お城でグルメ!

ドイツの古城ホテルでグルメな食事を。

ロミオとジュリエットの城塞

2024年02月27日 | 旅行

北イタリアの旅行で次の目的地であるヴィツェンツァに行く途中、モンテッキオ・マッジョーレという町を通りました。そこで偶然に、ロミオとジュリエットの城塞があることを知ったのです。地元の人によると、シェークスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』の舞台になった町はヴェローナではなくてこのモンテッキオ・マッジョーレだ、とのことです。

ロミオの城の実際の名前は〈Castello della Villa〉で、ジュリエットの城は〈Castello della Bella Guardia〉です。ウィキペディアの写真でロミオの城とジュリエットの城の位置関係がわかります。約300メートル離れているのです。

 

二つの城の位置関係 (ウィキペディアより)

  

ロミオの城  1 & 2

 

ロミオの城 からジュリエットの城を望む

  

ジュリエットの城 1 & 2

 

ジュリエットの城からロミオの城を望む

それぞれの城塞から素晴らしい展望を楽しめます。この二つの城塞はどちらも14世紀の中頃建造されて、16世紀の戦争で大部分破壊されたそうです。その後城塞の防御機能の重要性が薄れたために再建されず、やっと修理修復が始まったのは19世紀になってからです。

現在のロミオの城ですが、中庭は野外劇場で建物の中は歴史展示室になっています。ジュリエットの城には居酒屋とレストランが入っています。

  

ロミオの城の内部 1 & 2

 

ジュリエットの城の中庭

ところで、シェークスピアによって有名になった〈ロミオとジュリエット〉の話、地元の人たちは知っていても否定するでしょうが、原作はルイージ・ダ・ポルトという作家が書いたファンタジー小説なのですねー。

さて、4泊する予定のヴィツェンツァに着いて昼食をとったのですが、まずオードブルとしてサーモンのマリネをラズベリー・ソースで食べさせる料理をたのみ、妻とシェアしました。サーモンをソースにからめて食べると美味しい。

 

サーモンのマリネと生野菜

主菜として私はポレンタを添えた乾燥ダラのヴィツェンツァ風を食べました。全体的に何だか昔懐かしい味がしたのです。繊細さに欠ける料理ですが、味は悪くありません。

  

乾燥ダラとポレンタ ・ カレイの切り身

妻のオーダーはカレイの切り身にウイキョウ・ソースです。ソースが特に美味しい。サラダがついているのも良かったですね。

どちらの魚料理もこの地方の名物料理だそうです。

ヴィツェンツァはルネサンス時代の有名な建築家、アンドレア・パラディオ (1508 - 1580) の故郷で、彼の壮麗な作品の数々が町中に見られます。たとえば〈Teatro Olimpico = オリンピック劇場〉はその代表的な建築です。我々が宿泊した建物も彼の作品ですが、途中で資金が足りなくなって中途半端のまま現在に至っています。

  

我々が宿泊した建物 (右半分がパラディオの作品) ・ オリンピック劇場

私たちのアパートメントはもちろん現代的に改装してあります。面白かったのはカップル用のシャワー。二人で水のかけ合いをして遊ぶのでしょうか。もうひとつ気になったのは、おしり洗浄ノズル(?!)と思われるものです。別にちゃんとしたビデがあるし便器をこするブラシもあるので、それ以外考えられません。水が冷たいし勢いが強すぎて、使い心地は悪い。(試しただけで、使いませんでした。)

  

シャワー ・ おしり洗浄ノズル(?!)

見どころの一部を見学した後でアイスクリーム休憩をしました。先日アイスクリームを食べたとき生クリームの多さに閉口したので、妻はストロベリー入りアイスの生クリームなし、私は、メニューの写真を見るとクリームがのっていないので、スパゲッティアイスを注文したのです。ところが、アイスクリームの下に生クリームがどっさり隠れていました。残念。

 

ストロベリー入りアイス 

  

スパゲッティアイス ・ スパゲッティアイスの生クリーム

ヴィツェンツァは、近くにヴェネチア、パドヴァ、ヴェローナなどの有名観光地があるので、あまり知られていません。けれども、というか、だから、というか、それほど多くない観光客の数が心地良い、おすすめの町です。

 

2018年8月〔2024年2月 加筆・修正〕

 

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狩猟の館 〈森の平和〉

2024年02月24日 | 旅行

大きな森の真ん中にある〈森の平和〉と名付けられたかつての狩猟の館は、こんにちホテル&レストランになっています。

 

施設の入り口 ・ ホテル

 

ホテルの本館 1 & 2

ハンブルクのほぼ真北約30㎞の所です。この建物はある船主のスタイリッシュな家屋として20世紀初頭に建てられ、現在でもその元々の小ぢんまり、上質、ロマンチックといった魅力を保持しているのです。
最高級ではないが高級ホテルが会員である〈ロマンティック・ホテル〉という組織に属するホテル本館、別館のゲストハウス、庭に点在する催し物を行うコテージから成る施設です。

 

ホテル と 庭 ・ 庭とコテージ

 

別館のゲストハウス

本館はディズニーランドにあるような可愛い建物です。レストランの一角がレセプションになっていて、中年おばさんがテキパキとチェックイン手続きをしてくれます。

 

私の部屋 ・ そのバスルーム

私の部屋は別館の一階ですので、重い荷物を階上に運ばなくてよかったのです。部屋は完全に現代的に改装しており、居心地を良くしようとする努力が感じられる設えです。狩猟の館らしく、電気スタンドの装飾や部屋のキーホルダーに鹿の角を使っています。

 

電気スタンドの一部 ・ キーホルダー

愛情を込めて、おもてなしの心でこの魅力的なホテルを運営しているのはジークムント・バイエルレという人物で、この人は昔ゲストとしてこのホテルに宿泊し、高貴な城と魅力的なコテージが庭に点在する物件に恋をしたそうです。それで彼は1982年にホテルを購入し、細部にまで細心の注意を払って改装しました。そしてこんにち、平和と静けさを求める人々だけでなく、クリエイティブな人々や愛好家によって利用されているのです。特に愛好家に人気の場所はホテル内のレストランです。ここでは地元産の新鮮な食材がシェフの想像力豊かな料理の基礎となっているそうです。

私が到着した時、結婚式のパーティーが開かれているようで、中庭とガラス張りのレストランホールで大勢の人がワイワイ騒いでいました。

 

レストランの入り口 ・ その内部

 

狩猟の館に相応しい装飾 ・ 私のテーブル 

幾つかある小さな部屋のひとつで夕食をとったのですが、鹿の頭蓋骨と角を使った装飾とシャンデリアがあって "狩猟の館" の雰囲気がしっかり出ています。が、結婚パーティー客がうるさい上に、隣の席に8人の誕生パーティーグループが居て余計うるさいのです。私のテーブル担当の中年おばさんはしゃべり方がつっけんどんで冷たそうでしたが、時間が経つにつれて笑顔が見えるようになったし、真っ白なテーブルクロスと銀の食器を使っていて、このレストランのサーヴィスのレベルは結構高いと感じました。

さて、食事です。

ノンアルコールのヴァイツェンビールと前後して、パンひとつと香草入り凝乳 (牛乳を入れて軟らかくしたコテージチーズ)、そしてバターが出て来ました。ごく普通で、特筆することはありません。

 

ビールなど ・ 鶏の胸肉サラダ

前菜は"照り焼きソースをからめた鶏の胸肉とエキゾチックなドレッシングをかけたミックスサラダ"です。バルサミコ酢がかかった生野菜が新鮮でパキパキ。生野菜もなま温かい鶏肉もサラダとしてたいへん美味しくいただきました。

主菜は"ジュニパーソースとクランベリーで食べるピンク色に焼いたイノシシ肉の切り身と春野菜及びプンパーニッケル (ドイツ発祥の伝統的なライ麦パン) を使ったクラップフェン (揚げパン)"です。イノシシ肉は野趣を少し感じるけれども嫌な臭みはまったく無く、私の好みに良く焼いています。ソースを付けてクランベリーを載せるとたいへん旨いのです。季節の野菜 (緑と白のアスパラなど) に火は通っているのでしょうがシャキシャキパキパキの状態で食感抜群で味も良し。

 

イノシシ肉の料理 ・ ムース

そしてデザートが圧巻で、トレイに約10種類のデザートを載せて持って来て、それぞれ何であるか説明してくれるのです。2つ取っても良いと言ってくれましたが私はひとつだけ、細切れ果物と食用ホウズキが載ったレモン味のムースを選びました。軽くて美味しかった。

さらに、食後のエスプレッソにひと口菓子が3つ付いて来ました。

 

エスプレッソ と ひと口菓子

雰囲気、サーヴィス、料理の盛り付けと味全部が高いレベルで、久しぶりに満足度の高い夕食をとることが出来ました。

 

朝食会場 ・ 私の朝食

軽いジャズが流れる高級感のあるガラス張りの朝食会場です。ビュッフェで好きなものを選んで席に着くと、ジャムやヨーグルトや果物が載った2階建てのトレイが出て来ます。なかなか粋なサーヴィスですね。妙な形ですが機能的なティーポットは、昔の経験から私にはその使用方法が分かっていました。

ドイツのホテル業界には珍しく、このホテルには、掃除のおばさんを含めて、ドイツ人スタッフだけが勤務しているようです。そのスタッフが皆、ゲストに話しかけるときに称号 (Dr.など) 付きで名前を呼ぶのも印象的でした。超高級ホテルではないからか気取った所もないし、こちらも身構えなくていいから居心地が良く、また泊まりたくなるホテルです。

 

〔2024年2月〕

 

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ロッカ ・ ディ・リーヴァ水城

2024年02月21日 | 旅行

リーヴァ・デル・ガルダという町はマルチェージネとならぶガルダ湖観光の中心です。ガルダ湖の北端にあり、人口約一万六千人。町は1919年までオーストリア・ハンガリーに属していて、第一次世界大戦後イタリアに属するようになったそうです。むかしの町の防御施設の大部分がまだ残っていて、見学できます。

   

町の中央広場 ・ 山の中腹の歴史的建造物

そのひとつが、港にあるロッカ・ディ・リーヴァ水城です。12世紀に建造され、14世紀に初めて記録に現れるそうです。この手の城の運命なのですが、度重なる戦争により色々な国の軍隊に占領されたり、掠奪されたり、焼き払われたりして来ました。こんにちの姿になったのは19世紀で、第一次大戦後にこの地方の基礎自治体の所有になったとのことです。城塞は水堀とガルダ湖によって周りを水に囲まれています。20世紀の後半に2回に分けて修復されて再開に至りました。現在は町の民族博物館になっています。

  

城の正面 ・ 城 と 水掘

  

城の向こうにガルダ湖 ・ 城と観光“列車“ 

ところで、ドイツ語でもイタリア語でも〈天皇〉を〈Tenno〉と書きます。

リーヴァ・デル・ガルダから北に30kmぐらい離れて〈Tenno〉という村があり、その先3kmのところに〈Lago di Tenno = 天皇の湖〉があるのです。日本人としては行かずばなりません。歩いて1周出来る、水の色が独特で美しい湖です。湖水浴客で賑わっています。

  

Tenno(天皇)村 ・ Tenno(天皇)の

その〈天皇の湖〉のほとりで弁当を食べました。妻が作った弁当です。おにぎりが2種類あり、梅おかかのおにぎりは海苔巻きで、塩こんぶのおにぎりはとろろ昆布巻きにしてあります。おかずは肉団子、人参、昆布巻き、ひじき、そしてホウレンソウの胡麻和え。トレッキングの後で妻が作った弁当を食べるのは最高です。(奥さん、ここ読んでね。)

  

弁当袋 ・ 弁当

そしてリーヴァ・デル・ガルダの町にもどって、カフェで午後のくつろぎのひと時です。私はジェラート2玉とパイナップルジュースにココナツのシロップを混ぜた飲み物、妻はジェラート1玉と野菜と果物のミックスジュースを注文しました。ところが驚いたことに、ポテトチップス、ミニピザ、オリーブ、カリカリのパンが出てきて、英国のアフタヌーン・ティーのようになってしまいました。カフェ側の間違いだと思って抗議しましたが、注文したジュースに付いているとのこと。勝手に付加価値をつけて高く売る作戦でしょう。でも、とくに高い値段でもなかったので、まぁいいか。

  

ジェラート と パイナップルジュース ・ ジェラート と ミックスジュース

 

イタリア風アフタヌーン・ティーの

 

〔2018年8月〕〔2024年2月 加筆・修正〕

 

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バイヒリンゲン城館

2024年02月18日 | 旅行

バイヒリンゲン城館は私の住むハノーファーから南東に230km、旧東ドイツのテューリンゲン州にあります。

 

城館の前庭と駐車場 ・ 入城門

おそらく渓谷への重要な峠道を守るために建てられたと思われ、ある司教の11世紀初めの著書で初めて城として言及されました。それから数百年の間、武力紛争によって征服されたり破壊されたり再建されたりを繰り返すのみならず、貴族の間で売買されて来たようです。そして16世紀の中頃に、荒れ果てた城の基礎だけを残して利用する形でルネッサンス様式の城館に改築されました。その後も拡張と再建が続けられ、17世紀中頃の30年戦争によって受けた損傷も修復されました。城館がネオルネッサンス様式で根本的に再設計されて建てかえられたのは20世紀の初めです。

 

城館施設内の建造物 1 

 

城館施設内の建造物 2 & 3

第二次世界大戦中に城館は損傷しなかったので、終戦間際には難民収容所として利用されましたが、終戦後バイヒリンゲン町は短い間アメリカの占領地域に属していたので、城は司令官のオフィスとしてアメリカ陸軍によって使用されました。しかしながら、間もなく実行された赤軍への引き渡しとソビエト占領地域への編入後、バイヒリンゲン城は土地改革の一環として補償なしで接収されました。個人財産の公有化です。所有者の家族は赤軍が侵攻する前に城を離れていて無事だったのですが、その後城は部分的に略奪されたそうです。

 

城館施設内の建造物 4 & 5 (農場の建物) 

この地域が東ドイツだった時代には、城館は色々なことに使われました。例えば教員養成大学、幼稚園教諭の訓練センター、農民相互扶助協会の学校、獣医技術者のための専門学校です。その後専門学校は早期に大学の獣医学部に変わりました。そして1970年以降、この獣医学部のために農場の多くの建物が再建または取り壊され、新しい建物に置き換えられ、農場全体の外観を根本的に変えました。

 

城館施設内の建造物 6 & 7

1990年の東西ドイツ統一後の翌年には、早くもバイヒリンゲン城保存のための協会が設立されました。さらに21世紀なってすぐに城は再び個人の所有になりましたが、協会は活動を続けています。城では現在、朝食だけを供するレストランを持つホテルが営業しています。

 

城館施設内の建造物 8 & 9

比較的大きな村から起伏のある直線の道を走って行くと、隣の小さな村の高台にバイヒリンゲン城はあります。色々な時代に絶えず改築や増築を繰り返した為、各時代の建築様式を代表する建造物から成る巨大な建物群になっているのです。なるほど、古さが異なる様々なタイプの建造物が無造作に並んでいて、壊れかけた建物や修理中のそれもあります。

 

レセプション ・ コンサートホール

ホテルの内部はたいへん複雑で、迷子になりそうです。床がギシギシ鳴る、壁の絵が楽しい部屋が沢山あります。壁画は一部オリジナルで、他は塗り直したそうです。

 

城内の部屋 1 & 2

 

壁沿いの照明

ホテルのスタッフは素朴で、付近では見かけない私の風貌に最初はいささか懐疑的な目を向けますが、それを過ぎるとみんな愛想が良くて親切。そしてその言動に心がこもった感じがします。旧東ドイツの人々の特徴です。

 

私の部屋 1 & 2

 

部屋の窓からの景色

古いけれども清潔な私の部屋は塔のてっぺんに近い4階で、3方に窓があって明るく大変広いのです。そして窓からの見晴らしが良くて、他に客が全く居ないのかと思えるほど静かなのは良いのですが、あまり住み心地は良くありません。というのは、値段の割に設備が悪いのです。例えば、冷蔵庫無し、飲み物はサーヴィスの水1本、ケトル無し、アメニティーは液体石鹸だけ、暖房が故障、机無し、コンセント少なし、、、、、といった具合です。

 

ミネラルウォーター ・ ドネルケバブ

夕食を食べられるレストランがないので、トルコ料理のドネルケバブを持ち込みました。付け合わせはフライドポテトとミックスサラダ。ソースも付いています。私はケバブが好きなのですが、冷めてしまっていたのは残念です。飲み物は部屋にあったサーヴィスの水でした。

 

朝食の部屋 1 & 2

朝食は温かい食べ物も無く、少々貧弱でした。

 

朝食ビュッフェの一部 ・ 私の朝食

今回、城館自体には興味深いものがありましたが、食事を含むホテルライフには不満足でした。

 

〔2024年2月〕

 

 

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スカリジェロ城塞

2024年02月15日 | 旅行

夏の休暇で山々に囲まれたイタリアで最も大きい湖、ガルダ湖に来ました。湖岸のマルチェージネという町に8泊するのですが、この町は人口約3.700人で、しばしば〈ガルダ湖の真珠〉と呼ばれる、ガルダ湖観光の中心のひとつです。

  

マルチェージネの港 ・ 裏の山から城塞とオールドタウン

今回紹介するスカリジェロ城塞は湖の交通を管理するのに良い位置、30mの高台にあります。最初の城塞建造は12世紀の前半と記録されているようです。何度も破壊と再建を繰り返してきて、18世紀から19世紀にかけてフランス人が占領したりオーストリア人が取ったり、はたまたイタリア王国に属したりしたのですが、1815年のウィーン会議の後オーストリア帝国に属するようになり、この時代、すなわち19世紀の後半に最後の根本的な改築がなされました。イタリアの独立戦争の折には兵舎としての役割を果たし、第三次独立戦争の後イタリアの所有となったのです。そして第二次世界大戦の後から少しずつ行われて来た修復を1980年に大々的にやり、2013年からマルチェージネ自治体の所有です。

  

少し離れた湖岸から ・ 船上から

  

オールドタウンから ・ 真下から

お城の下にあるオールドタウンで昼食をとりました。

  

サラダ ・ ワイン酢 と オリーブ油

まず前菜としてサラダを一つ注文して、シェアして食べました。サラダにはいろいろ入っています。オリーブ、オレンジ、モッツァレラ、サラダ菜、ルッコラ、クルトン、セロリ、フェンヒェル (ウイキョウ)、そしてアーモンド。ヨーグルトソースがかかっていますが、ワイン酢とオリーブオイルが出てきたので、優しくおいしい味に自分たちで味を調整できました。

そして私が注文したのはシーバスのグリル。アジの開きみたいですね。焼きたてで、レモンと塩をかけて美味しく食しました。同じ皿上にのるのは、トマト、ジャガイモ、フェンヒェル、パプリカなどです。

  

シーバスのグリル ・ 黒ライスのリゾット

妻は黒ライスのリゾットをたのみました。ライス自体に味があり、エビが入っています。全体に薄味なので、胃に重いクリームソースを退けて塩をかけると旨い。

ところで、マルチェージネの斜め対岸、船で30分のところにリモーネ (レモン) という名前の小さな町があります。

 

リモーネの港

ここはレモンがとれる北限だそうで、そもそもは13世紀に坊さんがレモンを持ち込みました。昔この地を旅した人々の報告によると、15世紀にはかなり広域にレモン栽培が広がっていたそうです。かつてこの地を訪れたゲーテもこのレモンの大農園に感激したと伝えられています。その後木と果実を霜から守るため、17世紀に最初のレモン温室が造られたのです。温室は11月から3月までの間必要だったとのです。

  

昔のレモン農園 ・ 修復された現在の農園の一部

昔は大量のレモンを栽培して北アルプス地方 (ドイツ、ポーランド、ロシア) に輸出していました。

ところが、19世紀の後半からレモンの商売が下火になったのです。なぜなら、この時代に次のような不都合な事態が重なって起こったからです。レモンの病気、イタリアの統合と輸送機関の発達による南イタリア産レモンとの競争、合成レモン酸の発見、第一次世界大戦後のゴタゴタ、1928〜29年冬の極寒。

そして今世紀の初め、廃墟のようになっていた当時の温室を修復し、新しくレモンの木を植えたりして訪問客に解放されました。現在はレモンにかかわる歴史を売り物に、観光業で栄えています。それ故にここにはレモン博物館があり、地面の標識、家の番号や通りの名前にはレモンをあしらった陶器のプレートを使っていて、レモングッズの店がたくさんあります。

  

ゴミ箱 ・ 地面の道しるべ

  

レモングッズの店 1 & 2

 

通りの名前 と 家の番号

このリモーネのカフェでジェラートを食べました。

私はアイスコーヒーで、妻は果物とアイスクリームのミックスです。ヨーロッパのアイスコーヒーは日本のそれとはまったく違っていて、コーヒーにアイスクリームがたくさん入っています。どちらにも生クリームがどっさりのっているのには少々閉口しました。

  

アイスコーヒー ・ 果物 + アイスクリーム

ああ、生クリームのない純粋イタリアンジェラートを食べたい。

 

〔2018年8月〕〔2024年2月 加筆・修正〕

 

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