その名を良く知られたドイツの温泉地、バーデンバーデンの中心から15kmほど離れたブドウ畑の真ん中に建つノイヴァイエル城館は、12世紀までその歴史を遡ることが出来る。本来は水城として建造され、不慮の攻撃を防御すべく設備が施された。そして1548年から1549年にかけて、当時の城主によって現在の城館の形に拡充整備されたそうである。17世紀と18世紀の30年戦争やフランスの強盗騎士戦争の時にはしばしば襲われ、母屋の片翼を焼失したこともある。19世紀にはその所有者が頻繁にかわったが、1897年に今の所有者になり、20世紀はワインの醸造を手がけ、城で飲食業を営んだ。その後修理と改装を繰り返し、2004年9月にレストランを含めて全ての刷新を終えたそうである。今はレストラン業とワイン醸造業を営み、ダブルの客室8部屋と2つのスイートルームを持つ、家族で運営しているこじんまりとしたホテルである。
城館の全景 と 葡萄畑の山 ・ 城館の一部 と 葡萄畑
城館を取り囲む昔の堀は芝生と花壇になっていて、真ん中を細い水路が走る。花で飾られた跳ね橋を渡って „登城“ するようになっている。
レストランがある城館
城館はレストランとして使っていて、客室は中庭を挟んで向かい側の、元々は城付属の農場家屋で、完璧に現代風に改装している4階建ての建物にある。各部屋に人物の名が冠せられており、その人物の肖像画が入り口に掛かる。私の部屋は、カタリーナ・エリザベート・フォン・グレンロートという17世紀の女性だ。かといって彼女と部屋を結びつけるものは何もない。かつての城主婦人かもしれない。窓からはブドウ畑の斜面が広がっているのが見える。
中庭 と ホテル ・ 私の部屋にかかる肖像画
部屋には必要なものは全部あり、使い勝手が大変よろしい。浴室にはシャワーしかないが、そのシャワーが通常の2倍近くの広さで、手で持つシャワーの他に上からも、さらに壁から3箇所もお湯が噴出すシステムになっている。このクラスのホテルには珍しく、必要ならばスリッパと浴用ガウンを貸してくれるらしい。
私の部屋 1 & 2
このバーデンバーデンがある黒い森地方は、ワインの産地であるばかりでなく、というか、ワインの産地であるが故にグルメ地方としても知られ、ミシュランの星を持つレストランが多く散在する。このホテルのレストランもミシュラン1つ星だ。
城門をくぐるとガラスの屋根で覆われた小さな空間があって、古い井戸がある。そこから幾つかある食堂に行くのであるが、複雑に込み入った間取りで、広い冬園 (ガラス張りの室内庭園) もある。私の席が設えてある部屋には、えび茶色の壁に数枚の暗い古い大きな肖像画が掛かる。窓際に1m程ある壁の厚さを認める、明るくて清潔感のある食堂だ。ポップ音楽のBGMが静かに流れる。
レストランの入り口 ・ レストランの内部
コースメニューは、肉料理中心のと魚料理のそれがあったので、魚にした。そして、5品のメニューであったがチーズの盛り合わせを省いて4品にしてもらった。
まず最初に、木製の盆に、フォアグラ、炒焼アーモンド、メロンスープ、唐辛子クリームが少量ずつ、パンと共に供される。
厨房からの挨拶は、1口大のタルタルステーキで、薄い生地で巻いている。旨い。
1品目はどれが主役か判らないくらい賑やかな皿であるが、マグロの叩きの周辺に中近東の薬味をまぶしてある。それに、軽いワサビ味のマッシュポテト、アボカド、焼き海老、網状のフライトポテト。全体的に軽くて繊細で美味しい。少し塩辛い気がするのは、暑い日なので、シェフが沢山汗をかいたのかもしれない。
ここの料理長はスイスはシャフハウゼンのミシュラン1つ星で仕事をしていたそうだが、そのレストランはヨーロッパで最も早い時期にアジアの味を取り入れたことで知られている。この料理のアジア系の味付けが納得できる話である。
2品目はドイツでは珍しい、焼いた蛸とイカの料理で、トマトソースとオリーブ油がかかり、アーティチョークが添えてある。炭水化物としては黒色と白色のニョッキを絶妙な加減で茹でている。イタリア風で美味しいが、また少し塩味が強いような気がする。
メインディッシュの魚はタラ。淡白な味だが、パリッと焼いた皮の食感が良い。原形を留めた部分の多いキルヒャーえんどう豆のピューレが敷かれている。ケイパー (セイヨウフウチュウボクのつぼみの酢づけ) と焼きトマトが散在する。ピューレの微かな甘みとトマトの酸味が絡み合う。塩加減も良くて美味しい。
口休めとして、レモンアイスクリームに発砲ワインをかけてくれる。さわやかである。
デザートはカラメルで包んだレモンカステラと南国フルーツのコンポート (果物の砂糖煮)、レモン草のアイスクリーム。しつこくなくて後味が良い。
いつものようにエスプレッソを頼むと、1口チョコレート、ビスケット、そしてイチゴのムースが付いてきた。
給仕は担当制ではないらしく、数人の女性がするのであるが、みんな過剰な丁寧さがなく自然体である。レストランを出ようとすると、給仕スタッフがわざわざシェフを呼びに行き、個人的にシェフの挨拶を受けた。ミシュランの星を1つ持つレストランは比較的沢山あり、私の偏見と独断で、2つ星でも良いのではないか、と思ったり、反対に、星を取り上げるべきだ、と思ったりすることがよくあるが、ここノイヴァイエル城館のレストランは非常に好感が持てる事業体で、全体的に、ミシュラン1つ星は妥当であると思う。
朝食は前述の冬園で取る。やはり朝食は明るい部屋に限る。最近は殆どのホテルでビュッヒェ形式であるのだが、意外にもこのホテルは個人的にサーヴィスしてくれる。去年行ったカナダでは時々あったが、ドイツでは10年以上前に経験したのが最後である。給仕の若い女性は、この地方の訛りがきついが親切でよろしい。
朝食の後でシェフの夫人と話をする機会があった。
「ご主人はやはりミシュランの2つ星を目指しているのですか。」
「2つ星というのは聞こえは良いし、もらうのに越したことはないけれども、うちは実際問題として難しいと思います。」
主な理由はこのレストランの形態にあるようだ。
〈 黒い森地方は、ワインの出来る風光明媚な観光地として有名なので、グルメ以外の目的で旅行に来る人も多い。このレストランは席数が70あり、その人たちに昼12時から夜10時まで、いわゆる普通の食事を供している。グルメメニューは夜6時からであるのだが、同時に、例えば会社関係のグループなどが他の定食メニューを食することがあり、そのグループとグルメ客と „発する雑音が違う“ 、すなわち、雰囲気が異なるが、完全に分離することは不可能である。その上厨房が1つなので、客が多いとますます難しい。〉
こういう形式のレストランでは2つ星を得るのは不可能であるらしい。
これは私の (確信に近い) 想像であるのだが、このレストランはグルメ料理用に良い食材を仕入れて、使わなかった分を普通の料理に回すのであろう。経済的に大変賢いやり方だと思う。
黒い森地方は南欧に休暇に行くときに通り道になることがあるので、そのときはまたこのホテルに宿泊しようと思う。
〔2011年6月〕〔2021年9月 加筆・修正〕