お城でグルメ!

ドイツの古城ホテルでグルメな食事を。

リード の ホテル

2021年05月29日 | 旅行

Read´s Hotel はドイツ国内でもないし城館ホテルでもない。スペインはマジョルカ島にある、ルレ・エ・シャトーのホテルグループに属するホテルである。

 

  

 

客室からの景色 1 & 2

 

この、サンタマリア・デル・カミという村の郊外にある リードのホテル に4泊した。この村は海岸から高速道路を20分程内陸に入った平地にあり、ワインの産地である。周りにはブドウ畑に加えてアーモンド農家の畑が広がり、アーモンドの花がいっせいに咲き乱れる2月はさぞ見事であろう、と察せられる。背後に山岳地帯を控え、雪をかぶった山々が見えて素晴らしい景観だ。

リードのホテル“ はスペインの島に在りながら英国のマナーハウス (荘園領主の邸宅) の雰囲気に満ちているのだが、それには訳がある。

 

 

 

外観 1 & 2 

 

1988年にロンドンの弁護士リード氏が500年前に建てられたこのマナーハウスを買ったとき、完全に腐朽していて倒壊寸前だったそうである。それを7年かけて修理改装し、2万平方メートルの庭の真ん中に位置するマナーハウス・ホテルとして1995年に開業した。特にユニークなのは、全館いたるところに置かれたアンティーク家具と古美術品を並べたショウケースである。まるで小さな博物館に迷い込んだ気分にさせられる。もっとも、古美術が全く分からない私の目から見ても本当に芸術的価値がありそうな品と、ただ古いだけのガラクタがあり、まさに玉石混交の状態であるのだが、、、、、。おそらく、70歳代後半と思われるリード氏は際立った骨董品及びガラクタ収集家で、その収集品をロンドンの家に納めきれなくなってこの地に大邸宅を求めたのではないか、と勘ぐってしまいそうだ。 

  

 

 

ショウケース ・ サロンの壁に埋め込まれたショウケース

ここには3代にわたる家族が皆住んでホテル経営をしているようで、レセプション、フロア、レストラン、バーなどで家族の一員によく会う。リード夫妻が旧知の宿泊客と話し込んでいるのをしばしば目にする。7歳か8歳ぐらいの女の子を見つけて、

『あれ、このホテルは12歳以下の子供は泊めないそうだが、、、、』

と思っていると、リード氏の孫娘であった。その他家族の構成員として小さな犬と猫が2匹ずついて、フロアやバーをうろついていたり寝転んだりしている。さすがによく躾けているらしく、扉のないレストランの入り口までは来るが決して中には入ってこない。猫は毎日違う骨董家具のソファーや椅子の上で昼寝をしているのを見かける。名前を聞いたのだが、1匹の犬の名前以外は忘れてしまった。その脚の短い茶色の犬は „ミスター・ブラウン“ という。このホテル一番の人気者だそうだ。

 

サロン 1 & 2

すでに述べた家族のメンバーの他に、50人のサーヴィス・スタッフが居るそうである。ダブルの客室が23しかないので、単純計算して客一人にスタッフがひとり付くことになり、超高級ホテルの条件を満たしている。

しかしながら、他の5つ星ホテルでは決してないと思われる欠陥がいくつかあった。これもユニークだと言えば言えるかもしれない。まず、部屋に冷蔵庫がない。その代わりに 〈ルームサーヴィス24時間〉 をうたっているのだが、何かと不便である。事務机にスタンドがない。テレビのプログラムを置いていない。その上、戸棚に靴ベラ、靴磨きキット、それに衣服用ブラシが見当たらない。登山用の厚手のワイシャツを2枚クリーニングに出したのだが、仕上がりを見ると湿っているのである。多分、蒸気アイロンをかけてすぐにビニールの袋に入れたのであろう。そのワイシャツであるが、認識マークをホッチキスで留めてあるのにはいささか驚いた。例えば絹のドレスも同じ様に標識をつけるのだろうか。

この様な比較的些細な不備はあるけれども、すでに述べた特徴の他、椰子の木に囲まれた屋外プールとテラス、フレスコ壁画でエキゾチックな雰囲気を醸し出している屋内プール、充実したビューティー・サロン、そして後述するレストランを有するこのホテルは、まぎれもない超高級ホテルであると思う。もうひとつ特筆すべきは、 „スルタン・スウィート“ と呼ばれる特別室で、100平方メートルの広さを持ち、まさにアラビアンナイトの世界である。

 

屋内プール ・ 庭 と 屋外プール

 

私たちの部屋 1 & 2 

このホテルのレストランはミシュラン1つ星であるのだが、グルメの島として知られたマジョルカ島のレストランの中でNo. 2、ホテルの中にあるレストランとしてはNo. 1 の評価を得ている。中に入ると、まず柱が高い天井でアーチ型につながっているのと、壁に大きなフレスコ画が描かれているのが目に入る。フレスコ画はともすればキッシュ(まがい芸術)になり易いと思われるが、色が淡いからか、それを免れているようだ。昔はオリーブの搾油所として使われていた空間だそうで、全体として何となくアラビアの雰囲気を漂わせている。

 

レストラン ・ 中庭

さて、このレストランで4回ディナーを食べたわけだが、そのうちの1回は „シェフのテーブル“ を予約して、我々二人だけの特別メニューを作って貰った。„シェフのテーブル“ は厨房のほぼ真ん中の壁際にあり、全体がガラスの仕切りで囲まれている。最大6人掛けであるが、今夜は妻と私の2人だけだ。まず私たちのところに挨拶に来たのはこの厨房で2番目の地位にあるドイツ人で、時々来て質問に答えてくれるそうだ。料理長はイギリス人で、少し後で挨拶に来てくれたが、英語があまり得意でない私達の世話は部下に任せたようである。ソムリエのおじさんが、このコースでは各料理にそれぞれ違ったワインを1杯ずつ出すことにしているがそれで良いか、と訊きに来る。各品に1杯というと、、、10品のコースだから、、、、10杯か、、、。とっとっとんでもない。ということで適当に減らしてもらったが、結局5種類のワインを口にした。(グラス5杯飲んだ、ということではない。)専属のウェートレスはコック次長の奥さんと思われるドイツ人で、持ってきた料理をその都度説明してくれる。

ということで、最初の料理である。

前菜はこの島で取れた海老のカルパッチョで、きゅうりとマンゴーの極細切りが添えてある。

続いて、鰻のトルテにトリュフクリームをかけて緑菜を少し添えた料理。

実は別の日に „シェフのテーブル“ を予約していたのであるが、その日は客が10人に満たなく厨房が暇で面白くないだろう、ということで今夜に変更してくれた。今夜の客は30人くらいだそうだ。それでも夏の60人に比べると少なく、調理スタッフも夏の3分の2に当たる6人である。ドイツ語、英語、スペイン語が飛び交うが、必要最低限の会話だけで皆それぞれ受け持ったパートを黙々とこなしている。一番口数が多いのが料理次長のドイツ人で、注文を通したり若いスタッフにいろいろ指示を出している。少し手が空くと我々のところにやって来て相手をしてくれるのは嬉しい。

3品目は燻製の鳩肉にテーブルでフォアグラスープをかけてくれる。未熟ブドウの酸味をきかせているのが良い。

そして野生茸のリゾットの後魚料理が2皿続くのであるが、大西洋ダラとイシビラメである。大西洋ダラは蜂蜜レモンのゼリーに包み込んで、上に砕いたアーモンドがかけてある。マリネードに浸けたイシビラメはアボカドとレモン草の香りで食べさせてくれた。

料理スタッフはよく組織された家庭的チームワークの中で動きに無駄がなく、リズムのある仕事ぶりである。イギリス人の料理長は殆ど口出しせずに、一番大事な自分のパートに専念している。

肉料理の一つ目は子牛のフィレで、トウモロコシの粉で作ったポレンタ、小さな甘いニンジン、そして栗が添えてある。次の肉料理は雄牛の頬肉の煮込みにえんどう豆クリームをかけて、豆の付け合せと供された。

隣接するバーでの接客を担当しているというリード氏の長男が時々厨房にやって来るのだが、通りがかりに 「いかがですか?」 と、声をかけてくれる。

続いてデザートだが、これも2品ある。女性のパティシエが1人で仕事をしていて、他の誰も手を出さない。デザート部門は厨房の中のガラス壁で仕切られた一角にある。

まず、パイナップルのラザニアにココナッツアイスクリームとコショウ味のタフィー(砂糖とバターを煮詰めた菓子)だ。そしてバジリコ風味のチョコレート。正直なところ、こんなに沢山デザートは要らない。甘味がほんの一口あれば十分なのだが、、、、。やっとデザートを2品食べ終えたら、サーヴィスだといってもう一品デザートを出してくれた。その後エスプレッソを頼んだら一口菓子がどっさり添えられてきたが、殆ど残してしまった。

ところで、レストランの30人の客にほぼ料理が出てしまった後で非常に印象深い事が起こった。

調理スタッフが皆、それぞれ自分が使った調理台などを一心不乱に磨き上げるのである。調理そのものよりも一生懸命にやっているように見えるのは、穿ち過ぎだろうか。料理長自身も下の人に任せるのではなく、自分自身で熱心にゴシゴシやっているのである。料理長はその後で他の者がやった後をチェックして、納得が行かない場合は自分自身でやり直していた。仕事で使った後をきれいにするのは当然であるが、これ程気を入れてやるとは、、、、。いささか意外であった。

食事は確かに美味しかった。今まで我々が食したミシュラン1つ星の中で最高であると思う。しかし „シェフのテーブル“ はもう十分だ。やはり妻も私も、客としては舞台裏の生々しい現実を知らずにただ料理の味だけに酔いたい、ということで意見が一致した。

„シェフのテーブル“ の勘定はもちろん部屋につけて貰うのだが、その請求書にサインをするときに、我々はワインを余り飲まなかった、という理由で値引きしてくれる由を聞いてびっくりした。その上、翌日の夕食のときに飲んだワインは無料にしてくれたのである。細かいところにサーヴィスの心を持っているのは、家族経営の小さなホテルの長所であろう。

帰路にはホテル・空港間に高級リムジン車による送迎サーヴィスがあった。決して安くはない部屋代に含まれているのだ、といえば確かにそうなのであろうが、客として丁寧に扱われているようで気分が良い。

Hannover から航空機で直通2時間の地中海の島。これが最後の訪島でないことは確かである。

〔2009年1月〕〔2021年5月 加筆・修正〕

 

 

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ポレ城砦

2021年05月25日 | 旅行

ハノーファーから車で1時間のところにある、ヴェーザー川沿いのポレ城砦を訪れました。約25mの高さの岩上に残る廃墟です。ここに来たのは、久しぶりに渡しフェリーに乗りたかったからです。徒歩だとひとり50円でごく短い乗船時間ですが、妻も私もこののんびりした雰囲気が好きなのです。

 

民家の壁に描かれた昔の絵

 

渡しフェリー ・ 城砦から見る渡しフェリー

ところでこの城砦、昔は上城と下城がある大きなお城であったようですが、今は幾つかの建物や城壁の廃墟と、かつて望楼であった高さ約20mの丸い塔が残っているだけです。現在武漢肺炎のせいで閉鎖されていますが、本来は入場料を払って内部と付属の博物館を見学できます。

 

渡しフェリーから見る城砦 ・ 対岸から見る城砦

ポレ城砦の存在は1285年の古文書に初めて書かれていますが、建造されたのは1200年だろうと推測されているようです。その後この地方の伯爵の力関係により何度か所有者が代わり、17世紀前半の30年戦争のときに侵略した軍隊によって略奪されました。そしてその後すぐにスウェーデン軍の砲弾攻撃を受け、粉みじんにされて燃え尽きたのです。17世紀後半になって下城の再建が始まった一方、上城は廃墟のままに残されました。下城はヴェーザー・ルネッサンスの様式で再建されて地方の役所になったのですが、第2次世界大戦の末期に破壊されてしまい、残っているのは紋章で飾り付けられたルネッサンス様式の表玄関だけです。そして20世紀の後半に廃墟の大規模な修繕と修復が行われ、今世紀の初めには考古学的な発掘もなされました。現在、特に毎年夏には演劇や市場やコンサートなどの文化的催しがお城の中庭で開かれます。中でもグリム童話のシンデレラが上演されるのは、ポレ町が 〈シンデレラの故郷〉 だからだそうです。

 

表玄関と城砦 ・ 城砦 1

  

城砦 2 & 3

さて、中共コロナウィルス蔓延のせいでレストランが閉まっていましたが、ほんの数日前から屋外のテラス席に限り営業が許されるようになりました。しかし食事をするには、町の複数個所に設置された検査センターで発行してくれる 〈テスト陰性〉 の証明書が必要です。たかが外食の為にそんな面倒なことをするのは嫌なので、夕食は自宅に帰ってからです。

 

鴨のロースト with レモンソース

鴨のローストwithレモンソースを作りました。鴨肉は、鉄のフライパンで皮面を低温でじっくり焼いて皮の油分を出してしまいます。そしてフライパンごとオーブンに入れて150度で30分焼きます。今回は椎茸とプロッコリを一緒に焼きました。ソースは、水に砂糖をたくさん溶かして火にかけるとブクブク言って固まり出します。それにレモン汁と普通の酢を入れてかき回しているとそれが溶けていくのです。そこに醤油を少々加えて出来上がりです。フライパンごと食卓に出すと鉄板焼きの風情です。美味しくいただきました。

[2021年5月]

 

 

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城館ホテル ミュンヒハウゼン

2021年05月23日 | 旅行

2004年のクリスマスを含む34日を、城館ホテル・ミュンヒハウゼンで過ごしたのだが、その時の印象が良かったし、レストランでのクリスマスディナーも朝食も美味しかったので、この週末に1泊した。

 

  

 

城館 1 & 2

 

このホテルは、当地ハノーファーから1時間余りで着くヴェーザー山地に位置する、笛吹き男の話で有名なハメルンの近郊の村にある。起伏に富んで小川が流れる公園とバロック庭園を持つこの城は、16世紀の後半に建設が始まり、今はゴルフ場に挟まれる形で在る。1715年にはロシアの Zar Peter der Große(ペーター大皇帝)が、当時ヨーロッパ最大の植物コレクションとパイナップルの温室栽培に興味を持って訪れた、とのことである。その後城内礼拝堂が建てられたりしてこの地方の文化の中心となっていたが、1985年に最後の住人が城を離れ、1992年には火災で破壊されてしまった。そして2004年に5つ星ホテルとして開業するまで、廃墟のままであったそうである。そういえば、1990年代に偶然通りかかったときには中庭にゴルフのカートが止めてあったりゴルフをする人が行きかっていたが、庭園は荒れたままであった。

 

  

 

庭園 1 & 2

 

開業して4年間ずっとミシュラン1つ星を保持しているこのホテルのグルメレストランで食事をするのだが、今週末はシーズンということで、トリュフ(セイヨウシュウロ)づくめのメニューである。

まず暖炉がある騎士の間でアペリティフを飲み、フィンガーフッド(カナッペ)を食しながら、今夜の „ワイン旅行“ のワインを供するイタリアはアルバ地方の醸造業者を紹介される。それから皆レストランに案内されるのだが、いかにも城館らしい装飾と家具で設えた空間は比較的小さく、中くらいの大きさのテーブルが2つと小テーブルが6つしかない。もちろん、トリュフを堪能しようという客で満席である。

騎士の間

我々のテーブルは2背面が壁に面している少し奥まった位置にあり、居心地が良い。隣のテーブルには、醸造業者のイタリア人とドイツ人のワイン輸入業者とハノーファーの隣町でワインの小売業を営むドイツ人が座っている。

最初に厨房からの挨拶として、子牛のタルタルステーキにウズラの卵黄をのせてその上にトリュフの極薄切りをパラパラとふりかけ、それをトリュフマヨネーズで食べさせる一品が出た。

そして5品コースはイセエビカルパッチョのペリゴルド・トリュフと葱クリーム添え、で始まった。

2品目は白トリュフのラビオリにほうれん草と温泉卵黄を合わせてバターソースで食べさせる料理だ。

次はアンティチョークのフランとトリュフの組み合わせで、シナモンと焼いた一口大の鶏肉が加わる。フランの量が多くて、この辺から少し満腹感が出て来てしまった。

主菜は、トリュフの入ったカボチャのタルトとバラ色に焼いたノロジカのメダイヨン(円形のステーキ)に野草のつけ合わせだ。

最後のデザートは黒トリュフをはさんだカマンベールチーズ、そして上に白トリュフを散らした茹でポテト、さらにイチゴ系のフルーツを煮込んだソースであったが、デザートとしては重すぎて不満が残った。

その後、スプレッソといろいろな種類のトリュフ(この場合は、球形のチョコレート)で締めくくった。

ワインは食前酒から始まってデザートのマスカットワインまで6種類を味わったが、コクのあるワインが多く、それがトリュフを使った料理によく合って、トリュフというのは料理の味を濃厚にすることを初めて知った。イタリアのワイン醸造会社の人は我々のテーブルにも挨拶に来て話をする機会があったが、彼の会社は日本とも取引があり、すでに10回程訪日したそうで、行ったことのある都市を嬉しそうに数え上げた。

このコースで特に美味しいと思ったのは、パンである。直径5cmくらいの数種類のパンが供されたのであるが、変わったところでは、白トリュフ入り、黒トリュフ入り、そしてフォアグラを中に包んだパンがあった。パンは通常のバター、トリュフ入りバター、トリュフ入りマスカポーネ・チーズ、または海塩をつけて食するのだが、妻と私には黒トリュフ入りパンをトリュフ入りバターで食べるのが一番美味しく、このようなコースの食事では殆どパンを食べない私もつい5個も食べてしまった。

我々の部屋の一角

この城館ホテルには後日談がある。

家に帰ってすぐに、妻が真珠のネックレスがケースごと無くなっているのに気がついた。持って帰った荷物の中にないとすればホテルの部屋に置き忘れたに違いない、、、、。

そうしているうちにホテルから連絡があり、忘れ物があるという。こちらに送ってくれるよう頼んだけれども、ホテルの別館がハノーファーに在るので、安全のために、そちらに行くことがあるときに持って行く、と言っていたが、2日後にその別館の従業員が自宅まで届けてくれた。妻は感激してこのホテルのファンになるそうである。

今までの経験から、ミシュラン1つ星を持つレストランは2つ星や3つ星との差が大きく、『何か物足りない。』と感じるレベルが多いけれども、ホテル・ミュンヒハウゼンのグルメレストランは大変に満足できた1つ星レストランのうちのひとつである。我々の „常連になりたいホテルリスト“ に加えることにする。

〔2008年12月〕〔2021年5月 加筆・修正〕

                                                                                                          

 

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トレムスビュッテル城

2021年05月21日 | 旅行

ハノーファーから7号と1号アウトバーンでハンブルクへ走り、市街地に入る手前で北東に方向を変えてしばらく行った後、キールに向かう21号アウトバーンに乗り換えてすぐに18番出口で下りると、トレムスビュッテルである。ハンブルクの総領事館に新しいパスポートを取りに行く機会に、この村にある城館ホテルに2泊することにした。

 

村の中心部にトレムスビュッテル城ホテルはある。ハンブルクから北北東40kmのところだ。北ドイツなので当然と言えば当然であるが、平地である。入り口の門を入ると、高い木々がそびえる芝生の中庭を囲むように、U字型の石畳の道がU字の底の部分にある城の玄関へと導き、そのまま進むと出口の門へと続いている。灰色っぽい、真ん中に尖塔のある、童話に出てくるような城である。

 

  

 

入口の門 ・ 正面

 

築後200年を越すこの城は最初デンマークの官庁舎であり (昔この地はデンマーク領)、その後狩猟用離宮となって、18世紀の末から19世紀には大勢の詩人や文人が集う ドイツの精神生活の中心“ であった20世紀半ばにホテルになり、1960年代と70年代に全盛期を迎えたようである。過去の宿泊客の中には、映画関係ではクラウス・キンスキーやソフィア・ローレンの名前も見える。この二人が泊まった部屋はそれぞれキンスキーの間ソフィアの間“ と名付けられている。音楽関係では、レオナルド・バーンスタイン、ビートルズ、そしてローリング・ストーンズなどが泊まったそうだ。おそらく、ハンブルクでのコンサートの後、都会の喧騒とパパラッチを避けてこの牧歌的な村のホテルにやって来たのであろう。

 

ホテルに予約を入れたとき城館の方は満室だということだったので、アカデミーと呼ばれる別棟に部屋を取っていた。城館より新しい建物で、入ると螺旋階段のあるフロアがあり、1階にある4つの部屋の1つに案内された。ダブルルームのシングルユースなので比較的広く、天井は真っ白、壁は濃いクリーム色である。ドアと家具は白で、籐製の椅子と安楽椅子が1つづつある。簡素で清潔であり、部屋にも浴室にも必要なものは全部揃っているのだが、何というか、、、室内装飾に遊びがない、意外性がない。私は非日常性を求めてホテルライフを楽しみたいのだが、こういう部屋は何となく物足りない。が、何はともあれ静かなのがよろしい。秋の風にそよぐ木々の葉音、それに時々響く時計塔の控えめな鐘の音しか聞こえない。

  

私の部屋 1 & 2

レストランは城館の中にある。小さな部屋で、真ん中に下がるシャンデリアの下に丸テーブルがあり、ユリ主体の花束を生けた大きな花瓶がのっている。その周りに2人掛けの小さなテーブルが7つ、そして壁がん (壁の小さな拡張部分) に1つある。壁の下半分は彫刻を施したチョコレート色の板張りであり、大きな食器棚も椅子もテーブルも全部チョコレート色だ。壁の上半分は白色で古い絵が何枚もかかっているし、シカ科の動物の首の剥製もある。古城ならではの落ち着いた重厚な雰囲気を醸し出している。金曜日は結婚式があり、昨日の日曜日は何か催し物があって賑やかだったが、今日は昔の納屋を改装した建物で18人の客が料理教室に参加していて食事もそこでするので、レストランの客は私1人だそうだ。

初めのうち、場違いなデキシーランドやモダンジャズが聞こえていたが、そのうち何も聞こえなくなった。ウエーターが時間を見計らって時々やって来るが、キャンドルライトで私が食事をする音以外は全く何も聞こえない。

レストランにはコースメニューはなくて、ア・ラ・カルトである。まずシェフからの挨拶として、春雨、キュウリ、ニンジンにバルサミコをかけたサラダに、茹で海老が1匹乗って小皿で出てきた。

私が注文したのは、前菜として、ラタトュイユ (Ratatouille) に、細かく砕いたヘーゼルナッツをレモン汁に混ぜたマリネードに浸けたザリガニを沢山のせた料理。クリームが添えてある。ラタトュイユとは、油で炒めた玉葱に、茄子、ズッキーニ、パプリカ、少量のトマトに、塩、コショウとマヨラナ、タイムといった香辛料を加えて煮込んだ、もともとは南フランスの野菜料理である。夏には、この前菜のように、冷やしてサラダとして食することもあるそうだ。

主菜は、カラメルで着色した葉野菜にのせたピンク色に焼いた鴨の胸肉とローマ風ニョッキ。

そしてデザートに、球形のアイスクリームをクロカントミュースリにまぶして、バニラ風味の泡にのせたスイーツを食べた。

全体的に上質の家庭料理を少し繊細にしたような料理で、結構美味しかった。

レストランに隣接してアップライトのピアノを置いたバー・ラウンジも、サンルームになったカフェテリアもあるのだが、人がひとりも居ない。月曜日というのはいずれにしてもホテル客の少ない曜日であるそうだが、私の部屋がある別棟は真っ暗で、ここに宿泊しているのは私ひとりのようだ。耳を澄ましても人為の音がまったく聞こえない。静けさを求めてやって来た私にとっては、実に好ましいことだ。

次の日朝食に行くと料理セミナーの参加者はすでに居ず、中年のウェイトレスから、他に個人で泊まっている人は居ないので私が最後の客だ、と聞く。またしても一人で食事をすることになったのだが、レストランとは違う部屋で、使っている木の材質がレストランのそれより落ちるが、古城の雰囲気が満ち満ちていてすこぶる良い。大きな窓からは広大な庭園が見える。朝食は大きなホテルでよく見られるビュッフェ式で、10数枚の大きな皿に、ハム、チーズ、スモークサーモン、トマトとキュウリ、モツァレラチーズなどが並ぶ。各種のミュースリとヨーグルト。暖かいものでは、スクランブルエッグとベーコンとゆで卵がある。多種多様なパンが並び、飲み物は、コーヒーと、紅茶や緑茶などのお茶と2、3種類のジュースがある。給仕のおばさんと話していて、今夜の宿泊客は私一人だと聞く。この立派な城館とその他の建物、そして庭園が、今日は私一人のために存在するのだ。何だか気の毒な気がする。それで、おばさんに提案をしてあげる。明朝は9時に朝食を食べる。小さなパン1つとハムを少し、キュウリとトマト、それに紅茶とオレンジジュースがあればそれで充分なので、他のものは用意しなくて良い、と。

2日目の夜レストランに行くと、予約しておいたにもかかわらず、1人分に設えたテーブルがない。給仕の男性が来た。

「こんばんわ。どこに座ったらいいですか。」

「今日は違う部屋、例えばサンルームで食事をするというのはいかがですか。」

と言って庭園に面したサンルームに案内してくれ、キャンドルライトをつけてテーブルをセットしてくれる。サンルームは壁も丸天井もガラス張りで、城館の外壁の装飾がよく見える。音楽はイージー・リスニングの静かなピアノ曲だ。少しでも昨晩と違った夕食にしてくれようとしているのが分かって嬉しい。

付出としてチコリとサラダ菜にスモークした鯖が出たが、ソースが少なすぎて残念ながらあまり美味しくない。

今夜は、多くのレストランで食べられる、いわゆるスタンダードナンバーを注文してみた。どんな仕掛けをして出してくるか、知りたかったからだ。

前菜は松の実と削ったパルメザンチーズをかけた牛肉のカルパッチョ。普通の出方と違うのは、全体に小さく刻んだサラダ菜がのせてあり、その上に粉雪のように細かく削ったパルメザンチーズがかけてあることだ。そして、オリーブ油の代わりに甘めのバルサミコをふってあること。美味しい。

主菜としてホタルジャコ (Zander) を食べた。魚の骨なし切り身を皮の側からだけ焼いてクリームを混ぜたザウアークラウトの上に乗せ、茹でポテトを添えてある。ホタルジャコの皮がパリッと焦げていて、口中の感触が良い。そして魚肉はそのエキスを蓄えている。ドイツのシェフは一般に、少し古い魚を使うことがある、ということを含めて魚の調理が下手な人が多く、私も注文してがっかりすることが度々あるのだが、今日は思い切って魚をオーダーしてよかったと思う。クリームを混ぜたザウアークラウトは刺激的な酸っぱさがマイルドになっていてよろしい。

デザートはエキゾチックな果物とシャーベットのヴァリエイション。名前どうりの物が出たが、10種類くらいの色鮮やかな南国の果物のスライスが沢山敷かれ、シャーベットの上にはアメ細工を刺してあり、見た目も鮮やかなデザートである。

ありきたりの料理を注文してみたが、期待をはるかに上回る満足感を得られた。

ウェイターのお兄さんに、意外にも城の庭園の一角にある日本庭園と称するそれらしき庭について話しかけると、地下にはチャイニーズ・バーとアフリカン・バーがあるという。面白そうなので食事の後で見せてもらうことにした。チャイニーズ・バーは真赤で小さめの中国風の絵が沢山描いてある壁紙だ。カウンターには中国磁器や大きな仏陀の置物がある。アフリカン・バーはテーブルと椅子がこげ茶色で、椅子の背もたれは皮。壁は白で絨毯をかけてある。どちらもそれなりに雰囲気が出ていて面白い。なぜアジアとアフリカなんだ、という質問にお兄さんは答えてくれた。何でも、この城の所有者は生前外交官でアジアやアフリカに赴任していたそうだ。今はその夫人が所有しているホテルだが、その時代の影響であろうと。

ホテルの庭園は82.000平方メートルもあり、城館と共に文化財保護の対象になっているそうだ。ここには小さなボートの係留設備と噴水をもつ不規則な形をした池があり、いくつかの木の橋がかかる小川が流れる。

 

裏の庭園 ・ 裏面

出発の日に朝食に行くと準備をしていない。あれっ、と思っているとフロントデスクの女性がやって来て、またあのカフェテリアに案内してくれる。そこに昨朝言っておいた朝食を質量共にはるかに上回る朝食が用意されていた。

「言っておいたよりも、ずっとすばらしい朝食ですね。ありがとう。」 

「はい、選択の余地があった方がいいかと思いまして、、、、。他に何かお望みのものはありませんか。」

うれしい配慮である。

ところで、私はホテルを利用するときは3つのホテル・グループを使い分けている。ひとつはリングホテル・グループで、これはドイツ国内だけが対象になっており、スタンダードレベルのホテルが大半である。もうひとつはロマンチックホテル・グループ。これはヨーロッパのホテルがメンバーになっていて、高級レベルだ。そしてルレ・エ・シャトウ・グループで、主にフランスやドイツを始めとするヨーロッパのホテルだが、世界中にデラックスホテルのメンバーがある。

 このトレムスビュッテル城ホテルは、文化財保護の対象となっている城館ホテルということで、少々特別扱いになってはいるが、リングホテル・グループに属するのである。以前泊まったこのグループのホテルが良くなかったのでそれ程期待はしていなかったのだが、驚きである。非常に良い印象を持って家路についた。

〔2008年9月〕〔2021年5月 加筆・修正〕

                                                                                                                   

 

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シュヴァルツェンシュタイン城

2021年05月16日 | 旅行

ほとんど全行程で南から北に向かって流れるライン河が、マインツとビンゲンの間約35kmをほぼ東西に流れる。この区間は両岸の後背地が丘陵で北側の斜面は南からの太陽光線が真正面から当たるため、ラインの流域で最も高品質といわれるワインの産地となっていて、ラインガウ地方と呼ばれる。特に、リュウデスハイムという町はよく知られていて、ライン下りの観光船は必ず寄港をする。ワイン・バーが軒を連ねる石畳の路地が入り組んだダウンタウンは、少々観光ずれしている感があるが、それなりに楽しめる。

 

リュウデスハイムの東隣にガイゼンハイムという、やはり良質のワインで有名な町があるが、この町の中心部を丘の頂上に広がるライン・タウヌス自然公園に向かって抜けていくと、ブドウ畑に囲まれたシュヴァルツェンシュタイン城、すなわち黒石城に着く。

 

 

敷地への入り口付近からレストランを見る

 

城といっても本来の城郭は殆どなく、今は、廃墟の一部を修理して建て増しした建物と別のレストランから成るホテルになっている。お城には広くはないが地中海地方を思わせる公園が付属していて、所々に、文化財保護の対象になっている200年の古さを誇る城壁が残る。敷地が広くなく城郭もないので城塞ホテルとしての雰囲気は不十分であるが、緩やかに下降する広大なブドウ畑とその向うをゆっくりと流れるライン河を見下ろすテラスからの景色は、またとない味わいである。

 

 

シュヴァルツェンシュタイン城 と 葡萄畑 1 & 2

 

以前南ドイツのホテルで、城の塔を改装した部屋に泊まったことがあって、上り階段のきつさ以外は大変満足したので、このラインガウのホテルでも “城塔ルーム“ を予約していた。しかし、このホテルのそれは全く構造が違った。何しろ、背の低い直径の小さい円柱形の塔があるだけで、中に部屋を造るスペースはない。どうなっているかというと、塔の外壁が部屋の壁の一部になるように建て増ししているのである。広くはないが、部屋の中に2、3段の階段が2箇所にあるモダンな造りの部屋は立体的なイメージを醸し出しているし、黒っぽい石造りの塔の外壁は良いアクセントになっている。モダンな黒檀の家具は暖かいクリーム色の部屋に上品に調和している。浴室もクリーム色の大理石で、ガラス張りのシャワーがあり、黒っぽい木材の浴室家具とクローム製の付属品がいい感じで、何よりも使い勝手が良い。

 

 

私たちの部屋 1 & 2

 

レストランはラインの谷に面した側が前面ガラス張りで、緩やかな谷を見下ろす景色がすばらしい。当地では “デザインレストラン“ と表現するモダンなエレガントな雰囲気で、古典的フランス料理を現代風にアレンジして出す、そうだ。“そうだ“ というのは、どこがどうアレンジされているのか、私にはよく分からないからだ。古典的フランス料理が、クリームやバターを沢山使った重い料理であることは想像できるのだが、、、、、。

 

とりあえず、コースメニューはサケマスの燻製にパイナップルの薄切りがのったのを西洋ワサビで食べさせる料理で始まった。次が、ホタテを軽くあぶってグリーンアスパラ添え。これをオランデース・ソースで食べさせる。続いて、赤バーブ (鯉の種類) にパプリカと煮込みニンジン添え。そして、鴨の胸肉にチコリとアンズダケの組み合わせ。5品目は、ノロジカにキャベツの付け合せとレバーに詰め物をして焼いた料理だ。最後にイチゴを使ったデザートがあり、それなりにすべて美味しかったのだが、特に驚いた、もしくは感激したコース調理ではなかった。

ワインは、“ワイン旅行“ と名づけられた、一種のお遊びをしたのだが、これには少し驚いた。ソムリエが、コースの6品それぞれに、その料理に合ったワインをグラス1杯ずつ出してくれるのである。有名なラインワインの産地ではあるが、それにこだわってはいないらしく本当に料理を引き立てる他国のワインも飲ませてくれた。しかしながら、妻も私もアルコールはそれ程強くない。無理をしてやっと飲み干せたのは2杯目までだっただろうか。後は、ほんの少し舐めるだけで片付けてもらわざるを得なかった。残念である。

2日目はもちろん “ワイン旅行“ には出かけなかった。また、意外だったし残念だったのは、ここのコースメニューは3週間変わらないし、それがひとつしかないことだった。ミシュラン1つ星を標榜するレストランとしては、あるまじき事ではないか。シェフが我々のために前夜と違うコースメニューを作ってくれたけれども、食材がほとんど同じなので大きな差はないと感じた。

ここのレストランで特筆すべきは、2007年から毎年2月に開かれる „国際グルメ週間“ であろう。月曜日から土曜日まで、ドイツ国内や近隣国から6人の著名な、大抵はミシュランの星を持つシェフが毎日1人ずつ来て、この城のキッチンで腕を振るうのである。そしてハイライトは、日曜日の正装晩餐会。それは、別の7人のシェフが一堂に会して調理をするのであるが、2008年の例で言うと、それぞれのシェフが持つミシュランの星は合計10個とのことだった。この晩餐会では、シェフ達がそれぞれ1品ずつ作って7品のコース料理を出すという趣向であった。

 

ところで、私はこのような „お祭り“ は好まない。社交を好む人なら良いが、妻や私のような美味しい料理を食べたいだけの人間は、静かにゆっくり食事に集中したい。

一度だけ、ハノーファーで開かれた同様の催し物に参加したことがある。自宅から近いレストランで、ミシュラン1つ星のシェフが „コショウとワインの相性“ というテーマで味覚に及ぼす相互作用を楽しむ催しである。

19時からというので時間どうりに行くと、まだ殆ど誰も来ていない。シャンペンを振舞われて、展示してある各種のコショウと各地のワインを見る。30分程してゲストが少し集まったら、一口で食べられる付出をスープ用スプーンにのせてウェイトレスが客の間をサーヴィスして廻る。5種類ほどの付出が出たと思う。いつの間にかシェフがやって来ていて、何人かのゲストと談笑している。

「あれあれっ、シェフは今、額に汗してディナーの最後の仕上げをする時間ではないのかな?」

こうしてまた30分程過ぎた頃、大きな長テーブルに案内されて、自分の名札のあるところに着席する。まず主催者の挨拶があり、食事が始まるわけだが、全員に最初の料理が行き渡るのに少し時間がかかる。そして、シェフがその料理と使ったコショウについて説明を加え、ソムリエがそのコショウにあうワインについて付言する。これが5回くらい繰り返されるのだが、シェフが調理場に居る時間が非常に少ない。多分料理はすでに作り置きしてあって、暖めるだけになっているのだろう。ゲストの人数が多いので、サーヴィスに時間がかかる上、話が多くて料理が冷めてしまうし、自分のペースで食べられない。その後、調理場を見学させてもらって、別室のバーでコーヒーを飲んで、シェフに挨拶して帰ったが、何だか満足感が希薄だった。

やはり食事はひとりで又は妻と二人で、食べたい料理を注文して、我々だけのために作ってくれた料理を熱々で食し、偏見と独断で個人的評価をするのが良い。

 

〔2008年10月〕〔2021年5月 加筆・修正〕

 

 

 

 

 

 

 

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