お城でグルメ!

ドイツの古城ホテルでグルメな食事を。

ヒュンネフェルト城館

2024年01月31日 | 旅行

私の住むハノーファーから真西に3時間強走った所にある、北ドイツの平地に建つ水城に来ました。

 

城へと続く道 ・ 複合施設の全体像 (Wikipediaより)

広大な森と草原と畑がある敷地の中、敷地を囲むように水路が走っています。この人家から離れてぽつんと建つ、堀に囲まれた城と農場から成る数棟の建物がヒュンネフェルト城館です。門が固く閉まっており "ビデオ監視" の表示もあり、非友好的な印象を受けます。

 

城館 &

 

城館 3

この地に最初に建造された城塞が、12世紀の中頃にヒュンネフェルト領主の先祖代々の本拠地として古文書に言及されています。そして13世紀に2棟からなる堀のある城塞に建て替えられ、14世紀末の頃から16世紀末にかけて数度にわたり所有者がかわりました。

 

農場 と 堀 &

城塞がヒュンネフェルト城館に改築されたのは17世紀の前半から中頃にかけてです。その際、ヴェーザー・ルネッサンス様式の装飾の代わりに簡素な初期バロック様式が用いられ、本館の体面に農場が増築されました。農場の庭、庭園、および城の広場を含む複合施設全体が堀に囲まれています。また、18世紀の初めに建てられた、尖った屋根の白い丸い鳩の塔には外壁に鳩の入り口がたくさんあります。

 

中庭にある鳩塔

こんにち、本館と南棟は裏庭を含んで現在もフォン・デム・ブッシェ・ヒュンネフェルト家が住居として使用しており、立ち入ることは出来ません。ただ週末のみ、電話で申し込んで北棟に設置されている城と家族の歴史に関する小さな博物館を見学出来、その時に19世紀中頃に造られた英国の風景式庭園を巡るガイド付きツアー (グループのみ) が可能だそうです。カフェでくつろぐこともできます。さらに、今世紀の初め以来、ヒュンネフェルト城の敷地内で毎年初夏のイベントが開催されています。 演劇です。

 

疎水  市役所 と 船

この日宿泊したのは、ヒュンネフェルト城館から北西に約2時間走った所にあるパペンブルクという小さな町です。オランダとの国境に近いからか、町中に疎水が流れていて市役所の前に船を展示しています。さらに赤レンガの建物が多くて、オランダの町が思い起こされます。

 

教会前の広場

"フォン・シュヴァルツェンブルク男爵" という名前の、何だか由緒ありそうなホテルですが、たいへん現代的な比較的新しい宿泊施設です。

このホテル1階にあるレストランで夕食を食べました。

 

レストランのテラス  内部

飲み物は、この地方で醸造しているアルコール・フリーのビールです。

ナイフ+フォーク+ナプキン  ビール

前菜はオリジナルのサラダ。軽くバルサミコをかけた各種食材は、小さいパン2個、揚げたひと口大の鶏肉、白菜、アイスベルク菜、二十日大根、チコリ、ペパロニ、ミニトマト、黒オリーヴ、フェタ(羊乳)チーズ、タマネギ、パプリカ、キュウリで、にぎやかです。どれもパリパリに新鮮で旨い。

サラダ  フラム クーヒェン

主菜は軽くフラム・クーヒェンにしました。ピザに似ていますが生地が超薄く、上に色々なものを載せて焼きます。私が注文したそれには、サワークリーム、スモークサーモン、早採りネギ、そして赤色玉葱が載っています。私はピザよりもフラム・クーヒェンの方を好みます。

私は山が好きなので360度見回しても山が全く見えない北ドイツにはめったに来ないのですが、この近くで講演をしたついでにヒュンネフェルト城館とパペンブルクを訪れました。

 

〔2024年1月〕

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅館 「ツム・バート」 

2024年01月27日 | 旅行

「プールへの入り口」という、日本人の感覚では変わった名前の、レストランを併設した宿屋です。

休暇で北イタリアに行く途中で一泊した町にある施設で、この町は〈泉と水車の町〉とアピールしています。複数の泉から湧き出る水を集めて流れる小川があり、水車がたくさん回っていて、水泳と水遊び用のプールが充実しているようです。

 

水車

妻と私が旅装を解いたのはこの家族経営の旅館なのです。そのレストランは清水がふんだんに湧き出る泉の上に建っていて、10年くらい前からミシュランのひとつ星を持っています。我々の部屋はいたってシンプルですが、必要なものは全部あります。

  

旅館-レストラン ・ 客室

レストランでは、泉と小川が見える一番良い席をもらえました。自分の仕事に関して良く勉強していると思われる給仕のお兄さんも他の給仕スタッフも愛想がいいのです。サーヴィススタッフのチーフは大奥さん(若奥さんは不在)で、親父と息子は料理人をしています。

 

レストランの内部

まず私たちがアペリティフとして頼んだのは、メニューに〈ノンアルコールの苦み〉と書かれた、アルコール無しのカンパリを何かのジュースで割った飲み物です。少し甘味があります。

食事の時の飲み物は、妻はもちろんイタリアワイン、私はいつものアルコールフリーのビール。

7品のメニューがあり、そこからいくつか省いて3品、4品、5品、または6品のメニューにすることが出来ますが、妻と私は貪欲にも7品のフルメニューにしたのです。

 

パン など

最初に色々なパンが出てきて塩やハーブと共に食べるのですが、面白かったのはイカのスミを入れたパンで(味は良くない)、美味しかったのはジャガイモと食用油脂とタマネギでつくったペーストです。

すぐに厨房から4種の挨拶料理が出てきました。

 

ジャガイモボール 及び 菓子パンとハム

まず地中海野菜で作ったアンコ入りのジャガイモボール。揚げていて美味しい。

そして菓子パンにスペイン産ハムとナッツの粉をのせたもの。よく合う組み合わせです。 

  

ソーセージ ・ スープ

そしてカワマスのソーセージも美味しかった。

さらにアスパラガスのスープですが、中に小ダイコンや鮭が入っていて、上にはウズラの卵の揚げたのがのっています。このスープが抜群に旨かったのです。

その後順番に、

1.マグロ、キュウリ、アボカド、味噌、大根、からしアイスクリームを使った料理。味噌と何かを混ぜたソース及びゼリーがフッと和食を感じさせます。

  

1. ・ 2.

 

2.に付いているブリオッシュ

2.フォアグラ、桃、アーモンド、ブリオッシュ (バターと卵をたっぷりと配合したフランス発祥のリッチな菓子パンの1種)。ブリオッシュと食べると美味しいけれど重く、胃にこたえます。

3.蟹の足、人参、カボチャ、ベルガモット(ダイダイの変種)を組み合わせた料理です。少し塩辛いのですが、特にカボチャのクリームと野菜を美味しくいただきました。

  

3. ・ 4.

4.卵、エンドウ豆、アスパラガス、アミガサ茸を食材とする料理は味が少し濃すぎました。

5.魚 (スズキの一種)  + イカ + パプリカ + メロン + ブイヤベースの料理は大変結構です。

  

5. ・ 6.

6.鹿肉、セロリ、セイヨウカリン(西洋花梨)、キノコ、クネーデルから成る主菜は、セロリが特に旨いと感じ、鹿肉はやわらかでその味もやわらかで全体的に意外と軽いと思いました。

ここで厨房からデザートのサーヴィスです。

キュウリシャーベット、シャンペンソース、アイスクリーム、黒ごま、そして砂糖の味のバランスが良く、口腔がさっぱり。

  

サーヴィスのデザート ・ 7.

7.イチゴ、脱脂乳、白チョコレートで出来た本来のデザートは思ったより軽い内容で良かった。ホッとしました。

というのは、全体の量が多すぎて満腹だし、客が多くなってサーヴィスのテンポが遅くなり、4時間の食事が終わったときは長い苦行から解放された思いだったのです。(だいぶ時間が経ったので、最後の方は写真が暗くなってしまいました。)妻も眠いだのワインが足りないだの、ブツブツ言っていました。ワインなんか追加注文すればいいのに、残るともったいないという理由でしないのです。

ここは今まで食べたミシュラン1つ星の中で、もっとも美味しいレストランのうちのひとつだと思います。厨房からの挨拶料理の質と量を考えると一番良いのでは、、、、。多様な食器は日本の会席料理を (少しだけ) 思わせます。

  

朝食の部屋 ・ 私の朝食

朝食は別の部屋で、ごく普通のそれです。大奥さんと親父さんのほか、若奥さんも朝食係としてきびきびと働いていました。

バイエルン地方のこの辺りは南ヨーロッパに車で行くときの中継地として最適なので、またこの辺で泊まることになったらぜひここで、と思った次第です。

 

2018年7月〔2024年1月 加筆・修正〕

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブルク城館

2024年01月24日 | 旅行

デュッセルドルフで講演をした帰途に、同市の南東30㎞程の所にある、刃物で世界的に知られたゾーリンゲンの郊外に建つブルク城館に立ち寄りました。それにしてもブルク (城砦) 城館とは変な名前です。

実は、半年ほど前に訪れた時は大工事中で、ほとんど見学出来なかったのです。今もまだ工事は続いていますが一部は見学可能だし、いくつかあるレストランも屋外休憩所も開いてます。しかしながら、まだ建物内に入ることは出来ないし博物館も閉まっているので、外観だけの見学になってしまいました。

観光用にかなり整備しているため、古びた趣はまったくありません。

 

駐車場からの外観 1 & 2

さて、この城館の歴史は13世紀まで遡るようです。元々の建物はノイエンブルクという名の城砦でした。が、14から16世紀にかけて戦争技術が変化して来た為、防御機能が不十分になった城砦は拡張され、重要な祝祭の場と狩りのときに宿泊する所となりました。すなわち、城砦からブルク城館となったのです。17世紀前半の30年戦争の際には幾つもの敵の軍隊、例えばスウェーデン軍に占拠された後で最終的に皇帝の軍隊が駐屯していましたが、戦争終結で軍隊が引き揚げた後、城壁、城門、天守閣など城館のすべての防御設備が破壊されていました。そのせいで、その後城館は行政執行の為だけの建物になりました。さらに19世紀の初め頃にはこの地域をフランス軍が占領し、ナポレオン皇帝のもとで行政改革が行われたことにより最後の行政官達が出て行き、これをもって城館はすべての行政上の機能を失ったのです。

そしてその後の係争の結果、ブルク城はプロイセンの国有となり、天井工場、馬小屋、学校として商業的に使用されるようになりました。しかし19世紀中頃に屋根が取り壊されてその建築材料は地方裁判所の建設にまわされ、残りは放置されて朽ち果てるに任されました。

 

入城門 ・ 入城門を入った所

城跡保存協会が設立されたのは19世紀の後半、ドイツ帝国が建国された後です。復興推進の為にコンサートやバザーなどのイヴェントが開催され、多数の支援者が訪れました。20世紀になってしばらくしてして城館の再建が終了し、城内に中世から近世の武器や甲冑、絵画、手工芸品、家具、硬貨、印刷物などが展示される博物館が設立されたのです。博物館は火災によって一度ほぼ完全に破壊されましたが、すぐに修復され、戦後の20世紀中頃からブルク城は真の観光地となりました。2014年に全面改修工事が開始されてまだ続いていますが、こんにち城館は観光客を引き寄せると同時に、地域にとって重要な収入源になっています。

 

城内の様子 1 & 2

 

城内の様子 3 ・ 城内のレストランのひとつ

城内で催されるイヴェントは次のようなものです。イースターマーケット、騎士のゲーム、歴史的な中世の市場、アドベントバザール、国際美術工芸市場、朗読会、コンサート、演劇など。年間約25万人が訪れます。さらにブルク城館は複数回、長編映画の舞台になったそうです。

さて、私が講演をしたデュッセルドルフは昔から日本の会社、そしてその駐在員が大変に多く、それに伴って数多くの本国レベルの和食レストランや食材店があります。いい機会なので、日本の食材に特化したスーパーマーケットで買い物をして、惣菜と寿司を販売するコーナーで昼食を買い求めました。帰路のアウトバーンのサーヴィスエリアに停め、寒いので車の中で食べました。飲み物はそのサーヴィスエリアで手に入れた紅茶です。

 

紅茶 ・ 稲荷寿司

 

鰻の握り ・ 鶏の唐揚げ

いずれも日本と同レベルの美味しさで、しばし祖国への思いに浸ったのです。

 

〔2024年1月〕

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カッツェンシュタイン城塞

2024年01月19日 | 旅行

カッツェンシュタイン(猫石)城塞は、11世紀に現在のバーデン・ヴュルテムベルク州に建造された城塞です。私の住むハノーファーから真南に500kmのところにあります。貴族の間で所有者が何度も代わり、17世紀中頃からは30年戦争などの争いに巻き込まれ、スウェーデン人やフランス人に攻略されたり、火災で破壊されたりしました。19世紀の初めから一時的にヴュルテムベルク王国の管理下に置かれ、その後約100年間の空き家状態から再び個人所有の城塞になりました。何度も所有者が代わり、その都度改装がなされ、その間市民に公開されたりされなかったりの繰り返しだったのです。ところが、20世紀の末頃に火災で部分的に破壊された後、閉鎖されました。21世紀になって数年過ぎたころ、ある夫婦が大改築を行い、城の一部を使って飲食店とお土産品売り場が営業を始めました。そして2016年からは宿泊客も受け入れるようになったのです。

  

城塞 1 & 2

  

中庭から登城門を望む ・ 拷問器

  

中庭に立って見上げる 1 & 2

この歴史的な記念建造物は、携帯の接続が非常に悪いド田舎の小山にそびえ立つ、こじんまりとまとまったお城です。たいてい写真を撮れないので私はどちらもパスしましたが、城内には博物館やガイド付きのツアーがあります。さらに〈体験城塞〉として、子供のためのアトラクション、中世の市場の再現、騎士の晩餐会、クリスマスの市、美術品市場などの催し物をしているようです。今日は天気のいい土曜日で、見学客と子供の体験客がほどほどにいます。

  

子供の体験 ・ 催し物のポスター

入城管理もしているお土産屋のおばさんが電話で知らせておいてくれたので、中庭まで行くと部屋の鍵を持ったお姉さんがこちらに向かって来ています。チェックインの手続きはなく、そのまま部屋に案内してくれました。宿泊客は私の他に3人だけだそうです。

私の部屋は、何だか落ち着かないくらいだだっ広いのです。部屋の壁の一部は城壁ですが、改装して間もないから騎士の血が染みついているようなことはないでしょう。

  

私の部屋 1 & 2

昼間から開いてるレストランは19時で閉まるとのことですので、17時半に行きました。面白いのは、それぞれの料理に名前が付いていることです。たとえば豚の腰部肉の料理は〈城塞女子皿〉。アンガス牛の料理は〈カッツェンシュタイン城塞の騎士たち〉。〈公爵夫人皿〉という名前が付いた料理はランプステーキ(牛の尻肉のステーキ)、といった具合です。名前と料理に何か関連がありそうな、なさそうな、、、。

  

中庭 と レストランの外観 ・ レストランの内部

小さなおばさんが出てきて、

「当ホテルに宿泊のお客さんですね。お部屋はいかがですか。」

「はぁ、結構です。それにしても広い部屋ですね。」

「はい、特に大きい部屋を用意しました。お客さんが何人奥さんを連れて来るか分からなかったので。ヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッ、、、、(笑)。」

こんな冗談を言うドイツおばさんは初めてです。

格式ばったレストランではないので変則的な注文をしました。ありがたいことに、ほぼ全部の料理に〈大〉と〈小〉があるので全部〈小〉にしたのです。

ひとつはこの地方の料理だという野菜の春巻き、ハーブソース添え。ドイツの春巻きとはどんなものか、興味があって注文してみました。形は小さめの普通の春巻きで、米粉の生地で野菜を巻いて揚げてあります。ベトナム料理に生野菜と海老を米粉の生地で巻いて食べるのがありますが、それを揚げたと思えばいいかな。ただ、米粉の生地を揚げると餅みたいな状態になって、ナイフで切りにくいし食べにくいですね。味は、、、、、まぁ、こんなもんでしょう。

  

ドイツの春巻き ・ フラムクーヘン

もうひとつは小海老とサーモンをのせたフラムクーヘン(極薄のピザみたいなもの)。生地がパリパリで軽く、魚介類の風味がして美味しいのです。

野菜を食べないと妻に怒られるので、ミックスサラダを頼みました。酸っぱくないヨーグルトソースが控えめにかかっていて、まぁ普通のサラダです。

  

ミックスサラダ ・ ビール

飲み物は定番のノンアルコール・ヴァイツェンビール。

中庭で朝食をとりました。田舎なのに牛の匂いが漂っていないのがいいですね。ごく普通の朝食ですが、自家製ジャムが数種類あります。昨日ちらっと来て冗談を言って去ったおばさんと、そのご主人が朝食の世話をしてくれます。城の持ち主だそうです。

 

朝食

「たくさん食べてくださいね。お客さんを飢え死にさせたくないからね。ヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッ、、、、(笑)。」

などと、よくしゃべるおばさん。

この城塞ホテルは経営者も使用人も気さくで明るいですね。子供と一緒に来て(大人同士でもいい)、中世ごっこをしながらその時代のことを学ぶのに大変いいと思います。

 

2018年6月〕〔2024年1月 加筆・修正〕

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホー ・ コェーニクスブルク城塞

2024年01月15日 | 旅行

フランス中部を流れるロワール川の流域にある古城は40年くらい前にいくつか訪れましたが、このブログを始めてからは初めてフランスのお城を見学しました。

アルザス地方にあるホー・コェーニクスブルク城塞です。フランス語では Château du Haut-Kœnigsbourg と書きます。シャトーなんじゃらかんじゃらブールと読むのでしょう。

  

模型 ・ 航空写真(ホームページより)

ドイツと国境をはさんで接しているアルザス地方にあるホー・コェーニクスブルク城塞は、12世紀に建造されました。標高約800mの高台にあり、この地域の交通の要所であるライン河の流域を見渡すことが出来ます。

 

城塞からの展望

城塞は15世紀の中頃に破壊されて半世紀後に再建されたあと、17世紀の前半までその全盛期を謳歌しました。ところが、30年戦争の時、スウェーデン軍に砲撃され、包囲攻撃され、略奪されて、ついには放火されました。そして城塞はほぼ200年の間無人のままでほっておかれました。

19世紀の後半、アルザス地方がドイツによって併合されたときに、この廃墟となった古城はドイツの皇帝 ウィルヘルムII世に贈与され、皇帝は8年の年月をかけて完全に修復してホー・コェーニクスブルク城塞を復活させたのです。

ドイツが敗戦国になった第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約で、城塞はフランス共和国の所有になり、〈国の城塞〉という地位を得ました。第二次大戦後にも修復され、知名度がだんだんと上がり、20世紀の末頃に完璧な修理と再開発が行われてフランスの文化財保護法の対象になりました。そして21世紀になってフランスのしかるべき法律により、城塞の所有権がこの地方の自治体に移ったそうです。

  

城塞 1 & 2

  

城塞 3 & 4

  

城塞 5 & 6

  

城塞 7 & 8

 

城塞 9

車でどんどん山に登っていくと、そのてっぺんに巨大な城塞があります。その入口の近くにカフェと簡易食堂を合わせたような飲食店があるので、昼食をとることにしました。さすがアルザス地方の観光地らしく、英語とドイツ語が良くできるフランス人お兄さんが注文を受けてくれます。フランス食はよく分からないのでいろいろ説明を聞いて、温かい野菜のトルテを注文しました。食にうるさいフランス人の店だからか、それとも一般に食が美味しいワインの産地の店だからか分かりませんが、やさしい味で旨い。調理したと思われるフランス人おばちゃんが

「美味しいですか?」

と、ニコニコしながら客に訊きまわっていました。

  

野菜のトルテ ・ ミネラル水

飲み物はガス入りミネラル水でしたが、食器の返却口でプラスティック製コップの保証金として1ユーロ返してくれました。〈プラスティックを捨てない〉という世界的動きに適合する方式なのでしょう。

ホー・コェーニクスブルク城塞は見晴らしが良い立地だし、有名な観光地としてはあまりごった返していなくて結構です。安くない入場料ですが、内部はかなり広くて内装と家具類が素晴らしいということなので、興味がある人は時間をたっぷりかけて一日がかりで見学するのがいいと思います。(私はしませんでしたが、、、。)ガイドによる説明やオーディオによる説明が充実しているようです。

 

2018年6月〔2024年1月 加筆・修正〕

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする