として賃貸しされています。

私たちは山の麓に駐車して、ワイン農園の中の道を城塞まで歩いて行きました。

 

城塞への裏道 1 &

 

城塞への表道 1 &

乗用車が数台停まっていますが、ひと気はまったくありません。たぶん何人かブドウ畑に仕事に来ているのでしょう。実は城塞でワインを販売していれば購入しようと思っていましたが、販売や飲食の場所が見当たりません。かつての城塞は遺跡であり、ただ農舎として使われているだけのようです。ただ、ひとつの建物の扉に張り紙があり、ここで出来たワインの販売店が近くの町にあることが分かりましたが、わざわざ行くだけの情熱はありませんでした。

 

城塞の内部 1 &

 

城塞の内部 3 &

 

ワイン販売を示す張り紙

ところで、現在のヴュルテムべルク地方の谷間でブドウ栽培が始まったのは8世紀の中頃ですが、12世紀から13世紀にかけてその栽培場所が谷間を離れ、山の南斜面の開墾地に移って来ました。その開墾地のひとつがナイッペルク城塞周辺の土地なのです。

 

ナイッペルク町の入り口の看板

ブドウ栽培地が谷間から太陽熱の強い山の南斜面に移ってきた理由は、気候変動による春の谷間の寒気です。余談ですが、17世紀前半の30年戦争の後、栽培方法と収穫作業において赤ワインと白ワインの区別をしっかりとするようになったそうです。

さて、ナイッペルク城塞とは全く関係のない、自宅で作った料理の紹介です。

鶏胸肉のハム 1 &

鶏胸肉のハムを作るには、まず鶏の胸肉にフォークで穴をあけて砂糖、塩を少しずつもみ込みます。その後チャック付きフリーザーバッグの中でオリーブ油、塩麹、黒コショウ、およびニンニクと混ぜて一日置きます。それをそのまま低温料理で、すなわち70℃で30分オーブンで熱を加えてハムに仕立てるのです。わさび、柚子胡椒、または西洋辛子をつけて食べます。

 

マグロステーキのわさびソースかけ 1 &

<マグロステーキのわさびソースかけ› ですが、タイム、ローズマリー、ニンニク、オリーブ油でマリネしておいたマグロを焼きます。そのマグロを、素揚げした茄子、ウイキョウ、ピーマン、ズッキーニを1㎝ぐらいに切って炒め、干しブドウ、黒オリーブ、松の実を加えて少し煮た料理の上に置き、オリーブ油、わさび、醤油を混ぜたソースをかけます。さらに、オーブンで半乾きにした、家でとれたトマト添えます。

 

〔2022年1月〕

 

 

 

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エック城

2022年01月22日 | 旅行

Egg 城は英語だとエッグ城、すなわち卵城だが、ドイツ語では 〈馬鍬〉 という意味で Egge (エッゲ) という言葉はあるが、Egg はない。

レーゲンスブルクとパッサウの間にあるデッゲンドルフという人口4万の町から、タクシーで新緑の丘をいくつか越えて10分。小さな集落の一角にある。このドナウ川とバイエルン森林地帯の間は、昔、戦略的に重要な地域で、ここにはすでに5世紀から10世紀にかけて防衛能力を持った木造の設備が存在した。11世紀には石造りの城塞になったらしく、12世紀初めの古文書には水城塞であったと記されている。が、建物が堀で囲まれていた名残はもう見当たらない。12世紀の末ごろにはバイエルン州で最も高い45mの塔が建造された。この塔は城内牢獄として建てられたそうで、囚人を中に放り込んで餓死させたらしい。400年後に調べてみると約200の骸骨が見つかったそうである。らせん状の暗い狭い石の階段を上まで登ると、周囲の景色がすばらしい。別の建物の地下には拷問室もあり、拷問器具を展示してある。何ともおどろおどろしい時代であった。16世紀末、すぐ隣に農舎が造られたが、30年戦争の最中の1633年にスウェーデン軍から略奪放火されてしまった。19世紀の中頃に城塞から居住に適した城館へと改築されて今日の姿になった。それまでと同様にその後も所有者が頻繁に代わったが、1939年に中国で領事だったハルツゥル家が帰国してこの城を買った。1963年に農舎をホテル・レストランにして、現在まで賃借り人が経営している。

  

城塔 ・ 城館 1 (城塔から見下ろす)

城門をくぐり、昇り傾斜のある鉤型の登城路をのぼって城館に行く。素晴らしい新ゴシック様式の建造物だ。バイエルン森林地帯で最も古く、城塞のすべての特徴を原型のまま残している城館であるそうだ。ルネッサンスやロココなどいろいろな内装の部屋は、それぞれ芸術的価値のある家具と陶器や絵画などで飾り付けられている。見ごたえのある城館である。

  

城門 ・ 城館 2

博物館として開放している階の上の階は、二代目の所有者兄弟の住居になっているらしい。案内係のおばさんに世俗的な質問をしてみる。 

「これ程の城館だと維持費が大変でしょうね。」

「そうですね。所有者の収入としてはホテル・レストランになっている農舎の賃貸料や結婚式用の部屋と教会の貸し料があります。それに、良くは知らないけれど、ミュンヘンに東洋美術品を扱う店を持っているようですよ。」

 

城内の教会

城門をくぐって左に進むと、軽く弧を描いて細長く大きな、ホテル・レストランが入っている農舎である。幾つものダイニング・ルームを持つレストランとメゾネットの客室が8室ある古めかしい建物で、前の庭は、少々場違いではあるが、ほとんど地中海風だ。月曜日の今日はホテルもレストランも休業だそうだが、正確な到着時間を知らせておいたので、親切そうなおばあさんが来ていて部屋に案内してくれる。ホテルに休日があるのは珍しいが、ここはだいたい4月から10月までしか営業していないホテルなのである。

  

城館 3 & 4

  

レストラン ・ テラスと噴水

建物はオリジナルの部分が大部分である。薄暗くて古い建物のにおいがする。廊下やニッシェなどいろいろな所に昔の農具や家具や兵器があって面白い。客室へは3階まで狭い急階段を登っていく。私の部屋は木目丸出しの低い大きな梁がある天井で、少し穴倉の雰囲気がする。絨毯を敷いた板張りの床は歩くとギシギシ音がする。幾つも置いてある簡単な家具類に高級感はない。奥にシングルベットと洋服ダンスと冷蔵庫のある 〈隠し部屋〉 があり、3人がゆったり過ごせるメゾネットの客室だ。上の階はダブルの寝室で、大きな窓が左右両側にあって明るい。下の階は廊下の部分が多少屋根裏風で、真ん中が高い天井の大きな部屋である。この階にタイルを使っていない板張りのバスルームがあって、バスタブと付属のシャワーだけが付いている。全てが古くて簡単な作りである。

  

昔のそり ・ 私の部屋 1 

 

私の部屋 2 

今日の泊り客は私だけだそうで、おばあさんが帰った後はこの大きな建物に私一人になってしまう。

「幽霊が出るんじゃないかと心配です。」

「そうですか。ここの幽霊は女性ですよ。」

「きれいな女性ですか。」

「さぁー、首から上が無いので分かりません。」

2晩目は他に4人の宿泊客がいるそうである。

「急な予約が入らなければ、3晩目はまたお客さん一人ですよ。」

「でも、3日目にはもう幽霊と仲良くなってるから心配ありません。」

「今夜仲良くなるんですね。」

妙に確信がありそうなしゃべり方をするおばあさんである。

このおばあさん、なかなか親切で、建物や庭をバックに私の写真を撮ってくれたり、撮影用にわざわざ噴水の水を出してくれたりしてくれる。明朝の朝食はどうなるのかと思っていたが、私のために朝食の準備に来てくれるらしい。

ここのレストランは閉まっているし、携帯電話の電波が届かないような田舎なのでまわりに食事が出来そうなところはなく、駅で買って持って来たベレークテ・ブロェットヒェン(ドイツ風サンドイッチ)で夕食をすませた。 

朝食のテーブルに、バラの一輪挿しと私に個人的に宛てた朝の挨拶の立て札が立つ。私一人のためにいろいろ準備してくれている。4種類のジュース、ミュースリ3種類、2種類のヨーグルト、パン3種類、半熟卵、ハム・ソーセージ4種類、チーズ2種類、イチゴなどの果物、、、、。多くのホテルで定番の、温かいソーセージとベーコンはない。

「おはようございます。よく寝られましたか。」

「はい、よく眠りました。」

「幽霊は現れましたか。」

「いいえ、残念ながら会えませんでした。」

「多分、お客さんが一人なので、びっくりさせても面白くないと思ったのでしょう。今夜は他にもお客さんがいるのできっと出て来ますよ。」

幽霊のことを良く知っているおばあさんである。まさか、このおばあさんが幽霊だったりして、、、、!?

昼食をレストランのテラスの噴水の畔で摂った。太陽がキラキラする五月日和の中、少し見上げる位置にある城館の眺めが圧巻である。〈エック城のXXL 平鍋ヌードル〉 という料理がある。XXL というのが気になるが、城の名前をつけているので注文してみる。海老が入っていて、トマトとニンニクの味が少しするクリームソースが美味しいヌードル料理である。しかし、ヌードル自体はヌタヌタで固まっていて不味い。明らかに茹で過ぎである。さらに気が滅入るのは、XXLというのが決して誇張ではなく、その不味い麺が直径23センチの深いフライパンにどっさり入っているのだ。私は5分の1しか食べられなかったし、他の客もだいぶ残している。どうしてこんな勿体無い食材の扱い方をするのだろう。ドイツの食事は質よりも量を重んじる、と書いてある書物もあるが、本気で信じてしまいそうである。

 

テラスから見た城館

ホテル・レストランの若いマネージャー が隣のテーブルでスタッフとミーティングをしていて、私に何かと気を使って話しかけてくれる。

もうかなり日が長くて今日は暖かいので、夕食もレストランの庭で食す。今が旬である白アスパラガスの、ウィーン風シュニッツェル(薄いトンカツの一種)添え、で、オランデーズ・ソースがかかる。茹でポテトも付いている。シュニッツェルはもともと私の好きな料理だし、アスパラガスもポテトも美味しかったが、ソースに少しアクセントが欲しかった。アスパラガスを家で食べるときは、柚子味噌や田楽味噌などの味噌系日本風にする場合が多いし、オリーブ油に出汁醤油というのもいける。

デザートはブルーベリー味のクリームに各種果物。ごく普通の味である。明るい女性のテキパキした給仕が心地よい。

翌日の夕食もテラスの噴水の横である。

前菜は、 野菜サラダの上に冷やした白アスパラガスがコッホ・シンケン(茹でたハム)で巻かれてのっている。冷たいアスパラもなかなかいけるではないか。旨い。

メインは、牛のフィレ肉に、この地方の伝統的なマスタード・ソースがかかる。全く辛くなくて、マスタードの風味が甘みに絡まっていて美味しい。バイエルン地方で有名な、白い茹でソーセージにつけて食べるカラシである。あまり意味がないと思うが、皿の真ん中に生クリームがのっている。ニンジンと玉ねぎの油炒めとポテトのグラタンが付け合せだ。昨晩と同様に、量も適度で最後まで美味しく食べることができた。

デザートはパスしてエスプレッソで締めくくった。今日のウェイトレスは早足で落ち着きのない女性だが、愛想は悪くなかった。

この城館ホテルは興味深い博物館があるし、外装も内装もオリジナルの部分が沢山残っていて、中世の城を満喫できるホテルである。全部の部屋がメゾネットで階段の上り下りが面倒だが、二部屋を広く使えるし、他の客の足音がよく聞こえるのさえ我慢すれば、なかなか住み心地はいい。

レストランは地元の食材を使ったバイエルン料理で、繊細さには欠けるが土地に根ざした旨い料理を食べさせる。味覚の神経をもて遊ぶことはなく、安心して楽しめるのは結構である。

 

〔2012年5月〕〔2022年1月 加筆・修正〕

 

 

 

 

 

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エーレンベルク城塞

2022年01月18日 | 旅行

エーレンベルク城塞はドイツの中南部を流れるネッカー川の畔、古城街道にある古城のひとつで、残念ながら大部分が廃墟です。敵対する勢力から襲撃を受けたときに防御したり避難したりする目的で、12世紀から13世紀にかけて建造されました。

 

全体像 1 &

現存するお城の最も古い部分は、中心部を取り巻く2メートルもの厚さがある周壁と著しい強度をもつ石の土台です。城塞は30年戦争のときに大きく破壊されました。その後何度も必要に応じて改築されたり拡張されたり、はたまた一部撤去されたりして来ました。その結果、2本の城塔が残る現在の姿になったのです。

 

外観 1 &

 

外観 3 & 4 

17世紀初めには周壁の南側に付属の礼拝堂が建てられ、18世紀の後半にバロック様式に改築されました。城塞の長い歴史の中で何度か所有者が替わり、19世紀の初めに某男爵が購入しました。今でも彼の子孫が昔の農舎に住んでいて、廃墟の部分は猛禽の飼育センターになっています。

 

城塞に続く小道 

 

入り口 1 &

 

入り口から中を覗く

前述のように城塞は個人所有で実際に人が住んでいるので、残念ながら見学は出来ません。外観を見ることと入り口から敷地の中を覗くことしか出来ませんでした。

さて、最近は妻がユー・チューブからヒントを得て、(私たちの自宅では) 新しい献立を試してみることが多くなりました。

 

ズッキーニのオーブン焼き 1 &

たとえば <ズッキーニのオーブン焼き›。まずズッキーニをチンしておきます。そして卵黄、マヨネーズ、白みそ、マスタード、醤油で作ったソースをズッキーニにかけて、その上にチーズを振ってオーブンで焼くのです。結構重くて胃にグッと来ますが、なかなかいけます。

 

オヒョウのアンチョビー・ケッパー・ソースかけ 1 &

<オヒョウのアンチョビー・ケッパー・ソースかけ› では、オヒョウに塩コショウをしてメリケン粉を付けて焼きます。それにアンチョビーとケッパーを混ぜたリンゴ酢をかけ、最後にパセリと黒オリーブを振って出来上がりです。オヒョウはカレイの仲間のようですね。舌触りがやさしく繊細な味なので最近よく使う魚です。アンチョビーとケッパーの主張が強く、オヒョウの繊細さが生かされませんでした。

 

ピエモンテのワイン

飲み物は、以前イタリアのピエモンテ地方に行った時にアルバという町のワイナリーで買った2011年の赤ワインです。アルコール分が14,5%もあるので濃くて味わい深く、グッと来ました。

 

〔2022年1月〕

 

 

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デルネブルク城館

2022年01月15日 | 旅行

ハノーファーの自宅から車で南東方向に45分走ったところにあるデルネブルクという小さな町には、城館とその周りの史跡や散歩コースのおかげで、年間2万人ほどの訪問者があるそうです。私たちも行ってみることにしました。最初行った時はお城だけ見たのですが、他の史跡が点在する散歩コースにも興味があったので、1週間ぐらい後にもう一度行きました。

 

全景 1 & 2 (オンライン画像より) 

デルネブルク城館の原型となったお城の歴史は12世紀の中頃までさかのぼります。当時、この地域の教会の為に建造され、70年後に修道院になったのです。その修道院では14世紀までアウグスティノ会修道士が、その後シトー会修道士が、そして宗教改革の時代はルター派の修道女が生活し、それから修道院は再び17世紀中頃にシトー会の手に渡りました。19世紀初頭に修道院が閉鎖されてから、第一次世界大戦後に建物はヴェルフ王国の所有になったのですが、ゲオルク王III世がそれをこの地方の有力な伯爵に進呈しました。そしてその伯爵が改築させ、その周りに英国風庭園を造園させたのです。さらにその息子が19世紀の中頃、かつての修道院を城館に変えました。

 

城館 1

 

城館 2 & 3

 

城館 4 & 5

お城は、先の世界大戦中はドイツ軍の、そして終戦後は英国軍の野戦病院として使われた後、旧ドイツ帝国領土から避難して来た難民がどんどん増えて難民収容所になりました。戦後10年経ってニーダーザクセン州がお城の御料地を購入して農場経営を始めましたが、その建物自体は5世代にわたって伯爵の子孫が所有した後、20世紀の後半に米国の美術品収集家に売却されました。21世紀になってから地元の博物館を運営する企業が建物と庭園のどちらも手に入れ、一般に公開される展示用ホールにするために根底から再開発をしました。現在このホールには、前述の米国人の収集品が展示されています。

 

農場 1 & 2 

 

農場 3

私たちは2回目に訪れた時に、お城をほぼぐるりと取り囲んでいる、19世紀中頃に造られた史跡が点在する散歩コースを歩きました。林と川と小さな湖がいくつかある、歩き易い道です。

 

2,5㎞ の道筋には、ボートハウス、ピラミッド型に造られた伯爵の家族の墓とその家族がティー・ハウスとして使っていたギリシャ寺院風の建物、そして湖の漁民が住んでいた英国風の住居群や、今は個人の所有になっている馬車の御者の家が建っています。そしてその存在に驚いたのは、キリスト像を逆さまにした (恐らく) 芸術作品です。敬虔な信者から怒りを買いそうですね。

 

ボートハウス

 

伯爵家族の墓 1 & 2

 

ティー・ハウス ・ 英国風の住居

  

御者の家 ・ 逆キリスト

その他にも、小川に架かる橋、17世紀の納屋や水車小屋、改装中のグラスハウス (温室) があります。300年以上の樹齢であったブナの木は、伐採されて今はありません。

さて、レストランに入るのは面倒なので、スーパーで少し買い物をして自宅で遅めの昼食を食べました。

いわゆる 〈主菜〉 はケーニヒスベルガー・クロプセ、つまり 〈ケーニヒスベルク風クネーデル〉 です。これは長期保存用の瓶詰ですが、ハノーファーの近くの町シュプリンゲにある肉屋が作っているもので、親しくしているドイツ人が美味しいからという理由で買ってきてくれました。もともとは歴史のある東プロイセンの名物料理で、肉団子をケッパーを加えたホワイトソースで食します。ソースには、ケッパー以外にニンジン、ジャガイモ、セロリ、辛子、そして薬味が入っているそうです。名称は、かつてプロイセンの王都であったケーニヒスベルクにちなんでいます。少しの期待をもって食べてみると、旨味があまりなくて塩辛く、脂肪分が多くて重いのです。ドイツ人の舌には美味しいのでしょうか。

 

ケーニヒスベルガー・クロプセ ・ キャベツサラダ

スーパーで買ったギリシャ風キャベツサラダは、キャベツ, ニンジン、ワイン酢, ナタネ油で作っていて、私の好きなシンプルなサラダです。本来甘酸っぱいのですが、残念ながら今日のは甘さが足りなくて酸っぱいのです。

もう一つのサラダはクスクスサラダ。これは小麦粉から作る粒状の麺を利用した料理です。発祥地は北アフリカのようです。私が温かいクスクス料理を初めて知ったのは40年ほど前で、フランスのポアティエに住む友人を訪ねて行ったときに大学の学食で食べました。フランスは北アフリカとの関係が深いからでしょう。ドイツではまだ見たことがなかったので、興味深く味わったのを覚えています。今日食べたのは冷たいサラダです。小麦粒の他に色々な野菜、ナタネ油、ワイン酢、化学調味料などが入っています。私は、クスクスは温かくても冷たくてもあまり美味しいとは思いません。

 

クスクスサラダ ・ ドーナッツ

デザートは私の好きなドーナッツです。ドーナッツといっても揚げていないので、ドーナッツ形の菓子パンといったところでしょうか。スーパーでここ数年よく見かけるようになったお菓子です。

 

マルツビール

マルツビールとは、アルコール分が 0,5% 以下のノンアルコールビールの一種です。糖分が多くて栄養があるそうで、妊婦や子供が飲むのに良いとされています。私は好きですが、カロリーが多いので控えています。

武漢ウィルスのせいで遠出をして城館に宿泊する機会が無くなり、近場に日帰りすることがめっきり多くなりました。近くても結構良いところがあるなぁ、と思う今日この頃です。

それで先日またデルネブルク城館に散歩に行きました。湖のほとりや背後の山を回るコースを再び歩いたのです。木々が葉っぱを落とした冬なので先回とは雰囲気が違っていて、寒い日でしたが十分楽しめました。その時に撮った写真を以前のものと交換したり、付け加えたりしました。

 

〔2020年6月〕〔2022年1月 加筆・修正〕

 

  

  

  

   

 

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