河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2175- サマーフェスティヴァル2016、サーリアホ、イスキエルド、東響、2016.8.30

2016-08-30 23:17:12 | コンサート

2016年8月30日(火) 7:00pm サントリーホール

シベリウス  交響曲第7番ハ長調 (1924)  21′

カイヤ・サーリアホ  トランス(変わりゆく) (2015) 世界初演  7′7′9′
  ハープ、グザヴィエ・ドゥ・メストレ

Int

ゾーシャ・ディ・カストリ  系譜 (2013) 日本初演  11′

カイヤ・サーリアホ  オリオン (2002)   16′5′

エルネスト・マルティネス=イスキエルド 指揮 東京交響楽団


サントリー サマーフェスティヴァル2016の千秋楽。
これで全8公演のうち6公演聴いたことになる。サーリアホさんは先週の水曜日(2016.8.24)に続き2回目。先週はブルーローズでご本人と細川さんとのトークから始まりました。今日もご本人は登場しましたのでしばらくの間、ずっと日本でのお勤めご苦労様です。

今日の指揮はスペインのサウスポー指揮者イスキエルド、お初で聴きます。前半は左側の席で観ました。小柄で、気のせいか左の耳の中がたまにきらりと光る。

シベリウス
ちょっとイディオムが違うかなと思ったのは、全体に柔らかすぎるということもあるが、最後の締めの絞り込み2分音符ハ音の弦終止がロマンチックに長め。あまり聴くことのないものでした。(例外はムラヴィンスキーで、これでもかというぐらい引き伸ばす、2分音符×10倍ぐらい)
ブラスはそうとうに抑えめ、弦もウィンドもブラスも角を過度に強調しないもので、メリハリ路線ではなく自然なぼかし作戦。ふやけた感じ。ソロトロンボーンなど遠慮の塊みたいなもんですね。最初のトロンボーンソロのあとのクラリネットのユニゾンも張りの無いもので、さえない。また、再現部ソロもパッとせず構造的なフレーム感覚も今一つ。
今回は企画ものの一旦ですから特にどうこう言う話ではないかもしれませんが。

トランス
3楽章構成のハープ協奏曲。ハープの音量に配慮したもので、オーケストラの音量とぶつからないようにしている。音楽を聴いているというよりデリケートな神経細胞を見ているようなおもむき。第3楽章で伴奏オケのカヤカヤな鳴りは蛍が飛ぶ蚊が泣くようなもので、人によっては煩わしい音のように聴こえてもおかしくはない。
サーリアホの素材の活用、展開という説明。この作品に限らず、素材という言葉にはシベリウスのことが前提にあるような気がする。その素材の活用と展開は世界初演だからかもしれないが、自分ではその音を簡単につかむことはできなくて、楽章間のつながりのようなものの理解までには至らなかった。ハープの技巧表現は作為的に聴こえるところもある。色々駆使した結果として何が聴こえてきたか、今一つわからなかった。

系譜
リズム、水滴のような表現、引き伸ばされた音、複数のテクスチュアが独自にシーケンシャルに出てくる。弱音部分では多彩な音色と言われても弱いと感じる。指揮のほうも、もう少し峻烈さが欲しい。そのほうがクリアでわかりやすい。皮膚感覚的には、この種の音楽にもっとマッチした振りを見せられたのではないのか。切れ味が欲しいですね。

オリオン
3つに分かれている音楽。聴いた限り一つしか区切りがわからなかった。おそらく、Ⅰメメント・モリ、Ⅱ冬の空、これらがくっついていて、最後のⅢ狩人、この前ではっきりポーズしたものと思われます。タイミング的にもそう思います。
冒頭、メシアンの刻みをつぶし込んだようなリズムから始まる音楽は苦しい。静と動、違うものを並べることにより対立軸を作り音楽の多様な表情を表現していこうというものだろう。最後はつぶされないメシアン刻みが感じられる。リズムの解決はオリオンの二重性の融合というわけではなくても、二つのものが一つの個体から発せられているものだというしるしとしての帰結の策だろうとは思う。
大オーケストラのための曲です。ざっくりしたところが多い曲で、指揮での緻密なコントロールが求められる。東響は素晴らしい演奏ではあるのですが、指揮者により少しまだら模様になるところがあるのが、もうひとつ、我慢のしどころというか、自発的積極性の欲しいところです。

以上4曲、
このシリーズ、これで8公演中6公演聴いてめでたく千秋楽。今日の内容が少し残念でしたけれども充実の6日間、ありがとうございました。
おわり


 


 


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