河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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2055- モーツァルトPfcon24、ブルックナー3番、バレンボイム、シュターツカペレ・ベルリン、2016.2.11

2016-02-11 22:46:49 | バレンボイムSKB ブルックナー

2016年2月11日(木) 7:00pm サントリー

モーツァルト ピアノ協奏曲第24番ハ短調K.491  14′8′10′
       (カデンツァ:バレンボイム)

Int

ブルックナー 交響曲第3番ニ短調WAB103  20′16′7′15′
       (エーザー版(1877))


ダニエル・バレンボイム ピアノ、指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団


三日目、
1番2番では譜面を見ながらの指揮でしたが、この3番は譜面無し。このあとおそらく9番まで譜面はないと思われます。バレンボイムの場合、譜面無しの指揮のほうが躍動感あって、いいですね。

ということで、この3番は色々とワーグナー模様が、昨晩みたいにバレンボイムがたぶん意識的にワーグナーフレーヴァーを添加したと思われるようなことをしなくても楽想に現れてくるわけですけれども、この日の白眉はそこらへんよりも、アダージョ楽章の終結部ちょっと前、ワルキューレモードと言ってしまえばそれまでですが、ホントに終結する前の弦を中心にピアニシモから、バレンボイムが両腕を広げ、胸を突き出して表現した長いクレシェンドでした。あれは凄かった。聴こえないぐらいの弦の刻みが次第にキラキラと光り輝き、まるで光源がこちらに近づいてくるような錯覚に陥ってしまうほどの劇的と言っていいクレシェンド。ブルックナーの3番が本当に大きく大きく見えた。この表現の幅、バレンボイムのブルックナー、こう、なんというか、言葉にできない凄さが、さーーと現れるわけですよ。
どうしてこのような演奏が可能なのか、謎解きはあまり意味のあることとも思えず、その圧倒的な表現を受けとめることでいいのではないか。このような大きな表現が随所に聴かれました。細かいニュアンスから巨大なオルガンサウンドまでバレンボイムはやりつくす。
指揮する姿、キューをいれるタイミング、指示は、それ自体もはや芸術の域で、棒を動かさずとも音楽にあふれているし、片手の指揮棒さばきは唖然とする説得力、左手で空間を撫でるさまは滑らかな一拍子モードだったりしても、その指の先まで音楽を感じるし、両腕を上にあげ握りこぶしでオーケストラをドライヴしたり、もはや芸術。
弦の強奏でのシュッシュッという声の迫力もものすごい。
結果、3番は巨大化、大きなふくらみ、表現の幅、圧倒的でとんでもない造形の作品が出現した。

昨晩の2番同様、ゲネラルパウゼが多用された作品で、パウゼ自体が音楽のモードの切り替えをしているため各主題の速度をあまり変えなくても明確に各々の主題がくっきりと把握できるし、非常に整った造形美を感じ取ることができる。ダイナミックな音楽の中に美しい造形美を聴くことができる。
バレンボイムはリタルダンドは少しかけるが、アチェルランド無用の、ダイナミックな音楽が静止した印象を受けるのは、このことによる。
パウゼ静止で、フレーズが途切れがちになったりするところがあるが、それ自体も音楽よと、バレンボイムの棒さばきは細やかないところまで表現、至れり尽くせり。

弦とブラスの全奏は圧倒的なバランス感覚で、いくらブラスが叫ぼうともさらにその上をいく弦のチカラこぶし、強烈なアンサンブルがやたらと壮絶でもの凄い説得力、聴いている方の気持ちの入れ込みも本当に本気モードになってくる。まぁ、壮絶な演奏ですね。
ブルックナーの音響美を浴びる快感。

色々と挙げだすときりがなくなるわけですが、全体の印象としては、1番2番よりもかなり静止した作品であるということ。エーザー版はサウンドが少し牡丹雪のような味付けで前進していくように感じるのですが、曲自体の構成感としては垂直に進む感じで。
曲の尺度としてはこの3番あたりから少し頭でっかちスケルツォ短めといった雰囲気が出てきますが、フィナーレは堂々たるもので、そのフィナーレに関してもやっぱり流麗な7番だけが異色に短く、それ以外は1,2,3楽章に比して負けないいいバランスの作品が多数と思います。この3番もそれやこれや含め圧倒的な表現の幅、深彫り感。巨大なサウンド、1,2番同様バレンボイムは完成品として接し、その作品のレベルをさらに上に押し上げる様な演奏解釈で貢献したと感じました。

保有している音源は44種。一番最初に聴いたのはコンサートホールのマゼール&ベルリン放送響のものでしたね。当時、版の意識などというものは全くありませんでしたね。かれこれ40年以上前のお話で。


1番ハ短調、2番ハ短調ときて、この日の3番がニ短調で第九にインスパイアされたような冒頭、弦とトランペットは第九モードかなぁ、などと思いながら聴き始めた3番でしたが、前の晩は前半のモーツァルトがニ短調で後半そのハ短調、今晩は真逆でモーツァルトがハ短調で3番がニ短調と、連続して接してみると調のあやをすごく強く感じるものでした。

この日は結局、短調モードのプログラミングだったわけですが、前半のモーツァルトの24番は解決せず終わるというと語弊がありますが、短調のまま終わる。ストイックでブルーなアトモスフィアの世界を感じさせてくれます。バレンボイムのピアノはここでも第2楽章の端正な音楽作りが乱れずバランスしている。気持ちの安定を映し出したような演奏で、モーツァルトが筆をとったときの気持ちと相通じるものがあるのではないかと、毎度その心のシンクロを彼のピアノには感じる。
弾き振りはここでもさえわたり、史上最高のバトンテクニックだろう。こんな弾き振り誰も出来ない。オーケストラの反応も敏感で。昨晩も書いたソロピアノの時にさえプレイヤーを眺めつつ弾いている姿が印象的ですね。いい演奏でした。


前日、前々日と個人的に入れ込み過ぎかなとも思いましたが、上には上のブル3で、このあとの展開がさらに楽しみになりました。
この日も素晴らしい演奏、ありがとうございました。
おわり

 




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