お城でグルメ!

ドイツの古城ホテルでグルメな食事を。

ピエトラ城砦

2024年03月15日 | 旅行

私たちが8泊したアパートメントは、プリミエロ谷にあるトランサックアという村にあります。ここはドロミテの南の方で、ドロミテ独特の奇岩の山々が見える地域の南端にあたります。トランサックア村は、川を挟んだフィエラという村や同じ川岸側にあるトナディーコおよびシロールの村々と共同体を成しています。

  

奇岩の山々の一部 朝 ・ 夕方 

  

フィエラ村 1 & 2

  

フィエラ村 3 & 4

 

フィエラ村 5

ピエトラ城砦はトナディーコ村にあるのです。北イタリアの他の地方に同じ名前のもっと立派な城塞がありますが、ここのピエトラ城砦は険しい岩山のてっぺんに築かれていて、今は廃墟なのです。

  

ピエトラ城砦 正面から ・ 裏側から

山を分け登って近づいて見ると巨大な岩にロッククライミングしている人たちがいます。

 

ロッククライミング場

自然の岩を利用した城壁の一部があり、上に登るのに鉄製の梯子がかけられています。以前は登って行けたようですが、いかにも危なっかしいし、〈登るな!〉と書いてあるので断念しました。

  

城壁の一部 ・ 梯子

ピエトラ城砦は13世紀後半に谷の交通を監視する砦として建造されたのですが、16世紀に戦争でいちど破壊され再建されたものの、引き続く戦火と荒廃により17世紀には完全に崩壊してしまいました。その上19世紀には大洪水で、土台となっている岩山のいち部が倒壊しました。そして20世紀の後半に、所有者である某伯爵が修復をほどこしてこんにちに至ります。

  

1863年に描かれた絵 ・ 揚げ物

近くの山小屋で、昼食に炭酸入り水と揚げ物 (パプリカ、さや豆、ニンジン、魚、エビ、沢山のイカ) を注文しました。あまり気が進まなかったのですが、他にはトーストぐらいしかなかったので1人前を妻と分けました。味はまあ普通で、やはり胃にもたれてしまいました。

 

村のカフェで

山から下りて来てアパートメントに戻る前に、フィエラ村のカフェで絞ったオレンジジュースとエスプレッソとアイスクリーム菓子で胃を整えました(?)。イタリアンジェラートの店は大変混んでいたので仕方なくジェラートがない店にしたのですが、やはりアイスクリーム菓子はジェラートより味がグッと落ちますね。でもオレンジジュースのさわやかさが良いし、10kmほど山を歩きまわった後で飲むエスプレッソは最高です。

いち度宿に帰って一服した後、歩いて3分のレストランで夕食をとりました。キビキビしたお兄さんがウエイターで、珍しく英語のメニューがあります。妻はアルコール入りビールを、私はアルコール無しビールを頼みました。

私の前菜はセロリたっぷりのサラダで、上にのせた生肉にはリコッタチーズとハーブが包んであります。その上にあるのはパルメザンチーズの切片でバルサミコがかかっています。面白い取り合わせで、それぞれの食材の味がしました。うまく調和していない、ということです。

  

セロリ と 生肉のサラダ ・ ホワイトソース と パンケーキ

妻のは、ポルチーニ入りのホワイトソースの中に置いた甘くないパンケーキです。横にかんな屑状のポレンタで作った付け合わせがのっています。ソースがたいへん美味しい。

私は前菜の後で (子牛ではなく) 乳飲み豚の頬肉を食べました。肉をハムで巻いていて、少し酸っぱめのソースがかかっていて旨い。たこ焼きに見えるのはマッシュポテトです。そして揚げたポルチーニ茸ですが、これは牡蠣フライの食感でおもしろいですね。

  

乳飲み豚の頬肉など ・ パスタ

妻のメイン料理は、オックステイル入りの豆ソースを絡めた手作りパスタ。質感のある団子状パスタです。芋虫ではありません。特にソースが美味しかったのです。

最後に少し濃いめのエスプレッソで締めくくりました。

  

エスプレッソ ・ ピエトラ城砦の遠景 (右の真ん中)

食事中にかなり強烈なにわか雨が降りました。その直後のピエトラ城砦を望む景色がすばらしい。

この付近の村々は子供連れ家族と老人の避暑客が多いところです。ゆったりと時間が流れ、のんびり出来ます。

 

2018年8月〕〔2024年3月 加筆・修正〕

 

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貴族の館 エルス・カルデラーズ

2024年03月13日 | 旅行

昨年のクリスマスから新年にかけて久し振りにスペインのマヨルカ島で過ごしました。過去に比較的頻繁に行った時期があり、今回は7か8回目ぐらいです。ドイツでフィンカと呼ばれるかつての農家を賃借して10日間過ごしたのです。近くに住む大家の犬と猫がしょっちゅう遊びに来たり隣の農場の羊やロバたちが寄って来たりして、 たいへん楽しく過ごしました。

 

フィンカ ・ フィンカの広大な庭

マヨルカ島滞在の主な目的はトレッキングだったのですが、その土地の文化に触れることも忘れませんでした。その一環としてエルス・カルデラーズを訪れたのです。

 

館の外観 ・ その入り口

立派な犬小屋

 

外庭 ・ 中庭

エルス・カルデラーズはマヨルカ島のかつての邸宅で、現在は野外博物館として利用されており、当時の部屋を見学することができます。

この邸宅は13世紀の後半にカルデラー家の邸宅ということで初めて歴史書に登場しましたが、すぐに貴族のヴェリ家に引き継がれました。現在の本館の建設は18世紀中頃に始まり、建物は19世紀初頭まで継続的に拡張されていきました。黄色い石灰岩で造られた3階建ての建物は、マヨルカのカントリーハウススタイルの特徴的な例と考えられています。本館の中庭には井戸 (システルナ) があり、今でも淡水を提供しています。

 

廊下 ・ ホール (長椅子の前に置かれた火鉢!)

  

幾つもある居間のひとつ ・ 礼拝堂 

 

図書室の入り口 ・ その内部

 

住人の寝室

 

女性住人の部屋 ・ 男性住人の部屋

 

住人の食堂 ・ 外で働く使用人たちの食堂

 

主席使用人の仕事部屋 ・ アイロンかけ部屋

20室以上ある本館に加えて、この邸宅全体にはいくつかの別棟、厩舎、耕地が含まれます。家畜では馬や羊や黒豚などが飼われています。とりわけ、特産品であるマヨルカソーセージが作られる黒豚は特筆に値します。その他歴史的な道具を備えた鍛冶屋、大工の工房、パン屋、大きな納屋、洗濯場など、さまざまな工房もあります。

 

音楽室

本館にある音楽室は古典主義様式の内装だそうです。良く見て行くと、短いマヨルカのフルートなど、マヨルカの伝統的な楽器やマヨルカ島でしか使われない多くの楽器を展示しています。さらにヴァイオリン製作もマヨルカ島には長い伝統があるとのことです。

 

ワインの醸造場 ・ ワインセラー

本館の地下にはワイン醸造場とワインセラーがあります。当初ブドウ栽培はこの家にとって最も重要な収入源でした。しかし19世紀初頭、ブドウ畑の破壊につながったフィロキセラ (19世紀に世界中のブドウを襲った害虫) に襲われ、ブドウ畑のほとんどが取り除かれて小麦畑に置き換えられたのです。それ以来、穀物の栽培が最も重要な収入源になりました。こんにちワイン生産者は再び新たなスタートを切ろうとしているそうです。

このワインセラーで訪問者は自家栽培のワインを試飲することが出来るので飲んでみました。少しとろみがあって甘く、リキュールかと思いましたが、売店のオバさんによるとまぎれもないワインだそうです。

私たちはまだ見たことがありませんが、2月にはマヨルカ島のあちこちで桜に良く似た薄桃色のアーモンドの花が開花して、それはそれは美しいのだそうです。それでこの島にはアーモンドを使ったトゥロンというお菓子があるのです。トゥロンの中で一番伝統的で知られているのは、ドゥロとブランドの2種類です。

 

1775年からの伝統を守ってきたメーカーのドゥロ &

 

他のメーカーのドゥロ &

ドゥロは、しっかり煮詰めて練った砂糖、はちみつ、卵白に炒ったアーモンドを混ぜ合わせて板状に伸ばし、オブラート (硬質オブラート又はせんべいオブラート) で挟んでそのまま固めた硬いお菓子です。歯で噛んでガリッと割るおこしのような感覚なのです。妻も私もこれが好きで、マヨルカ島のみならずスペインに行った時はよく食べます。

 

1775年からの伝統を守ってきたメーカーのブランド

ブランドは焙煎したアーモンドをミル(石臼など)で粉砕し、ハチミツ + 砂糖 + 卵白と混ぜて火を入れて固めたあと、さらに粉末にして練ったもの。通常、軟らかいそれを板状に成型しています。これは味が単調で甘すぎて、我々はあまり好きではありません。

 

〔2024年3月

 

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マロースティカ城塞

2024年03月10日 | 旅行

ヴィツェンツァからドロミテの山間部のアパートメントに居を移す途中で、マロースティカという、人口一万四千人の小さな町を散策しました。

 

旧市街の鳥瞰図

見どころは、山頂にある上部城塞と平地にある下部城塞。そしてそれをつなぐ城壁が旧市街を完全に取り囲んでいる景観です。14世紀に築かれた数キロメートルの長さの城壁には、二十数本の防御塔があります。

  

下部城塞 (城壁の外から) 1 & 2

 

城壁 (外側)

  

教会と上部城塞 1 & 2

  

上部城塞 1 & 2

 

上部城塞 3

  

城壁 1 & 2

 

下部城塞 (左) と 城壁 (真中と右) 

城壁の中には下部城塞の前にチェスボードを模した広場があり、数百年前から2年に一度、偶数年9月の第二週末に人間チェスが行われます。人間が中世の衣装を着てチェスの駒に扮するのです。

 

下部城塞 と チェスボード広場 (コンサートの準備中)

なぜ人間チェスが行われるようになったか、にはストーリーがあります。

15世紀の中頃、二人の騎士がマロースティカ城塞の城主の娘に恋をしました。娘の父親はそのふたりの若者に野蛮な決闘をすることを禁じ、チェスの勝者に娘を与えることを約束したのです。

人間チェスのことを知って、一昨年行った山形県天童市の人間将棋を思い出しました。人間将棋にはどのようなストーリーがあるのでしょう? ちなみに、マロースティカ市と天童市は姉妹都市だそうです。

旧市街の小さなレストランで昼食にしました。

われわれ二人とも歳をとって、肉よりも魚を好むようになりました。それで前菜は太刀魚と蛸です。

まず太刀魚はスモークタチウオのカルパッチョです。下に生野菜が少し敷かれてあり、オリーブ油と赤コショウがかかっています。燻し加減がそれほど強くなく、美味しく食べました。

  

スモークタチウオ ・ タコの炭焼き

同じくフッと煙の風味を、タコの炭焼きにも感じました。香ばしくてやわらかいタコで、オリーブ入りマッシュポテトとともにたいへん旨かったのです。

前菜を食べるときに白パンといっしょに出た長い乾パン風のものが香ばしく、意外に美味しく食しました。

 

パン類

知らなかったのですが、ドイツと違ってイタリアではアルコールフリーのビールがどこにでもあるわけではないのですね。仕方がないので私は炭酸入りミネラルウォーターにしました。妻は水のほか、昼間であるにもかかわらずイタリアワインを飲みました。

そして妻が食べたのはマグロとケッパーとトマト入りのパスタ。魚のダシがよく出ていて大変に美味しいのですが、味の特徴は私の筆力では表現できません。

  

マグロ-パスタ ・ ソーセージ-パスタ

私がたのんだパスタは、挽き肉ならぬ挽きソーセージ入りです。上にパルメザンチーズ。香料が効いていて、少し塩辛いけれども美味。

どちらのパスタもちょうど良い茹で具合でした。

デザートのメロン味シャーベットとエスプレッソもたいへん結構で、今回イタリアに来て最も美味しかった外食のひとつです。ふと見ると、入り口のドアにミシュランのステッカーが貼ってありました。星は付いていないけれども、ミシュラン本で紹介されているレストランのようです。さらに隣の席のオランダ人夫婦と話が弾んで、楽しい昼食になりました。

 

2018年8月〔2024年3月 加筆・修正〕

 

 

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ローテンブルク・オプ・デア・タウバー

2024年03月07日 | 旅行

ノイシュバンシュタイン城やライン河下りと並んで最も知られたドイツ観光のハイライトのひとつが、南ドイツをヴュルツブルクからフュッセンへ縦断するロマンティック街道です。ロマンティック街道にある中世の町の中でも特に有名なのが、ニュルンベルク大都市圏の一部であるローテンブルク・オプ・デア・タウバー。

 

市役所 (左の建物)

なぜこれほどまでに有名なのでしょうか?

歴史的な町の中心部は要塞に囲まれ、タウバー渓谷の手付かずの風景に埋め込まれています。そしてほぼ完全に保存されている中世の旧市街に多くの歴史的建築物や文化財があり、第二次世界大戦による破壊と再建にもかかわらず、現代的な建物がほとんどありません。これがこの町の魅力なのでしょう。さらに、ローテンブルクは中世犯罪博物館など、いくつかの博物館でも知られています。私の姪が訪独した時、中世の拷問器具が見たいと言うので中世犯罪博物館に連れて行きました。

 

町のようす &

さて、ローテンブルク・オプ・デア・タウバーの歴史です。

12世紀の中頃に出来た小さな集落が世紀末にかけてゆっくりと発展し、13世紀の後半には自由帝国都市に昇格しました。中世には重要な交易の町として繁栄しましたが、17世紀前半の三十年戦争の後、町は一種の眠りに沈んだと言われています。つまり、ローテンブルクはまだこの地域の文化の中心であり続けましたが、徐々にしか発展しなかったのです。これが、なぜ町とその古い建物はこれほど保存状態が良いのか、の答えのひとつではないかと考えられています。19世紀後半に ローテンブルクは観光地になり、そして世紀の変わり目には早くもイギリス人とフランス人に人気の観光地になりました。すでに第一次世界大戦前から、高級な遊覧バスが 現在も存在するホテル〈アイゼンフート〉に乗り付けていたそうです。

ことほどさように、ローテンブルクは第二次世界大戦前からドイツの重要な観光地と見なされていたのです。が、第二次世界大戦終結直前に旧市街の一部が爆撃によって破壊されました。その後建物は再建または改装され、戦後以来こんにちまでローテンブルクはドイツにとって重要な観光地です。1950年に設立されたロマンチック街道もこれに貢献したのでしょう。

昨年の夏、私たちはこのローテンブルク・オプ・デア・タウバーに、北イタリアのアルプスからの帰途に立ち寄りました。以前に何回か訪れたことがあり、今回は約25年ぶりの訪問です。四半世紀も経てばふつう町に何らかの変化があると思われますが、ローテンブルの旧市街には、我々の見る限り、何の変化もありません。道路や家屋の修理の際に、中世の雰囲気を壊さぬように細心の注意を払っているのでしょう。

 

ホテルの外観 ・ 旧式のエレベーター

 

ホテルの内部 &

 

ホテルの内部

私たちは町の中心部に旅装を解きました。古いホテルです。エレベーターや家具類をはじめ、歴史を感じさせる内装が印象的です。我々の部屋も古色蒼然としています。昔のベッドは背が高いですね。窓からは要塞に囲まれた旧市街地の一部が見渡せます。

 

我々の部屋

 

部屋の窓からの景色 &

 

部屋の窓からの景色

ホテルにレストランがないので、外に食事に出ました。正面は幅が狭いレストランですが奥行きがあり、裏庭のテラスに席を取りました。

  

レストランの正面 ・ 裏庭のテラス

さて、ビールは地元のアルコールフリーです。

 

ビール

前菜は頼まずに、鶏肉料理と豚肉料理のメインだけを注文しました。

妻のは、フルーティーでスパイシーにマリネして焼いた鶏の胸肉にパプリカとトマトの煮たのんが添えてあり、別の容器でポテトコロッケが出て来ました。

 

鳥の胸肉料理 ・ 豚カツに似た豚肉料理

私のシュヴァイネシュニッツェル (叩いて伸ばした豚カツに似た豚肉料理) はシェフのオリジナルだそうで、西洋ワサビと辛子で衣をつけて揚げてあります。横にフライドポテトが載っていて、別の食器に野菜サラダです。

どちらも特に不味いわけではないけれども、料理に深みがないと感じました。料理だけではなくスタッフの客扱いにも、ほとんど一見の客 (観光客) しか来ない観光地のレストランの特徴が良く出ていたようです。満足感乏しく、食後のコーヒーも飲まずにそそくさと店を出ました。

  

朝食会場の案内板 ・ 朝食部屋

朝食はホテル内でとることが出来ました。朝食会場の案内板に、いかに多くの国から観光客が訪れるのかを見て取ることが出来ます。タウバー渓谷を見下ろす小ぎれいな部屋で、ごく普通のドイツ的朝食を食べました。

 

朝食ビュッフェ ・ 私の朝食

ローテンブルク・オプ・デア・タウバーはいつ来てもなん度来ても興味深い町であると再確認した次第です。

 

〔2024年3月〕

 

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チッタデッラ と カステルフランコ ・ ヴェーネトの市壁

2024年03月04日 | 旅行

ヴィツェンツァの近くのチッタデッラという小さな町を見学しました。歴史的な地域が、ほとんど完全な形で残っている市壁で囲まれている興味深い町です。

 

チッタデッラの中心部

チッタデッラは13世紀前半にパドヴァの軍事的前哨地として築かれました。そして13世紀後半から14世紀末にかけて近隣地域での戦略上の重要性を持つようになり、その影響が及ぶ地域が広がっていったのです。現在北イタリアであるこの地方は、18世紀から19世紀にかけてフランスに占領されたりオーストリアの一部になったりした後、19世紀の後半にイタリア王国に属するようになりました。

  

市壁 と 水掘 ・ 出入り口のひとつ(外側から)

  

出入り口のひとつ(門の内部) ・ 出入り口のひとつ(内側から) 

市壁は直径約450mのほぼ円形で、円周は約1.500mあります。高さは14mから16mで、2mぐらいの厚さがあるとのことです。そして32ヶ所に大小の塔が組み込まれているのです。市壁の外側は水堀にぐるりと囲まれていて、中に入るのは橋を渡って4つの門からのみ可能です。20年の歳月をかけて修復と保存工事を行い、2013年からは訪問者が市壁の上を一周できるようになりました。散策の途中で中世の町の中心部の姿をいろいろな角度から見ることが出来るし、二か所の博物館を見学できるのです。

  

市壁の一部分 1 & 2

 

博物館の内部

市壁の上を一周した後、この町の劇場が素晴らしいというので見学したいのですが見当たりません。町役場の中にある売店のおばさんにたずねると、わざわざ劇場まで案内してくれました。行ってみると、普通の家とまったく変わらない、入り口も窓も締め切っている建物です。これでは見つからないのも当然です。閉まっているのであきらめようと思っていると、ちょうど劇場の関係者が通りかかり、わざわざ鍵を取りに行って来て中を見せてくれ、説明までしてくれました。 19世紀に建てられた、小さいけれどもゴージャスな劇場です。

 

チッタデッラの劇場

劇場を見てから感じのいいエノテカ (ワインショップ) で昼食をとりました。

 

エノテカ

妻の前菜はマグロのタルタルステーキのトマトとバジリコ添え。新鮮な生マグロでトマトとよく合います。グッド。

  

グロのタルタルステーキ ・ ムール貝スープ

私のはムール貝スープです。熱々でニンニクがきいていて、少しピリ辛です。私は貝類はあまり好きではないのですが、とても美味しくて夢中で食べました。ただ、スープだけ飲むと少々塩辛いですね。

妻のメインディッシュは彼女の好きなパスタです。イカとトマトが入っています。私も一口食べてみましたが、美味しい。

  

パスタ ・ 〈われわれの鮮魚〉 

私はメニューに〈われわれの鮮魚〉とある料理を注文しました。料理というか、タチウオ、マグロ、貝、そして3種のエビが生のまま並んでいるだけです。オリーブ油とレモンと塩と胡椒で食べさせます。まったく生臭くなくてまあまあいけますが、やはり日本人としてはわさび醤油が欲しいと思いました。

 

エスプレッソ

食後のエスプレッソはたったの1ユーロ(約125円)。腹にグッとしみて美味しかったのです。

チッタデッラから10㎞あまりしか離れていないところに、カステルフランコ・ヴェーネトという人口3万3千人ぐらいの町があります。町の起源は12世紀の末に建造された城砦までさかのぼるそうです。その後はチッタデッラと同じ歴史をたどり、19世紀後半からはこの地方の鉄道交通の中心になっています。

  

囲壁の一部 ・ 出入り口のひとつ

この町も中心は市壁と近くを流れる川から引き込んだ堀に囲まれています。レンガ製の壁は高さ17m、厚さ1,75mだそうです。旧市街の真ん中には、大聖堂が建っています。

  

市壁の内部 1 & 2

 

大聖堂 

カステルフランコ・ヴェーネト町の劇場の前を通るとき、案内板を〈閉館中〉と声を出して読んだら、ちょうどそばで劇場の女性責任者が立ち話をしていて、われわれを特別に中に入れてくれました。

 

カステルフランコ・ヴェーネトの劇場

一日のうちに同じようなことが2回あるとは、なんという偶然なのでしょう。イタリア人の優しさにも感激しました。市壁はもちろん圧巻ですが、小さな町がこんなに素晴らしい劇場をもっていることに驚きました。両方の町に言えることです。

 

〔2018年8月〔2024年3月 加筆・修正〕

 

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