かつての西ドイツの首都ボン。その郊外のうっそうとした木々におおわれた丘にある宮殿ホテル コメンデ・ラメルスドルフは、1230年、現在のボン市ラメルスドルフ地区に十字軍遠征に関連して建造された宮殿風建物で、下界から離れた雰囲気をかもし出している。これは1803年の教会財産没収 (国有化) まで騎士修道会所有の建造物(コメンデ)であり、他の約300のコメンデと共にドイツ騎士団を経済的にサポートするのが主な任務であった。1842年に焼失して新ゴシック様式に再建された前後には所有者が度々替わり、1940年にはドイツ国有鉄道が手に入れた。第二次大戦時には近くに弾薬庫があったにもかかわらず建物は無事であり、戦後、イギリス占領軍の為に働く元ドイツ兵達の宿舎となった。占領軍が去った後ドイツ連邦鉄道はこの建物を講習会用に使っていたが、1967年以来空き家となって荒廃していった。アウトバーン建造の際に壊される運命にあったが、市民運動によってそれをまぬがれて壮大かつ贅沢な建造物は残ることになり、1978年にはこの建物を買いたいという人物が現れた。建物の復旧には3年を要し、今は過去数世紀の間に作られた家具の常設展示場と骨董品店になっている。一部は小さな個人経営のホテルとレストラン・カフェである。
建物は正面からは白亜の外観だけが見えるが、城門ををくぐると、真ん中に泉がある石畳の広場にほぼL字型の建物がある。それは1階部分が薄茶色のレンガ造りで、この建物にダブルの客室10室とシングルが8室ある。2階の部分は焦げ茶色の木骨造りで、私にはこちらの方が白亜より落ち着く気がする。
宮殿の正面 (左半分) ・ (右半分; 城門あり)
裏側の広場と建物 1 & 2
入るとすぐに小さなレセプションがあり、奥行きが無いので並列にバーやレストランが続く。人懐っこい感じで気軽に話すスタッフが二人居るが夫婦だろうか。男性はキューバ人で女性はキューバとイタリアの混血だそうだ。男性の方がひとしきり日本のことを褒めた後、
「しかし鯨を食べるのはいかん。」
と言う。
「何を言う。鯨食は日本の文化であるぞ。」
「それでもいかん。」
客が来たので、
「後でディスカッションしよう。」
と言って終わる。
「エレベーターはないのか。」
「古い建物だから、ない。」
延々と狭い廊下が続く。
階段の踊り場から下のレセプションを見る ・ 階段を登りきったところ
廊下
部屋に入ると染み付いたタバコの匂いが鼻につく。灰皿は無いから比較的最近禁煙にしたのだろうか。薄ベージュ色の極シンプルな部屋で、天井は高く窓が小さい。古いデザインの安っぽい茶色の家具で、冷蔵庫は置いていない。キリスト教関係の絵が数枚かかり、シャンデリアとベッドサイドの照明は中世風デザインだ。造花を挿した花瓶が2つあるが、一輪挿しのバラは生花である。この部屋はダブルをシングルに設えていて、ベッドを広く使えるのは大変に快適だ。小さい窓無しのバスルームで化粧備品は石鹸とシャンプーだけだが浴槽がある。ここは 〈リング・ホテルズ〉 という中級ホテルのグループに属していて、もちろんスリッパとバスローヴを提供してくれるようなランクのホテルではない。
私の部屋 1 & 2
レストランには一度建物を出て 別の入り口から入る。給仕のおじさんに写真を撮っていいか尋ねると、彼が働いている様子を撮って後で送ってくれという。室内は全体をベージュ色で決めていて、テーブルには真っ白なきれいにアイロンがかかったテーブルクロスとナプキン。BGMは私の好きなモダンジャズで、瀟洒な垢抜けた感じのレストランだ。人柄は良さそうだがせわしない給仕のおじさんの存在が、いささかミスマッチである。しかしこのおじさん、メニューにはないが私の希望でグラスワインを出してくれる。
レストラン
私のテーブル ・ レストランの内部
厨房からの挨拶は冷たいイタリア風煮野菜で、ほとんどのイタリアレストランで供される料理ではあるが、ここのは薄味で結構。
メニューが無いのでア・ラ・カルトだ。
前菜は冷菜で、アスパラガスのマリネ(酢、塩、サラダオイル、ワインに香味野菜や香辛料を加えた汁に漬けること)であるが、あまり私の好みではない。アスパラガスは熱々で、フッとメタンガスに似た香りがするのがいい。横にルッコラ・サラダと生パプリカの細切れを添えている。
主菜として魚料理を注文した。ドラーデという鯛に似た海水魚である。カラッと揚げたその揚げたてが旨いが、皿が冷たいのは残念である。クリームソースが少しかかっている。いろんな種類の煮野菜が付いているが、特に美味しいわけではない。新ジャガの茹でポテトは、以前食べた時もそうであったが、ホクホク感がない。採れたてジャガイモの特徴だろうか。
朝食は 私の部屋のすぐ隣の広間でとるようになっている。白い壁と天井の部屋でシャンデリアと壁の装飾照明が宮殿の雰囲気を出しているが、この建物はどこも窓が小さく、薄暗いのが朝食にそぐわない。各テーブルにバラの一輪挿し。
朝食部屋
ソーセージやベーコンといった暖かい食材や卵がないが、朝食に必要なその他のものは全てあり、ハム類の質が結構良い。サーヴィスをするのは普段着のままの外国系のおじさんであるのだが、聞いて見ると南アメリカ人であるらしい。ヨーロッパの宮殿に何となく溶け込んでいないそのおじさんが、隣接する朝食用台所で皿を洗ったり拭いたり、テーブルをセットするのは何だか面白いシーンである。彼も私のことを、アジア人がヨーロッパの宮殿で食事をするのは何となく溶け込んでいなくて面白い、と思っているかもしれない。まわりを見渡すと、宿泊客は男性一人というのが圧倒的に多い。出張で宿泊したようで、新聞を読む人が多く、街のビジネスホテルと変わりがない。中世の気分に浸ろうなんていうのは私みたいな暇なおじさんだけなんだろう。
今日は昨日とうってかわっていい天気なので、小さな庭が付いたテラスでの夕食を薦められる。レストランの客は私ひとりだが、別のホールに2つパーティーが入っていて、給仕のおじさんが汗をかきかき走り回っている。このテラス、下の住宅地域がよく見えるし道路を頻繁に通る車の音がうるさいのであるが、我慢することにした。食事が出てくるまでテラスと庭をうろつくと、そこで見るべきでないものを見てしまった。というのは、塀や石段の陰にいつか客が置いたと思われるグラスや瓶が片付けられていないし、テラスの端の方のテーブルには沢山の吸殻とヤニで黄色くなった水が入った灰皿がそのままになっている。優雅な夕食の気分が台無しである。
遠くに見えるほぼ円柱型の高層の建物はゴミの焼却場であるそうだ。何層ものフィルターを通すので煙が全く見えない。見えないだけでなく、有害な気体は出ていないのだろう(と願う)。発生した熱でお湯を沸かして、近隣の家の暖房のために循環させているらしい。ゴミの処理方法として一番簡単で有益だと私は思う。ゴミを燃やすとダイオキシンが出ると言われるが、ダイオキシンが出ない焼却技術があることはあまり知られていない。
さて夕食であるが、突き出しの鴨の胸肉が良い味だ。これが前菜でもいいくらいに多く供された。
温かい前菜は焼いたウズラの胸肉で、皮が香ばしくて旨い。付け合せにバルサミコ風味のレンズマメと野菜サラダがほんの少し。ただ、これがメインでも良いくらいの量である。
主菜は煮た鞘インゲンとパプリカとポテトが添えられた子羊のCarreだ。Carreとは肋骨の付け根の部分で、子羊の最も美味しいところとされている。普通は横切にして骨付きで供される。ポテトはマッシュポテトを円盤状にして衣をつけて揚げてあり、小さな薄いコロッケみたいだ。油の温度が高過ぎたようで、衣が焦げていて苦い。全体にソースがかかっているのだが、私には味が濃過ぎる。
さて子羊のCarre であるが、形が太い長い棒状になっている。
「これは本当にラム・カレですか。」
「そうです。骨をもう取ってあります。」
そうか、横切ではなく縦切にしたのか。高価な食材のはずなのに、量が多く横切の10数枚分はある。それに、子羊にしては肉が固く脂肪の部位がないし、普段家で食べるラムの味の繊細さや 〈乳臭さ?〉 もない。本当に子羊だろうか、青年羊ではないだろうか、と疑ってしまう。量も最低二人分はあり、残してしまった。
「少し多すぎますねー。」
「私もそう思いますが、料理人のサーヴィス精神の表れです。」
アァー、絶対に子羊のCarreと確信できる料理を少しだけ食べたい!
この宮殿ホテルのパンフレットによると、フランス風・地中海風グルメ料理を提供するということだ。雰囲気とスタイルは(テラス以外)グルメレストランに近いといっても良いが、料理の味は美食と言えるかどうか疑問である。
部屋がタバコ臭かったり朝食の時間に人の話し声や食器の音が聞こえたりと、部屋に関して不運だったし、テラスの悪い状態を見てしまった。
このホテル、外観はえらく立派だが、部屋の設備や装飾、そしてスタッフの教育レベルと接客態度からして、〈リング・ホテルズ〉(中級ホテル)のメンバーに過ぎないのは納得できる。
〔2012年6月〕〔2022年2月 加筆・修正〕
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