河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2146- GM8、ハーディング、新日フィル、2016.7.2

2016-07-02 23:19:12 | コンサート

2016年7月2日(土) 2:00pm トリフォニー

マーラー 交響曲第8番変ホ長調  22′ 58′ 
(no intermission)

(in order of voice’s appearance at part Ⅱ closing scene from Goethe’s Faust)
1.法悦の教父、ミヒャエル・ナジ(Br)
2.瞑想の教父、シェンヤン(Bs)
3.マリア崇拝の博士、サイモン・オニール(T)
4.罪深き女、エミリー・マギー (S)
5.0.サマリアの女、合唱ソロアルト、加納悦子(A)
6.エジプトのマリア、中島郁子(Ms)
7.贖罪の女、ユリアーネ・バンゼ(S)
8.栄光の聖母、市原愛 (S)

栗友会合唱団
東京少年少女合唱隊

ダニエル・ハーディング 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


いつもの定期だと、トリフォニー定期が金土と同一プログラム、サントリー定期が単発1回公演で別プロとなるところですが、今回はトリフォニーとサントリーともに同一プロ。
7/1金トリフォニー、7/2土トリフォニー、7/4月サントリー。
曲の規模もあるし、ハーディングがNJPのミュージック・パートナーとしての最終公演ということでもあるのでこのような具合になったでしょう。トリフォニーとサントリー両方の定期を持っているので何もしなくてもこの8番を2回聴くことに。それならいっそ、3回聴いてしまおうと7/2分を個別買いで聴くことにしました。
だいたいの状況は前日ブログにいれました。

2145- GM8、ハーディング、新日フィル、2016.7.1


全般的に滑らかさが増しました。こなれてきた感じ。
大言壮語をたしなめるようなハーディング棒。マーラーがその頭の中で鳴っていたものを譜面に落としたのだろうけれども、その音響をことさら強調することはない。オーケストラという楽器等身大の鳴り。これはこれでよく理解できるものだ。
オケはだいたいいつも聴いている16型。この日は対向配置。概ね4管編成。弦にトラはむしろいつもより少ない。1vn0人、2vn4人、va2人、vc2人、cb1人という、60人中9人だけという驚くべき少なさ。ブラスとウィンドは合わせて39人中17人がトラと少し多めなのは4管でしょうがないところもある。細かい話ですけれど、いつも当日の出演者配置一覧表を見ているので、まぁ、今回のNJPは相応な段取りでむかえたのだと思いますし、演奏も力がみなぎっているいいものでした。パーカッション類は多彩だが同時に鳴ることが少ないもので、それらも含め、でかい音で空鳴りみたいな演奏をすることはまるでない。極力正社員を配し志気をあげた締めの演奏会に相応しいものだったと思います。

第2部は1種類の主題しかないようなものでよく1時間ももたせるもんだと思う。頭のアダージョを聴けばわかるように、オーケストラの落ち着いたハーモニー・アンサンブルが美しい。精神の安定が響きになって現れる。精神の安定と響きのバランスをハーディングがもたらしている。声の場面が出てくるまで相当な時間がかかるのは昨晩の感想でも書いたのですけれど、むしろここで味わうべきはこの部分のような気にもなってくる。ゲーテのクライマックスに至るそのずっと前、このアダージョはそのクライマックスの前段としての落ちついた心象風景とでもいうべきもので、やっぱりこの長さが必要だったのかもしれないと。
浮き沈みの法悦さん、低い地帯での瞑想さん、この両名のポジションと声質も、中身を読み進みながら聴くと正解の位置取りなんだと改めて思う。彼らに続くエンジェルと児童の歌の高み、これも位置関係がよく考えられていますね。昇天児童、揺れ動く天使、等々、進行するに従いマーラーの意図する高みへのステップを感じます。
騒ぎの無い丁寧に奏されたアレグロを経て、音楽はアダージェシモと推移。一番の聴きどころ、泣き節へと移る。いやぁ、落ちついたハーディング棒の情感がオーケストラに乗り移っている。見事な演奏だ。情景、シーンを見ているような気持ちになってくる。素晴らしい。
ソリストの素晴らしさは昨日のブログに書いた通りで、特に博士オニール、罪なマギー、この二人には昨晩にも増して圧倒されました。この二人、余裕あり過ぎで、こんな曲何でもないのだろうというのはオペラ漬けになったことのある聴き手ならよくわかるものと思う。オペラで歌い尽くしている人間にとっては、簡単なものだろう、と。まぁ、とはいうものの、それぞれ音楽には色々と簡単にできることと極めることは違うと、改めて実感することもあるに違いない、そこらへんの油断はまるで、無い。余裕が油断ではなくリラックスにつながり最高の斉唱となる。大したもんです。正面を向いて歌う斉唱はぶれの無いもので正確。マギーは上から下まで正確な歌唱で堅い。いつもの事なのかもしれないですけれど、あらためてオペラで聴きたくなりました。
オニールはあちこち見ながらも合唱のところは一緒に口を動かして歌っている。これも余裕あり過ぎながら歌への没頭のテンションを自ら高めていっている。精神集中と言うより作品集中といったおもむき。一緒の口ずさみはこの曲を知り尽くしているからなのだろうが、それでもよっぽど好きでなければこうはならない。全然関係ありませんが今年のLFJの天地創造で前の席のおじさん客が最初から最後まで何も見ず一緒に歌っていましたけれどあれを思い出した。全部歌っちゃいましたからね、驚きました。この前向きな楽しさ!

ということで、この日も例の1本パッセージがフル合奏となり壮麗な輝くばかりのサウンドとなりつつも、ストレートな筆の運びで、飽くまでも等身大のサウンドで、冷静なニュアンスを味付けしながら大げさになることもなく最後の一撃を落とす。
前日同様、聴衆のフライングはなく、ややドライな響きが短く浸透していって鎮まる。手応えのある素晴らしい演奏。なにか新しい作品でも聴いているようなフレッシュな気持ちにしてくれました。ありがとうございました。
7/4は千秋楽、サントリーでの公演になります。配置、響き、色々と違ってくるでしょうね。楽しみです。
おわり


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。