ネズミ城砦はライン渓谷の中ほどの山頂、海抜197.3m に建つお城で、2002年からユネスコ世界遺産の一部になっています。この城砦は14世紀の後半に建造され、高位聖職者の暫時の住居としても使われました。そして、フォン・カッツェネルンボーゲン伯爵が時を同じくして近くに 〈カッツ = ネコ〉 と呼ばれる、より大きな城砦を建てたので、ネズミ城と呼ばれるようになったのです。長い間戦争などによっても破壊されることはなかったのですが、18世紀にその荒廃が明らかになりました。その後この城砦を保存したいと思う人物が購入して、20世紀の初めに再建が完了したのですが、その外見は原型を残すことが出来たそうです。お城には2010年の末まで何十年にもわたってワシとハヤブサの農場がありました。2016年に農場の運営が再開されて、観光客の為にハヤブサの飛行デモンストレーションが行われていたのですが、すぐにまた閉鎖されたとのことです。現在、お城は特別なガイド付きツアーの一環としてのみ見学することができます。
ネズミ城砦 1 ・ ネズミ城砦 2
ネズミ城砦 3 ・ ネズミ城砦 4
ネズミ城砦 5 ・ ネズミ城砦 6
ネズミ城砦に行くのは結構大変で、山裾までは車で行けるのですが、後は急こう配の山道を登らなければなりません。頑張って城門の前まで来たら、なんと、閉まっているではないですか。私たちの訪問が 〈特別なガイド付きツアー〉 ではないからか、武漢肺炎のせいなのか分かりませんが、城内を見ることは出来ませんでした。
ネズミ城砦 7 ・ ネズミ城砦 8
ネズミ城砦 9 ・ ネズミ城砦が建つ山より
さて、ネズミ城砦から約5km 離れた別の山にネコ城砦があります。本来、お城にはノイカッツェネルンボーゲン城という名前が付いていましたが、 〈カッツ城 = ネコ城〉 に短縮されたのです。やはり2002年以来ユネスコ世界遺産の一部です。
前述のように、ネコ城はフォン・カッツェネルンボーゲン伯爵によって14世紀の後半に建てられましたが、17世紀末にはこの地方の王位継承戦争で破壊されました。再建されたお城は、その後18世紀中頃の7年戦争の時にフランス軍によっていち度攻略され、すぐに返還されたようです。しかし19世紀の初めに、フランス皇帝のナポレオンによって何の損傷もないネコ城砦は結局爆破され、その廃墟は数人の個人の所有を経た後、19世紀の末に、ある地区評議員に売却されたのです。この人物がネコ城を住居として再建しました。その際中世の趣はあまり考慮されなかったので、ごく一部に原型の部分が残っているだけです。そしてお城は競売にかけられた後、第2次世界大戦の前にはナチスの国家勤労奉仕制度に組み込まれて、軍の合宿所が設けられました。戦後、ドイツ連邦共和国が所有者になり、1966年までお城は寄宿学校として使われ、そして1987年の末まで連邦財政局のソーシャルワーカーのためのレクリエーションセンターでした。その後カッツ城が売りに出されたとき、ある日本人が購入して、彼は日本人観光客専用のホテルに改装したいと考えていたようですが、実現されなかったそうです。こんにち城砦は、この人物なのか別の人なのかは分かりませんが、いずれにせよ日本人の個人所有になっていて、見学は出来ないそうです。
ネコ城砦 1 ・ ネコ城砦 2
ネコ城砦 3 ・ ネコ城砦 4
せめて外観だけでも近くで見ようと、狭い谷の道を城砦が建つ山の下まで車で行きましたが、お城へ続く道路が遮断されていています。さらにその道路には雑草が生えていて、ずいぶん長い間使用していないことがうかがえます。歩いて行けないことはないでしょうが、近くに駐車するスペースがありませんし、どうせ城内には入れないと思い、見学は断念したのです。
ということで、どちらの城砦も満足のいく見学は出来ませんでした。
その見学ツアーの途中で喫茶をしました。チーズケーキとミルクティーです。
チーズケーキとミルクティー
紅茶は、まずダージリン、アッサム、アール・グレイなど希望の銘柄を聞かれて、この国では通常ガラスのカップで供されます。ケーキは日本のケーキに比べてかなり大きめです。それで、妻と私はいつも一個だけ注文して二人で食べるのです。フォークをケーキの横腹に突き刺して出すのは、この国では普通のことです。何とも美しくない習慣ですね。この店では、不思議にもケーキの傍らに小さな紙ナプキンがありませんでした。
私たちはこの日から2週間、ライン河とモーゼル川の河畔に住んで、毎日背後の山をトレッキングして過ごしたのですが、ブドウの木の紅 (黄) 葉がだんだんと進んでいく様子は実に印象的でした。
[2020年10月]