河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2060- ブルックナー7番、バレンボイム、シュターツカペレ・ベルリン、2016.2.16

2016-02-16 23:23:08 | バレンボイムSKB ブルックナー

2016年2月16日(火) 7:00pm  サントリー

ブルックナー 交響曲第7番ホ長調WAB107  21′21′10′13′
       (ノヴァーク版)

ダニエル・バレンボイム 指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団


完全な空白、素晴らしい。
名状しがたい追い込み、そして完全空白。あまりの素晴らしさに頭がクラクラする。ブルックナーの神髄ここに極まれり。
しびれました。

フルトヴェングラーFもあのようなオーケストラ・ドライブで鳴らしたのだと思うと胸が熱くなった。
Fもバレンボイムも即興だとはいいません。あのような味付けは普段のリハーサルからしていて、本番でそれがさらに過激になるのだろうとは推測します。

終楽章フィナーレの再現部、バレンボイムはここからアクセルかけがらりと様相を変える。チリチリするスピードで追い上げそしてブレーキを少しだけおいてコーダへ突入。このテンポ。再現部よりさらに加速し続け乱れなく上昇エンド。Fを見ているような錯覚に陥ってしまった。両足を広げて指揮台の中央、両腕を斜め前下にぶらりと下げてぶるぶる振る姿、これはもはやFではないのか。Fが現れた。
コーダをあのような快速テンポの指定をする指揮者はほとんどおりませんですね。7番は5番や8番の下降音型エンドではなく、第1,4楽章ともに上昇音型で消える。第1楽章のコーダは天国的な装いで雲を突き抜け晴れ間を作って終わるのに対し、終楽章のコーダはそれに対するかのように運動を繰り返し、天国への階段をあっという間に登って行ってその高みに消えていく。唖然とする表現。この対の素晴らしさを最高の棒で聴かせてくれるのがFであり、そしてこの日のバレンボイム棒であったという話です。いやぁ、凄かった。声にならない。
駆け上がった階段音型はあっという間に抜けていってどこに行ってしまったのだろう、声にも拍手にもならない。ただ長い空白があるだけ。
しびれました。

7番にして初めて見せたバレンボイム屈指の表現。ワーグナーならもっとエキセントリックな表現が彼の場合、そこここに転がっているのですけれど、シンフォニストとしてもその神髄を垣間見せてくれたわけです。


第1楽章の第1主題1sと第2主題2sは、ほかの曲に比べて同質性が際立っている。1sが流麗なメロディーラインが主体になっているので、2sの他シンフォニー同様なしなやかな流れとの区別が律動という観点で見ればあまり変わりのあるものではないため、いつの間にか主題が推移進行している。この曲の場合むしろ2sのほうが少しだけ運動を感じさせてくれる部分もありますね。第3主題3sは前2主題分をまとめて反対にしたぐらいの激しいリズムとなっていて、これら対比は際立っています。
このオーケストラの弦の表現力というのは多彩なニュアンスと力強さ。それと、バレンボイムはにやけない指揮者ですけれど、このオーケストラは弦を中心に演奏でも出番がないところは隣と話ししたり、楽しそうな雰囲気の笑いとか比較的ありまして、バレンボイムに叱られないかこっちが心配になるぐらいですが、日本のオケだとにやける指揮者と笑わないプレイヤーみたいな感じで、それとは真逆の面白さがありまして、これが何に起因するのかわかりませんが、むしろ、結果であるような気がします。それで、そのようなプレイヤーたちの生きたサウンド、特に弦の芯の太さといいますか手応え感満載のグイーンとくる響きが1sと2sで違った色合いとなりその推移も含め鮮やかなんです。表情の違いがよくわかるオーケストラの響きです。
コーダ関連でいうと、第1楽章のコーダは同楽章1sのフレーズ、第4楽章は同楽章1sのフレーズをそれぞれ引用したメロディーラインですから、バレンボイムとFが魅せた最後の部分のエモーショナルな棒というのは、ここに起点があるわけです。生成時点で昇華が見える作品で、その配置を見事に表現した演奏行為だったわけです。ですので、両楽章の1sはしっかりと把握しないといけませんですね。
ちょっと話がそれてしまいましたが。

展開部における主題の混ざり具合もいいもので、提示部でのオーケストラの表現力がここでもよくわかります。本当に多彩なニュアンスが魅力的です。バレンボイム棒にぴったり反応するあたりも凄いです。
そのあとの再現部、コーダの進行も含め、この第1楽章の造形は完ぺきと感じます。流線形とリズム、2:1ぐらいの比でしょうか。これらも含め最高のバランスですね。バレンボイムの見事な棒です。

第2楽章も弦の歌は第1楽章と同じく濃いものです。ブルックナーのため息を聴いているようなおもむきで深い味わいです。バレンボイムは主題の滑らかな歌と経過句とも言えないぐらいの小さなフラグメントも見過ごすことなくじっくりと聴かせてくれて、これまでの演奏会でも聴かれた随所にあるピアニッシモからの息をのむような静かなクレシェンド、効果的です。
シンバルとトライアングルを含んだクライマックスは何が何だか分からなくなるような音響バランスを感じさせました。
前日6番で1番吹いていたホルンの方、この日はワーグナーチューバの1番。安定した吹きと、ホルン同様、この4人のワーグナーチューバの音の同質性も見事です。バレンボイムは綿々と葬送の深みにはまらず、このアダージョ楽章は第1楽章と同じぐらいの時間経過で終わりました。

スケルツォの機動性がこれまたいいです、ベースは腰掛に座ったままの弾きで、みなさん、まるでチェロでも抱えているような自在な弾きでぐいぐいきます。音量的なボリューム感はチェロとベースの一体感を強く感じさせるもので強烈なサウンドです。ブラスに絶対に負けない。トランペットがこの楽章ちょっとだけ不安定になりました。きれいな音ですのですぐにわかりますね。
スケルツォの分厚い滑らかさはシンフォニーを聴く醍醐味。

フィナーレ楽章についてはたびたび書いておりますが、他楽章にバランスしない短さです。これだけが難点ですねこの7番。
展開が足りないというのはありますが、そもそも提示部の各主題がどれも短くて、もうひとひねりほしいもの。あっという間の3主題なんです。
ということでそのへんの話はやめます。
この展開部以降の凄いところは、ブラス強奏の咆哮のあとすぐに弦のピアニシモがあったりして、それがこのオーケストラだと弦のニュアンスにすぐに耳を傾けたくなるモード切替で、バレンボイムのニュアンス棒がお見事というほかない。
あとは、最初に書いたとおりです。


この7番、忘れ難き演奏となりました。懐古趣味と言われそうなところもありますけれど、Fの音が生で聴けたような、たとえそれが錯覚の幻であっても、満足です。

この日は9割がた席が埋まっておりました。最初に書いたようにこの日も見事な空白、フライングなしの気持ちのいい演奏会でした。

7番の保有音源は91個です。ウィーン・フィルの演奏がシームレス感ありでいいですね。ベルリン・フィルのはFとバレンボイム、それにヨッフムぐらいでしょうか。
おわり


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