ハノーファーからデュッセルドルフに行く途中の小さな町に、エルヴィッテ城はある。この城の名が歴史的資料に現れるのは1273年であるが、現存する水城は17世紀の初頭に、すでに存在した建物のすぐ近くに建造された城であるらしい。ヴェーザー川沿いに栄えた、いわゆるヴェーザー・ルネッサンス様式だ。19世紀に所有者となった人物は、1934年、ナチズム国家に譲渡した。そして国の建物として使われた時代に、大規模な改築が行われたり数々の付属建築物が建てられたそうである。第2次大戦後は駐屯軍に使用されたり、養護施設になったりした。1976年、エルヴィッテ市が購入した後に一個人が買い取り、1999年からホテルとして営業を始めた。2006年に別の個人が取得して、この水城を4っ星ホテルに拡充整備したそうである。
エルヴィッテ城公園の敷地内には、散歩道と池の他に病院や老人ホームがある。病院は、通りがかりに整形外科と泌尿器科の看板が見えた。散歩する老人夫婦や子供が自転車で通学する姿がよく見かけられ、城が町に溶け込んでいる印象を受ける。 „オラがお城” と町民は呼んでいるらしい。あまり大きくない城で、絡まる蔦の葉っぱが一部赤い。まだ紅葉は進んでいない季節だから元々赤い葉っぱなのだろう。
正面 ・ 水城の裏手と掘割
建物の裏手に石橋を渡した鴨が泳ぐ堀があり、水路に繋がっている。
階段を上がってそれ程重厚でない木製の扉を開けると、ごく普通のおばさんがごく普通の態度でチェックイン業務をしている。いかにものんびりした雰囲気である。
フロントとロビー
なんと、古い城のホテルには稀なエレベーターがあるではないか。鉄製の両開き扉の旧式エレベータで表面に木を貼り付けて木製の扉のごとく見せている。よく使い込んだ床と階段は手入れが良くピカピカだが、ギシギシと音がする。全体的にほの暗い。
階段 ・ 階段の踊り場
客室はシングルルームなので狭いが、ベッドはダブルが入っているのが嬉しい。天井も壁も絨毯もクリーム色で、家具は安っぽいが古くて趣がある。部屋を見る限り何処かの小さなホテルと殆んどかわらないのであるが、二つの窓の前とバスルームの一角が1m程の不自然なニッシェになっていて壁の厚さが1mあることが分かり、ここが城の一室であることを実感する。バスルームは広くしっかりした造りで湯船があるのは良いのだが、窓がなく、換気扇があるにもかかわらず空気がムッとするのには閉口だ。たいへん面白いことに、机上の平たい入れ物に事務用具一式が入っている。列挙してみると、鉛筆、消しゴム、定規、のり、はさみ、ホッチキス、セロテープ、クリップ、鉛筆削り、ホッチキスの針、穴あけ器具、通常の封筒と便箋の他にメモノート。こんなのは初めてである。まるで自宅に居るような気分にさせられる。家族経営だからであろうか。卓上ランプも面白く、金属部分に触ると点き、もう一度触ると明るくなり、また触るとさらに明るくなる。そして4回目に触ると消える。こんなランプがあるのは知っていたが、実際に使うのは初めてだ。狭いのと机が小さいのが玉に傷だが、宿泊客が少ないらしく静かで落ち着き、居心地はいい。
私の部屋 1 & 2
机上の事務用具一式
レストランは丸天井で穴倉風であるのだが、その雰囲気とナプキンが紙製であることからすぐにグルメレストランではないのに気がついた。
レストラン 1 & 2
何をもってグルメレストランとするのか。専門的定義は知らないが、私個人の定義では、食事自体が美味しいのは勿論のこと、食事するという行為を芸術に高めていなければならない。„舞台“としてのレストランとテーブルを、視覚的にも聴覚的にも、そして嗅覚的にも気持ち良く食せるように設えてあり、サーヴィスは、必要なことはすべて行うが控えめで決してでしゃばらない。コースメニューの流れに意味があり、筋書きを感じる。劇場で観劇をする流れに似ている。日本では懐石料理が最もそれに近いと思う。
さて、このお城レストランはグルメではないが、まぁ良いではないか。給仕はレセプションに居たおばさん。気取ったところがないごく普通のサーヴィスで目が親しげに笑う。コース料理はないのでアラカルトで3品頼み、ワインは頼まなくてもいい雰囲気のレストランということで、飲み物はミネラルウォーターだけにした。
厨房からの挨拶は、揚げライスボールにごく薄いカラシソースがかけてあり、粗挽きの赤い胡椒を散らしている。特別なものではないが空腹だったせいか美味しく感じた。
前菜は冷菜で、鱒の燻製を食べやすいように細長く切っていて木苺のクリームをかけてあり、横には赤と白のキャベツと葉サラダの甘酢和えが添えてある。クリームの甘さ優位の甘酸っぱさと甘酢の酸っぱさ優位の甘酸っぱさが絡み合って、かつ野菜が新鮮で旨かった。ただ多すぎた。
メインは、豚の背肉のシュニッツェル(トンカツの類)に炒めシャンピニオンをのせ、濃厚なクリームソースをかけて表面をオーブンで少し焦がしてある。皿の空白にはトマトとパセリの千切りを散らしている。視覚的に良い。別の皿に新鮮なミックスサラダ、また別の鉢にフライドポテトが供される。自己主張の強い味であまり美味しいと思わない。町の普通のレストランみたいである。クリームソースを半分程こそげて肉を食べ、フライトポテトを少し残した。
給仕のおばさんがやってきた。
「美味しかったですか。」
「はい、でも少し多すぎました。」
旨くなくても "はい" と答え、残すときは無難な理由を付けなければならない、と思い、私はいつもそうしている。
「それでは少し間をおいてデザートを持って来ましょうか。」
「どうでしょう。デザートを部屋に持っていって後で食べてもいいですか。」
「後で部屋までお持ちしてもいいですが、ご自分で持っていかれるとおっしゃるならどうぞ。」
ということで、„お城の夢“ と名付けられたデザート、自家製ティラミスの木苺と食用ホオズキ添えは、時間をおいて部屋で食した。甘すぎなく繊細な味で楽しめた。このようなことは、いわゆるグルメレストランではしにくいし、するべきではないと思う。グルメコースの開始から完結までの流れを壊してしまうから。
21の客室しかない小さな古城ホテルの割には沢山ホールがあって、結婚式やミーティングなどを誘致している他に、いろいろな催し物をしているようだ。レストランのテーブルに今年の秋から冬にかけてのパンフレットが2、3置いてあった。コンサートやグルメ・フェスティバルがあるらしいが、面白いのは „恐怖ディナー“ と呼ばれるもので、身の毛もよだつ話をコミカルにアレンジした作品を観劇しながらコース料理を食するらしい。全5幕で4品のコースメニューとある。来年の2月にかけて „ドラキュラ“、 „フランケンシュタイン博士“、そして„ジャック・ザ・リパー“の出し物があるそうだ。
昨晩のレストランで朝食。イージーリスニングのピアノ曲が流れる。4星ホテルのスタンダードなものは不足なくあるが、特に見新しいもの無し。
このホテルは、私の部屋が狭いし趣がないから全体のイメージが悪くなったが、良いホテルだと思う。私の好きな、 „人里離れた“ 立地ではないしグルメレストランでないのが残念だ。昔住んでいた殿様の格が低かったか、あまり金持ちでなかったかして、装飾品や調度類が安っぽい。
チェックアウトの時、別のフロント係りの女性と。
「静かな良いホテルですね。」
「そうですねん。静かで居心地が良くて、、、。」
「事務的じゃなくて家庭的な雰囲気ですね。」
「そう思いますわ。家族でやってるホテルですし、従業員も開業時から居る人が沢山いますし、皆家族みたいなもんです。」
「そうですね。客としてそれを肌で感じます。また来ますね。」
「おおきに。さいなら。」
〔2011年9月〕〔2021年10月 加筆・修正〕