お城でグルメ!

ドイツの古城ホテルでグルメな食事を。

ザールフェルス城館

2022年03月28日 | 旅行

トリーアからほぼ真南に30㎞弱に位置するザールフェルス城館を見学しました。その名前 “ザールフェルス (ザール川の岩壁)“ から分かるように、城館はザール川流域にあります。ここはワインで有名な地域です。昨年の秋に訪れたので、ブドウの木をはじめ木々の紅葉 / 黄葉が綺麗でした。

 

ブドウ畑の黄葉

ザールフェルス城館は小尖塔、小さな角やぐら、半円アーチなどで飾られた中世のロマン主義様式で建てられていますが、20世紀の初め頃に建造された近代的なお城です。ですから、長い興味深い歴史はありません。第二次世界大戦の直前に某ワイン醸造会社が取得し、以前はワイナリーでした。現在は休暇用の賃貸アパートになっています。アパートにはバスルーム付きの寝室が7室あり、ザール川と山々が見える共同の居間兼食堂、ソファーのある図書室、テラス、台所が完備しています。サウナもあるようです。

  

遠くから見たザールフェルス城館 1 &

  

遠くから見たザールフェルス城館 3 

森とブドウ畑に囲まれたザールフェルス城館に着くと、鉄格子の門が開いています。入って良いのかな、と思いながら外観の写真を撮り、建物の中で2枚撮影したところでむさ苦しい (失礼!) 男性が二人出て来て、たぶん東欧の言葉で何か言います。やはり入ってはいけなかったのだ、と思い、とぼけて、

「ここでワインを買えますか?」

と訊くと否定するので、そそくさと退散しました。私たちが鉄格子の門を出ると、門が電自動で閉まりました。何だか後味の悪い見学でした。

外観&

 

外観 3 &

 

内部 1 &

さて、ザール川地方のワインではありませんが、久しぶりに家でわりと高級なワインを開けました。Rupert & Rothschildというワイナリーの赤です。ロスチャイルドといえば有名なヨーロッパのワイナリーですが、南アフリカに関連企業があるのでしょうか。南アフリカからの輸入ワインのようです。アルコール分13%で2010年物ですが深みが感じられなくて、値段の割に美味しくありませんでした。まあ、香りが良かったのが救いです。

 

Rupert & Rothschild &

 

カジキマグロのステーキ・ケッパー & トマトソース

〈カジキマグロのステーキ・ケッパー & トマトソース〉のカジキマグロは、塩をしてワインを振りかけて一日置きます。次の日、水気をふき取って小麦粉をまぶして焼きます。九分どうり焼けたところで白ワインを入れ、アンチョビーを少し入れ、魚のだし汁を入れ、ニンニクとケッパーを入れ、ミニトマトの2等分に切ったのと半乾燥トマトを同じ割合で入れます。そして蓋をかぶせて蒸し煮するのです。         

 

〔2022年3月〕

 

 

 

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ローマ人の足跡 in ドイツ

2022年03月26日 | 旅行

トリーアから南西に約14km離れた所にタヴェルンという名前の村があります。この名前を聞いて、あれっ、と思う人がいると思います。そうです、タヴェルンは古代ローマ時代の単語タベルナ (商売、店、経済という意味) に直接さかのぼることができます。すなわちこの地に昔、ローマ帝国の 〈道の駅〉 があったのです。ローマからフランスのリヨンとメッツを通ってドイツのトリーアからケルンへと通商路がここを走っていた痕跡は、紀元1世紀初頭から4世紀末までの遺跡で見つかります。

当時、ほとんどの移動は徒歩でした。裕福な人々、商人、役人だけは乗り物を利用出来ましたが、庶民は良くも悪くも歩かなければなりませんでした。それでトリーアからローマまでの旅は約20日かかりました。過酷な旅をしている人々にとって、こういう 〈道の駅〉 があることは心身の大きな支えだったことでしょう。そこでは道の両側に家屋が並び、商店、工作場、手工業経営体、旅館、ホステルなどが営業していたので、旅行者は旅行に必要なものすべてを手に入れることができました。たとえば、彼らはサンダル、服、乗り物を修理してもらうことやこの地方の商品や神様への捧げもの、それにお土産を購入することが出来たし、各種の輸送サービスが利用できたり馬を代えることも可能でした。旅人はさらに髭を剃ってもらったり散髪してもらったりもしました。

1995年から1997年までの発掘作業で9軒の建物の遺跡がほり出され、鍛冶屋やガラス加工場の存在が証明されました。

 

〈道の駅〉の遺跡

その他、道路と門のアーチの位置が特定されていて、今後の発掘が計画されています。訪問者はこの発掘場に365日、24時間、いつでも立ち入ることが出来、そこには1:75の縮尺で作られた 〈道の駅〉 の精巧な模型があります。さらに個々の建物に関する情報が掲示板に記されているのです。

 

〈道の駅〉の模型 1 &

さらに、この 〈ローマの道の駅〉 のすぐ近くに 〈ローマ神殿地区〉 が再建されています。

 

神殿地区の入り口 ・ メルクリウス神

ここには元々5つの神殿が建造され、時代の変遷とともに4つの別棟と2つの門が建て増しされた、と考えられています。神殿のうちのひとつに貿易、商業、富、泥棒の守護神であるメルクリウスが祭られているので、メッツからトリーアまでの重要なローマ街道「アグリッパ街道」を利用する商人や旅行者は、参拝しお供えをしたのでしょう。というのは、遺跡からたくさんの硬貨と奉献の賜物が発掘されたのです。彼らは良い旅行、トリーアでの良いビジネス、それに危険な道中で無事であることを祈ったのでしょう。

この神殿施設はおそらく4世紀の終わり頃、異教徒の宗教の実践が禁止された時にキリスト教徒によって破壊された、と思われるそうです。

 

ローマ神殿地区に再建された建造物 1 &

 

ローマ神殿地区に再建された建造物 3 &

 

 

ローマ神殿地区に再建された建造物 5 &

 

ローマ神殿地区に再建された建造物 7 &

 

ローマ神殿地区に再建された建造物 9

このローマ神殿地区を一部再建するために、20世紀の後半に州立トリーア博物館によって遺跡の発掘が始まりました。その時発見された深さ15メートルの井戸から、メルクリウス神の頭部、碑文、大量の硬貨、そしてローマ様式陶器の破片が出て来たとのことです。

 

井戸 ・ 建物の土台

 

ローマ時代のチャリオット(戦闘用馬車)

訪問者はこの施設も365日、24時間、いつでも見学出来ます。

さて今日は、オイルサージンを使った料理です。

茄子のオイルサージン炒め ・ マグロのステーキのオイルサージンソースかけ  

〈茄子のオイルサージン炒め〉をトマトソースで食べます。最初にみじん切りのニンニクを炒めて、そこにオイルサージンを加え、それを細かくします。日本種の茄子を入れて、それが炒まったらワインを加えて蓋をしてしばらく煮ます。茄子が柔らかくなったら水煮トマトを加えてチーズを振りかけます。そして200℃のオーブンで表面に焦げ目を付けます。

 〈マグロのステーキのオイルサージンソースかけ〉では、まずソースを作ります。ニンニクをみじん切りにしてオリーヴ油で炒め、オイルサージンを入れてさらに炒めます。酢と白ワイン、そして砂糖を少しだけ入れて少し煮立てます。マグロの方は、冷凍マグロに塩コショウをして焼きます。付け合わせは茹でホウレンソウです。

 

20223月〕

 

 

 

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文化遺産 ・ カステルにあるクラウゼ

2022年03月20日 | 旅行

モーゼル川に流れ込む幅広いザール渓谷を見渡す高台に、カステルという人口300人前後の小さな村があります。

 

ザール川流域

その渓谷を望む地域は巨大な砂岩で出来ていて、〈カステルにあるクラウゼ〉 というのは、その砂岩にフランシスコ会の修道士が掘り込んだ避難所兼礼拝堂で、その起源は十字軍の遠征 (1096 – 1270年) までさかのぼります。当時、2つの部屋が砂岩に掘られました。

 

砂岩に掘られた部屋 1 &

 

砂岩に掘られた部屋 3 &

 

貯泉水池と水路

そして1600年頃、そのすぐ横の、渓谷に向かって出っ張った所に2階建ての礼拝堂が建てられ、その上の階は砂岩の部屋に接続されていました。この時代に、岩塊の南側に沿って進む道やいくつもの貯泉水池が造られました。しかし18世紀の終わり頃のフランス軍による占領後、この施設は荒廃してしまったのです。

 

岩部屋と礼拝堂 ・ 岩部屋と礼拝堂とメモリアルクロス 

 

礼拝堂とメモリアルクロス ・ 下の小道から見上げた礼拝堂

時は過ぎ、19世紀の前半にプロイセン王、フリードリヒ・ウィルヘルム4世が廃墟を手に入れて、その復活に着手しました。つまり、古い建物の残りの遺跡を利用したのですが、ステンドグラスの窓が挿入された、トリプレットアーケードの窓と屋根にイタリア風のベル・ゲイブルをもつ新しい礼拝堂を建てさせたのです。遺骨は古典主義様式の石棺に安置され、王家の系図はフレスコ画として礼拝堂に組み込まれました。19世紀の中頃にはウィルヘルム4世自身の提案に従って設計された祭壇が追加されました。この複合施設はフリードリヒ・ウィルヘルム4世のロマンチックな性格の証であるだけでなく、19世紀前半にラインラント地方の支配を引き継ぎ、ルクセンブルク王朝に取って代わったプロイセンの権力の示威でもあったのです。

こんにちカステル村は様々な中小企業やサービス業に加えて、農業、ブドウ栽培、果物栽培を行っています。さらに、この地域の他の場所と同様にハイキングコースが発達しており、文化のみならず自然にも興味を持って訪れる観光客に人気の遠足場と巡礼地になっています。

 

入場門

私たちはカステル村に駐車して、クラウゼに向かって軽い坂道を登って行きました。入場門を入ってチケットブースを通過するとすぐに、豊かな木々の緑の中に巨大な岩塊、岩陰の空間、ベンチ、小道、そして幾つもの展望台から成る魅惑的な世界が広がります。クラウゼへは岩に刻まれた階段を下ってのみ到達することができます。さまざまな角度の階段や坂道が縦横に走り、かなり体力を使う見学でした。

 

クラウゼへ続く道 ・ 新しい礼拝堂

岩に掘られた部屋も大きな礼拝堂も廃墟といった様相を呈していますが、比較的新しい礼拝堂もひとつありました。何といっても、渓谷に突き出た2階建ての礼拝堂とその下に広がるザール川流域の景色は圧巻です。

ここを訪れた去年の秋はまだ武漢コロナ禍の真っただ中で、村で飲食出来るところはありませんでした。それで、またしても妻が作った食事の紹介です。

 

鶏胸肉のハム 1 &

〈鶏胸肉のハム〉 では、まず 鶏の胸肉にフォークで穴をあけて、砂糖と塩を少しずつもみ込みます。そしてジップロック・フリーザーバッグの中でオリーブ油、塩麹、黒コショウ、およびニンニクと混ぜて一日置きます。それを低温料理で、すなわち70℃で30分オーブンで熱を加えて、ハムに仕立てるのです。胡椒を振ってネギと共に食べます。

 

キャベツとトマトのサラダ 1 &

〈キャベツとトマトのサラダ〉 は簡単で、キャベツを千切りにして塩をし、ぐったりなるまで手でもみます。そしてマヨネーズと少しの砂糖を入れて混ぜます。トマトは切っただけです。

 

〔2022年3月〕

 

 

 

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聖マティアス修道院

2022年03月17日 | 旅行

聖マティアス修道院はモーゼル川沿いの都市、トリーアの郊外にあるベネディクト会修道院です。私たちは昨秋に訪れました。修道院のロマネスク様式の教会は聖マティアスの同胞団にとって重要な巡礼地になっています。

日本では古墳時代にあたる5世紀、トリーア教会の創立者とされる二人の司教のための墓所がこの地に建てられました。その結果修道院が生まれ、10世紀後半にベネディクト修道会の修道院になりました。そして12世紀の前半、修道院の以前の建物の解体中に聖マティアスの遺骨と考えられる人骨が発見され、それ以来聖マティアスがここに祭られているのです。聖マティアス修道院は他の修道院のモデルと見なされたにもかかわらず、自身の会衆の設立には失敗してバーズフェルド会衆に併合されました。その後、宗教改革はほとんど痕跡を残しませんでしたが、戦争や略奪だけでなく、内部関係者の対立が修道院の発展に繰り返し影響を与えました。そして修道院は19世紀の初めに世俗化されたのです。世俗化の後クリストフ・フィリップ・ネルという商人が回廊と隣接する建物を取得して住居用としたほか、農業目的でもそれらを使用しました。それによって建物を保存することができ、聖マティアス修道院は他の多くの修道院の運命であった解体を免れたのです。

 

入り口 ・ 入り口を入ってすぐの広場

 

泉と教会 

 

教会の正面 1 &

19世紀に修道院を復活させる試みが幾度となく繰り返された後、ビューロン会衆に属していたセッカウ修道院の修道士が第一次世界大戦後にこちらに移動しました。そして聖マティアス修道院の建物の複合施設は修道院として再奉献され、再びベネディクト会の修道士が入居することができました。彼らはビューロン会衆に加わったことになります。第二次世界大戦後、一時避難していた修道士たちが帰って来てからある種の争いがあり、聖マティアス修道院に残った修道士たちは1980年代まで属していたビューロン会衆を脱会し、現在は「祝福された聖母マリアの受胎告知の会衆」のメンバーとなってるそうです。

こんにち聖マティアスのコミュニティはカトリック司祭としての司牧活動に献身する他、病院での司牧活動や巡礼者の世話も行います。さらにコミュニティは客人を迎え、相互の親睦を図ったり宗教的な議論をします。中には、例えば裁判官、役所の公務員や教師として世俗的な労働に従事している修道士もいるのです。

私はローマ時代の遺跡で有名なトリーアは数回訪れたことがあるのですが、その郊外にこれ程立派な見所があるとは知りませんでした。教会の外観や内部の広さもさることながら、半地下部分は大変興味深く見学できました。

 

教会の内部 &

 

教会の半地下 ・ 前述の二人の司教の石棺

奥まった所にある扉が開いていたので入ってみると、訪問者は本来立ち入り禁止である修道士たちの居住区域らしいのですぐに出ました。ちゃっかり写真は撮りましたが、、、、、、。

  

居住区域 1 &

 

居住区域にある古い (1729水場

教会に向かって左にある門を入ると、きれいに整備された庭と墓地です。

 

庭と墓地への門 ・ 庭から見る教会の側面

 

石棺 ・ 墓地と2棟の教会 

 

墓石 1 &

ドイツの墓地はどこも広々とした公園風で、緑が多くて良く整備されているので、私たちは時々散歩に行きます。墓石に刻印された名前と生死年月日を見ながら、同じ墓に入っている人々がどういう関係なのか詮索したり、若くして亡くなった人に同情を寄せたりするのです。

さて今日の料理は <鶏肉の炒め揚げ› と <海老とホタテ入りリングイネのトマト味› です。

 

鶏肉の炒め揚げ 1 &

<鶏肉の炒め揚げ› を作るために、まず鶏肉をひと口大に切ります。それに卵、ショウガのみじん切り、酒を入れて、水気がなくなるまで揉み込みます。さらに片栗粉、醤油、砂糖を入れてまた揉み込みます。それを一晩寝かせます。次の日に油を熱して前夜に寝かせた鶏肉に再び片栗粉をまぶして炒め揚げにします。塩コショウ、又は醤油で食べます。

 

海老とホタテ入りリングイネのトマト味 1 &

海老とホタテ入りリングイネをトマト味で食すには、次のような手間をかけます。オリーヴ油を鍋に入れてニンニクのみじん切りを入れます。弱火でゆっくり温度を上げてニンニクの香りが出てきたら、そこに玉ねぎのみじん切りを入れます。しばらく炒めてからトマトの水煮を入れます。強火にしてトマトの甘味が出るようにしっかり炒め、それに生のトマトを少し加えて新鮮さを出すのです。ひと煮立ちしたら火を止めて置いておきます。別の鍋で冷凍のホタテとアルゼンチン産の赤海老を炒め、出て来た汁を蒸発させて旨味を閉じ込めます。そこに、置いておいたトマトソースを加えてひと煮立てします。リングイネ麵は1%の食塩水で、説明書に書いてあるより2分ほど短く茹でます。そしてザルに空けて、トマトソースの中で少し煮て味を含ませます。De Cecco(ディ・チェッコ)社のリングイネは細めのうどんの大きさで、表面がざらついているのでソースが絡みやすいのだそうです。

 

〔2022年3月〕

 

 

 

 

 

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アールデン城館

2022年03月13日 | 旅行

私の住むニーダーザクセン州にあるアールデン城館は16世紀中頃に工事が始まり、その30年後にアラー川の畔に完成した水城です。もともとお城は二重の堀と塁壁に囲まれていましたが、塁壁はフランス風庭園を造るために17世紀の終わり頃壊されました。さらに19世紀には堀が部分的に埋められたのです。現在は塁壁の残りが北側に、そして堀が南と東側に残っているだけです。

お城は本質的に半木骨造りで、西ウイングの1階だけがレンガで出来ていて、今日の馬蹄形の建物は3つの3階建ての翼で構成されています。レンガを詰めた半木骨の建物である南の翼がお城の最も古い部分です。建物の個々の翼は住居のために使用されただけでなく、馬小屋や納屋でもありました。

 

城館 1 &

 

城館 3 &

 

城館 5 &

 

城館に属する池

このアールデンの町には15世紀前半から侯爵事務所があり、町の管理と裁判権の行使をしていました。それでアールデン城館の建設は事務所の上級公務員が指揮したそうです。17世紀前半の30年戦争ではたったの1日で帝国軍によって落とされ占領されましたが、破壊されることは免れました。18世紀前半からアールデン城はこの地の代官の住居でしたが、同世紀の後半からしだいに公的目的の為に使われるようになり、監獄であった時代もあります。19世紀中頃から20世紀の後半まではアールデンの地方裁判所でした。そしてその後、改装がかなり必要とされていたお城の建物は、州の所有から売却されたのです。買収したのはアートオークションハウスで、現在も代表会社の本社として使っています。それで建物の外観だけ見ることが出来、内部は残念ながらオークションが開かれる日のみ見学が可能なのです。次のオークションは5月の前半に3回開かれるようです。

 

オークション開催予告の掲示

ところでこの町に来て知ったのですが、アールデン城館にまつわる興味深い話があり、20世紀の中頃前後に映画化されたり小説の題材になったりしたそうです。その話とは、17世紀の終わりごろから18世紀の前半にかけて32年間、この地方の王女であるソフィー・ドロテア フォン ブラウンシュヴァイク-リューネブルクが終生城館に幽閉されていたのです。この町ではこんにち彼女のことを親しみを込めて “アールデンの王女“ とか “アールデンの公爵夫人“ とか呼んでいます。

 

ソフィー・ドロテア王女 (出典: Wikipedia)

どうしてこんなことになったのでしょう。それはソフィー・ドロテア王女が浮気をして駆け落ちしようとしたからです。その背信行為が封建裁判所で有罪となり、彼女の夫の要請でアールデン城館への追放になったのです。彼女は二度と自身の2人の子供に会えませんでしたが、後に、釈放されることを期待して彼女の娘であるプロイセン女王 ソフィー・ドロテアと連絡を取っていたそうです。結婚した時のソフィー・ドロテア王女の持参金を夫は没収しましたが、毎年生活費を送っていたし、その額も物価の上昇に応じて上がっていったようです。王女はお城の北ウィングにある2階建ての半木骨造りの建物に住んでいました。王女のために40人の警備員が配備され、そのうち5人から10人が24時間体制でお城を守りました。王女の連絡担当者と彼女の郵便物は厳しくチェックされていましたが、救出解放や脱出の試みは一度もなかったそうです。当初王女はお城の中だけに留め置かれましたが、後に監視者を伴って外の施設を訪れることが許されました。2年間の刑期の後、引き返さなければならない地点が明確に指定されて、約2キロメートルの馬車での散歩が出来ました。その他、お城ではミュージシャンなどの訪問者を迎えることが許されていたし、彼女の母親は無制限の面会許可証を持っていました。お城には女官が二人、侍女が数人とその他のスタッフがいて、家事と料理を受け持っていました。制限の多い生活による避けられない運動不足は肥満につながり、王女は18世紀前半に脳卒中を患って約一年後に死去しました。病理解剖の結果、肝臓疾患と60個の胆石が明らかになったとのことです。ソフィー・ドロテア王女の遺体は近くのツェレという町にある家族墓所に埋葬されました。

"アールデンの王女" のことを長々と書いたのは、私が個人的に興味をそそられたからです。18世紀前半に病理解剖がすでに通常化されていたのでしょうか。ちなみに、日本で初めて解剖が行われたのは1754年ですね。

アールデンの町には他にも見所があります。町外れに、モニュメント保護の対象になっている古い穀物倉が立ち並ぶ広い一角が、そしてそのすぐ近くにユダヤ人墓地があるのです。こんな田舎にもユダヤ人が住んでいたとは、驚きです。

 

穀物倉の一部 (出典: Wikipedia) ・ ユダヤ人墓地

さらにアールデンはコウノトリでも有名で、この町の周辺に毎年100羽ぐらい飛来するようです。コウノトリに関する展示物を見ていると、85歳のおばあちゃんがやって来て色々説明してくれました。何でも、3年前に亡くなった夫がずっとコウノトリの世話をしていたそうです。巣の近くの、今は人が住んでいる昔の火の見櫓にテレビカメラが設置してあり、コウノトリの子育てを含む生活の様子がテレビに映し出されるようになっています。

 

巣に居るコウノトリ ・ 旧火の見やぐら

コウノトリが一夫一妻の習性を持つことは知っていましたが、カエル、ミミズ、虫、野ネズミを食べることは正確には知りませんでした。夏の間に子育てをして冬になる前に南に飛んで行き、次の年に同じ巣に帰って来るのですが、親鳥と子鳥が同じ巣に帰って来て巣を取り合ってけんかをするそうです。さらに知らなかったことですが、コウノトリは食べ物が少ない年には口減らしの為に生んだ子鳥のうちの一羽を捨てる、つまり間引きをするのだそうです。巣から落とされた子鳥は人間が保護します。しかし、草むらに落ちるとなかなか見つかりにくいとのことです。最近は地球温暖化のせいでずっとこの地に居座るコウノトリもいるそうで、そのときは冬に、本当は良くないのだけれども、餌をやるのですが、近くの町の養鶏場で殺処分した雄のヒヨコをもらって餌にするそうです。

いろいろと勉強になった日曜日の外出でした。

さて今日は二種類の魚料理です。

 

ニジマスのニンニクバター焼き &

˂ニジマスのニンニクバター焼き˃ を作るためにノルウェー産のフィヨルド・ニジマスに軽く塩コショウをしておき、味噌、味醂、醤油、酒、砂糖、ニンニク、それとおろしショウガでソースを作っておきます。バターを熱し、皮付きの面を焼いて焦げ目がついたら反対面も焼いて取り出します。そして白菜とエリンギを炒めて、その上に焼けたニジマスを置いて、全体にソースをかけて少し煮るのです。

 

白身魚の南蛮漬け &

˂白身魚の南蛮漬け˃ ではまずソースを作ります。和風だし汁に砂糖、醤油、酢、さらに鷹の爪を入れて煮立てて冷ましておきます。そしてタマネギ、ピーマン、ニンジンを細切りにして炒め、ソースに入れます。Rotbarsch (タイセイヨウアカウオ、メバルの一種) に塩コショウををして、片栗粉を付けます。油で揚げて熱いうちにソースに漬け込み、冷やして食べます。

 

〔2022年3月〕

 

 

 

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