お城でグルメ!

ドイツの古城ホテルでグルメな食事を。

ザール城塞

2021年12月29日 | 旅行

ローマ時代の遺跡で有名なモーゼル川沿いのトリアという町から西南西に30分弱行ったところにザールブルク (ザール城塞) という名前の町があります。モーゼル川の支流であるザール川の畔です。町の中心をロイクという名の小川が滝を形成して流れ、ザール川にそそぎます。滝の周辺を中心に趣のある街角があちこちにあって、ザールブルクは人々に愛される良く知られた保養地なのです。

 

町を流れるロイク川 ・ 滝

 

小道とザール川

海抜200メートル余りの山頂の南側、137 X 50 平方メートルの敷地にあった中世のザール城塞でこんにち残っているのは、囲壁の残余および元々は3階建ての強固な家であったロマンチックな住居塔だけです。

 

囲壁の外から 1

 

囲壁の外から &

 

住居塔 1 & 2

この古城の廃墟は自由に立ち入ることが出来るし、ここからのザール渓谷の眺めは素晴らしいものです。城塞の敷地の一角にはレストランがあり、その裏には公園があります。

 

囲壁の内側 ・ レストラン

 

街から城を見る 

 

城と教会とザール川 1 &

さて、ザール城塞は10世紀の中頃に建造されたらしく、当時の古文書に初めて出て来ます。その後売買や占領によって何度も所有者が替わったのですが、建物に関しては12世紀の前半に拡張と修飾が行われ、13世紀後半に増強され、14世紀後半には入り口近くに深い井戸が掘られました。そして城は15世紀前半に強盗騎士団によって略奪され破壊されましたが30年後に再建され、同世紀中頃にトリアの大司教によって城内礼拝堂で聖別されました。ところが16世紀にも破壊と再建が行われ、18世紀初め頃スペインとフランスの軍に何度も占領されました。そして同世紀中頃から誰も住まなくなり、荒廃が始まったのです。その百年後に、さらなる荒廃を止めるためにザールブルク町が買い取って、今日までずっと町の文化財として管理しています。

城内のレストランで食事が出来るのですが、流行り病 (武漢肺炎) のせいで色々な制限があって面倒なので見送りました。

後日自宅で夕食のときに、ザールブルクの町で購入したこの地方のワインを飲みました。

 

ワイン

 

茹で蛸 1 &

そのつまみは茹で蛸の刺身とロシア産のキャビア。タコは業務用スーパーで買って来て茹で、醤油とわさびの標準的食べ方で美味しくいただきました。蛸が載る四角い皿は妻の作品です。

 

キャビア 1 &

 

キャビア 3

キャビアはそれ用の小麦粉生地のもの (何というのかな?) に載せて食べましたが、あまり感心しませんでした。小麦粉生地のものの味が良くなかったのと、キャビアは塩味が強すぎて風味がイマイチでした。もう少し高価なキャビアにするべきだったかな?

武漢肺炎が流行るようになってから、以前のように、城館ホテルに宿泊して城内のレストランで食事をする、ということが出来なくなりました。残念でなりません。

 

〔2021年12月〕

 

 

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エーベルシュタイン城

2021年12月27日 | 旅行

カールスルーエでローカル線に乗り換えて40分、ゲルンスバッハ駅前に四角い78人乗りのタクシーが並んでいる。後で運転手に聞くと、決まった時間にバス停を結んで走行してバスの代役を果たしているそうだ。日本同様ドイツでも僻地でのバスの定期運行は採算が取れないのであろう。

そのタクシーでムルク谷を流れる川から130メートルの高さにあるエーベルシュタイン城に登って行く。この城は1272年にフォン・エーベルシュタイン伯爵の居城として初めて歴史書に現れ、16世紀と17世紀に大規模な増築がなされたが、伯爵の家系が途絶えて所有権が二つの公的集団に移った。それ以後貴族の居城としては使われなくなって、単なる管理者の住居になってしまった。そして1691年に火災で一部焼けてからは作業場と倉庫としてのみ使われた。1798年に再び個人所有になって1802年に外観が、そして1830年に内装が新ゴシック様式の城館に改築改装され、19世紀の末期にさらなる改築が行われた。今世紀の初頭からムルク谷の中流を見下ろす4星ホテルとして営業をしているのだが、ホテルとレストランがあるのは城から数メートル低い位置にある建物群である。城には所有者の家族が住み、下部に広がるぶどう園でワイン醸造業を営んでいて、ホテルレとストランが入る建物群を賃貸しているそうである。

  

ぶどう園と城郭施設の遠景 ・ 城郭施設の全景

谷ではムルク川に沿って小さな村々が連なって近隣の山々に分け入り、素晴らしい景観である。周りにはいたるところにベンチを備えた展望台があるハイキング道が縦横に走っているが、積雪があって思うように歩けない。

ホテルとレストランの建物群は一部は厩か納屋だったのかもしれないが、それにしても立派で頑丈な建物だ。入り口もレセプションも小さくてエントランス・ホールのようなものもない。レセプションの傍らに電気仕掛けの暖炉をもつ小さな図書室を設えてある。

  

ホテルとレストランの建物群 1 & 2 

 

ホテルとレストランの建物群 3 & 4   

 

図書室

経験豊からしいレセプション係の中年男性が部屋まで案内してくれる。廊下の一番奥の部屋で静かだ。快適シングルルームを予約していたのだが、ダブルのシングルユースである。タータンチェックの絨毯床で壁は薄茶色で天井は白。バスルームはダブルの洗面台で泡風呂がある。面白いことに湯たんぽを置いている。狭いが換気扇の付いたトイレが別になっている。スリッパがないのは残念である。バスローブのポケットに百円ライターが入っているのは、それで部屋の数箇所にあるローソクに火を点けろということだろうか。骨董価値はなさそうだが使い古した家具で、残念ながら中には低品質のものもある。4隅に支柱があり回りをカーテンで囲めるベットだけが昔の雰囲気を醸し出す。壁にはモダンな抽象画と古い城の絵と花の白黒写真がかかっていて統一性に欠ける。部屋の中に鉢植えの潅木を置いているのは珍しい。テレビはもちろんのことCDプレイアーがあり、ドイツのホテルには珍しく壁にクーラーを取り付けている。ドイツで一番暖かいこの地域は、夏は30度を越す日もあるらしい。全体として地味なシットリとした部屋である。

  

廊下 ・ 私の部屋 1

  

私の部屋 2 ・ 洗面台

ところで、私の部屋は13号室である。日本の4のように縁起が悪いからドイツでは13は欠番にしている、と今までずっと思っていた。私はキリスト教信者ではないので別にどうってことはないが、これからは意識してチェックしてみよう。

さて、このホテルのグルメ・レストラン(ヴェルナースレストラン、すなわちシェフであるヴェルナー氏のレストラン)は2006年からミシュラン1つ星を持っている。ところが残念ながら冬場は週末しかやっていない。ということでもう1つの、この地方の料理を食べさせるというシュロス・シェンケ(城内居酒屋レストラン)を利用せざるを得ない。そこにはいくつか部屋があり、私が座ったのは細長い清潔感溢れる部屋で、大きなガラス扉3枚で広いテラスに面する。その向こうには眼下の谷間にゲルンスバッハの町が望める。今日はバレンタインデーということで、各テーブルに赤いバラの一輪挿しがあり、その周りに椿に似た花びらを散らしてある。壁の照明には電燈ではなくて本物のロウソクを立てる燭台を使っていて、全体に薄暗い。ブルースやポップスのBGMが静かに流れる。積もった雪にさらに雪が降っていてロマンティックである。来るわ来るわ、20代後半から30過ぎぐらいのアベックが。私以外の客はアベックだけで、私が見た限りみんなバレンタインデー・メ二ューを食べている。

  

レストラン ・ 私のテーブル

バレンタインデーは幾つかの国で 〈恋する者たちの日〉 ということになっているが、ドイツを含むドイツ語圏では花商いによって知られるようになり、こんにち花商人とチョコレート・メーカーによってブームをあおられているのは日本と同じであろう。

若くて感じは良いが少し素人っぽいウエイトレスに訊く。

「私は一人ですけど、バレンタインデー・メニューを頼んでもいいですか。」

「ええ、どうぞどうぞ。」

アペリティフにノン・アルコールのカクテルを頼む。エーベルシュタイン城で醸造したシュペートブルグンデルの赤ワインがちょっと甘めで美味しい。

厨房からの挨拶は肉と野菜の細切れをジェラチンで固めた料理で、上に生クリームとシナモン味の煎餅もどきがのる。薄味で美味であるが、長く冷蔵庫に入れていたのだろう、冷た過ぎる。常温に戻してから出して欲しかった。

さて、バレンタインデー・メニューの一皿目は地元で取れたカワマスの料理3種類だ。1: すりつぶして団子にしてアーモンドの薄片をまぶしてある。2: 蒸して西洋ワサビの泡ソースをかけてある。3すりつぶして香料と混ぜて、殆ど味のないソフトチーズの上にのせている。それに赤カブのサラダが少々付く。どれも薄味で繊細で旨く、食材の料理による変化が面白い。

サーヴィスの責任者らしい女性が挨拶に来る。

セカンドは白いカリフラワーのスープで、タイ風カレーの味をあしらっていて豆の鞘が少し入る。焼き海老を串に刺して皿に渡してある。アジア系の味だがどぎつくなく美味しい。熱々の皿で供されるのが気持ちいい。

メニューがテーブルに立ててあるからか給仕の女性が料理の説明をしないし、他の多くのレストランのように皿を下げるたびごとに「美味しかったか。」と訊くことをしなくて、あっさりした進行である。

メインディッシュはピンク色に焼いた鴨の胸肉をサボイキャベツがほんの少し混ざったマッシュポテトの上に乗せている。付け合せはわずかに糖衣をつけた茹で野菜で、全体にガチョウの肝臓ソースがかかる。この料理が絶品であった。一見私の好みからして焼き足りないかと思った肉が、なかなかどうして、中までちゃんと火が通っていて、しかも大変に柔らかい。完全に成功した低温料理である。野菜も火は通っているがしっかりした歯ごたえが残っている。ソースの味の主張が少し弱いのが残念であった。

デザートは生暖かいトルテ(デコレーションケーキの類)、カカオクリームの下敷きに広げたパイナップルの細切れ、チョコレートムース、それにパッションフルーツのシャーベットが綺麗に配置されていて美しい。

量が少なかったのか調理の仕方のせいか、胃にもたれた感じがしない。美味しい料理を提供するレストランである。

私一人が周りの雰囲気から浮いているような気がして、食後のエスプレッソを飲まずに部屋に帰った。

このホテルの催し物を見ると城館ホテルであることを前面に出すのではなくて、料理教室を含め、食をテーマにしたものばかりだ。ウェルネスやマッサージの設備は無いし、周りはブドウ畑と山ばかりなので、山歩きをして美味しい料理を食べて寝るだけのホテルで、私にはうってつけである。

グルメ・レストランで朝食を。部屋の雰囲気とテーブルの設えからそれが分かる。すなわち高い天井に大きなシャンデリアが2つ下がり、明るく広々とした空間はクリーム色でまとめていて、テーブルの間隔を広く取っている。テーブルには銀食器と立派な布のナプキンがのる。給仕の女性の態度と物腰も一流レストランのそれである。ブュッフェには特筆するものはないが生野菜と果物類の種類が豊富で、フルーツサラダ用の果物を種類ごとに分けて容器に入れているので、好みに応じてアレンジ出来るのが嬉しい。卵料理の注文を訊いてくれる。

ダブルルームととスイートを合わせて16部屋しかないホテルであるが、宿泊客は多くなかったようだし、中年から老年の夫婦が殆どだ。昨晩の夕食のときには見なかったのだが、どこにいたのだろう。朝食後の気分が良い。朝食という行為全体として完璧に近い朝食であった。

2晩目もシュロス・シェンケ(城内居酒屋レストラン)で食す。今晩は違う部屋で、天井に木の梁があり、無造作に荒っぽく見える柱が真ん中に立ち、岩石がむき出しの壁に小さい窓がはまる。大きな門扉の向かいにカウンターがある。赤色で統一した装飾を施した居心地の良い空間で、大きなバラをデザインした古いテーブルを使っている。18時に行くと客は私だけなので、ポーランド訛りがかわいいサーヴィススタッフの女の子と雑談を交わす。小学校のときから日課にドイツ語の授業があったがドイツ語はその頃からずっと嫌いだ、というので思い切った質問をしてみた。

「ここだけの話だけど、、、、やはり第二次大戦のことがあるからドイツ語が嫌いなんですか。」

「いいえ。ドイツで働いたことがある父にドイツ語を学ぶように言われたことに反発したのと、ドイツ語の響きが嫌いですから、、、、。私は英語の方が好きです。」

二十歳ぐらいの娘であるが、ドイツ第三帝国に侵略された過去はそれ程気にしていないのだろうか。

さて食事である。〈城館メニュー〉なるものがあるが、軽く行きたいのでア・ラ・カルトで注文する。メニューではないのでキッチンからの挨拶がない。城で醸造されたリースリングの白ワイン200mlを頼んだ。サッパリしていて美味しい。昨日は少し残したが今日は完飲出来た。

前菜はマウルタッシェという焦がした玉ねぎ・パンくずなどと一緒に炒めたひき肉を詰めた餃子のような手作りの料理で、この地方の名物だ。アーモンド数粒と炒った穀物粉がのる。生暖かいポテトサラダが付いている。〈餃子〉を2つか4つか選べるのだが、サラダが意外と多かったので2つにしてよかった。薄味で少し塩を振るとグッと味が引き締まった。旨い。

このレストランの主菜は殆ど全部、一人前か半人前か選んで注文できるようになっている。私の選んだ料理は、数種類の海鮮を焼いて長粒ライスにのせている。冬野菜が添えられて甲殻類ソースがかかる。海鮮は海老、ホタテ、3種の白身魚であり、ホタテは殆ど生で、高級レストランで供されるレベルだ。人によっては塩を一振りしたい位に薄味だが、食材の味はそれぞれしっかり出ていて美味である。半人前でも私には十分な量であった。考えれば、ミシュラン一つ星のレストランと同じ厨房でほぼ同じ食材を使って、シェフのヴェルナー氏が作るのだから美味しいのは当然であろう。

エスプレッソで締めくくったが、それと前後して両親と息子とアジア系(日本人?の嫁の4人連れの客が来た。

バスルームの電灯が1つ壊れたので言っておいたところ、夕食から帰ったら直っていた。素早いサーヴィスが心地よい。

2日目の朝食もグルメ・レストランだが、小さい別の部屋でテーブルの間隔が狭い。女の子が経験不足で、デザート用の深皿を出していないし卵料理の注文を訊かない。昨朝の満足感は得られなかった。

驚いたことにシェフのヴェルナー氏がテーブルを廻って挨拶をする。ビュッフェに自分の朝食を取りに来たついでにしたことではあるのだが、好感が持てる行為だ。彼は小柄で太ってなく、いかにも重くない薄味の料理を作る人らしい。

エーベルシュタイン城ホテルは、それが建つ位置といい、周りの環境といい、食事にしても、こじんまりしたところもサーヴィスも私の好みにぴったりで、ぜひまた利用したいホテルである。長期滞在して周りのブドウ畑や山々を歩き回りたい。

お土産にくれたハチミツの壜のラベルに、〈お越し下さいましてありがとうございます。ヴェルナー家と城に住む幽霊たちより〉 とある。

 

〔2012年2月〕〔2021年12月 加筆・修正〕

 

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ライナハ城

2021年12月23日 | 旅行

有名な〈黒い森〉からアウトバーンを挟んで西に〈フライブルクのワイン庭園〉と呼ばれる縦長の Tunibergトゥ二山)が走り、その南の麓にムンツィンゲンという、1973年にフライブルクの一部になった、9世紀から知られたワイン村がある。ライナハ城はその村の真ん中に建っている。17世紀の古文書に初めて記されているのだが、それによると30年戦争で破壊された水城の脇に建てられた大農場であったらしい。その水城の名残りとしては丸い塔が残っているだけである。1750年にカゲネック家が所有することになるのだが、その辺の経緯はよく分かっていないようだ。1870年の火事で殆んど焼けてしまったがすぐに再建され、1969年までこの地域で最も大規模な農場として機能していたとのことである。1991年に広範囲にわたる修復を行い、1993年にはホテル・レストラン、そして会議センターとして開業したが経営状況が思わしくなく、3年程破産機構の管理下に置かれた。そして2007年にホテル・レストラン業での経験が豊かなゲスレル夫妻に所有権が移ってから、施設全体が再び拡張現代化されたのである。2008年にホテル・ライナハ城として開業し、現在では近くにゴルフ場があることからゴルフホテルとして、そして多岐にわたる文化的催しが開催されることから芸術や音楽の愛好者が集まるホテルとしてその名を知られている。

   

敷地への入り口 ・ 中庭

 

中庭に面するホテルの入り口 (左の方) ・ 私の部屋からレストランを見る

 

私の部屋から中庭と入り口を見る

〈城〉という名前が付いているがその外観は農場そのもので、建物の配置はコの字型である。広々としたモダンなロビーにレセプションがあり、立派な洒落たスモーキングラウンジを備えている。スタッフの如才がないが自然な対応が印象的だ。私の部屋へは一度フロントのある建物を出て別の入り口から入る。農場なので城の雰囲気及び城らしき装飾はもちろん全くない。私の今回の旅行は、トゥ二山の麓で最上の快楽をというジュニア・スイートの客室を使う一泊のプランにもう一泊付け加えたものである。部屋はいささか複雑な構造で、入って真正面に衣装戸棚がある。そこから左に行くと寝室兼居間で、右には大きな両開きの窓が付いたバスルームがあり、その横には別空間の広いトイレがある。湯船はないが、驚いたことに2人用サウナがある。スリッパ、バスローブなど十分な備品はもちろんのこと、又しても驚いたことに、この国では非常に稀な歯磨きセットを置いてある。ダブルの洗面台が少々使いにくい超モダンなのが残念だ。寝室は極薄ベージュ色の壁と白色の天井で、濃茶色の骨董家具が置いてある。城ではないので天井は低いが、装飾の少ないすっきりした部屋である。角部屋なので2面に大きな窓があり、朝日が差し込んで明るい部屋だ。

  

私の部屋 1 & 2

 

シャワー と サウナ

しかし夜は、天井にすべてをさらけ出す明々とした光源がないため、スタンド4つによる照明で薄暗くムードのある落ち着いた雰囲気になる。ベッドの上にチョコレートとミントのドロップを置いてあり、テーブルにはチョコレートと数種類の果物のサーヴィスだ。ゲスレル家から挨拶のメッセージもある。さすがホテル文化を謳っている個人経営のホテルで、心遣いが細かいのはレセプションに各度の老眼鏡が用意していることからも分かる。

このホテルにはレストランが3つある。グルメレストラン、この地方の料理を食べさせるレストラン、そして軽いイタリア料理をだすワイン酒場である。私の選んだプランには本来グルメレストランでの食事が入っているのだが、今月は休業ということで、バーディッシェ・ヴィルツスフス(バーデン地方の食堂)という名のレストランで食する。グルメレストランと同レベルの食事が供される、ということだが、私はだんぜん疑いを持っている。

〈食堂〉はグルメレストランの向かいの建物にあり、昔の納屋であるのが一目で分かる造りである。天井は木組みで、暖炉には赤々と火が入っている。ナプキンは白布だがテーブルクロスはなくランチョンマットを敷いていて、気楽に食事が出来る感じのレストランである。女2男1のサーヴィススタッフのうち女1は経験が豊富そうで、ワインに詳しいようだしメニューの流れを暗記している。皆若いがそつのないサーヴィスだ。せっかくワインの産地に来たので地元のワインを頼んだ。リースリングに比べて少し癖のある白ワインだが美味しい。料理が出てくる前に、手持ち無沙汰にしていると思ったのだろう、新聞か何か持ってこようかと訊いてくれる。私としては単にボーッとしているのではなく、頭をフル回転させているつもりだったのだけれども、、、、。

  

初日のレストラン

プランに入っているのは4品のグルメ・コースメニューである。

前菜は大きな皿に、数種類のキノコの炒め物、ジェラチンで固めたキノコの細切れ、パンのカルパッチョ(茶色パンの極薄切り)、そしてサラダ菜が少しのって出てくる。これを薬味の入ったクリームで食べさせるのである。はんなりとした味で美味しい。

次はクルトン(食パンをさいの目に切って揚げたり焼いたりしたもの)が少し入ったクリームスープ。濃厚で熱々で旨いが、どこにでもある料理だ。

このコースのメイン料理はステーキで、ポテトのグラタン、茹でた細長い鞘豆のベーコン巻き、それに茹でニンジンとズッキーニが少し付き、肉に茶色とベージュの混合ソースがかかる。野菜類は美味しいが、肉の味があまりしないし、ソースの味もイマイチである。肉の焼き具合はメディウムとウェルダンの間と言っておいたのに、端の方はメディウムで中はメディウムとレアの間のものが供されたので、3分の1くらい食べたところでもう少し焼いてくれるように皿を返した。少したって男性給仕が新しいナイフとフォークを持って来て、

「今改めて作っているので、お待ちください。」

「えっ、新しく作らなくていいですよ。食べかけてるのをもう少し焼いてくれればいいんです。」

「いいえ、貴方のお望みのように作り直しています。」

そして2、3分待っていると、

「厨房のスタッフが謝っています。これはお詫びのしるしです。」

といって、カシス(スグリ類の一種で酸味が強い)のシャーベットを持って来た。

これ程丁寧な客扱いは初めて経験した。私が開店直後に入店して他の客が来る前に写真を撮ったり、食事中チョコチョコとメモを取ったりしているので、ミシュランか何かの調査員と思ったのだろうか。

デザートはチョコレートケーキとシャンペンアイスクリームと各種果物で、芸術的に盛り付けている。ケーキがカステラみたいな生地で美味しい。

経営者のゲスレル氏がテーブルを廻って挨拶をしている。彼とは滞在中偶然にも数回顔をあわせて短い言葉を交わしたりして、チェックアウトの時に握手をして別れた。やはり経営者自身の目が行き届いているホテルは順調に稼動していると思う。

朝食の部屋も昔の納屋か馬小屋かと思わせる造りだが、モダンかつ複雑に改築していてガランとした感じはない。このホテルのいろいろな所と同様に、ここにも抽象画がかかる。静かなピアノ曲がやっと聞こえる。若いスタッフのしっかりした丁寧なサーヴィスが心地よい。朝食のビュッフェは豊富な種類の食材を用意している。発砲ワインもあり、ミルクに関して言うと、普通のミルクの他に低脂肪のミルクそして豆乳もある。各テーブルに置かれたゴミを入れる深皿などに細かい心遣いが感じられる。

 

朝食の席

この時期としては宿泊客が多いが、殆んど皆セミナーの参加者のようだ。複数のセミナーが進行しているようで昼間も活気がある。

カフェテリアでサクランボ・チーズ・ケーキを昼食として食べたが、ここに特筆するほど美味しかった。昨晩のデザートのチョコレートケーキのことを考えあわせると、このホテルには腕のいいケーキ職人がいるのだろう。

2日目の夕食はワイン酒場で供されるイタリア料理にした。大きい町にありそうな仕様のレストランである。キッチンからパンと薬味入りオリーヴ油がサーヴィスされ、塩を少し振って食べると意外なほどイケル。

アンティパスト(イタリア風オードブル)の盛り合わせを頼んだ。ありふれたイタリアレストランで供されるのと大差はないが、オリーブ油の量が少なくてダボダボしていないので全部美味しく食べられた。

そしてメイン・ディッシュは薬味入りリゾットだが、薄めの小さいステーキが5枚付いていて茶色のソースで食べさせる。肉によく火が通っていて私好みだ。〆のエスプレッソは美味しくなかった。

 

2日目のレストラン

給仕の女性に、

「コックさんはイタリア人ではないのでしょ?。」

「はい違います。でも彼は愛情を込めて料理しています。」

そのつもりは全くなかったのだが、オリジナルでないイタリア料理を私が非難したとでも思ったのか知らん。悪いことをした。客の扱いは5星レベルだと思うが4星に甘んじているホテルである。最近流行のプール、ウェルネス、そしてマッサージの設備が充実してないから5星をもらえないのでないのだろうか。

 

〔2012年1月〕〔2021年12月 加筆・修正〕

 

 

 

 

 

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ゴムメルン水城塞

2021年12月20日 | 旅行

ゴムメルン水城塞ホテルは、ハノーファーから直線距離で南東に200kmぐらい離れたザクセン地方にある。かつての東ドイツである。

西暦948年に人造の丘の上に防壁と二重堀に囲まれた、日本の城になぞらえて言うと、二の丸と本丸をもつ山城が建てられた。その中では直径10メートル、高さ23メートルの城塞の望楼が今日まで残っている。敷地はこの地方独特の円形から楕円形で、いわゆるザクセンの丸城だ。この城郭は13世紀にフォン・ザクセン公爵の所有になり、1578年には天守閣以外取り壊されて狩猟用離宮が建造された。1815年から城はプロイセンに属することになる。1853年から100年間刑務所として、その後社会福祉宿泊施設として使用され、1970年から1989年まではゴムメルンのにあった機械工場で働く職業訓練生の宿舎であった。東西ドイツの壁が開いてすぐの1990年にゴムメルン町が個人投資家に売却し、ビール工場を持つホテル・レストランになるも10年後に経営困難に陥った。強制競売に出されたホテルをホルゲル・キットネルという人が取得し2008年末にビール醸造所とレストランが再開業、そして2009年初めにホテルも47の客室で再開業を果たしたそうである。

   

城塞の遠景 と 全景             

町に入ると城塞の望楼がみえてくる。かつて二重であったお堀は内側のものだけが残っているのだが、町の周辺を縦横に流れる疎水の一部を成していて常に流れている。小さな橋を渡って城門をくぐると二の丸の中庭に出るのだが、この城門の脇の四角い塔には下の階に役場の戸籍課の出張所が、上には新婚用のスイート・ルームがあるそうだ。中庭を横切りもう1つ門をくぐると石畳の小さなスペースに望楼がそびえ建つ本丸だ。本丸のホテルの入り口でタクシーを降りると、若い男性スタッフがすぐに重い荷物をレセプションまで運んでくれる。若い従業員が多いようで、レセプションの女性も感じが良い。建物は改装が完璧であるらしく、エレベータがあるのは実用的で良いが廊下や階段はこれといった装飾もなく、全体的に冷たい印象を受ける。レセプションの隣の暖炉があるバーのテーブルに黄色いバラの生花があったり、廊下の所々に大輪の菊を生けてあるのにホッとする。

   

 入り口の城門 ・ 中庭          

  

望楼 ・ バー

私の部屋には侯爵の間というたいそうな名前が付いているのだが、壁と天井は白色、赤茶色の家具は古いデザインだが新しい家具で、すっきりしているといえばいいがガランとしていて特色がないのは残念である。部屋の壁の厚さは約40cmで城の建物としては薄いけれども、部屋の真ん中に立つ亀裂が幾筋も入った古い柱が当時を忍ばせる。ベッドカバーがなく、せっかくの羽根布団があらわになっている。ベッドカバーがかかっているとそれを剥いで仕舞うのがわずらわしいと思うのに、ないと、ドイツ人が好きなゲミュートリヒカイト(居心地の良さ)が足りないと思ってしまう。我ながら勝手なものだ。ベッドは幅の狭いシングルベッドを二つくっつけてダブルにしているので、ダブルといえども私の使用面積は狭く寝心地が悪い。ドイツの法律では、ダブルルームのシングルユースの場合、部屋にあるすべての設備と備品を使っていいらしい。つまり一人で二人分のベッドと布団も、バスルームのタオル類も二人分使って良い。が、私はいつも一人分しか使わない。よく挨拶として枕の上に置いてあるチョコレートも一人分は残しておくし、タオルも一人分はたたんでバスルームの一角に積んでおく。ホテルに対する気遣いや資源の無駄遣いをしない、などといった高尚な理由ではなく、ただ、どうしても必要なわけではないのに全部を使い散らすのは、私の美学に反するからである。人生の節目の年齢に近づき、美しく生きようという思いが強くなった。

 

私の部屋

雰囲気が物足りないだけではなく、生活に不都合がある部屋である。まずボールペンが一本あるだけで電話の横のメモ用紙も便箋も無いし、事務机にスタンドを置いてない。小さなミネラルウォーターが一本テーブルに置いてあるだけで、冷蔵庫が空である。空の冷蔵庫は日本のホテルでよく見かけるが、ドイツではごく稀である。レセプションかバーまで飲み物を取りに行かなければならないが、どちらも22時ぐらいに閉まってしまう。さらにインターネット接続のソケットはあるが操業中止中と張り紙がしてある。バスルームは白色が基調で窓があり、広い使いやすいシャワーが付いているが、割と良い部屋のはずなのにバスタブがないしスリッパもバスローヴもない上、備品が必要最低限しかない。全体的にこの部屋は中流のビジネスホテルとあまり差がないと思う。

さて夕食であるが、ホテルのパンフレットによるとこの地域の食材で作りたてを供するとあり、それなりに力を入れているらしいので楽しみだ。本丸から中庭を通って二の丸に行く。レストランの中に入ると壁の装飾がビールのワッペンであり、お城とは関係のない装いで、醸造所付属のレストランであるのが分かる。窓越しにビール醸造の機器が見える。内装は明るく壁の大部分と天井は赤レンガ造りである。まだ職業学校に行っているという女の子が今日は実地の日であるらしく、ぎこちなく、しかし一生懸命給仕してくれる。せっかく醸造所のレストランで食事を摂るのでビールを飲んでみようと思う。ゴールドとブラックがあるが、私はビールは好きではないし普段全く飲まないのでどちらが良いか判らない。試しに両方の種類を一口分ずつ持って来てくれた。軽いゴールドにした。この女の子はまだ一人前のサーヴィススタッフではないので気が付かないのか、向かいのもう一人分のテーブルセットを片付けないし、パン用の小皿とバターナイフは置いているのにパンを持ってこない。ビールに合う食事を供するレストランらしく、それらしい料理が並ぶ。パスタがあるということは、やはりこれもビールとの相性がいいのだろうか。

  

レストランの外観 と 玄関の間 

  

ビール醸造機器 ・ レストランの内部

前菜として、4通りの方法で調理した鮭を西洋ワサビソースで食べさせる料理を頼んだ。

1: 鮭のすり身を玉子焼きのように固めてある。少し辛いが美味い。2: 塩水にくぐらせてちょっと干した鮭で、塩辛い。3: 1と同様だが、茹でズッキーニで巻いていて辛くはないが鮭の味があまりしない。4: 茹でズッキーニで巻いたスモークサーモンで、これは知っている味だ。どれにも特徴がありそれなりにいける。西洋ワサビソースが少し甘くて旨い。大きな皿にミニトマトとサラダ葉っぱを少し添えてエレガントに盛り付けている。以外に満足感があった。

メインはさっと焼いて黒ビールの中でとろ火で煮込んだ牛肉。ポテトのグラタンと各種茹で野菜が付く。焦げ茶色のソースが少し甘めで美味しい。フッと苦味があるのはビールの影響であろうか。グラタンはクリームの量が少ないのか、あまり重くなくて最後まで美味しく食せた。イギリスのようにグタグタに茹でるのではなく、火が丁度通ったところで止めたような、しっかりした歯ごたえのある新鮮な茹で野菜が旨い。ここは良い料理を提供していると思うが、ビールは前菜にもメインにも合わなかった気がする。例に漏れずア・ラ・カルトの一人前は多すぎたので、デザートを省略してエスプレッソで食事を終えた。

ところで、1時間の食事時間中レストランにはずっと私一人だった。他の泊り客は中年の夫婦一組だけのようだ。1月の平日なので客が少ないのは分かる。ビールの醸造所ということで夏の客は多いのかもしれない。

朝食は本丸の中の騎士の間で食すのだが、カーテンや壁の装飾や椅子のデザインがそれらしさをかもし出している。明るくすっきりした部屋である。窓からは周りの牧草地が見渡せる。場所の設定はいいが、ラジオ番組を垂れ流ししていて非日常を楽しみたいのに現実から抜け出せない。食材の種類が少し物足りない朝食だ。暖かいソーセージの類がないが、卵料理の注文を訊いてくれる。紙のナプキンが安っぽいし、出がらしのティーバッグを置く皿を用意してない。気になるのは、客は3人しかいないのに数十人分のテーブルをセットしている。食器類をずっと置きっぱなしにしておくのだろうか。

2日目。宿泊者の数は変わっていないが、レストランは公共なので外からも3人夕食に来ていた。今晩は若い男性の給仕で、一生懸命やっていて好感が持てる。またしてももう1つのセットを片付けないが、今日はパンと豚脂が出た。昨晩は女の子が忘れただけなのだろう。ラジオ番組をBGMとして流しているのは、雰囲気ぶち壊しである。

通常ワインやビールのあてに食べるフラムクーヘンを前菜として食べた。フラムクーヘンとは、極薄の小麦生地にチーズ、玉ねぎ、ベーコン、葱を刻んで乗せて強火の炎で焼き上げたもので、生地が物凄く薄いピザだと考えれば良い。ピザよりずっと軽くて旨い。今晩はビールを飲まなかったがビールに良く合いそうだ。日本で夏のビアガーデンで出せば受けると思う。すでにあるかな? 

主菜は昨晩と同じような味になるだろうとは思ったが、せっかくのビールレストランなのでビール・グーラッシュを頼んだ。グーラッシュとは、角切り牛肉を香辛料を効かせて玉ねぎなどと炒めたあとシチューにした料理である。ビールを加えてビール・グーラッシュにしたのだろう。美味しかった。付け合せは昨晩と同じ茹で野菜と、ポテトグラタンの代わりにゼンメル・クネーデル(小型で皮の堅い白パン(ゼンメル)とジャガイモを団子に丸めて茹でたもので、よく煮込み料理に添えられる。)であった。またエスプレッソで締めくくった。

さて最後の朝食であるが、昨日の朝と全く同じものが用意されている。2、3人の客のために新しく作るわけはないから、フルーツサラダなんて昨日のだろう。もっと古いかもしれない。テーブルのセットは置いたままになっている。カップにもナイフ・フォークにも埃が溜まっているだろう。気のせいか、不味いダージリン茶が何だか埃臭い。

 チェックアウトの時にレセプションの女性と、

 「何やら静かですなー。」

 「はい、ここ数日静かですが、今日から週末にかけていっぱいになります。普段はこのパターンですね。」

 「夏は客が多いんでっしゃろ。」

 「ええ、夏は結婚式も多いし、お城祭りなどの催し物も沢山あっていつもほぼ満室です。」

 やはり城を舞台としたイヴェントが好まれ、私のようにボーッと静かに中世の雰囲気に浸ろうとする客は少ないようだ。 

 

〔2012年1月〕〔2021年12月 加筆・修正〕

 

 

 

 

 

 

 

 

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ペータースハーゲン城

2021年12月13日 | 旅行

北ドイツを流れるヴェーザー川は日本ではライン河やモーゼル川ほど知られていないが、〔笛吹き男〕で有名なハメルンの町を流れる川といえばうなずく人もいるかもしれない。

宗教改革と30年戦争の間の時代には、重要な交通路であったヴェーザー川の流域に、城館、貴族の邸、市庁舎、公民館、そして教会の建物など、ルネッサンスの影響を受けた華麗な建造物が数多く立ち並んだ。30年戦争の後、例えば南ドイツではバロック様式に移行したのであるが、この地域では経済的復興が遅れたために多数の古い建物が現在まで残ることになった。その建築様式をヴェーザー・ルネッサンスと呼んでいる。

ちょうどオェスペル川がヴェーザー川に流入する所にあるペータースハーゲン城は、元々は1306年に初めて史料に現れる水城塞で、堀に囲まれていた。建てさせたのはこの地に教会の所有地を確保しようとしたゴットフリード・フォン・ヴァルデック司教である。その後この城塞がどれ程頻繁に、どのように使われたかは分からない。1545年から1547年にかけてその当時流行であったルネッサンス風の印象深い城に建て替えられたのであるが、それを主導したのはフランツ・フォン・ヴァルデック司教II世である。そして17世紀にもさらなる改築が行われたらしい。19世紀初めの教会財産没収 (国有化から何度も城の所有者が替わり、現在、1901年に購入したヘステルマン家の所有になっていて、1960年代からホテル・レストランとして営業を続けている。小さい城で城主の家族が住んでいるため、客に開放している部分は一部で、部屋数が15の小さなホテルである。

  

城の全景 1 & 2

ペータースハーゲン町の入り口にあり、ググッと歴史を感じさせるたたずまいの城である。

 

中庭

  

螺旋階段のある建物 ・ 螺旋階段

石造りの急な螺旋階段を上ってレセプションに行くと、その前には重厚な雰囲気の暖炉サロンがある。

 

サロン

レセプションのお姉さんが尋ねる。

「荷物を運ぶのをお手伝いしましょうか。」

「ありがとう。でも、貴婦人には重すぎる荷物ですから、、、、。」

どこかで使った台詞をまた吐いてしまった。

「あははは、、、、。でも私、力は強いですよ。」

なるほど、骨格のしっかりした娘である。

部屋に行くのは渡り廊下を通って別の入り口からだ。入るとそこは暖炉のある図書室で、大きなゴールデン・レトリバーが2匹尻尾を振って出迎えてくれる。犬の横をすり抜けて段の幅が狭い急階段を上る。

 

私の部屋から中庭を見る

 

階段の登り口のゴールデン・レトリバー

クリーム色と赤色系の色が目立つ私の部屋はジュニアスイートだ。木張りの床なので少しギシギシ音がするが、暖かみがある。2枚の絨毯がその暖かみを助長している。古いデザインの家具を沢山備え付けてあるが、部屋が広いのですっきりしている。壁には小さな絵が数枚、天井には小さな古いシャンデリアが2つかかる。面白いのは、古城ホテルには似合わない電動ベッドである。頭を上げたり、頭と足を上げたり、腰を上げたり出来る。そういえばバスルームのシャワーは側面から数条の水が吹き出る大掛かりなもので、客に歴史的雰囲気だけでなく肉体的快楽も提供する方針なのが分かる。バスルームはといえば現代風で広くて大きな窓があり、バスタブもバスローブも備えているが、備品が少々貧弱に思える。石鹸とシャンプーに関して言えば壁に液体石鹸の容器を取り付けているだけだし、ボディーローションの類はメーカーから供給された見本品をそのまま置いている。広々としていて静かに快適に過ごせそうだが、風流さや趣があまり感じられない部屋である。

  

私の部屋 1 & 2

  

私の部屋 3 & 4

部屋のすぐ下を、かつてハメルンの町でまず町中のネズミを、そして子供たちをのみ込んだといわれるヴェーザー川が流れる。今は近くを中央ドイツ運河が通っていて、ヴェーザー川は水上交通の要とはいえなくなっている。夏には観光遊覧船が行き来するのだが、シーズンオフの今は静かに流れるだけである。川畔の草原では20頭程のホルスタイン牛が草を食む。私の部屋の窓から、比較的交通量の多い橋と、対岸に水蒸気を吐き出す火力発電所が見えるのは何とも残念である。

 

ヴェーザー川

実はこのペータースハーゲン城に来るのは初めてではない。ハノーファーの自宅から1時間強で比較的近いことから、妻と週末の遠足の途中で立ち寄って昼食をとったことが2回ある。建物の雰囲気が気に入って、何時か泊まろうと思っていたのだ。その時の昼食で供された食事が美味しかったので今夜の夕食が楽しみである。

レストランでは、全面ガラス壁のサンルームのような増築した部屋に私の席を用意している。クリーム色系でまとめた明るい広いスペースだ。この時期に出盛りの植物、ポインセチア(独語では〈ヴァイーナハトシュテルン = クリスマスの星〉という。)などで、もうクリスマスの飾り付けをしている。ドイツでは4週間前に始まる待降節に入ると町中がクリスマス色であふれる。やっと聞こえる程ボリュームを絞ったクラッシック音楽の中、この地方の民族衣装を着た明るいしっかりした娘たちがテキパキとサーヴィスをしてくれる。本来の城の建物の中に中世の雰囲気いっぱいの小部屋があるのを知っているので写真を撮りに行くと、グループ客を迎えるようにテーブルをセットしてある。

  

レストラン ・ グループ客用の部屋

私の席の辺りをウロウロしていたおじいさんが、

「奥の部屋でねー、誕生パーティーがあるんですわ。あんさん、もし自分の写真を撮りたかったらシャッターを押してあげまっせ。」

「ありがとうございます。でも私は写真に撮りたいほどの容姿ではないので、、、、。」

私の冗談が分かったのか分からないのか、黙ってどこかに行ってしまった。

給仕スタッフの娘さんに訊く。

「あの方はこちらの城主ですか。」

「いいえ、お客さんです。今日あの方の85歳の誕生会があるんです。」

ドイツ人も結構長生きするナー。

さて食事であるが、アペリチフとしてノンアルコールのカクテルを作ってもらった。美味である。突き出しとして牛肉サラダが薄いトマト味で出た。美味しいが特に感動する味ではない。

メニューを見ると、ガチョウと鴨が冬季の特別料理として供される、とある。とりあえず試してみることにする。

前菜は、ガチョウの肝臓を栗とカボチャを細かく切って煮たのと一緒に、おそらくトウモロコシ粉の生地をごく薄く焼いたもので巻いている。ガチョウの肝臓といっても人工的に肥大させた脂肪肝、すなわちフォアグラではない。私はもちろんフォアグラが出てくるだろうと期待していた。きちんと書いておいてくれないと困る。一種の詐欺ではないか。期待が大きすぎたせいか、まあまあの味である。下に新鮮な葉サラダを沢山敷いてある。少し甘めのドレッシングが美味しい。

本菜は焼いたガチョウの胸肉と骨付きもも肉。煮野菜の付け合わせとして紫キャベツの千切りと芽キャベツをヴィルジング(サボイキャベツ)の葉っぱで包み込んである。どうせナイフを入れるとバラバラと出てくるのに、どこに包み込む必要があるのだろう。幻のフォアグラのせいか、今日は何かと言いがかりをつけたくなる。炭水化物の付け合せは小さめのクニューデル(小麦粉とつぶしたジャガイモを団子に丸めてゆでたもの)だが、多すぎて殆ど残した。肉は少し焼き過ぎのぱさぱさで、蜂蜜・クリーム・ソースが甘過ぎると感じた。私は良く焼いた肉も甘味も好きなのでわりと美味しく食せたが、たとえば私の妻などは不満たらたらであろう。デザートは省略してエスプレッソで締めくくった。

ここは食材も調理の仕方も味付けも典型的なドイツ料理である。体調とか空腹の具合とか、何か訳があるのだろうが、以前昼食を食べたときの方が美味しかったと思う。

朝食も昨晩と同じ席に着いた。牧歌的なヴェーザー川畔が見渡せる。今は廃止されてしまったが、かつてハイカーとサイクリング族の自転車を運んだ小さな渡し舟の発着場も見える。宿泊客は少なかったらしく、私の他には3人連れのオランダ人が居るだけで静かな朝食である。ビュッフェの内容も静かである。例えば暖かい炒り玉子やベーコンやソーセージがない。もう少しいろいろ賑やかに並べておいて欲しかった。

 

〔2011年12月〕〔2021年12月 加筆・修正〕

 

 

 

 

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