お城でグルメ!

ドイツの古城ホテルでグルメな食事を。

シォェーン城塞

2021年11月30日 | 旅行

シォェーン城塞は、ユネスコの世界遺産になっているライン河中流地方、あのローレライの少し南にある。河畔の町オーヴァーヴェーゼルから険しい山道を30分程登ってやっとこの山城に着く。昔はこの道が正規の登城路だったらしく、城に近づくと平たい石を積み上げた古い門が2基残っている。道は険しく、中には崖から落ちる人もいたのではないだろうか。途中いくつか見晴らしの良い地点があって、雄大なライン渓谷の景観を楽しめる。回り道をすれば、城から百メートル程下にある駐車場まで車で行くことも出来る。駐車場からホテルのフロントに電話を入れると、ゴルフ用カートで迎えに来てくれるシステムは嬉しい。というのは、駐車場から城まで、小さな谷に架かる木製の橋を渡り、石畳の急な坂道を登り、2、3の狭い門をくぐるので、重い荷物があるととても歩いて行くのは大変だからである。それにしても、両側それぞれ数cmしか余裕のない狭い門をスピードを落とすことなく走り抜ける運転手の技術には素晴らしいものがある。

 

山頂の城塞 ・ 城塞に向かう山道

  

城塞の全景と木橋 ・ 入城門

この城塞の建造が始まったのは12世紀前半で、遅くとも14世紀には完成したらしい。1340年の名簿に95人の共有者の名前があるが、実際に住んでいたのはその内のごく一部であった。この地方の他の殆んどの城塞と同様に、シォェーン城塞も1689年の王位継承戦争のときにフランス人によって破壊され、1719年に最後の住人が死去すると廃墟となってしまった。そして何度か所有者が代わった後、先祖がこのライン河地方の出身であるドイツ系アメリカ人 (Rhinelander = 〈ライン地方人〉 という名前の人) 1885年に取得し、1914年まで少しずつ部分的に再建していった。1947年にその 〈ライン地方人〉 氏が他界した後、1950年にオーヴァーヴェーゼル町がそのアメリカ人の子息から取得し、1951年から1953年にかけて建物の北側の部分を再建した。1957年に城塞を賃借りしたフュットル家が南側の部分を大幅に整備拡充してホテルにし、現在に至るまで3代にわたって経営している。20114月からは、古城一般に関する情報が得られる博物館が併設されている。1月から春先まではお客さんが少ないので、ホテルも博物館も閉館するようだ。

 

内側 ・ ホテルの入り口

建物は主に石とコンクリートで出来ているので、木材を多用した古城と違って床がギシギシいわないし、危なっかしい所もない。きちんと整備していて清潔で、古城にありがちな荒れた感じと埃っぽさがない。ただ、山城なのであまりスペースが無く、全体的に狭苦しい感じがする。例えば廊下も螺旋階段も狭くて非常に入り組んでいて、レセプションは小窓のようであり、二つある中庭もこじんまりとしている。予想に反してエレベータがあるのは良かった。レセプションの横で比較的大きなスペースを占めているのは、暖炉があって居心地の良い、本を沢山備えた図書室兼居間である。それに続いて2、3の小部屋がある。愛想の良いスタッフに迎えられてチェックインをした。というか、部屋の鍵を受け取っただけで住所の確認もサインもしない。

『ふぅーん、えらく簡単だけどいいのかな?

 

  

廊下 ・ 階段

 

図書室兼居間 ・ 小部屋

 

中庭

私の部屋の窓からはオーヴァーヴェーゼルの町とライン河がすぐ下に見えるが、シングルの部屋なので狭い。壁と天井は薄いベージュ色で、古いシャンデリアが下がり窓ガラスには桟が入っている。数枚の古い絵がかかっているのだが、その内の一枚の後ろが金庫になっているのは面白い。家具は年代物で、中に無料の飲み物が入った冷蔵庫やCDプレイヤーとクラッシックCDが数枚隠れているし、洋服戸棚は開けると電燈が点く。机上には古い本が約10冊の他、骨董電話器と鳥の羽のボールペンがあるのだが、すぐ横に無料インターネットのコードが覗いていて、そのコントラストが楽しい。ラップトップを無料で貸してくれるらしい。キーホルダーは騎士の姿であるし、清掃スタッフとのコミュニケーションには古いデザインの絵を使う。古城の生活を楽しめるホテルである。バスルームは入り口が小さくて狭いけれども清潔で、二日目にタオルを全部替えているのには感心した。

  

ライン河 ・ 私の部屋1

 

私の部屋2

鳥の羽のボールペンとキーホルダーと古い電話機

  

「 掃除をして下さい 」 ・ 「 邪魔をしないで下さい 

このホテルの客室の窓敷居や机に使っているシーファー(粘板岩)は、オーヴァーヴェーゼルの町では石段にも使用しているのだが、この地方に沢山ある石だ。この石は黒いので、葡萄畑の地面に敷いておくと昼の間に太陽熱を蓄えて夜に葡萄を下から暖めるから、その生育に良いのだそうだ。

さて夕食である。こじんまりとしたレストランの天井は白色で、幾筋もの黒い梁が平行に走る。壁は薄いベージュで小さな数枚の絵がかかり、窓には細かい格子が入っていて、天井にはシャンデリアが下がる。城の雰囲気ピュアである。クラッシック音楽が静かに流れる。一人しか座れないニッチ (西洋建築で、厚みのある壁をえぐって作ったくぼみ部分)に私の席を用意してある。真っ白なテーブルクロスに銀食器が並び、清潔感にあふれている。

  

レストラン ・ 私のテーブル

予約の確認のときに4品メニューを食すると知らせておいた。訊くと7品のグルメメニューもあるらしいが予約の通りにする。この地方の民族衣装を着た若い女性たちが数人でサーヴィスをする仕組みになっていて、個人的な担当はないようだ。皆英語が良く出来てにこやかで良く気が付いて、滞りのない高いレベルのきちんとしたサーヴィスをしてくれる。

キッチンからの挨拶は駒切れ牛肉のアスピックとキャベツの酢漬け。サッパリしていて美味い。

前菜は雌鴨のパテである。マイルドで深い味わいがある。新鮮な若いノヂシャのサラダの木苺ソースかけとミニトマトが添えてある。

次に、小さなグラスにグラタン風芽キャベツスープが出てきた。上にカレー風味のクリームを乗せてある。カレー風味が控えめなのは良いが、スープ自体が少し辛いし、一緒に供された串刺し焼きベーコンはもっと辛い。

口直しに木苺のシャーベットに発砲ワインを注いでくれたが、シャーベットの味が濃くてサッパリ感があまり得られないのは残念であった。

主菜は鹿肉のシチューにトリュフがほんの少し入ったポレンタ(トウモロコシの粉を火にかけて練り上げたもの)を添えてある。ドイツでは珍しい、甘みの強いカボチャを焼いて付け合せている。鹿肉は野獣の臭みがなくてやわらかく、美味しい。

デザートはクリストシュトレン(乾しブドウ、アーモンド、レモンの皮の砂糖漬けなどの入ったクリスマス用の菓子パン)のアイスクリーム版。その横には赤ワインで煮込んだ梨にとろみのある赤ワインソースがかかる。旨い。

最後にエスプレッソを頼んだらチョコレートクリームが付いて出て来た。

全体的に、この地方の食材を使ってしっかり料理しているがゴテゴテ飾っていない。ドイツ料理にしては控えめな味で、好印象が残る料理であった。

ところで、日本人旅行者が多いのにビックリした。レストランで合計19人の宿泊客を見たが、そのうち12人が日本人であった。古城での宿泊を好む人がこれだけいるのなら、私のブログを楽しんで読んでる人がいるかな?

朝食は別の部屋なのだが昨晩の夕食の部屋とそっくりで、まさにお城の一室という雰囲気だ。ウェイトレスも昨晩の女性が同じ衣装でサーヴィスしているのだが、私は朝食は全く雰囲気の違う部屋、例えばガラス窓を多く使った明るい部屋の方が好ましいと思う。ビュッフェ形式で、暖かいソーセージや炒り卵や大抵のホテルにあるフルーツサラダもないが、注文すれば持って来てくれるようだ。アールグレイがないのでダージリンにしたが、お茶が美味しい。つぶしたトマトに半熟卵を半分のせてオーブンで暖めてある料理が小瓶に入っている。美味である。どこかの古城ホテルで見た、横にしている間は茶葉が熱湯に浸かっていて、立てると引き上げられる仕組みのティーポットをここでも使っている。一応朝食は10時までになっているが、10時以降も暖炉の部屋などで食べられるそうだ。嬉しい心遣いである。

昨晩図書室で出会い、偶然近くに座った4人組の邦人に話しかける、

「お嬢さん方、昨日の夜は大丈夫でしたか。」

「はぁ、大丈夫でした、、、、????

「ドイツのお城はねぇ、時々幽霊が出るんですよ。」

「えぇーっ。」

と形だけびっくりしてくれる娘さんと、

しれっとした顔で

「大丈夫でした。」

という娘さん。

オジサンとしてはもっと本気でびっくりして怖がって欲しかったナー。

ずっと以前にスコットランドに行ったときの事を思い出す。ホテルの夕食で隣のテーブルの老夫婦が話しかけてきた。

「明日はどちらに行かれるんですか?

「ネス湖に行きます。」

すると老紳士が急に声を潜めて、

「もしネス湖で大きな妙なものを見ても、誰にも言ってはいけませんよ。気違いだと思われますから、、、。」

老婦人は、また貴方はそんなことを言って、、、、という風にご主人をたしなめるように突付いていた。

二晩目のレストランは静かで、私の他に6人客がいるだけである。日本人はいない。

献立表を見て分かったのだが、昨日の4品メニューも7品のグルメメニューも献立表にある既存の料理を組み合わせて量を調節しただけで、特別にメニューを創作したものではない。この2種類のメニューも長期にわたって供するようで、ここが、2、3週間ごとに内容を入れ替える、いわゆるグルメレストランではないのが分かる。今晩の夕食はア・ラ・カルトで注文した。

ノン・アルコールのアペリティーフを頼むと緑色のシロップにオレンジジュースを注いで持って来た。サッパリしていて美味しいし色がきれいだが、緑色はどうせ着色料に違いない。

突き出しとして昨晩の鹿肉シチューと炒めシャンピニオンに荒いマッシュポテトを平円柱に固めたものが出た。暖かくて昨晩同様旨かったが、突き出しとしてはボリュームがあり過ぎる。他の客には昨晩の突き出しが供されていた。私は連泊なのでわざわざ別の物を出してくれたのだろう。このホテルは一泊の客が殆んどらしい。連泊してのんびりする性格のホテルではないと思う。

前菜は細かく刻んだ玉ねぎを混ぜ込んだスモークサーモンのタルタルステーキ。マヨネーズにワサビを加えたソースで食べさせるつもりらしいが、ワサビの味は全くしない。おそらく当地で手に入る匂いが殆どないワサビの葉っぱで色を付けたのであろう。アジアショップで辛いワサビの粉が買えるのを教えてあげようかナー。葉サラダとミニトマトか少し付いている。

メインディッシュは北海小海老のグラタンで、キャベツの千切りに小海老を沢山乗せて、クリームソースをかけてオーブンで上に焦げ目をつけた料理だ。熱々で、キャベツから水分が出てクリームを薄めているのでそれほど重くない。始めは美味しいと感じたが単調な味が続き、特に冷めてくると美味しくなくなった。

食後のエスプレッソに付いて出たチョコレートクリームは昨晩と同じものである。

晩目の料理は残念ながら不満足なものであった。

チェックアウトする朝の朝食は宿泊客が少ないので暖炉のある図書室の一角の小部屋に設えてあり、ビュッフェではなくて持って来てくれる。私の席からテラスになっている中庭が見え、さらにライン河を見下す非常に良い景色を楽しめる。暖かいシーズンには中庭のテラスで朝食を摂るのだろう。若い邦人の男女が3人朝食を食べている。私は、古城ホテルに興味があるのは年配の人だろうと何となく思っていたが、若い人が多いのは意外である。若い女性は古城にロマンチシズムを感じるのかもしれない。スタッフに訊くと、一年を通じて日本人客は大変多いとのことである。

ユネスコ世界遺産の地域にある印象深い城塞ホテルであるので、世界中から多くの客が訪れるのだろう。従業員達からは、客扱いに慣れた、しかし擦れてない印象を受ける。山城なので少し狭いが、ロケーションも建物もサーヴィスも大変良いホテルだと言える。一般公開していないので城は全部宿泊客のもの、というのも気分がいい。ただ、食事が今一なのが残念である。

 

〔2011年11月〕〔2021年11月 加筆・修正〕

 

 

 

 

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宮殿ホテル クリンク

2021年11月27日 | 旅行

私の住むハノーファーから北東に直線距離で300km 程行った旧東ドイツの地域には、大小の湖が数多く点在している。そのうちの1つ、白い砂浜とヨットの係留港を持つミュリッツ湖の畔に宮殿ホテル・クリンクがある。この宮殿は1898年に、フランスはロアール川沿いに林立する城や宮殿をモデルにして建てられた後、1912年に増築され、1945年までシュニッツレル家の個人所有であった。第2次世界大戦後は引揚者や難民の宿舎、そしてブランデンブルク州の水関係の公共施設になっていたが、1971年、 „講習会と保養のためのクリンク宮殿“ として、40の客室を持つ宿舎が開業した。東西ドイツの壁が開いた後、1992年に宮殿は再び個人の所有になり1996年にまた所有者が替わった。そして1997年から修復と改築を行って1998年から宮殿ホテルとして新しい輝きを放っている。

このホテルに2泊することにした。鉄道を使ったのであるが交通の便が悪くて、いちど真東にあるベルリンまで行って、そこで北西に進む列車に乗り換えるのである。4時間程で着くはずが6時間もかかってしまった。というのは、ハノーファー・ベルリン間で線路の工事をしているらしく、ICE (ドイツの新幹線) が時速100130kmのノロノロ運転なのだ。もっと上手くオーガナイズ出来ないのだろうか。その上、近いうちに運賃を上げることが決まっているらしい。

ま、ともかく無事に宮殿ホテルに到着できた。

  

宮殿に行く並木道 ・ 湖側から見た宮殿

 

宮殿1 ・ 宮殿2

この地域は一大観光地となっていて、サイクリング道や遊歩道、湖水浴場にキャンプ場などが整備され、野外活動が思う存分楽しめる。主だった湖は水路で繋がっていて遊覧航行ができる。宮殿ホテル・クリンクには35.000 平方メートルの公園が付設している。30の客室を持っていて、 隣接する現代風の建物には客室がさらに76 あるらしい。殆どシーズンオフの季節なのに予想外に駐車場の車が多いところをみると、人気のあるホテルなのだろう。宮殿という名に相応しい外観と異なり、ロビーにも階段の踊り場にもそれらしい重厚さや華やかさは微塵もなく、廊下は殺風景で、ごく普通のホテルの雰囲気だ。ただ、フロントのすぐ横にあるバーだけは暖炉があり宮殿の雰囲気をかもし出している。

バーの一角

私の部屋はジュニアスイートで、入るとすぐに、小さないわゆる玄関の間があり、右手に狭いが明るくて清潔感溢れる、バスタブを備えたバスルームがある。バスローヴもスリッパもある。居間兼寝室は最上階なので天井の一部が斜めだし、柱が一本あるが、広い部屋なので気にならない。むしろ隠れ家的雰囲気が出ていてよろしい。部屋の中に段差があるのも立体感があって良い感じである。薄茶色と赤系統の明るい部屋で、大きな絵が2枚と小型のシャンデリアが2つかかる。スタンドや壁の照明も立派で、静かな落ち着く部屋である。家具は古いデザインだが新しいのが分かる。3つ横並びの大きな窓からは、ドイツ最大の内陸湖であるミュリッツ湖が見渡せる。

 

私の部屋1 & 2

 

私の部屋3 ・ バスルーム 

さて、夕食である。第1日目はレストラン 〈エデンの園〉 に予約を入れておいた。名前は結構であるが、私のテーブルが設えてある一番大きな部屋は、エデンの園らしさも宮殿らしさもほとんどないただのホールで、結構お客さんが居て、大衆食堂の雰囲気である。あと2つ小さな部屋が連なっていて、こちらは居心地の良さそうな空間だ。私担当の給仕の女性が若くて明るくて節度正しいのはうれしい。タクシーの運転手が、ここの食事は美味しいといっていたので楽しみである。

 

少し宮殿風なレストラン〈エデンの園〉の一角

献立表を見ると 〈日曜日メニュー〉 というのがあるが、内容を見ても日曜日と関係があるとは思われない。たぶん〈本日の日替わりメニュー〉 という意味なのだろう。

このメニューを注文したいけど、甘いデザートは食べたくない。

「ちょっと変わった頼み方をしても良いですか。」

「結構ですよ。どうぞ。」

日曜日メニュー〉 にしたいんですが、前菜のスープの後に別注文の前菜を持ってきて、メニューのメインと続いて、デザートは省いてください。出来るでしょうか。」

「もちろんですとも。お客様のご希望通りにします。」

ということで、前菜その1、前菜その2、主菜の3品メニューにしてもらった。

厨房からの挨拶として、トマトとマグロのペーストがそれぞれガラスの小ビンに入りネジ蓋を締めた状態で出された。これを塩味の固パンにつけて食せ、ということらしい。数個のオリーブも添えられている。すべてありきたりな市販のものであり、空腹であったにもかかわらず旨いとは思わなかった。半分食べた頃に別のサーヴィススタッフがいきなり前菜その1を持って来た。

〈 おいおい、ちょっと早すぎるんちゃう? 〉

いわゆる大衆食堂風なので、客の食事の進み具合なんて眼中にないのだろうか。

最初の前菜はマスカット・カボチャのクリームスープで、チーズとハムの欠片が少々と、真ん中に小さい円盤型のパンが入っている。クリームスープにしてはまろやかさがないし、煮詰まったような辛さが強くて美味しくない。

自分で選んだ前菜その2は、薄くのばしたビーフのタルタルステーキを3種類の味で食べさせる品である。一つは胡椒だけで、もう一つは緑の薬味草を少し混ぜたコッテージチーズで食べさせる。申し訳程度に魚卵がのっている。3つ目はケイパーが3つのるタルタルステーキ。周りに葉サラダ、松の実、おろしチーズ、そして茶色のソースが少しあしらわれている。何だか、辛くて酸っぱい肉の下味が強すぎて3種類の味付けの差がはっきりしない。でもまあ、ネトーっとした肉の舌触りは良かったし、サラダと松の実が美味しかった。

メインはガチョウの胸肉である。野の草花の蜂蜜で処理してしっかり焼いてある。少しパサパサするが、私の好みの焼き具合だ。アーモンドのスライスを散らせてある。マヨラナ・焼きリンゴ・ソースが旨い。私はあまり好まないが、ゼンメルクネーデル (ちぎった白パンを水で柔らかくし、小麦粉・卵・香料などを加えて練って作った団子) が付く。香料の草が混ざった葉サラダも添えてある。別の小鉢に甘く煮た紫キャベツが供された。量が多く、繊細さも意外さもない料理であるが、結構美味であった。

最後はいつもの様にエスプレッソで締めたが、1週間前までイタリアに滞在していて、いつも本場のエスプレッソを飲んでいたからだろうか、いつになく薄くて酸っぱいと感じた。

ところで、私はレストランでメニューの構成を変えてもらったり、一部、例えば 〈チーズ各種〉 を省いてもらったりすることがある。レストランはそれに応じて料金を調整したり削減したりする。注文のときの会話からここでもそうしてくれると思っていたが、甘かった。何が 「お客様のご希望通り」 だ。 〈日曜日メニュー〉 の料金はデザートの分までしっかり取って、前菜その2を追加注文として料金を上乗せしていた。レストランのレベルの問題なのか、旧東ドイツだからなのか、それともこんな変な注文をする人間に慣れていないからか分からないが、これからは、特に旧東ドイツでは注意が必要であろう。

朝食も 〈エデンの園〉 でとる。ホールの奥のこじんまりとした明るい部屋に座ったが、2面の壁が全面窓で部屋から湖を望むテラスに出られる。シャンデリアが下がりモダンな絵がかかり、すっきりとした装飾である。朝食はやはりこういう部屋に限る。ビュフェ形式であるが、朝食として考えうる限りの食材が所狭しと並べられていて、豪華な朝食の指標となる発砲ワインもある。面白いのは、一人前ずつ極小皿に盛られたスモークサーモンのサラダと豆腐を使ったサラダ。さらに、朝食としては本来考えられない肉塊料理が2種類ある。好きなだけ自分で切り取って食するのである。食器は真っ白い磁器。熱々のアールグレイ茶が美味しい。

2日目の夕食は田舎風の リッター・アルツス・ケラー にした。名前通りに地階(ケラー)にある。とはいっても、敷地が斜面なので湖の側からは1階になり、壁の一部はガラス窓で、ここからテラスに出られる。鎧兜や古い武器が飾ってあってなかなかいい雰囲気だ。しかしテーブルクロスでなくて紙製ランチョン・マットだし、紙ナプキンを使っている。写真を撮るために18時の開店時間に合わせて行くと、初老の宿泊客が続々とやって来る。年金生活者で比較的長く滞在する客や、何かしらのプランを予約して来ている人が多いらしく、殆ど皆決められたメニューを食べているようだ。昨晩の 〈エデンの園〉 でもそうであった。

 

レストラン〈リッター・アルツス・ケラー ・ 私のテーブル 

リッター・アルツス・ケラー〉のバー

担当のスタッフは小柄な感じの良い女の子だ。カラフに入れたワインを頼みたいが0,2リットルしかない。

「このワインを0,1リットル欲しいのですが、、、、」

「それは出来ません。」

「えっ、出来ないのですか。」

0,2リットルというのはこの位で、、、、、」

「どの位の量かは分かっています。私はそんなに飲めないから訊いているのです。」

「お気の毒ですが、出来ません。」

「それではワイン無しで、水だけで結構です。」

理解に苦しむ応答である。0,2リットルのカラフを半分満たすかグラスに0,1リットル注ぎ、半分の料金もしくは少し多めに取ればすむことではないか。実際 〈エデンの園〉 ではグラスに0,1リットル注いでくれたではないか。いくら可愛いくて愛想の良い女の子でも、私が経営者ならこんな子は雇わない。

突き出しとしてだろうか、テーブルにパンふた切れと食用油脂のペーストがのっている。結構いける味だ。〈リッター・アルツス・メニュー〉 というのがあるが、量が多そうなのでアラカルトで魚料理を注文することにする。鱈、鮭、ザリガニの肉、そしてパプリカに、トマト味と薬味を加えたオランデーズ・ソースをたっぷりかけて、フライパンごとオーブンに入れて表面に少し焦げ目をつけた料理だ。オーブンから出してから、カイワレ、揚げオニオン、ザリガニ1匹とムール貝を1つ上に乗せてある。別の小皿に湯でポテトが付いている。野菜サラダを別注文した。食べ始めは美味しく感じたが、オランデーズ・ソースの味が強くて単調になってきた。さらに、ソースには卵黄とバターがたっぷり入っているのでウッとくる感じがして3分の1程残した。エスプレッソは昨晩と同じで薄い酸っぱいそれであった。

以前にも書いたと思うが、〈お城でグルメ〉 というのは難しい。お城の雰囲気を楽しんで且つ美味しいものを食べようなんて虫が良すぎるのかなー。

2日目の朝食では極小皿のサラダの種類が増えているし、ジュースやソーセージの種類が微妙に変わっている。毎朝同じものが並ぶ朝食に比べて、動きがあって嬉しい。長期滞在の客には毎日のリズム感に繋がるのだろう。

この宮殿ホテル・クリンクは住に関しても周りの環境に関しても長期滞在にふさわしいと思うが、残念ながら夕食がネックになりそうだ。妻と長期旅行をするときのように、小型炊飯器と米を持って来るべきであろう。

 

〔2011年10月〕〔2021年11月 加筆・修正〕

 

 

 

 

 

 

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グッテンベルク城塞

2021年11月18日 | 旅行

グッテンベルク城塞はバーデン-ヴュルテムべルク州、ネッカー川沿いの高台にある中世後期に建造されたお城です。日本でも良く知られた古城街道にある城郭のひとつです。

 

城塞 1 & 2

この城塞の何が特別かというと、中世に起こった数々の攻囲やドイツ農民戦争、30年戦争など、すべての戦争で破壊されたことがなく、ほぼ800年にわたってずっと人が住み続けていることです。

城塞 3 & 4

グッテンベルク城塞は13世紀前半の古文書に初めてその存在が記されているのすが、この領地の税金取り立てを確かなものにするのがその建造の目的のひとつだったようです。15世紀の中頃に所有者が代わり、新しい所有者の子孫が代々引き継いで今日に至るそうです。

城塞 5 & 6

20世紀の前半にお城は林業の事業体として製材所を始めました。そして第2次世界大戦後にはツーリズムを誘致すべく城塞博物館を開き、小料理屋兼旅館を開業したのです。さらに1970年代になると負傷した猛禽(ワシ、タカ、トビ、フクロウなど)の為の療養所を始めました。そこで行われる猛禽の飛行披露は多くの観光客を呼び寄せることとなり、セルフサーヴィスのレストランを新たに開業するほどでした。現在もこれらの観光事業は続けられており、城塞の所有者は敷地内の住居棟に住んでいます。

城塞 7 & 8

グッテンベルク城塞では結婚式を挙げることが出来るし、その他いろいろな催し物を開催しているようです。例えば中世の食事会、食事付き観劇、バーベキューやフォンデューの食事会、料理対決など・・・・。いろいろと楽しめるお城のようです。

 

城塞 9 & 10

 

公衆トイレの男女表示板

ところで、私たちは秋の休暇の約半分である1週間弱を、ネッカー川沿いの町にある休暇用賃貸コンドミアムで過ごしました。古城街道にある数々のお城を見学したのですが、その多くには飲食施設がないし、あっても、中共ウィルスの予防接種をしていない我々は中に入れません。それで自炊のための買い出しに近くのREWEという系列のスーパーに行くと、驚いたことに大規模なアジア食コーナーがあるではありませんか。

 

アジア食コーナー 1 & 2

寿司や餃子の他、焼き鳥やスイートも並んでいます。全部試してみたいところですが、とりあえず握りと巻き寿司、ちらし寿司、焼き鳥、中華風肉入り饅頭、そして餅を買いました。

 

握りと巻き寿司とショウガ ・ ちらし寿司

普通は寿司ごはんが不味いのですが、チンで少し温めて割と美味しくいただきました。ちらし寿司には、日本のそれと違って、とびっこ、きゅうり、マンゴー、ルッコラ、枝豆、マグロ、鮭、アボカドが載っていて、薄めのごまだれソースで食べます。

 

焼き鳥

焼き鳥ももちろん温めて食しました。以前アジアショップで買ったものほど脂っこくなくて美味しい。

抹茶餅とマンゴ餅 ・ 抹茶餅

餅はそれ自体の食感も良いし、中の餡とジャムが混ざり合って独特の風味です。

饅頭 1 & 2

饅頭はイースト入り練り粉で作った生地に鶏肉と海鮮醤が入っています。これも温めたほうが美味しいようです。

さて、偶然見つけたこのアジア食コーナー。自宅のあるハノーファーにも同系列のスーパーがたくさんあるので、もしかしたらその中にこのようなアジア食コーナーがある店があるかも、、、、と思ってネットで探すと、、、、、ありました。一軒だけ、駅前のショッピングモールの中にあるスーパーに。しかしながら、武漢ウィルスのせいで人込みの中を歩くのは避けたいので、実際に買い物に行くのは後日になりそうです。

 

〔2021年11月〕

 

 

 

 

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フラウエンマルク城館

2021年11月14日 | 旅行

ハンブルクから旧東ドイツに向かうアウトバーンに乗り換えると、だんだんと人家もまばらな牧歌的な風景になってくる。東西ドイツ統合から20年を過ぎた今も小さな村々は道路の状態が悪いし、煤けたようなみすぼらしい家が散見できる。

フラウエンマルク城は13世紀までその歴史を辿れる、現在人口120人を数えるフラウエンマルク村のはずれにある。城というより典型的な大農園の邸みたいなのだが、実際1860年に大農園の地主の „城” として建てられたらしい。建造から30年後に一度焼失したが1893年に再建され、1945年まで大農園の城として使われた。その後何度も所有者が替わり、戦後は長い間老人ホームとして機能していたそうだ。1996年にベルリンで室内装飾品を扱う会社を経営するローテンベルクという人が手に入れたときは荒れ果てて惨めな状態だったが、数年にわたって改築と修復を行い、2001年にホテルとして開業した。ピンク色の瀟洒な建物だ。建物の後ろはそれ程広くない芝生の庭になっていて、その先に水路と見紛う細長い池があり、その向こうは林である。林の周りは広い耕地に開拓されており、この全ての耕地の所有者がフラウエンマルク城に住んでいたのであろう。

  

入城門 ・ 正面

 

お城の一部

建物の中に入ると砂岩の暖炉があり、骨董家具が並べられ、隅にアップライトのピアノが置かれたホールで、レセプションがない。ソファーの上に真っ白な猫がいる。少しの間ウロウロしていると従業員らしき人が通りかかったので案内を請うと、支配人と思われるおばさんが出て来た。まず „城内” を案内してくれて、 „フロレンツ“ という名前のバーの一角で宿泊手続きをした。勿論意識してそうしているのだが、スタイルと雰囲気がイギリスのマナーハウスに似ているし、少し退廃的なムードが漂う。

 

ロビーのホール1&2

 

階段 ・ バーの一角

3室のスイート、ダブルの客室が7つ、そしてシングルが1つあり、それぞれが違うタイプの部屋で、セシリエとかマリア・スチュアート、ソフィエ、シャーロッテ、ルイーゼ、ローラなどの名前が付いている。私の部屋はサー・ジョーンという名の付いたダブルルームだ。緑と赤茶色の部屋で、立派な家具と室内装飾品を置いている。本当に骨董価値があるものなのか、骨董に似せてあるだけの家具調度なのか、私には判らない。サーヴィスの水とリキューがある。なんだか場違いな感じを受けるのは、小さくて全時代的なテレビである。部屋に電話がないのは最近携帯を持つ客が多いからか。

 

私の部屋1&2

窓のある比較的広いバスルームで、使い勝手は悪いが面白い古式洗面台がある。バスタブの下の部分は普通タイルで蓋っているのであるが、ここのはギザの付いたカーテンをたらしている。スカートをはいた浴槽は初めてである。床が不安定な板張りなので仕方がないのであろう。普通の部屋を無理やりバスルームにしたと思われる。

 

バスルーム1&2

部屋に案内してくれた支配人らしきおばさんが言う。

「夜、電気を点けている時は窓を開けないでください。窓を開けるなら電気を消してください。蚊が入ってきますので。刺す蚊ではありませんが、、、、。」

私はフーンと思っただけだったが、外が薄暗くなってくると来る来る。数十匹の蚊が窓にへばりついて、入れてくれ入れてくれと騒いでいる。次の日に散歩をして分かったのだが、周辺には大小の沼と池が沢山ある。なるほど、、、、。

このホテルで面白いのは、室内、フロアを問わず、この建物にある家具やアクセサリーを購買出来ることである。箪笥、鏡、イタリア製のツボ、蝋燭立て、郷愁をそそる脚付き浴槽、インドの椅子など。陶器中心の装飾品を並べた部屋もある。まるで、城の所有者であるローテンベルク氏の会社の展示即売場みたいだ。

夕食と朝食を摂る „クラウド・モネ” という名のレストランは、フランスはGiverny にあるこの画家の家に刺激を受けて内装されたそうで、黄色と青色の華やかな部屋である。イタリアの陶器類とガラス製品を陳列している。BGMはワルツだ。しかし、食事をする雰囲気としては一考の余地があると思う。というのは、テーブルクロスは紙で一部を蓋うだけ。ナプキンも安っぽい紙。この村の人であろうか、普通のおばさん二人がごく普通にサーヴィスする、というか、食事を運んでくる。少し欠けている食器が2、3ある。デザートの代わりにエスプレッソを頼んだつもりなのに間違えてすぐに持って来たが、謝って持って行こうとするのを差し止めた。食前コーヒーでも、まぁいいや。

レストラン „クラウド・モネ” 

一応突き出しとして、棒状の固パンと棒状に切ったピーマンが出た。コッテージチーズを付けて食べるらしい。

前菜に日替わりスープを頼むと、カボチャスープであった。今が旬なので当然だ。カプチーノ風にクリームの泡で蓋い、炒った種を少しのせてカボチャ種オイルを一筋流してある。味に何かが足りないけれども何だか判らない。塩を入れてもダメ。思いついたのは、これがドイツのカボチャの味、ということだ。ここのカボチャはそれ自体が水っぽくて味が薄い。コクがあってホクホク感がある日本のカボチャとは大違いである。

主菜として、焼いた鶏の胸肉をクリームソースで食した。茹でた緑と白のカリフラワーとニンジンが付き、傍らにマヨネーズ味のニンジンサラダが少しある。炭水化物は粒の大きいワイルド・ライスである。この料理の良い点は、肉が柔らかいこととサラダのサッパリ感が良いことだ。悪い点は、ライスを炊いているのではなくて大量の湯で茹でているので、水分を多く含んでグジャグジャになっていること。野菜も茹で過ぎでグジャグジャになっている。野菜の茹で方までイギリス風とは流石である。 (皮肉です。) はっきり言ってここの食事はまずい。ちゃんとしたシェフは居なくて、おばさんのうちの一人が自分で料理して持ってくる。 

デザート代わりのエスプレッソはもう食前に飲んだので、すぐに部屋に戻った。

少なからず宿泊客がいるはずなのに非常に静かな夜である。皆おとなしい人達なんだろうか。

朝食時間の設定は遅めで、9時から11時となっている。忙しいビジネスマンなどはこういうホテルには泊まらないのであろう。„クラウド・モネ” が満席だったので、向かいの „ミス・マープル“ (アガサ・クリスティの作品の探偵おばあちゃん) の部屋で摂った。宿泊費相応の、特筆すべき事は何もない朝食である。今日は東西ドイツ統合記念日であるからか、発砲ワインをサーヴィスしてくれた。

  

朝食部屋 „ミス・マープル“

このホテルの特異性はお茶。「お茶飲み文化」 に力を入れていて、インド産や中国産を含め約20種類のお茶をティー・サロンで飲めるし、買うことも出来る。イギリスの 「お茶飲み文化」 で良く知られたスコーンを焼いて、完璧なイギリス風ティー・タイムを供する、、、、と、ホームページに書いてある。

2日目の午後、そのティー・タイムを経験してみた。

2階のティー・サロンで期待して待っていると、言っておいた時間通りに持って来てくれた。一目見て、、、、、ガックリ。この夏に本場でイングリッシュ・ティー・タイムを楽しんだ者としては、少なからずショックであった。まず、本来は3層の皿で真ん中に取っ手のある食器に、スコーンと2、3種類のケーキ、そしてサンドイッチを乗せて来るのだが、ここでは1層である。大したことではないと思われるかもしれないが、3層と1層では立体感が違う。華やかさが違う。さらに、昼食の代わりにしようと思っていたのに、サンドイッチがない。あるのはスコーン1個とドイツのバウンドケーキ1つ。どちらもシットリ感が少なくてパサパサだし、何よりも旨くない。決定的に良くないのはスコーンにつけるクリームである。普通のクリームだ。スコーン用の本場のクリームはドイツでも手に入るのに、何故わざわざまがい物を使うのか。残念でならない。その上給仕のおばさんは、お茶に入れるミルクとバウンドケーキを食べるフォークを持って来ていない。呆れてしまってそれを指示する気力もなく、ダージリン茶にはクリームを入れ、ケーキはティースプーンで食べた。他には 「お茶をする」 客は居ないらしく、一人で静かな時間を過ごせたのは良かった。

ティー・サロンのバルコニーから入城門の方を見る

ティー・サロン1&2

 

アフタヌーン・ティー

夕食は、あまり食欲もないし、また美味しくない料理を食べるのも嫌なので、最近気に入っていて家から持って来た „CANTUCCINI“ というイタリアのお菓子とミネラルウォーターで済ますことにした。

2日目の朝は宿泊客が少なく、 „クラウド・モネ” で朝食を。面白いというか、残念というか、ビュッフェに並べている物が昨日と全く同じである。選択幅がそれほどあるわけではないので同じものを食べることになる。違うのは、発砲ワインのサーヴィスが今朝はないことだ。

部屋に帰る途中にティー・サロンの前を通るので中を覗いてみると、なんと、昨日の午後私が 「お茶した」 後を片付けていない。せっかく綺麗に設えているサロンなのに、、、、。今日新しい客が到着してティー・サロンに入るまでに片付けることを望む。(このホテルの為に!)

北東ドイツの素朴な風景の中に点在する、東ドイツの影をいまだに引きずっている小さな村々のうちの1つにある、イギリスのマナーハウスを思わせるフラウエンマルク城ホテル。その歴史を感じさせる建物と立派な骨董風家具調度で、なかなか面白いホテルである。しかし、旧東ドイツにはよくあるように、その従業員のプロ意識の欠如が目立っていると思う。ホームページを見ると画一的なホテル業務との間に一線を引いているらしいが、何か勘違いをしているのではないだろうか。殊に飲食に関しては完全にアウトである。

 

〔2011年10月〕〔2021年11月 加筆・修正〕

 

 

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水城ホテル フゲンポェート

2021年11月09日 | 旅行

デュッセルドルフから北北東に約30km行ったところにエッセンという町があるが、道半ばのところにフゲンポェート水城がある。ルール川流域の草原地帯にある牧歌的な公園の真ん中に建っている。フゲンポェートは、カール大帝の大農園として西暦778年に初めて歴史書に記されているらしい。

ところで、フゲンポェートという名の由来であるが、 „フゲ” とはこの地方の言葉でヒキガエル、そして „ポェート” とは水たまりのことで、すなわち „水たまりに座るヒキガエル“ だそうだ。この水城ホテルは名前の由来を大事にしていて、いたるところでヒキガエルに出会う。ホテルの所有者の家紋、バーキーパーのネクタイピン、レストラン „フゲンポェットヒェン“ のメニュー、といった具合である。

„ フゲ ”

1478年に最初の城が建てられたが、領主間の私闘の際に壊された。1509年、その廃墟の近くに新しい城が建造されたのであるが、それも30年戦争で完全に破壊された。そして現存する城が新しく建築されたのは1647年であるらしい。1831年に所有者が替わり、1955年に再び城主が替わった頃から城をホテルにするアイデアが出始め、水城ホテル・フゲンポェートが誕生した。1995年以来ホテルはリュッベルトという名前の夫妻の手に委ねられており、夫妻は改築と改装を重ねてレストランなどの設備を充実させ、現在この水上宮殿は26の部屋を有する ホテルで、2006年から „The Leading Small Hotels of the World“ のメンバーになっている。2つあるレストランのうちの1つは2010年にミシュラン1つ星を獲得し、超5つ星ホテルに格付けされているらしい。ホームページでは有名人の宿泊客が多いことを強調しており、何だかいけ好かないホテルである。

   

入り口の門 ・ 門をくぐったところから見る

  

城門と城館1 ・ 城門から見る城館2

  

城館3 ・ 城館4

城門をくぐると狭い中庭があり、そこを通ってフロントに行く。

いかにも石でガチガチに造った城という感じがする。

 「こんにちわ。OOといいます。」

と建物に入ると、フロントの後ろから女性がニコニコ顔で飛び出してきて、

 「いらっしゃいませ、OO様。ご機嫌いかがですか。」

と言いながらスーツケースをゴロゴロ押してくれる。

 「いい部屋を用意しました。」

予約した グルメプラン では、 „エレガントな客室のシングルユース“ ということだ。

フロントのお姉さんは終始笑顔で手続きをして、ポーターを呼ぶ。ここはまだ古き良き時代のシステムである。1955年製造の狭い木張りのエレベーターがある。

ロビーをゆっくり見る間もなく部屋に案内されるが、途中のフロアを初めとするいたるところに並べられた骨董の調度類と陶磁器の立派さは眼を見張るばかりである。

 

階段の踊り場 ・ ロビー

客室に入るといわゆる玄関の間があり、正面が窓のある広いバスルームになっている。2面がガラス張りのシャワーと三角形のバスタブがあり、窓辺に蘭の鉢植えを飾っている。玄関の間から左に行くと、ソファーセットを備えた広い寝室だ。今までの経験からいうと、この部屋はジュニアスイートである。明るい青をベースにした色合いで、高い天井からはシャンデリアが下がる。2方向に大きな窓がある非常に明るい角部屋で、1つの窓からは西洋シャクナゲの島が浮く堀が見える。花が咲く時期は綺麗だろう。もう1つの窓からは堀と庭とテラスの一部。残念ながらと言うか幸いにもと言うか、非常階段が手の届く位置にあって窓からの視界を一部さえぎる。家具は骨董品で、戸棚の中にテレビ、DVDレコーダー、冷蔵庫、そして面白くなさそうな本が20冊ほど入っている。冷蔵庫の中のノンアルコールの飲み物は無料であるそうだ。丸テーブルには白いバラ中心の小さな花束が生けてあり、果物とビスケットと苺リキュールが置いてある。苺リキュールはプランに付いているはずのシャンペンの代わりだろうか。さらに個人的に私の名を冠した挨拶カードとインフォメーション紙片、また歓迎のプレゼントとしてサクランボのジャムを用意している。スリッパとバスローヴもあり、まさに5つ星相当の設備とサーヴィスである。

  

私の部屋1 ・ 私の部屋2

  

私の部屋3 ・ 私の部屋からの景色

食事に行くのにフロントでレストランの位置を訊こうとすると、お姉さんが飛び出して来て(飛び出すのが好きな人)ニコニコしながら案内してくれる。

「OO様、夕食を楽しんで来てください。」

グルメプラン の夕食は週に4日間の夜しか開いてないミシュラン1つ星の„NERO(イタリア語で黒)“ というレストランで、女性シェフの店だ。城の公園を見渡す位置にあり、エレガントで非常にモダンな装飾を施していて、なぜか赤と黒に思い入れがあるらしく、テーブルクロスとナプキンとロウソクだけが白で後はすべて赤か黒。飲料水用のコップまで男性は黒で女性は赤である。殆ど聞こえないくらいにジャズが流れる。レストランの写真を撮らなかったのは別に遠慮した訳ではなくて、充電池の電気がなくなったからだ。私にサーヴィスしてくれるのは痩せた中年のソムリエと若い男性で、どちらも慇懃な態度で高級レストランの雰囲気が出ていてよろしい。3種類のパンにバター、塩4種類、オリーブ油2種類が出てくる。スペイン産であるらしい。

厨房からのサーヴィスのひと口料理はマグロのタルタルステーキとトマト味のムール貝で、どちらも旨い。2種類の軽い塩味のクッキーが付く。

突き出しがもう1つ出て、これは焼いた鴨の胸肉のスライスとリンゴのみじん切り。薄味の肉にリンゴが良く合う。突き出しのためにソムリエのおじさんがワインを注いでくれるが、ほんの2、3口分だけにしてもらう。

このプランのメニューは5品のコースメニューであって、4品目にチーズの盛り合わせがあるのだが、あまり食べたくないのでデザートの一品と換えてもらうことにした。このグルメプランにはもう1つ問題があった。5品それぞれの料理に合うワインが1杯ずつ付くのである。あまり飲めないけれど全部試したい私としては、ソムリエと相談して、それぞれほんの少しずつ注いでもらうことにする。

さて1品目は皮をカリッと焼いた Loup de mer(オオカミウオの一種)の下に、フランスはブルターニュ地方の海草をつぶして敷いている。イクラも少しある。横にはピーマンのムースの上に新鮮な生の魚がのる。いわゆる刺身だ。少し和食の雰囲気があり、繊細な薄味で視覚的にも楽しめた。

2品目は一部肝臓の形をしたままの焼きフォアグラで、殆ど生である。下に若いアーティチョークの切片と極薄のサツマイモを敷いて、全体をトーモロコシ味の泡が被う。私は生々しい肝臓は本来苦手なのだが、全体的にやさしい味を賞味できた。

そしてメインディシュは、バラ色に焼いた子羊の肉に半分すりつぶされ半分原形を留めたヒヨコマメが添えてある。3つの肉の塊の下に同じ肉の切片の煮込みを隠し、シイタケと小粒玉ねぎがあり、杏ジャムが少々。肉のソースはフッと中近東の香辛料の香りがする味付けで美味しい。しかしシイタケの存在価値が判らない。当地のシイタケはどっちみち味も香りも非常に弱いから肉のソースに完全に負けている。単に日本の食材を使うのが流行りであるからシイタケを使っているのだろうか。

チーズの代わりに出してもらったデザートは、ラヴェンダー・アイスクリームに平たい飴とミントを刺してある。横のチーズパフェには煎餅状のものと煮梨の切片をのせている。ラヴェンダーの花が皿上を飾る。アイスクリームが旨い。ソムリエのおじさんは黙っていてもチーズの盛り合わせに合うワインをこのデザートに合うワインに換えて持って来た。エライ。

チーズの代わりのデザートが最後のデザートが似てしまったのは仕方がない。スイートレモンのパフェにジャスミンティー・アイスクリームと甘サクランボのコンポートが添えてある。本当にジャスミンティーの味がするアイスクリームが美味である。ここにも平板の飴とミントを刺している。

最後まで美味しく食べられたし、ワインも全部でグラス1杯分ぐらいは呑んだと思う。ただ終盤に、グループ客がレストランに隣接する喫煙可能なバーで軽い食事を始め、極少量だがタバコの匂いを私の敏感な鼻が感知したのには閉口した。

多種類のひと口チョコレートを薦められたが、デザートを二つ食べた後ではもう甘い物に食指が動かなかった。全体の雰囲気も料理のレベルも気合いが入っており、ミシュラン2つ星を目指しているのが分かる。

 部屋に帰るのにフロントの前を通ると、またお姉さんが、

 「OO様、美味しい食事が出来ましたか?  そうですか。良かったですね。明朝は起こしたほうがいいですか? よろしいですか。それでは、おやすみなさい。」

と、にこやかに早口で声を掛けてくれた。この人はいつも明るくていいナー。

朝食に降りていくとフロントに別の女性が居て、この人も明るくにこやかにいろいろバチバチ喋りながら朝食場に連れて行ってくれる。ディナーレストランの隣で、ここは現代風高級感溢れる広間なのだが、昔のやり方のサーヴィスでビュッフェではない。すなわち給仕のおじさんがいろいろ聞いてくれて、メニューを見ながら食べたいものを伝えると準備をして持って来てくれる。私の朝食はいつも決まっているので注文は簡単だ。もちろん銀食器を使っているし、オレンジジュースも新鮮絞りである。ダージリンの紅茶を頼むとスプリングかサマーかと訊かれる。そこまで色々あるのか、と驚く。お茶が美味しい。他の客はもう居なくて、一人で新聞を読みながらゆっくりと朝食を摂った。

良いホテルで大変満足したが、ここは航空機の通り道になっているらしく、早朝から音が聞こえるのは残念だ。

チェックアウトの後ポーターが少し離れた駐車場まで荷物を運んでくれて、にこやかに車をホテルの玄関まで廻してくれる。庭を掃除しているおじさんさえもにこやかに挨拶をしてくれる。

 ライン地方は人が明るいので知られているが、このホテルの従業員のみならず、町で道を聞いたりして少し言葉を交わした人たちも確かにオープンで明るいと思った。

そういえばライン河流域には沢山城郭がある。その一部はホテルになっているはずなのにあまり宿泊していない。機会を見て探索してみよう。

 

〔2011年9月〕〔2021年11月 加筆・修正〕

 

 

 

 

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