2016年2月15日(月) 7:00pm サントリー
モーツァルト ピアノ協奏曲第22番変ホ長調K.482 14′10′11′
(カデンツァ:ダニエル・バレンボイム)
Int
ブルックナー 交響曲第6番イ長調WAB106 16′17′9′13′
(ノヴァーク版)
ダニエル・バレンボイム ピアノ、指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
●
前日の5番では概ね16型、倍管で、ウィンド、ブラス、ティンパニ、圧巻でした。今日の6番は通常に戻ったとは言うものの16型はそのままで、ステージに芯があるようにまとまった弦の配置で見た目だけでも十分な迫力。弦の圧倒的な存在感を感じます。
まぁ、その5番までで音響は空前絶後に行きつくところまでいってしまって、6番はどうなることかと余計な心配は杞憂と終わり、曲想通りの手応え、気持ちクールダウンの引き締めモードの緊張感も格別。
第1楽章は刻みのあるリズミックな伴奏に合わせ低弦がいきなり歌い尽くす。バレンボイムは大きくうなり声をあげ、グインとあげられたテンションは太くしなやかに進行、そしてもう一度大きく声を張り上げる。この入れ込みようは一体何なのか、と、こちらが驚く。
ハンカチ振り、汗ぬぐいも終楽章で少し見せただけで演奏中はありませんでしたし、だいぶ深く共感している模様。はたまた、あまり人気のない6番、ここでオーケストラを緩めてはいけないと大芝居かもしれない。出し入れ、無限の引き出し、自由自在な彼のことですから何でもできる。
第2主題2sは歌、前半ピチカート、後半流麗、5番の雰囲気と7番の先取りフィーリングの両方を感じ取れますね。まぁ、歌だが聴きようによっては縁(ふち)だけの旋律のような気もするが。
ブルックナーは実験というには大それた話ですけれど何かこう、新たなことを摸索しているように、この曲を聴くと感じます。
隙間無く第3主題3sに。ブラスの咆哮は上にめくれていくような感じで、ちょっと話が違いますが、全日本の吹コンに出てくるツワモノ校はこのような音出しますね。強奏が全くうるさくなくて、束で、かわら屋根のしなり、という感じ。
展開部は終楽章もそうですが、再現部と混ざっていて、これまでの雰囲気とは少し違う。聴き方変えないといけない。展開部の味わいはこの楽章、終楽章ともにいい雰囲気で、その雰囲気保ちながらストレートに再現部に行くので上昇進行のようなおもむきでこれまでの作品のような腰の据わった印象というのではなくて、まっすぐ。休止もあまりない楽章でなおさらそういう感じがします。
次のアダージョ楽章を聴きますと、バレンボイムのあの入れ込みようは本物と、深く感動的な楽章で演奏も実に味わい深い。主題が3個のソナタ形式のアダージョ楽章。ブルックナーの入れ込みようも半端ではない。
作品、演奏行為、その空気感を、音の粒を一つずつじっくり味わいたい楽章。強弱の激しさが突然襲ってくることのない楽想が延々と流れます。疲れているときの心のマッサージ、気持ちのデトックス、浄化、そんな言葉が次から次へと浮かんでくる。うちに帰ってから何度でもリピート聴きしたいと思わせてくれる楽章でした。
この楽章の色合いというのは濃いブルーで透明、そのまま沈み込んでいくような感じでもありゆっくり流れる純度の高い川の色彩、それを少し距離をおいて見ているようなところがありますね。バレンボイム棒はハイな濃度で陰影を作っていく。圧巻の棒。言い尽くせないニュアンス、するっとメロディーラインが浮かび上がり、主題の移動は落ち着いて心地よい。最高の表現となりました。素晴らしい楽章でした。美しいものは透明かもしれない、素晴らしい。
スケルツォは4本のホルンが活躍、モードとしてはアダージョ楽章を引き継いでいるようなところがあると思うのですが、トリオのあたりちょっとトリッキーと言いますか飛び跳ねが多いですね。1楽章のストレートさも出ていると思います。フィナーレ楽章へ収束していきそうなアトモスフィア出ている楽章と思います。
ホルンプリンシパルは4番の日のヤングガイ、この日も4人とも同じ音色サウンドで、スキッとする、オーケストラの伝統の一面を見ているような気にもなってくる。
フィナーレ楽章は最初に書いた第1楽章の進行をさらにストレートにしたもの。バレンボイムも上へ上へ振っていくスタイル。
展開部入りは明確ですが、この展開部で少しこんがらかってくるのはトリイゾを聴いていると思えば気持ちの整理がつくところがありますけれど、そうでないとなんだかよくわからない、と言われればそうかもしれない部分もありますね。振っているほうは完全把握でしょうが。
第1楽章同様、提示部+再現部のように聴こえてくるのは、この6番という作品、別の角度で聴いていかないといけないなぁ、と実感しました。
そのまま隙間なく準備なく派手に長調になってコーダエンド。すっきりと。
残響の少ないホール、ブルックナーの最終音の響きをそれなりに感じることが出来ます。1番から5番までもそうでした。気持ちいの良いエンディングです。
6番の保有音源は36個、うち第2楽章の時間が一番かかっているのはコリン・デイヴィス、同じく19分台にショルティ、パテルノストロ。
フルトヴェングラーのは第1楽章が欠けているのが痛恨の極み。
●
前半モーツァルト。22番はヘヴィーですね。2楽章長めのオーケストラから始まりますし。
バレンボイムの弾き振りはブルックナー1,2,3,4番の日、そしてこの日の6番。
27,20,24,26番と聴いてきて、この22番、手応え十分すぎる。
第1楽章の長さはどれも同じですが、2楽章はこの曲、長い。沈んでいくような楽章でバレンボイムのニュアンスの多彩さに耳を奪われます。3楽章はシンプルな感じで、バレンボイムもほとんど右手一本で済むところが多いらしく左手は指揮にあてている。シンプルな割に長い。中間部が結構なボリューム感。
肉厚のオーケストラと歯切れのいいピアノ、コンチェルトの醍醐味味わうことができました。
ありがとうございました。
●
この日は前日の5番より聴衆多め、85パーセントといったところか。一般参賀一回。やっぱりピアノがある日は多くはいる感じ。
前日まで最高峰だった聴衆の拍手とブラボー。この日はフライングこそないものの例のロングなブラボーが複数。7番あたりからフライング・コース始まりの予兆かしら。
おわり