お城でグルメ!

ドイツの古城ホテルでグルメな食事を。

タンガーミュンデ城

2022年04月28日 | 旅行

今年40周年を迎える „リングホテル“ というドイツ国内約130軒のホテルからなるグループがあり、そのうちの13軒は城や領主の館や木組みの家など、最低100年の歴史をもつ建物をホテルに改築している。

タンガーミュンデ城はその中のひとつで、„リングホテル“ の冊子には „シュロスホテル“、すなわち „城館ホテル“ と記されているが、土地の人は „ブルク“、 つまり „城塞“ と呼んでいる。タンガーとはタンガー川のことで、ミュンデ (ン) が „流入する“ という意味だから、川幅5mほどのタンガー川が大河エルベに流れ込む位置にこの城塞は建つ。

   

タンガー川とエルベ河の合流点 ・ 城の全体像

古文書によると、当時の国境としてのエルベ河の警備のために10から11世紀にかけて城は建造されたらしく、ぐるりと市壁に囲まれた旧市街をもつ同じ名前の地方自治体は13世紀にできたそうである。14世紀にカール皇帝IV世が城塞に入り城館風に拡充したが、今残っているオリジナルは „カンツライ“ とよばれる儀式や式典のためのホールがある建物だけである。

 

カンツライ

他の建造物は17世紀の中頃、スウェーデン軍に大部分破壊された。今は北欧でおとなしくしているスウェーデンも、かつては中部ヨーロッパで悪いことをしていたようである。そして同世紀の末にフリードリッヒ選帝侯III 世(神聖ローマ皇帝の選挙権を持っていた領主)が再建し、今日ホテルとして使われている建物を建造させた。1900年代になってから少しずつ改築や改装が進み、2000年に大々的に近代化されて開業したそうである。その後2009年に会議場、そして2010年にスパセンターが増設されて充実したホテルになった。城門、城塔、丸い天守閣、掘割などが当時の姿をしのばせる。

  

旧市街の様子 ・ 城門と城塔

 

城塔と城壁

水のない掘割を越えて城門をくぐる。まさに登城である。感じのいいお姉さんが二人レセプションにいて、カードをセンサーにかざすドアの開錠の仕方をフロントに置いたドアの取手部分の模型で実演してくれる。よくあるシステムなのに、わざわざ模型を準備しているのが面白い。そして私の名を付記した、滞在に必要な各種インフォメーションが載った冊子をくれる。

 

ホテルの建物

„リングホテル“ の加盟ホテルは全部、 „シャンパニアトロイメ(シャンペンの夢)”というプランを提供しているのでそれを利用した。このプランに含まれるのは、2泊、朝食2回、夕食2回(3品と4品)、スパ利用の権利、プレゼントとして、カール皇帝IV世に関する写真冊子、町の名物であるカステラをチョコレートでくるんだ菓子、町にある博物館の入場券。そしてプランの名前どおりに、フランスはランスのシャンペン(発砲ワインでない)だ。ちゃんと氷が入ったクーラーに立てて、グラスも用意してある。

ダブルのシングルユースなので広く、黒い木の梁とシャンデリアが城館の雰囲気をかもし出す。部屋からエルベ河が見えるのは気持ちがいいが、すべてが、時間までもが凍りついたような景色である。外はマイナス7度Cなのに室温をちょうどいいくらいに調節してある。(この国では宿泊客が寒いゲストルームに入って自分で暖房の温度調節をする場合が多い。)立派な家具は骨董風ではあるが比較的新しい。白で統一したバスルームに大きな窓があるのがいい。スパを利用する人が多いのか、スパ用のタオル数枚とバスローヴとスリッパをバッグに入れておいてある。枕の上に小さなチョコレートをのせておくサーヴィスはよくあるが、「昔々あるところに・・・・」で始まる寝る前のお話を書いたカードも置いてあるのは一風変わったアイデアであろう。全体的にお客さんをお迎えするという姿勢が感じられて、第一印象は非常によろしい。

  

私の部屋 1 & 2

中小の部屋が数室つらなるレストランはクリーム色でまとめている。小さなシャンデリアがいくつかかかり、クラシックが静かに流れて感じが良い。こんな凍てついた夜でも食事の客は結構居る。少しパサパサした感じの明るいお姉さんが給仕係りだ。プランの一晩目は3品の „城塞メニュー”。

「ここにあなたのメニューがあります。」

「後でそれを持っていっていいですか。」

ちょっと困った顔をして、

「あー、気付かれないようにそっと持って行ってください。」

「はぁ、気がつかれないように持っていきます。」

いつものように、内側のメニューを書いてある紙片だけを持っていく。

  

レストラン 1 & 2

アペリティフにノンアルコールの発砲ワインをたのむと、突き出しとしてザウアーブラーテン(酢や香辛料でマリネした牛肉のロースト)のアスピック料理がでた。味があまりしないのは冷たすぎるからだろうか。食事をしたい時間を知らせておいたのだから、室温に戻しておいて欲しかった。不思議なことにパンが出てこないが、どうでもいいので催促はしない。

1品目はムラサキキャベツのスープで、シナモン風味の煮たリンゴ片をのせている。寒い夜は熱々が旨い。いささかびっくりしたのは、別小皿にホワイトチョコレートの削ったのが付いてきたことだ。好みに応じて入れるらしい。甘酸っぱい味になるが、チョコレートはなくても良い。いや、むしろ無いほうが良いと思う。

メインディッシュは陶製のオーブン用深鍋で調理した雄牛の頬肉の煮込み料理である。繰り返しになるが、寒いので汁物は歓迎する。他に入っているのはほそ長く切ったポテト、根菜(といってもニンジンだけ)、そして乾燥トマト。もっとも、乾燥トマトの味はするが見当たらない。みじん切りにしていて溶けてしまったのかもしれない。そしてニガヨモギで洗練したらしいが、ニガヨモギの味は感知できなかった。トッピングされた二種類の生の薬味草が少し繊細さをだしているが、典型的な田舎料理である。今ダイエットをしていて毎日夕食前は空腹なので美味しく感じたが、本当は美味しい料理ではないと思う。(あくまでもこの料理に限り、一般に田舎料理が不味いといっているのではない。)

デザートは自家製のアイスクリーム3種類に多種の果物が付いている。クロワッサン風のワッフルが上にのる。このデザートが見た目もきれいだったし、一番美味しかった。

朝食も昨晩のレストランでとることになっていて、イージーリスニングが静かに流れ、感じのいい女の子が給仕をしてくれる。朝食なのに布のナプキンを使っていて贅沢感あり。テーブルにいわゆる „日刊新聞“ が置いてあり、天気、今日の言葉、スパとホテルの催し物の情報、および町の歴史と観光に関する情報が載っている。

粗捜しをしてみるが、書くに値するような欠陥は見つからない。完璧に近い朝食ではないだろうか。

2晩目は4品の „享楽家メニュー“ だ。突き出しはニンジンがほんの少し入ったロールキャベツならぬロール牛肉で、下に少しだけムラサキキャベツを敷いている。今日は美味しいパンが出たがバターは無し。

1.ノヂシャのサラダにザクロの実ドレッシング。それに鴨の胸肉の燻製と照りをつけた „真珠玉ねぎ“ が添えてある。生野菜はノヂシャだけでなくチコリとムラサキキャベツとミニトマトがあり、新鮮でパキパキしているし、ピンク色のザクロドレッシングが美味しい。鴨の胸肉の燻製は豚の生ハムに比べてもっちりしていて、特に旨いわけでもない。玉ねぎは小さめのさくらんぼの大きさで、これは美味しいと思う。

2.結婚式で供されるこの地方のスープ。コンソメ風の薄味で、スープも皿も熱々である。具は小さい肉団子、アスパラ、卵豆腐で、きざんだハーブが少々かかる。それなりに旨いが、美味しさで舌が踊るほどではない。卵豆腐は味噌汁に合いそうだ。

3.豚のフィレ肉を長いまま焼いて輪切りにしている。これをバルサミコソースで食べさせる。付け合せにはアーモンドのかけらをほんの少しふりかけたメキャベツの煮たのんに、ジャガイモとセロリの混合ピューレが供される。バルサミコソースは味がきつくて、肉には合うがピューレには合わない。

4.アイスケーキとでも言おうか、スポンジケーキをアイスクリームの生地につけておいて凍らせたようなデザートで、ヌガー・ソースを下に敷いている。ソースがチョコレートほど主張が強くなくて甘くて美味しい。

昨晩よりも手間がかかっていそうな料理で結構美味しく食べられ、エスプレッソで締めくくった。昨晩も今晩もワイン200mlを軽く飲めたのは意外だった。少し減量したので肝臓の負担が減ってアルコールに強くなったかな。

二日目の朝食には紅茶用のキャンディー砂糖と茶色砂糖を出してくれたし、ジュースは昨日の2倍の量があった。目玉焼きをひとつ両面を焼いて上にベーコンを乗せる、白内障の片目に眼帯をしたようなのを頼もうと思っていたのに、卵料理が欲しいかどうか訊いてくれない。サーヴィス係りのスタッフによって朝食の内容が変わるのは良いのか悪いのか、、、、。もっとも、自分の希望をどんどん言えばいいのだが、、、、。

この城館ホテルは 〈4星スーパー〉 の評価だが、それに値すると思う。良いシェフを引っ張ってきてレストランをグルメにすれば5つ星になるのではないか。年のせいか、ホテルに泊まったときはいつも、1週間ぐらいボーッとするのに適しているかどうかを考えるのであるが、ここはJa と答えられる。大河の畔で行きかう観光船に乗ってもそれを眺めてもいい。河沿いの散歩道を歩いてもいいし、自転車で駆け抜けてもいい。古い文化に触れたければ、1000 年の歴史を誇るハンザ同盟都市の旧市街には12から17世紀にかけて造られた古い建造物が立ち並ぶ。

今回、すべてが凍結してしまった平野の景色が広がる冬の滞在も素晴らしいことが分かった。次回は暖かい季節に来てみよう。

 

雪と氷に覆われた平野

 

〔2013年1月〕〔2022年4月 加筆・修正〕

 

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フロイデンベルク城塞

2022年04月24日 | 旅行

フロイデンベルク城塞はバーデン=ヴュルテンベルク州のマイン河沿いにあるお城の遺跡です。ヴュルツブルクから真西に車で約50分、フロイデンべルクの旧市街を見下ろす丘の中腹に建っています。

その成立は12世紀の末までさかのぼるのですが、最初は某司教が建てた一本の住居塔でした。そして別の司教による小規模な建設段階があり、14世紀の後半には環状囲壁やお城の本丸などが建設されたのです。15世紀末から16世紀の初めにかけては、印象的なルネッサンス様式の建造物を備えた防衛能力の高い要塞化へのさらなる拡張と拡充が某伯爵によって行われました。そして別棟が建設されたり保護壁が築かれたりした後、最後に建設された外側の防御壁は山腹を下ってマイン河まで西と東に拡張され、フロイデンベルクの城下町を囲みました。

 

城塞と東の防御壁 ・ 西の防御壁

ところが16世紀中頃の第二次辺境伯戦争の際にひどく損傷し、それからお城は徐々に劣化して行ったのです。その後お城の管理はフロイデンべルク市に移され、特に16世紀末期以降の魔女裁判の時代に、大砲塔のみが刑務所として使用され続けました。しかしながら中世の終わりとともにお城は荒廃し、草花の茂みと木々に埋もれて、何世紀にもわたって忘却の彼方に落ちて行ったのです。

第二次世界大戦後になってようやく、市民が主導して宣伝活動を行ったため、城塞の存在が再発見され、その価値が徐々に認められ、20世紀の終わり頃に改装された状態で一般に公開されました。

お城に行くには車でぐるりと裏に回って山中の駐車場に停め、平地を少し歩く選択もあるのですが、私たちは旧市街から長い石段を登って行きました。

 

お城へと続く石段 ・ 城塞 1

 

城塞 2 ・ 城塞 3

すると城壁と丸い塔に囲まれた広い草地の広場に出ます。なんと、丸い塔に魔女の姿があるではないですか。私の住むハノーファーの近くのハルツ山で毎年魔女の集会があるそうですが、ここの魔女も参加するのでしょうね。

 

丸い塔と魔女 ・ 魔女

  

城塞 4 ・ 城塞 5

奥に進むと、中庭と思われる場所に野外劇場が設えてあります。こんにち、2年ごとの奇数年に観劇の催しが開かれるとのことです。

 

奥へと続く門 ・ 下から見る野外劇場

 

上から見る野外劇場

 

旧市街にある城塞の模型 ・ 弁当

この日は4月にもかかわらずめっぽう寒かったので、車の中で弁当を食べました。ご飯の上に鰹節と梅干し。おかずは大豆の煮たのん、大根のポリポリ漬け、鶏胸肉の蒸し煮とパプリカのごまだれ和えです。熱いお茶と一緒にいただきました。

 

〔2022年4月〕

 

 

 

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ミルデン城塞

2022年04月20日 | 旅行

10日間のイースター休暇を、今年はヴュルツブルク周辺のマイン河畔で過ごしました。そのヴュルツブルクから真西に車で1時間弱走ったところにミルテンベルクという小さな町があり、小高い丘の上にミルデン城塞が建っています。

このお城は12世紀末に東の国境警備の為に建設され、13世紀の前半に初めて文書で言及されたそうです。高さ27メートルの天守閣が城塞複合体の最も古い部分です。

 

遠くから見たミルデン城塞

こんにちまで保存されている高い屋根と階段状の切妻を備えた住居棟は、14世紀の終わり頃、この地の大司教によって設立されました。そしてお城は数回拡張されましたが、16世紀中頃の2回にわたる農民戦争で破壊されました。その後部分的に再建されたお城は、18世紀まで大司教座の所在地として使われたのです。19世紀の初め頃から1979年まで城塞は個人所有でしたが、その後ミルテンベルクの町が建物の複合体を取得しました。今世紀に入って10年を過ぎた頃に、改装されたミルデン城塞は再び一般公開され、現在はアイコンと現代美術の博物館が入っています。

  

お城に行く道の一つ ・ お城に行く別の道

 

お城に行く第3の道 1 ・ お城に行く第3の道 2

お城には旧市街の中央広場から石畳の坂を登って行ったのですが、異なる時代に増築されたのが良く分かる建造物です。城塞博物館の展示物は、20世紀と21世紀の約170点の芸術作品、16世紀から19世紀にかけてのロシアとギリシャのアイコン、そして180点以上のルーマニアの逆ガラスアイコンで構成されているようです。私たちは興味がないので入館しないことにしました。

 

側面

 

正面 1 ・ 正面 2

 

城塞から旧市街を望む

バイエルン州特有の丸屋根の教会を含む旧市街の展望は良いけれど、それほど立派なお城ではなくていささか期待外れでしたが、町にはそれ以外に見所が多い事が分かりました。ワイナリーとビールの醸造所が目に付くほか、端から端までゆっくり見学しながら歩いて30分ぐらいの旧市街には、趣のある木骨造りの家が建ち並んでいます。日本でいうと戦国時代から江戸時代初期にかけての建造物が多いようです。

 

旧市街 1 ・ 旧市街 2

 

旧市街 3 ・ 旧市街 4

大衆レストランのひとつはドイツで一番古いと言われているそうですが、私の記憶ではフライブルクにもドイツで最も古いレストランがあったような、、、?

 

ドイツで一番古いと言われるレストラン

 

旧市街入口の塔 ・ 坂の上の教会

まだ観光シーズンの前らしく観光客はほとんどいませんが、駐車場の広さと数から察するに、夏は大変な賑わいの観光地のようです。お城下の市立博物館はこの地方の文化と歴史がテーマなので入ろうとしましたが、武漢コロナ検査の陰性証明を呈示しなければならなかったので諦めました。ここバイエルン州は4月からその規制がなくなったはずなのに、公共施設は自己判断で規制を保持しているのでしょう。市役所内にあるツーリスト・インフォメーションもそうでした。

 

橋の入口の門

新市街へと続くマイン河に架かる立派な古い橋があるのですが、工事中で興ざめでした。

 

紅茶とケーキ ・ ケーキ

ところで、旧市街にある店でお茶をしました。この国では、喫茶を専門としているカフェ以外の店で紅茶を注文すると、お湯とティーバッグが別々に出てくることがよくあります。ケーキもごく簡単なものしかありません。サクランボのお菓子にしました。フォークをお菓子の横腹に刺して出すのもよくある事です。でも、それなりに美味しくいただきました。

 

〔2022年4月〕

 

 

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ハルデンベルク城砦

2022年04月16日 | 旅行

ハノーファーからアウトバーン7号線で100km南に下った、ベフェル小川がライネ川に合流するところにノェルテン・ハルデンベルクという小さな町があり、その外れの岩山にハルデンベルク城砦の廃墟が建つ。12世紀の文献に初めてこの城砦の記述が見られるのであるが、23の所有者を経て13世紀の後半にハルデンベルク伯爵が城砦とそれに属する村落を手に入れた。そして18世紀の初めまで伯爵の子孫が住んでいたらしい。19世紀の中頃に城砦が再建された時、跳ね橋、門塔、そして新しい城塔が新ゴシック様式で増築された。20世紀の半ばから再び手が加えられ、廃墟になっている部分の発掘も同時に行われた。ハルデンベルク家がこんにちもこの廃墟を所有しており、この地で1700年創業のドイツで2番目に大きい(自己申告による)蒸留酒醸造業を営んでいる。醸造所には見学者グループが結構来てにぎやかで、レストランと直売店がある。直売店で純度の高い金片が入った蒸留酒のビンを勧められる。

「あなたの国の人に評判がいいですよ。」

と言われたが、私が日本人だとわかっているのか、それとも中国人と思っているのだろうか。

  

城砦の廃墟 1 (登城門)  & 2 

 

城砦の廃墟 3

城砦の廃墟に、ホテルの宿泊客は鍵を借りて入ることが出来る。一般の見学者は週末と祭日の決まった時間に料金を払ってガイドとともに入るらしい。城の敷地は思ったより広い。広場があり、建物のいろんな部分の残骸があり、城塔に登ることができる。塔の階段に刻まれた足跡のくぼみが歴史を感じさせる。たった一人で廃墟をうろつくのは少々不気味である。

城砦の廃墟の下に建つかつての大旅館が、現在〈ルレ・エ・シャトー〉という世界でもっとも審査が厳しいといわれるホテルグループに属する5つ星ホテルである。ある企業家夫婦が借りて経営しているそうだ。

  

ホテルの正面 ・ レストラン

所有者のハルデンベルク伯爵は、ホテルから歩いて10分ほどのバロック宮殿に住んでいる。この付近の土地すべてがこの貴族のものらしい。この宮殿の庭園はひとつの小山で、整備された散歩道があり、橋の架かった小川が流れている。

 

バロック宮殿

このハルデンベルク城砦ホテルは美食に力を入れているようだし、毎年馬術の選手権大会を催し、冬期にはスケートリンクを開設する。その他にも数多くのイヴェントを開催しているようだ。

ホテルに入ると中は現代的で左右に大小の暖炉付きサロンがある。ちいさなレセプションにはきちんと制服を着た初老の女性と2人の若い女性のスタッフがいる。若い女性の一人が客室まで案内してくれる。イノシシがこの醸造所とホテルのシンボルなのだろう。リキュールのラベル、絨毯、トイレとエレベータの扉など、いたるところにイノシシの横顔が描かれている。

  

サロンのひとつ ・ エレベータの扉

〈享楽プラン予約したので贅沢な滞在になるかも、、、。

部屋はデラックスダブルルームのシングルユースで、一人で使うのが気の毒なくらい広い。大きなガラスの壁面から馬場に面した広いテラスに出られる。

部屋に入るとすぐ右の壁に大きな鏡がかかり、左には大変広いクロークルームが設えてある。ダブル洗面台でバスタブがあるバスルームも広く、アメニティーグッズは充実していて水枕まである。清潔でいうことなし。バスローヴとスリッパは男女用別になっていて大きさが違う。部屋には立派な骨董家具が過不足なく置いてあって良いのであるが、安っぽくて少し気に入らないのは、デザインのつもりなのか安あがりにするつもりだったのか、床が比較的新しい板張りで節目が目立つことである。ウエルカムレターが全文手書きであるのには驚いた。さらに驚いたのは、ここの醸造所でつくった穀物酒一瓶 (0,7L) と小さなグラスが2つはいったプレゼントの木箱で、瓶のラベルが私の名前入りなのである。このサーヴィスは、城砦にある市役所の出張所で結婚式を挙げたカップルと私のような〈ルレ・エ・シャトー〉の会員だけに限られるらしい。

  

私の部屋 1 & 2 

 

洗面台

〈享楽プラン〉での最初の夕食は前述の蒸留酒工場にある〈雄イノシシの居酒屋〉というレストランで、アペリティフと3品メニューである。300年以上たった古い建物で、田舎の酒場風雰囲気に満ちている。

  

〈雄イノシシの居酒屋〉 ・ 私のテーブル

ガチョウの食用油脂と木の実が入った暖かいパンが出てきた。塩を少し振ると美味しく食べられる。

前菜はカボチャとオレンジのクリームスープで、甘いような酸っぱいようなマッタリした美味さだ。こんがり焼いたサイコロ大の硬いプンパーニッケル(ライ麦製の黒パン)が中にはいっている。干した肉の味がするのは気のせいかもしれない。

メインはこのレストランの名物であるイノシシの背肉。小さなメダリオン3個の肉塊を表面が少し焦げるくらいに良く焼いている。私の好みの焼き具合で臭みが全くない。甘酸っぱい木苺の煮たのんといっしょに食べると特に旨い。付け合せはローズマリーで香りをつけた茹でポテトと鞘つきの細長い豆だ。豆は古いのか、しなびた感じで少しかたい。全体的に薄味で、雰囲気とは裏腹に結構繊細な味を出している。

メインディッシュには二者択一としてベジタリアン料理がある。

デザートはパンナコッタ、そして星状果物とオレンジのスライス。程よく甘くて全部美味しかった。チョコレート味が無くて軽いのがうれしい。

サーヴィスは若い男女67人で、みんな接客態度がいい。

実はこのレストランは2回目なのだが、ウェイターの態度を見ていて思い出したことがある。今年の5月に近くを通ったとき、アウトバーンをおりてここで昼食を食べた。食べ終わると雨が降っている。車は歩いて5分以上かかるホテルの駐車場にある。

「エスプレッソをもう一杯ください。雨がふっているので、、、、、。」

「それなら傘をお貸ししましょうか。」

「いや、車のところまで行ってそのまま走るので返せません。」

「それなら私が駐車場まで一緒に行きましょう。」

あまりに悪いのでやはりエスプレッソを飲んでいると雨はすぐにやんだのであるが、びっくりするほど好印象だった。

今夜もここで作っているリキュールのミニボトルをくれた。

宿泊客でない、忘年会の客らしきグループが数組入っていてガタガタしているので早めに帰ることにする。ホテルまで雪道を歩いて5分だ。

 

朝食部屋

朝食部屋の雰囲気、サーヴィス、食品の種類と量と質と、すべて5星にふさわしく申し分ない。パンを普段はひとつなのに今日は2つ食べてしまった。瓶入りの各種ジュースのほかに、絞った100%のオレンジジュースを供してくれる。もちろんシャンペンもある。太ももから自分で削り取る生ハムがあり、プレートに〔自分で狩ってきたこの辺のイノシシ〕と書いてある。豚の生ハムほど塩辛くなく穏やかな味がする。昨晩のイノシシもこの辺にいたやつだろう。

全く静かな夜だったのだが、宿泊客は結構居たようだ。5人づれ男性客が大声で仕事の話をしていて大変耳障りだった。

2晩目の夕食はいよいよ美食だ。料理長は、会うことはなかったが、写真で見る限り太った女性である。

レストランの雰囲気は全体的に白赤茶黒の色がゴチャゴチャ混ざっていて落ち着かない。レセプションと厨房が近いので雑音が多い。が、制服を着た若い女性たちがきちんとした給仕をするし、サーヴィスの責任者がテーブルまで挨拶に来る。この人が意外にも私の名前、私がハノーファーから来たこと、そして今日城砦の廃墟に行ったことを知っている。宿泊客の情報をホテルの従業員全員で共有するシステムなのだろう。客各人を個人的に扱うという、客にとってうれしい考え方である。

 

美食レストランのテーブル

突き出しはガチョウのペースト入りのパイとトリュフオイルにひたしたパンで、どちらも美味しい。突き出し2は、ヨーロッパヤマウズラの薄切りを煮こんだアプリコットで食べさせる。これは普通。突き出しといっしょに出たおもちゃのような小さい面白い形のパン3つと3種類のバターには、特筆すべきものはなかった。

さて、6品のグルメコースメニューである。

1.ロブスターを使った2料理。ひとつは茹でていて細切り葉野菜とともにサラダとして、もうひとつはすり身とシナモンのムースを重ねて食べさせる。ミカンソースがかかっていて、薄味で繊細な味である。

2.鴨の濃縮スープにムラサキキャベツ味の泡。スープの鴨の味はあまりしなくてトマト味に似ている。コップに入れたスープがなんとも食べにくい。横に栗・ポテトの小さいシュトルーデル(南部オーストリアのパイの一種)が二つ。旨い。

3.イシビラメの皮なし切り身にバターソース。少しかけてあるバターソースと魚の味がほとんどしないが、グルメ塩をかけるといっぺんにうまくなる。付け合せはパースニップ(せり科の植物)をまぶしたカンネローニ(パスタの一種)である。ブロッコリに似たロマネスコという野菜の、シャキシャキ感を残した湯で加減がいい。

4.レアに焼いたノロジカの背肉と煮込んだ同じ動物の肉とイチゴ系果物。柔らかい肉で、焼き具合が私には大いに足りないが大変美味しい。私は、野生動物の肉は臭い、という先入観を持っていていつも気になる点だが、このノロジカに臭みはない。付け合せのヌードルは短く細長い(ニョッキみたい)。練り込んだケシの実のプチプチ歯ざわりが面白い。同じく付け合せの煮ゴボウは、日本のそれより白く、マイルドで甘ささえ感じる。

5.いろんな種類のチーズから選択。煮込んだ3種類の果物をソースとして食する。黄色でカビを生やしたチーズは牛小屋の味がする。クランベリーを回りにくっつけたのは少し甘い。いっしょに供された木の実のパンはまあまあの味である。

6.チョコレートの甘味各種。ムースを丸めてオーブンで焼いたやつ、アイスクリーム、プラリーネ風など。白と黒のチョコレートをうまく使っている。

全体的に量が多くなく、最後まで美味しかった。昨晩のイノシシといい今夜の鹿といい、こんなに美味しく野生の動物を食べさせるホテルは初めてである。ミシュランの星を狙っているのがよく分かるし、私の偏見と独断からいって星をあげてもいいと思う。ここより良くないひとつ星レストランはいくつもある。

部屋に帰るときレセプションの女性に挨拶すると飛び出してきて、客室の夜の設えをしようとしたら 〈邪魔をしないで下さい〉 のプレートがかかっていたので出来なかった、何か必要なもの、タオルなど無いか、と申し訳なさそうに訊く。私は5つ星ホテルの特徴である夜のサーヴィスは嫌いなので、いつもあのプレートをかけることにしている。部屋に帰ると取っ手に紙袋が下がっている。中にはサラミソーセージ一本と滞在に対するお礼とお別れの挨拶が入っていて、驚いたことにこれも全部手書きである。

2日目の朝食は少し時間をずらしたからか、うるさい客は居なかった。朝食時には珍しく、サーヴィス責任者が挨拶に回っている。

送迎サーヴィスを利用して近くの駅まで満足感をかみしめた。私は〈ルレ・エ・シャトー〉の会員なのでVIPの扱いであったことを割り引いても、良いサーヴィスのホテルだと思う。絶対にまた来たい。

 

201212月〕〔2022年4月 加筆・修正〕

 

 

 

 

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フュルストリヒ ・ ドレーナ水城

2022年04月13日 | 旅行

ベルリンから約100km南に、シュプレーヴァルトという、数多くの湖沼や水路がある観光地域がある。フュルストリヒ・ドレーナ水城があるのはこの地方の一角にある村だ。フュルストリヒ・ドレーナ村は旧東ドイツにある典型的なひなびた集落のひとつなのだが、18世紀の末、有力な伯爵が水城の所有者であった時代に、ドレーナ村の名の前にフュルストリヒ (君主にふさわしい、豪勢な) という大層な装飾文字をつけて呼ぶことを許された。全ドイツにこのような付加語をつけて呼ばれる集落は他にない。

  

登城門 ・ 水城 1

  

水城 2 & 3 

13世紀に築かれたこの水城は、他の多くの城郭と同様、その所有者が代わるたびに何度も再建や改築や改装を繰り返した後、2本の堂々とした丸い城塔、四角形の門塔、それにゴシック調とルネッサンスの要素を呈する切妻壁が今日の概観を特徴づけている。第二次世界大戦が終わった1945年にこの城は東ドイツ領になったが、そこは社会主義の国、個人所有から人民所有ということで、ヨーロッパ東部からの引揚者の住まいになった。1948年には国から取り壊し命令が下ったが、ブランデンブルクの州政府が労働者の保養所を設置することによってそれを免れた。1950年代の半ばから、城は次々と党の商業学校、林業学校、教育困難な少年の寄宿舎として使用され、1989年の東西ドイツ統合の前の数年間は空き家の状態であった。その後、水城とそれに付属する施設と土地をまとめて管理するために、いち時フュルストリヒ・ドレーナ村が所有し、1993年にはブランデンブルク州のすべての城郭を管理する株式会社に所有権が移って、2007年に文化財保護の観点から適切な改築と改装が終わったということである。それから小さい規模でホテル営業がされたが、2011年に今の経営者が大規模な改装を行い、大々的に展開する現代的なホテルになっている。城郭会社がホテル&レストランの運営会社に賃貸しているそうである。

狛犬ならぬ大きな鹿が載った門を通って少し行くと水城に着く。橋を渡るとガラス張りの観音開きの自動扉が開く。明るくモダンなエントランスホールだ。フロントに居た若い女性スタッフの一人が部屋まで案内してくれる。

  

エントランスホール ・ 武器を持つ甲冑

3階にある私の部屋はうなぎの寝床みたいな面白いつくりで、入ってすぐ左に明るくて清潔感あふれるバスルームがある。バスルームの先の空間にセミダブルの天蓋ベッド。壁を挟んでその先が居間で、ソファーを含めて必要な家具はすべてある。いたってシンプルな内装なのがすっきりしていていい。大きな二重窓からは公園を望み、窓のすぐ下はお堀である。床は板張りで暖か味があり、かつ床暖房なので本当に暖かい。全体として、機能的で住み心地の良い部屋で、天井が高いのが開放感を与えてくれる。

  

私の部屋 1 & 2

 

私の部屋 3

細長い空間のレストランはほとんど全部白色でまとめている。テーブルの切花も白い菊だ。私を含めて3人しか今夜の客は居ないということなのに、全部のテーブルをセットしてローソクも点けてあるのは華やかで良い感じである。丸坊主頭のウエーターが、私が来るのをガラス扉ごしに見ていて、内側から開けてくれる。

  

レストラン ・ 中庭

私のいつもの台詞、

「あのー、私の日記のために写真を何枚か撮って良いですか。」

「どうぞどうぞ。もちろんですとも。そうだ、他の部屋も見せてあげましょう。」

同じ階と上の階で次々に5つか6つの部屋を開錠して、いろいろと説明してくれる。

”紳士の部屋”、”みどりの部屋”、”スウェーデンの部屋”、、、、、などと名前がついている。ウエーターのお兄さんは先月からここで働いているそうだが、サーヴィス業がなかなか板についている。他所で経験を積んだのだろう。はきはきしていて表情豊かで親切でテキパキ。申し分なし。

 

”紳士の部屋”

すぐにアミューズが出てくる。トマトと玉ねぎを小さく刻んだ、酸っぱくてサッパリしたサラダだ。

ドイツでは、11月11日の聖マルティンの日にちなんでガチョウを食べるのが習慣だそうで、ガチョウずくめの4品セットメニューがあるので、興味しんしんで注文する。

一品目はガチョウのレバーのテリーヌ。油でギトギトしてなく意外とかるくて美味しい。脂肪肝ではなかったのだろう。薄切りのテリーヌの縁にぐるりとくっついているゼリーがオレンジ味で、レバーのテリーヌによく合う。が、なんとも量が多すぎる。ノヂシャとチコリ (菊ヂシャ) が添えてある。

次はガチョウのブイヨンで、極薄の薬味入りパンケーキを細く切ったのが沢山入っている。熱々で、味がどぎつくなくて旨いが、これも多すぎる。

3品目のメインディッシュは、焼き具合が私の好みのガチョウの胸肉と骨付き腿で、ソースの色は濃いが味は濃くなく美味である。マルティン・ガチョウの伝統的付け合せは、煮込んだシナモン風味のムラサキキャベツ、ジャガイモ入り団子、そして西洋梨のワイン煮込み。典型的ドイツ味で、これはこれで悪くない。美味しいと思う。しかし、この料理も量が多大で、あまり満腹になると不味く感じてしまう。団子は一部残してしまった。

デザートはさすがにガチョウ料理ではない。白と黒のチョコレートムース、ブラッドオレンジのシャーベット、極薄切りのパイナップル (カルパッチョ)、そして細かく刻んだプラムが大皿にのせられていて、量が多く、美味しいのだろうが腹が苦しい。固いパイナップルの芯は取っておいて欲しかった。

味は悪くないが、とにかく量が多いというのが一番印象深い。味も大事だが何より量が大事、という “古き良き“ ドイツの食習慣に沿ったいいレストランである。

朝食は、昨晩見せてもらった “青い部屋“ でとる。食品の種類は結構あるのだが、暖かいソーセージなどがなく、ゆで卵だけだし、古いパンの表面だけを焼きなおしたようなパンで、何だか美味しくなくて満足感が得られない。朝食でも質より種類の多さと量を優先するのだろうか。このレベルを標榜するホテルとしては朝食が少し貧しい気がする。

 

朝食部屋 =   “青い部屋“

城の後方に広大な公園が付属している。おかしなことに、公園の端のほうが広域にわたって立ち入り禁止になっていて、立て札に 〔生命の危険あり〕 とまで書いてある。私が考えたのは、この辺は狩猟が許されていて、あちこちに罠をしかけているのだろうということだった。それにしても、命が危ないというのは大げさだと思うが、、、、、。

  

公園から見る水城 ・ 湖の対岸から見る水城

公園を散歩していると、州の城郭管理会社に属していて水城と公園の監督整備を担当しているおじさんに会う。このおじさんが結構話好きで、城に関してなんでも訊いてくれ、といった態度なので、立ち入り禁止区域の事を訊いて見る。それによると、

「この地方では昔いろんなとこで石炭を掘っとって、地盤沈下や地すべりが起こった地域もあるさかい、その可能性のあるところを立ち入り禁止にしとるんですわ。何年かかかって調査をするらしいけど、将来解除されるかどうかは未定ですねん。」

昨晩の宿泊客はなんともさびしい3人だけだったので、ホテルの経営状態についても質問してみる。

「以前のホテル&レストランの運営会社同様、新しい会社にかわっても経営はよくおまへんなー。今は冬やから特に客が少ないけど、夏でもそんなにおらしまへんで。必要経費も出とらんちゃうかなー。だいたい旧東ドイツには城郭ホテルが多すぎまんな。」

今日の夕食の客は4人だけだ。すぐに突き出しが出たが、なんと、昨晩と全く同じ。

同じ突き出しを2晩つづけて出すのは軽率であろう。ウエーターが厨房にひと言、昨晩と同じ客であることを伝えれば、コックは別のものを用意したのではないだろうか。

昔、アミューズが沢山出るミシュラン1つ星や3つ星レストランで連食した事があるが、2日目には、厨房はなんとか別のアミューズを出そうと苦労したようだ。

さて、2晩目の夕食は軽めにした。

前菜として、„フュルストリヒな、すなわち王侯にふさわしい豪勢な魚鍋” を注文した。内容は、鮭と白身魚が魚類で、それにネギと人参の千切りがたくさん入っている。バジルの細切れとサフラン、そしてニンニク風味のパンチップスを散らしている。“豪勢な魚鍋” にしては、良い出汁が出ると思われる海老や貝は入ってなく、イカ蛸類もなし。内陸の田舎で手に入りやすい鮭と白身魚の冷凍を使っているのは明らかである。少し塩辛いのを大目に見れば味は悪くはないが、魚貝類の味に乏しく、“ 魚入りネギスープ” に近い。

主菜はピンク色に焼いた子羊のアバラ骨付き肉で、付け合せに鞘インゲンを少しのベーコンと玉葱といっしょに炒めている。炭水化物はゼンメルクネーデル (ちぎったゼンメルを水で柔らかくし、小麦粉・卵・香料などを加えて練って作った団子) で、これはシナモン風味である。子羊のアバラ骨付き肉は、うちでは切ったのを買うのでフライパンで焼くが、ここは塊をオーヴンで焼いて後で切ったようだ。こういう料理の仕方もあるのだろう。ソースの濃さ が丁度よくていい味だ。とくに鞘インゲンが美味しい。しかし、この料理も量が多くて、ゼンメルクネーデルは3分の1残した。

食後のコーヒーをサーヴィスしてくれた。

「もしかしたら明晩もお目にかかれますか。」

「いいえ、残念ながら明日はもう家に帰ります。」

「そうですか。それは残念です。楽しくご滞在されましたか。」

「はい。特にあなたの接客態度で楽しい滞在になりました。あなたは大変よいウエーターだと思います。」

「それはありがとうございます。私はこの仕事が大好きなんです。ドイツでは、大学教育を受けて接客業を気嫌いする人と、接客業が好きであえて大学教育を受けない人との二つにはっきり分かれます。私は後者を選びました。」

2日目の朝食では、意外なことに並んでいるものが少し違う。ここシュプレーヴァルト地方の名物の小さいキュウリの酢漬け、スモークサーモン、野菜とソーセージの細切れで作ったサラダが追加されていて、炒り卵または目玉焼きが欲しいかどうか訊いてくれる。今朝はこのレベルのホテルにふさわしい朝食で、美味しかった。

以前からよく感じてはいるが、旧東ドイツ人は最初とっつきにくいけれども人懐っこい人が多いと思う。今回は特に、給仕のお兄さんと公園整備係のおじさんが滞在を楽しくしてくれた。旧東ドイツを楽しく旅するコツは地元の人と交流する事だろう。

経営状態が悪いようだが、次回訪れるまで存続しているだろうか。

 

〔2012年11月〕〔2022年4月 加筆・修正〕

 

 

 

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