お城でグルメ!

ドイツの古城ホテルでグルメな食事を。

ホテル フライホフ ・ アム ・ ローラント

2023年08月31日 | 旅行

先日ハンブルクの小さな隣町ヴェーデルにあるトヨタ自動車の販売店で行われた〈日本デー〉という催しで、妻が自作の陶器を展示し、私が〈和陶器〉をテーマに講演をしました。

 

陶器の展示

その際に宿泊したホテルが思いのほか面白かったのです。ホテルの名前は〈ローラント像の脇にあるフライホフ〉といいます。

まずローラント像。

 

ローラント像

この、むき出しの剣を持った騎士の立像は北ドイツや東ドイツの中央広場や市役所の前に比較的頻繁に見られ、都市権(都市およびその市民に与えられる特権)のシンボルです。

フライホフというのは中世において貴族または聖職者が所有する中庭のある邸宅で、納税義務やその他の市民としての義務を免除されていました。このホテルの建物はヴェーデルの町で最初にできたフライホフのひとつで、16世紀前半のことだそうです。18世紀にいちど火災で破壊され、再建されました。

  

昔のフライホフ ・ レセプションの前に立つ豚像

客室はスカンジナビア風の軟質木材の家具でしつらえた質素な部屋です。

 

客室

さて、夕食はホテルから徒歩3分のところにある、ホテルと同じ経営の〈水車小屋〉というレストランでとりました。14世紀前半の古文書に現れるほど古い水車小屋で、20世紀中頃まで使われていたようです。その後別のことに使われ、5年くらい前から小ぎれいなレストラン・カフェになっています。ほぼ全部の食品が自家製だそうです。

 

レストランの内部

飲み物は、妻はフランスの白ワインで私はノンアルコール・ヴァイツェンビールを注文しました。

お通しとしてパンと2種のクリームに甘酸っぱい各種野菜の細切れが出ました。野菜で口腔がさっぱりしましたが、パンはまずかったですね。

  

お通し ・ 焼いた海老と桃 & ルッコラ 

前菜のグリル海老と桃。焼いた桃というのは珍しい料理ですが、全体として美味しくいただけました。

もうひとつの前菜はアンズタケ入りオムレツと季節のサラダです。量が多くてオムレツの味がいささか単調になりましたが、サラダがパキパキと新鮮でした。

  

オムレツとサラダ ・ いろいろな魚の料理

私が頼んだメイン料理は焼いた鮭とホタルジャコと小海老の辛子ソースかけです。いろいろな魚類の味と食感が楽しめました。付け合せはジャガイモで、別の食器にキュウリサラダです。

  

キュウリサラダ ・ 焼きアバラ肉

もうひとつの主菜は米国産豚のアバラ肉の生クリーム添えで、ハーブをまぶした炒めポテトと野菜サラダが付きました。肉が少しパサパサでした。

  

炒めポテト ・ 野菜サラダ

いわゆる〈グルメレストラン〉ではありませんが、それなりに結構旨い料理を提供する店です。良い家庭の主婦のような初老の女性2人とひとりの若い女性で切り盛りしているし、客に子供もいる家庭的な雰囲気のレストランなのです。

朝食は、ホテルの本館に比べて昔の雰囲気が色濃く残る木造棟で食べました。

  

朝食室 ・ 朝食

食事の内容はごく普通ですが、個人のお宅で朝食をご馳走になっているような良い雰囲気です。

ハンブルクには時々来る機会があるので、そのときは隣のこの町に泊まろう、と思った宿でした。

 

〔2017年10月〕〔2023年8月 加筆・修正〕

 

 

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ロックム修道院 と 湯治場

2023年08月28日 | 旅行

ハノーファーから半日の遠足で行けるところにロックム修道院があります。ここは昔カトリックのシトー会修道士の修道院だったところです。現在残っている後期ロマン派の教会は13世紀に建立されました。この修道院の管轄区域では16世紀半ばから17世紀の半ばまで全部で54の魔女裁判が開かれ、33人が死刑になったとのことです。敷地内の建物はこんにち神学校、会議場、音楽祭の会場、そして図書館などとして利用されているようです。

  

修道院の入り口 ・ 聖地巡礼者の宿泊所 

  

教会 ・ 教会の内部

ところで、ロックム修道院の前にある喫茶店でお茶を飲みました。いつものようにアールグレイです。お茶請けはワッフルでした。チョコレートソースが少しかかっていて生クリームとバニラアイスが添えてあります。まぁ、ふつうのそれなりの味でした。

  

アールグレイ ・ ワッフル

その後すぐ近くの小さな町バート・レーブルクに行きました。ここには〈バート〉という名前でわかるように温泉があります。いや、〈ありました。〉というのが正しく、昔の湯治場があるのです。このロマン主義時代に栄えた療養施設の文化財的建造物はドイツで無比のもので、その起源は17世紀の末までさかのぼります。特に18世紀中頃から19世紀中頃までの約100年間には、この〈北のマデイラ〉と呼ばれたところを私の住むハノーファーの貴族たちをはじめ著名人がたくさん訪れたそうです。その著名人のなかには音楽家のフランツ・リストやロシアのピョートル大帝が含まれます。もちろんハノーファー王家の家族も健康と楽しみのためにここに滞在しました。

  

当時の様子 ・ 当時の建物

  

昔の湯治の様子 ・ 入浴の様子 

  

浴室のタイル壁(オリジナル) ・ 王女のための特別室 

ところが、この湯治場は20世紀に社会福祉施設および孤児院として使われた後1970年代から荒廃をはじめ、同世紀の末にはこの地域は完全に植物におおわれてしまって足を踏み入れることさえ出来なくなりました。

そして21世紀の初めに、このかつての療養施設を長い眠りから覚まして昔の状態にに戻すことが決定されたのです。

  

湯治場の建物 1 & 2   

 

湯治場内の礼拝堂

 

〔2017年10月〕〔2023年8月 加筆・修正〕

 

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アルテンハウゼン城

2023年08月25日 | 旅行

私の住むハノーファーと首都ベルリンのちょうど中間地点にアルテンハウゼン村があります。旧東ドイツの地域です。その村にあるのがアルテンハウゼン城なのです。

城は何度も改増築されたのでルネッサンス、新ゴシック、後期ゴシック、バロック、そして歴史主義の様式が共存していて、まわりは中世の環状壁に囲まれています。こんにち残っている最も古い建物の部分は15世紀と16世紀に建築されたそうです。村から城内には、17世紀後半30年戦争後の再建時に建造されたアレキサンダー門をくぐって入ります。

 

アレキサンダー門

さて、アルテンハウゼン城の起源ですが、11または12世紀に造られたニーデルンク城砦がその基になっています。その城砦ももともとそこにあった建物から発したのではないか、と思われています。アルテンハウゼン城が最初に古文書に現れるのは14世紀の初めですが、同世紀の半ばにはもう騎士同士の紛争で破壊されました。その後再建されたのですが30年戦争の時の大火災で損壊し、それに続く略奪と黒死病(ペスト)の流行で大きく凋落していきました。さらなる再建がなされたのは17世紀から18世紀にかけてでした。が、19世紀の初めには又しても火災で損傷を被り、同世紀前半に修理修復が行われました。現在まで城砦の雰囲気を持ち合わせている城の外観は、20世紀初頭に終了した改築によって造られたのです。城の施設はこんにちユースホステルとホテルとして使われていて、乗馬をはじめとする様々なアウトドア・スポーツと行事を行えます。敷地の一角では子供たちが山羊と触れ合うことも出来ます。

お城の構造は、広場があってその周りにいろいろな建物が立ち、それが全部環状の城壁で囲われているといったものです。学校の課外授業でユースホステルに泊まっている子供がたくさん中庭にいます。

  

アレキサンダー門を入って ・ 城館 1

  

城館 2 ・ 裏門の内側

 

裏門の外側と城壁

少し暗いお城レストランの一角にレセプションがあり、愛想の良いよくしゃべるお姉さんが係りです。彼女が客室のある別棟まで案内してくれたのですが、その途中で城塔を見上げると、

「もし城塔に登りたいならキーがありますので、後で取りに来てください。」

「塔にはエレベーターがついているんですか。」

「いえいえ、約200段の階段があります。」

「あー、、、、そうですか。それならちょっと、、、やめておきますぅ。」

私の部屋は広くはないけれど一人なので十分でした。ピカピカに良く磨いた古い木張りの床が少し傾いている感じだし、窓が小さく壁の厚さが1mぐらいあって古城の雰囲気があるにもかかわらず、現代風に使いやすく改装していて居心地がたいへん良いのです。

 

私の部屋

〈アルター・シュパイヒャー(= 古い穀物倉)〉という名のレストランは、倉庫だけあってドカーンと広く天井が高い。

  

レストランの外観 ・ レストランの内部 1

  

レストランの内部 2 ・ ノンアルコールのピルスビール

テキパキと動くおばあさんがサーヴィスしてくれます。杏茸(アンズタケ)の季節なのでそれにちなんだメニューを注文しました。

 

キッシュとサラダ

まず出てきたのは杏茸入りのキッシュ(卵、チーズ、ベーコンなどを入れて焼いたパイの一種)で、野菜サラダには自家製ドレッシングがかかっています。キッシュの中にはほんの少しだけキノコが入っていて、少し甘い美味しいお菓子のようです。野菜の新鮮さは普通だと思いましたが、淡い味のドレッシングは結構いけるものでした。

 

メインディッシュ

主菜は子羊のあばら肉の〈女性パン屋風〉料理です。どこが〈女性パン屋風〉なのかは分かりませんが、、、、、。付け合わせとして杏茸とジャガイモが添えてあります。子羊の肉にはふつう独特の匂いがあります。その匂いを濃い肉汁ソースがおおい隠していて、私はソースが少し濃すぎると思いましたが、それなりに美味しく食せました。しかしながら、主役のはずのキノコも濃いソースに負けているのは残念でした。茹でポテトはオーブンにわずかの間入れたようで、表面が焦げる直前の食感がただの茹でポテトに変化を与えています。

 

デザート 

デザートは森のベリー(ブドー・イチゴなど)2種類で、ゼリーとグリュッツェ(コーンスターチと果汁で作った赤い色のデザート)とメニューにありましたが、ゼリーの代わりにシャーベット風アイスになっていたし、グリュッツェは少々酸っぱ過ぎてあまり感心しません。かたわらのスイートレモンのパフェは美味しいけれどもスイートレモンの味がしないのは残念でした。

食べ終わって腹はくちたけれど、何だか満足感に欠ける気がしました。私の思い込みかもしれませんが、料理にあまり心が込められていないような、、、、、、。とくに肉汁ソースとグリュッツェとアイスは既製品をそのまま使っていると思いました。

朝食もレストラン〈アルター・シュパイヒャー(= 古い穀物倉)〉で食べました。まぁ、普通の食材が並んでいました。パンが見た目は家で食べるパンに似ていますが、残念ながら美味しくありませんでした。

 

朝食

ここはお城の施設自体は面白いけれども、食事を考えるといまいちですね。

今の季節はまだ遅くまで明るいので、もう19時半になるのに子供たちが中庭で騒いでいます。私は別に子供が嫌いなわけではないのですが、歴史の深い古城にキャッキャッという声はなんとなくしっくりこないですね。 

 

〔2017年9月〕〔2023年8月 加筆・修正〕

 

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ヒュルゼデ水城

2023年08月22日 | 旅行

ハイデ (Heide)という単語を辞書で引くと、〔平坦で立ち木のない原野や砂地であって、ヒースやネズミが生育していることが多い荒野、荒地〕とあります。

ここ北ドイツにリューネブルガー・ハイデという広大な地域があって、ヒースが生えているのです。2週間ほど前、ヒースが満開の時にそこでハイキングをしました。適当な起伏があり、高い地点からの遠景が見事でした。

  

リューネブルガー・ハイデのごく一部 ・ ヒースの花

リューネブルガー・ハイデにはハイキングやトレッキングの拠点となる村がいくつもあるのですが、そのうちのひとつで午後のお茶をしました。

農家を改造したカフェで、〈地方独特〉と〈有機栽培〉をうたっています。開店時間が短くて、土・日・月の午後2時から6時までしか開いていません。冬などのシーズンオフには完全に閉まっているのだと思います。

さて、食べたのは蕎麦粉を使ったケーキとレモンケーキ(妻とひとつずつ)です。

 

レモンケーキ と 蕎麦粉のケーキ

レモンケーキにはレモンクリームがたくさんはさまっていて、上にはメレンゲとアーモンドのスライス。私は酸味が好きではないのですが、不思議とレモン味は好きだしメレンゲも好きです。

蕎麦粉ケーキにはコケモモのクリームが真ん中に、そして上には粉砂糖とコケモモのジャムと小さなミントの葉っぱを一枚のせてあります。乾いていて微妙に喉に引っかかる感じがしますが、フワフワとした食感で美味しく食せました。蕎麦をよく食べる日本にも蕎麦粉を使ったケーキがあると思いますが、どんなお菓子か興味があります。

生クリームがそれぞれのケーキの後ろに隠れています。

ケーキの横腹にフォークを突き刺すのは趣がありませんが、ドイツではほとんどのカフェで、ケーキを頼むとこういう形で出てくるのです。

お茶はアールグレイのベルガモット油入り(ベルガモット = ミカン科の常緑低木)でした。

ところで、リューネブルガー・ハイデに行ったついでにヒュルゼデ水城を見学しました。見学といっても個人所有のお城なので建物以外の敷地が公開されているだけです。

  

敷地に入ってすぐの位置から ・ 堀にかかる橋の手前から

この水城は初期ルネッサンスのスタイルで16世紀の前半に建造されて何度か所有者が代わり、20世紀後半から30年間にわたって少しずつ、そして最後には全面的に修復されました。その際16世紀のオリジナル建築材料を利用したそうで、この水城の傑出した美術史的価値はこの点にあります。全体の施設とそれに所属する農場は400年以上ものあいだ個人の所有であり、その建造物は文化財保護の対象になっています。

〔ロマンチックな雰囲気と複数の歴史的宴会場は夢のような結婚式や個人的なイヴェントに最適である。〕との宣伝文句がパンフレットに書かれています。そしてそのような催し物に参加した人々に限り、城館で宿泊できるとのことです。

  

堀とお城 ・ 堀と庭園

   

納屋 ・ 納屋の前の広場からお城を望む

ヒュルゼデ水城は死んだように静かな村の一角にあるのですが、お城も納屋も庭園もすべてがきれいに整備されていてすっきりした印象を受けます。しかしながら私は古城によく見られるような〈侘び寂び〉の美意識や少々不気味な雰囲気を好むので、少し残念です。

 

〔2017年9月〕〔2023年8月 加筆・修正〕

 

 

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レンツェン城塞

2023年08月19日 | 旅行

ハノーファーから北東に進むとエルベ河にぶつかります。そのエルベ河を越えてすぐのところにあるレンツェン村の南端に、この城塞はあります。

すでに8世紀には、この地に土砂による防壁が造られました。防壁は数世紀にわたって何度も破壊され、そのつど再造成されたそうです。そして13世紀の初めにやっと、その防壁の中に最初の城塞が建造されたのです。14世紀にいち度破壊されて15世紀に再建されましたが、30年戦争でまたしても損壊しました。20世紀初頭に城塔が見物客に解放されるまで、お城施設では順次、新築、増築、修復、そして造園が行われ、さらなる修理修復が20世紀前半に行われました。レンツェン城塞は第2次世界大戦では破壊をまぬがれ、戦後は出産も可能な病院として使われたのですが、1953年に所有者から没収されて当時の東ドイツ国の財産になりました。その後数十年にわたって城塞はいろいろなことに利用されました。たとえば老人ホームなどの社会福祉施設、古参党員の施設、郷土博物館などです。20世紀の末頃から環境自然保護同盟に所有権が移って21世紀初めに訪問者センターが設立され、2007年からはホテルとレストランをもつ会議場が併設されています。

  

城塞施設への入り口 ・ 入り口の左にある銅像の一つ

  

城塞の正面 ・ 城塞の裏面

  

コウノトリの巣 ・ コウノトリ

そのレンツェン城塞のすぐ前にコウノトリの巣がありました。家主のコウノトリ夫婦は近くの家屋の屋根の上にとまっていて、通りかかったおじさんによると、もうすぐ南に旅立つ、とのことでした。実際、その日の午後にはもういなくて翌日も見かけませんでした。

  

フロント横のサロン ・ 私の部屋

ホテルのフロントには、ドイツ人としてはめずらしく自信のなさそうな声の小さい若い女性がいました。私の部屋は本当は別棟にありましたが、お城の中の部屋にかえてもらいました。その部屋は簡単で質素ですが清潔で広いのがいい。かつ天井が高いので少しスカスカ感があります。3星ホテル(宿泊料が安い)なのにスリッパとバスタブがあるのに驚きました。このホテルは自体をバイオ・ホテルとしていて、バスルームにある液体石鹸は有機栽培のオリーブオイルで作った石鹸です。肌がすべすべになるようで良い感じですし、香りも悪くありません(松の木の香りをつけている)。さらにアメニティーグッズの櫛が木製ですが、これは髪の表面を滑るので使いにくく、あまり感心しません。

  

レストラン ・ ヴァイツェンビール 

夕食をとったのはホテル内の比較的小さな楕円形のサロン風レストランです。私は開店直後に行ったのですが、客がどんどん来て結構たくさん宿泊客がいるのが分かります。テキパキと働く感じの良い若い娘ふたりがサーヴィススタッフです。全ての食材が国が定めた基準をパスした有機食品(オーガニックフード)とのことです。

ウォーターマン社の私の万年筆と同じ形に変形させたグラスで出てきたノンアルコールのヴァイツェンビール(ヴァイツェン = 小麦)も有機食品です。いつも飲む普通のに比べてなめらかで少し甘めのような気がします。

  

お城サラダ ・ アップル豚肉のクリームソース煮込み(豚肉がほぼ隠れてしまっている)

前菜のお城サラダにはトマト、キュウリ、パプリカ、葉サラダがはいっていて、羊のチーズがふりかけてあり、 バルサミコ味でけっこう美味です。でも、残念ながらパンが古くてパサパサなのです。

メインは細切りアップル豚肉のクリームソース煮込みです。アップル豚肉とは、この地方で主にリンゴを食べさせて飼育した豚の肉だそうです。少し硬くて脂が少ない肉です。付け合せは茹でブロッコリとハーブ入りシュペッツレ(軟らかい卵麺の一種)。シンプルな料理ですが、それなりに旨いと思いました。他の料理と同様にこれも半分の量を注文できたので、飽きることなく最後まで美味しく食べられました。

 

お城パフェ

最後はシェフにおまかせのデザートということで、リンゴの白ワイン煮が出て来ました。煮汁の黄色い色と強い甘味からすると、アイスワイン(氷結したブドウから造られるワイン)などのたいへん甘いワインで煮たのでしょう。それに木苺が少し入ったバニラアイスクリームとバタークッキーと生クリームが付いています。なかなか良い組み合わせで量も結構でした。

  

朝食会場 ・ 私の朝食

朝食会場はモダンな明るい部屋で、今朝は小さな子供連れの家族が多いようです。ハイキングやサイクリングの恰好の人がほとんどです。有機栽培ということを意識するからか、パンも生野菜も果物も美味しく感じます。砂糖も有機栽培です。食材が充実していて必要なものは全部あるのです。食後に食器を自分で返却口に返すのは、ホテルにはめずらしい規則でした。

このバイオ・ホテルは静かにゆっくり過ごせるし、宿泊費のことを考えるとお得感いっぱいのホテルです。

 

〔2017年9月〕〔2023年8月 加筆・修正〕

 

 

 

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