お城でグルメ!

ドイツの古城ホテルでグルメな食事を。

ヘレンハウゼン城館

2020年12月31日 | 旅行

私の住むハノーファーにヘレンハウゼンという市域があり、そこでは複数の公園が隣り合っています。大庭園、丘陵公園、ゲオルゲン公園、ヴェルフェン公園、および植物学公園で、中でも大庭園はヨーロッパで最も大事なバロック庭園のひとつです。

そしてその公園地域の中心に位置するのがヘレンハウゼン城館なのです。

 

城館と庭園施設 1 ・ 城館と庭園施設 2

城館と付属の大庭園の歴史は、17世紀の前半にあった農場と地主の邸宅までさかのぼります。比較的小規模だった邸宅の建物は、時の流れとともにバロック様式で建築された城館となりました。18世紀の前半からハノーファー選帝侯国とイギリス連合王国は元首が共通する同君連合になっていたため、ハノーファーの侯爵たちはイギリスで王様として居住し、夏はヘレンハウゼン城館で過ごしました。それでこの複合施設は入念に手入れをされてきたのです。ところが、18世紀中頃に始まった7年戦争からハノーファーが王国に指定された19世紀前半まで、城館の整備は最小限でした。その後擬古典主義のスタイルに改築され、ハノーファーの王族であるヴェルフェン家の夏季の居城になりました。しかし第2次世界大戦終戦間近の時に爆撃を受けて完全に破壊されたため、戦後ヴェルフェン家は城館を付属の土地と共にハノーファー市に売却したのです。破壊を免れたのはお城の屋外階段だけで、それは後に大庭園に移築されました。

 

屋外階段 1 ・ 屋外階段 2

 

ハノーファー王家の墓所

ヘレンハウゼン城館は、今世紀も10年を過ぎる頃になってやっと、オリジナルの設計図に忠実に再建されました。そういえば当時メディアでたいそう話題になっていたのを思い出します。

 

城館と庭園施設 3 ・ 城館と庭園施設 4

 

城館と庭園施設 5 ・ 城館と庭園施設 6

城館と庭園施設 7

再建された城館の前面は擬古典主義様式ですが、その内部には多数の、柔軟な対応が可能な部屋が並んでいて、会議、セミナー、 ワークショップ、そして小さくとも上品な個人的祝典に最適です。

 

城館と庭園施設 8 ・ 城館と庭園施設 9 

 

城館と庭園施設 10 ・ 城館と庭園施設 11

 

城館と庭園施設 12 ・ 城館と庭園施設 13 

 

城館と庭園施設 14

さて、ヘレンハウゼン城館にはレストランもカフェもあるのですが、現在営業が禁止されています。なぜなら、武漢肺炎のせいでドイツ全土に完全ロックダウンが科されているからです。

そもそも今年は中共ウィルスのせいで、私たちは外で食事をすることを出来るだけ避けてきました。手の消毒、マスク、個人情報の提出などなど、面倒なことが多いこと、そして少しでも人が集まる所は (たとえごく僅かであろうとも) 感染の危険が高まることがその理由です。それで妻が自宅で、当地は日本に比べて (日本人にとって) 良い食材が少ないにもかかわらず、出来るだけバラエティーに富んだ美味しい食事を作ってくれます。

例えば、ある日の主菜は海老のオーヴン焼き。

 

海老のオーヴン焼き 1 ・ 海老のオーヴン焼き 2

市内のレストランのシェフたちが仕入れる食材スーパーで手に入れたアルゼンチンの赤海老を使いました。背ワタを取って背開きして、塩麹とワインに7時間漬けました。そして半数にグラナパダーノ・粉チーズを、残りの半数にデンマーク産のブルーチーズを載せてオーヴンで焼いたのです。この料理は、このほか日によってパルメザンチーズ、ネギとニンニク、タラコなどを載せて比較的頻繁に食します。どれも美味しいのですが、妻はグラナパダーノ・粉チーズ、私はブルーチーズが一番好きです。

 

ノンアルコールのロゼワイン

最近妻も私もアルコール飲料をほとんど飲まなくなって、もっぱらアルコール無しのワインを飲みます。それに加えて妻はカミツレ茶を、私は時々ノンアルコールビールを飲むのです。昨今はノンアルコールワインが美味しくなって来ました。私たちは、色々な醸造所の製品を白、ロゼ、赤と飲み比べて、私たちの味覚に一番合うのを選びました。それがこの写真のノンアルコール・ロゼワインです。少し酸味があって、たいへん良い食事のお供なのです。

地元にこんな素晴らしい城館と庭園があるのに、今まで、日本からのお客さんを案内して数回しか来たことがありません。特に夏、数個の大きな噴水が大量の水をふき出し、庭園が花であふれる時にもっと頻繁に訪れようと思った次第です。

 

[2020年12月]

 

 

 

 

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マリエンローデ修道院

2020年12月21日 | 旅行

マリエンローデ修道院は、私たちの自宅から南に30分ほど走った所にあります。私たちは付近の草原と林に延びる、その昔修道院に向かう巡礼者が歩いた道をトレッキングしました。

12世紀前半に創設されたマリエンローデ修道院は13世紀の後半までアウグスティノ会修道士が、そしてその後はシトー会修道士が営みました。19世紀初頭に行われた教会財産世俗化の後、修道院の御料地はヴェストファーレン王国の所有となり、その後数年の間に、ある役所の書記に賃貸された時期を経てヴェストファーレン王国の大蔵大臣に売却されました。そして19世紀前半のライプツィヒの戦いの後、軍の中将など多くの人物が次々に賃借して農場経営が営まれました。第二次世界大戦の後、農場の幾つかの建物は南ポーランドや東プロイセンから逃げて来た難民の住居となり、その中の一部の人々は修道院再設の話が持ち上がるまでそこに住み続けました。20世紀の後半に、農場を営んでいる賃借者と住人は引っ越すことを催促され、その後にベネディクト会修道女が入植してきたのです。

マリエンローデ修道院にはこんにち、カトリックの聖ミハエル教会とプロテスタントの小さな聖コスマス & ダミアン教会、そして巡礼参詣聖堂が属していて、修道院の東側にはマリエンローデ村の墓地があります。修道女たちは心霊修行所、ゲストハウス、キリスト教に関する書籍と雑貨の店を経営し、教会の用務員やオルガン奏者としての仕事をしているそうです。

 

修道院を外から見る ・ 正門 

 

正門を入ってすぐの景色 ・ 広場の周りの建物 1

 

広場の周りの建物 2 ・ 広場の周りの建物 3

 

広場の周りの建物 4 ・ 広場の周りの建物 5

 

広場の周りの建物 6

比較的小さな門を入ると広々とした空間があり、その周りを教会や修道院の建物や農場の納屋が取り囲んでいます。寒い日でしたが、複数の見学者が歩き回っていました。聖ミハエル教会ではちょうど葬式が行われていて、入り口の掲示板を見ると、送られる人は私と同じ年齢。さらに、職業も私の定年前の肩書 (社会的地位) も同じなのです。何だか妙な気分になりました。

 

裏門 ・ 裏門柱

 

建物の入り口 ・ 別の建物の入り口の上部 

 

農機具収納庫

さて、武漢肺炎のせいでこの国には現在完全ロックダウンが科されています。それでレストランやカフェの通常営業が禁止されているのですが、可能な店はテイクアウェイだけの営業をしています。

夕食に、私たちは自宅近くのレストランが提供する3品メニューのテイクアウェイを利用することにしました。このレストランは以前食べた時に美味しく、個人的にミシュラン星をあげてもいいと思ったレストランです。

メールでの注文で取りに行きたい日時を知らせると、確認のメールが来ます。取りに行く直前には、YouTubeにアップした作り方指南が届くのです。

 

紙袋 ・ 食材全部

受け取った二つの紙袋には、軽い味付けなどの下ごしらえをして真空パックされた食材が入っています。完成品のパンやデザートなどが入った紙の小袋やプラスチックの容器もあります。

 

パンとバター 1 ・ カボチャスープ

 

チジミキャベツ ・ 鶏

 

ソース ・ チコリ

 

赤キャベツ ・ ラヴィオーリ

 

デザート ・ プラリーネ

飲み物はもちろんメニューに含まれていないので、最近凝っているノンアルコールワインのロゼを自分たちで用意しました。いろいろな醸造所のものを試して、これに落ち着いたのです。

レストラン自家製のパンは少し硬いけれども旨い。メニュー表にはバターと書いてありますが、バター・クリームでしょうか。硬度も味も やわらかいのです。

 

パンとバター 2 ・ 前菜

さて、前菜はカボチャのスープ。真空パックから取り出して鍋で温めます。上にチリメンキャベツ、ツルコケモモ、カボチャの種をのせて出来上がり。少し甘くて少し酸っぱくて美味しい。私たちには少々味が濃すぎるようです。薄めれば良かったかな。

メインの料理は雌鶏のグリルです。ハノーファー近郊で飼育された放牧雌鶏で、強靭な体を持つ品種だそうです。動き回るのが好きで体重が増える速度が遅いため、肉が美味なのだとか、、、、。丸ごと提供されたので、指示されたとおりにオーヴンで焼いて解体しました。中に色々な野菜と椎茸が詰まっていました。付け合わせは蒸し煮した赤キャベツ、オレンジ色のチコリ、鶏肉入りラヴィオーリです。放牧雌鶏の肉は確かに美味しいけれど硬い。走り回っていたので筋肉隆々なのでしょう。キャベツは穏やかな味で旨く、チコリはフッと苦くて良いアクセントになっています。ラヴィオーリも美味しい。

 

メイン ・ デザート

デザートは甘さを抑えたケーキで、アップル・チャツネと塩味のビスケットのかけらが添えられています。多過ぎなくて結構です。たぶん食後のコーヒーと共に食べるのを想定した色彩豊かなプラリーネには、思いがけず、中にマルチパンとジャムが入っていました。

通常、いわゆる 〈グルメレストラン〉 にテイクアウェイのサーヴィスはありませんね。どうしても味が落ちることを危惧しているのでしょう。ところが中共ウィルスが蔓延る今日この頃、生き残りをかけた苦肉の策なのだと思います。私たちとしても市内にある美味しいレストランの存続を望んでいるのです。

 

[2020年12月]

 

 

 

 

 

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フェルデンツ城館

2020年12月13日 | 旅行

モーゼル渓谷は中流域でくねくねと、最も激しく蛇行しています。私たちが滞在しているアルフという村から南に約50km、モーゼル川の流れに沿ったくねくね道を走ってから少し内陸に入ると、海抜320mの岩山があります。その頂上に、半分廃墟になっているフェルデンツ城館が建っているのです。

  

城館の航空写真 (パンフレットより) ・ 城館 1

周辺の道路は特別許可がない一般車両は通行禁止なので、お城には森の中を歩いて来るしかありません。

 

城門

 

城館 2 ・ 城館 3 

 

城館 4 ・ 城館 5 

フェルデンツ城館は12世紀の初め頃建設され、15世紀の時点でお城の施設はモーゼル川中流域で最大であったため、その外観と規模に不釣り合いな 〈城館 〉 という名前を現在まで使っているそうです。30年戦争中とパラタイン継承戦争の間、スウェーデン、スペイン、フランス軍によって占領されましたが、17世紀の末までこの地方の伯爵がお城を所有していました。もっとも、17世紀の後半にはフランス占領軍によって建物は破壊されてしまいましたが、、、、、。フランス軍の撤退後、元の所有者に相続すべき子孫が居なかった為所有権に関して争いがありましたが、結局プファルツ州が入手しました。ところが、フランス軍が再び進駐して来た後、19世紀初めにお城の廃墟はフランスの国家オークションの一環として一般市民に売却されて、当初は採石場になりました。しかし、後になってその新しい所有者はお城を保存しようと思い、いくつかの部分を居城として再建築したのです。

 

城館 6 ・ 城館 7

 

城館 8 ・ 城館 9

 

城館 10 ・ 城館 11

フェルデンツ城館をその日のトレッキングの目的地としていた私たちは、長い行程の後でやっとたどり着いて、その独特な外観に興味をそそられました。縦長で100m x 30mの施設なのですが、岩山をくりぬいたり建て増したりして建造したのが見て取れ、明らかに防御を目的にした構造です。週に一度だけ開催されるイヴェントの準備をしているおじさんによると、前述のように、後年は居住のためのお城になったそうです。このおじさんが言うには、お城の所有者自身による案内付きの城館ツアーが毎日午後決まった時間に催されるそうですが、我々は午前中に行ったのでツアーには参加出来ません。少額の料金を払うと屋外は見学できるので、そうしました。中世の雰囲気いっぱいで、他のお城では味わえない気分なのです。

 

城館 12 ・ 城館 13

 

城館 14 ・ 城館 15

 

城館 16 ・ 城館 17

そこに前出のおじさんが現れて、案内ツアーの時間ではないのに特別に騎士の広間に入れてくれた上、説明までしてくれました。広間は19世紀の末に改装され、歴史的な内装が施されています。他に観光客が居なかったからでしょうが、おかげで大変印象深い訪問になりました。やはりイヴェントの準備をしていた所有者の奥さんとも言葉を交わしましたが、やわらかな品の良い女性です。城内には簡単な宿泊施設と食堂があり、40人まで収容可能だそうです。

 

騎士の広間 1 ・ 騎士の広間 2

 

騎士の広間 3

さて、トレッキングの後で妻が夕食に作ってくれた料理のひとつが、缶詰のシーチキンをアレンジしたものです。アレンジといってもごく簡単で、シーチキンとネギをゴマ油と醤油で和えただけなのですが、思いがけず美味しかったのです。

 

シーチキンの料理

 

[2020年12月]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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コヒェム帝国城塞

2020年12月06日 | 旅行

観光船によるライン河下りは良く知られていますが、モーゼル川にも観光船ツアーがあります。ライン河のそれと違う点ですが、モーゼル川には水量調節のための水門が複数あり、その為川面が鏡のように静かなのです。モーゼル川流域は全体的にライン渓谷よりも静かで牧歌的です。ライン河流域ほど多くのお城があるわけではありませんが、ライン河のどのお城と比べても勝るとも劣らない城塞があります。それがコヒェム帝国城塞。海抜154メートルの、コヒェム市を見下ろす円錐形の山にある山頂城です。

 

城塞から見るコヒェム市

この華やかで美しいお城のこんにちの外観は、主に19世紀に増築された建物に負っているそうです。とは言え、ロマネスク様式やゴシック様式の要素をもつ中世の建物も残っていて、それは環状囲壁、八角形の城塔、魔女の塔、騎士の間がある建物などです。

 

城塞 1 ・ 城塞 2 

コヒェム帝国城塞は12世紀前半に建てられ, その後いろいろな王室や大司教によって管理されながら、中世の税関と司法と経済をつかさどるお城として機能していました。14世紀から16世紀にかけてこの複合施設は大幅に拡張されたのですが、17世紀後半の大同盟戦争のときにフランス軍の砲撃を受けて大きなダメージを被りました。さらにコヒェム市全体がフランス軍に占領された後、城塞の破壊が命じられました。城塞は放火され、爆破され、ドイツ南西部の多くのお城と運命を共にしたのです。破壊されたコヒェム帝国城塞は、数人の所有者の手を経て、19世紀の後半にロマン主義の趣向に従って再建されました。第二次世界大戦中にその個人所有者は第三帝国の法務省にお城を売却させられ、そこにはナチスが運営する弁護士のための訓練センターが設立されました。第二次世界大戦後、お城はラインラント・プファルツ州の管理下に置かれ、行政学校として使われるようになりました。そして20世紀の後半にコヒェム市が購入して、帝国城塞株式会社にその管理を委託しているそうです。こんにちコヒェム帝国城塞はラインラント・プファルツ州の遺産保護法による文化的記念碑であり、土地記念碑リストに記載されています。さらにお城はハーグ条約に従って保護された文化財でもあります。

 

城塞 3 ・ 城塞 4 

確かに文化遺産ではありますが、歴史的な施設の一部は個人的なパーティーのために賃借することができ、お城の礼拝堂は結婚式に使用することができます。2015年までは城内に鷹の訓練場があり、飛行実演が行われていました。これらの不定期のイベントに加えて、毎年8月の第一週末には騎士劇などが行われる3日間の城塞祭りが催され、12月の週末には 〈コヒェム城クリスマス〉 と名付けられたイヴェントが開かれます。

私たちは、観光客にたいへん人気のあるお城なので割と早めに行ったにもかかわらず駐車場を見つけるのに苦労しましたが、山のふもとに車をとめて、急な坂道と階段でお城に上って行きました。

 

外壁

 

城門 1 ・ 城門 2

敷地はだいぶ広々としていますが、訪問客が多くてかなり込み合っています。

 

城塞 5 ・ 城塞 6 

城塞 7 ・ 城塞 8 

 

城塞 9 ・ 城塞 10 

 

城塞 11 ・ 城塞 12

 

城塞 13  ・ 城塔

中共コロナのせいで、建物の中のガイド付き見学を申し込むのに、名前、住所、電話番号を用紙に記入しなければなりません。8分ごとに少人数のグループで入城が許され、通常よりも短い、たったの25分間のガイドです。見学の途中でも、マスク着用はもちろん、他人と距離をとるように絶えず注意があるのです。何だか消化不良のような見学になりましたが、敷地内にも城内にも絵になる一角が沢山あり、コヒェム帝国城塞は必見の素晴らしいお城だと思います。

 

お城の内部 1 ・ お城の内部 2

さて、夕食の手作り料理のひとつは、鶏の骨付き腿、馬鈴薯、ニンジン、パプリカのオーブン焼きです。鶏肉は家でよく食べる、トウモロコシだけを飼料として育った鶏を見つけたので、これを使いました。好みにもよるのでしょうが、私たちには普通の鶏肉よりも美味しく感じられるのです。

 

鶏と野菜のオーブン焼き

 

[2020年12月]

 

 

 

 

 

 

 

 

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