スイスのチューリヒでよく泊まるホテル、シュヴァイツァー・ホフが気に入っています。その理由のひとつは、中央駅の前で人と車と市電の交通が激しいにもかかわらず、建物の中は大変に静かであることです。従業員に聞くところによると防音に細心の注意を払っていて、駅通りに面している窓は三重にしているそうです。
このホテルは19世紀の後半に建てられ、〈Hotel National〉という名前で開業しました。何度も建て増し、修理、改装を繰り返し、名前も数回変わり、現在は約150の客室を持つチューリヒで最も伝統と格式のあるホテルのひとつになっています。
ホテル ・ 小さな入り口
廊下
部屋は絨毯を含めて清潔感に溢れ、家具が重厚で落ち着きがあるしデザインもいい。セミダブルのベッドで大変に寝やすく、脚や上半身を持ち上げられる電動ベッドです。
私の部屋 1 & 2
普通ホテルでは客室のドアの内側に「邪魔をしないで下さい。」と「掃除をして下さい。」の札があり、どちらかをドアの外側に掛けることによってホテルのスタッフとコミュニケイションを取るようになっているのですが、このホテルではドアの内側に赤色の房が付いたロープ状の下げ物と緑色のそれが掛かっています。これで 「ダメ」 と「ヨシ」 の意思表示をするのでしょう。今まで経験したことのない趣向です。私が「ダメ」を掛けて昼寝をしている間にバトラーがワゴンにチョコレート、雑誌、新聞などを乗せてやってきたらしいのです。挨拶のメッセージと絵葉書をドアのノブに掛けていました。
ロープ状の下げ物
ドアは二重で間にキャビネットと金庫やバスルームがあるので、内側のドアを閉めれば廊下の音もほとんど聞こえません。バスルームにはもちろん湯ぶねがあり、その他の構造も付属器機類も使い勝手が非常に良いのです。各種備品も質の良いものを置いていて、女性がお化粧をするときにドレスが汚れるのを防ぐために使う布さえ備えてあります。230Vの他に110Vのコンセントもあるのです。コンセントの穴が合わなければアダプターを貸してくれるそうです。バスルームにスピーカーがあり、テレビやラジオの音声が聞けるようになっています。
バスルーム
テレビは大きな平形受像面でDVDの映写機も付いています。部屋に給茶セットが置いてあって便座に 〈消毒済み〉の紙帯を置いているのは、日本では普通ですが、ヨーロッパのホテルではごく稀なことなのです。シングルの部屋なので広くはないけれども、窓際にランの鉢植え、そしてバスルームにはバラの一輪挿しを飾ってあります。部屋から出ると廊下のあちこちにある大きな花瓶か花鉢に季節の花があふれているのです。
朝食部屋のそれぞれのテーブルには緑色でオシベかメシベのついた麦の穂をあしらった花鉢を置いています。スタッフは皆明るく、知性を感じさせる言動が印象深い。朝食の時に特に気が付いたのは、温めてあるコーヒーカップはさることながら、フルーツサラダの内容です。値段の安いリンゴの量が少なくて比較的高価な木苺や苔桃属の実などのイチゴ類、そしてプラム(西洋スモモ)やエキゾチックなマンゴーなどを惜しげもなく使っています。朝食のテーブルの上にアンケート用紙があったので朝食に関して少し気になった点を書いておいたら、チェックアウト時にフロントの責任者が出てきて、
「ご指摘の点を改善するように努めます。」
と、告げられたのです。(1年後に泊まったとき、実際に改善していました。)ホテルや旅館でコメントに対する反応が得られるのは気持ちのいいものですね。今まで日本の2、3の旅館とホテルから返事をもらった記憶があります。
サーヴィス・スタッフやポーターの笑い顔がすばらしい。いかにも 〈心から〉 という印象を受けます。レセプションのあるロビーには、毎朝生絞りのオレンジジュース、コーヒー、そしてクロワッサンが置いてあります。ゆっくり朝食を取れずにチェックアウトしなければならない客のことを考えてのサーヴィスなのです。
各階のエレベーターの前に極小粒のきれいな砂を分厚く敷き詰めた灰皿があります。その砂がこのホテルのシンボルであるポーターの頭部を浮かび上がらせているのです。その型のネガを刻印した一種の印鑑を平らに均した砂に押し付けたのでしょう。
灰皿
このホテル・シュヴァイツァー・ホフをチェックアウトして数時間後、預けてあった荷物を取りに行って着替えをしたい由を伝えると、レセプションの隣にある小さな金庫室に連れて行かれました。時々私のような客が居るのだろうと思います。丸椅子と鏡が備え付けられてあり、棚に数種の一口チョコレートを置いてありました。うれしい心使いですね。
このホテルはパーフェクトに近いと思います。というか、とくに悪いところが見つからないし住み心地が非常に良い。古き良きホテルの長所をまだ維持している感じがします。
残念ながらホテル・シュヴァイツァー・ホフのレストランでまだ夕食を食べたことがありません。ホテルのホームページに特にグルメに力を入れている由の記述がないし、スイスは一般にガストロノミーのレベルが高いので他のレストランに行ってしまうのがその理由なのです。一度試してみたいとは思っています。
〔2015年6月〕〔2023年5月 加筆・修正〕
ちょうど一年後に近くまで来たのでチューリヒまで足を延ばしました。ホテル・シュヴァイツァー・ホフで食事をするという懸案を解決するためです。レセプションの女性が、前もって調べてあったのか、私が初めての客ではないのを知っている口ぶりで話します。部屋のアップグレイドもしてくれました。私は常連と言われるほどこのホテルに宿泊している訳ではないのですが、その様に扱ってくれるのはうれしいものです。
レストランは白と青系統の色の、それ程広くない明るい空間です。静かにクラッシックの曲が流れていて、天井に比較的小さなクリスタル・シャンデリアが5つ掛かっています。テーブルにこんもりとしたブーケが乗っているいるのですが、ユリのオシベは取ってあります。テーブルに小さなメモ用紙のブロックとボールペンを置いているのは、何のためなのか判りません。テーブルサイドにハンドバックを置くための小さな台があるのですが、そのカバーが椅子と同じなのが良い印象を与えます。給仕はおじさん1人とお姉さん3人で申し分ない作法だし、スイス・ドイツ語が微笑ましいのです。ただ、おじさんの体が大きく声も大きくて荒いので、何となく威圧感があります。人は良さそうなのですが、、、、。
レストラン 1 & 2
まずシェフからの挨拶としてマグロの一口大タルタルステーキにアスパラのムースを乗せて出て来ました。軽くて繊細で美味しいのですが、卓上の塩一振りが必要でした。同時に多種のパンが焼きたてで供されました。
料理はコースメニューがなくてアラカルトの注文です。
前菜は生クリームがたっぷり乗ったニンジンスープとココナッツの味をつけた車海老の尻尾の部分。えびの尻尾は美味しいけれど、クリームのせいでスープが熱々でないのが残念です。傍らにサラダ菜と食用花とモヤシの一種が添えてあります。
主菜は黒い帯状ヌードルの上に大西洋ダラの切り身を焼いて乗せ、ミニニンジン、ミニトマト、鞘インゲンをサッと炒めて付け合せています。これも卓上の塩と胡椒でぐっと美味しくなりましたが、ヌードルがアルデンテより少し茹ですぎているようです。
デザートを注文しようとメニューを乞うたところ、10種類ほどのデザートをワゴンに乗せてやって来ました。何であるかを逐一説明してくれたのでレモンのムースを頼むと、それを銀の食器ごと大きな皿に乗せ、余ったスペースを果物とシロップで装飾してくれます。このようなデザートの供し方はスイスの標準なのでしょうか。
エスプレッソに一口チョコレートが付いてこなかったのは、すっきりしていて、むしろ歓迎しました。
スイスのミシュラン事情は知りませんが、このホテル・シュヴァイツァー・ホフのレストラン „La Soupiére“ はドイツでは1つ星の基準を満たしているレベルだと思います。
面白いことに、私が食事をしていた1時間半の間の客は私を含めて6名居たのですが、全部男性だったのです。それも私以外は皆65から70歳位の初老です。2人連れが2組と英語を話す人が1人です。このレストランはいつもこんな状態なんでしょうか。近くの席から、投資、利息、会社、税金などといった言葉が聞こえてきます。億単位のお金の話をしているのです。さすが世界金融の町、チューリヒのホテルです。
〔2017年2月(宿泊したのは2016年の6月)〕〔2023年5月 加筆・修正〕