河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2408- 天地創造、大野和士、都響、2017.9.11

2017-09-11 23:54:43 | コンサート

2017年9月11日(月) 7:00-9:25pm サントリー

ハイドン 天地創造 (オックスフォード版、ピーター・ブラウン校訂)
  序曲~5日目 56′
  Int
  6日目、Ⅲ  50′

ガブリエル & エヴァ、林正子 (S)
ラファエル & アダム、ディートリヒ・ヘンシェル (Br)
ウリエル、吉田浩之 (T)

合唱、スウェーデン放送合唱団
大野和士 指揮 東京都交響楽団


(duration approx.)
序曲  8′
第1部 第1日+第2日+第3日+第4日  6-4-14-8′
第2部 第5日 16′
Int
第2部 第6日 20′
第3部 14-12-4′


肺腑をえぐるような大野のまことにドラスティックにしてダイナミック、強烈なインパクトに仰天した演奏でした。都響オケの力量感が良く生かされたもので、いい手応え。

オックスフォード版という版での演奏ながら編成はそれを踏襲せずコンパクトスタイルでの都響演奏という事になる。それにしても音はあいかわらずデカいのだが。
リブレットを見ると2日目が短い。最初の合唱のところで終わる。以降3日目に寄せられているので3日目が長い。それと、2部の5日目は三重唱と合唱のところで締めて、ここで休憩。そのあと6日目はラファエルのレチタティーヴォから。
大きく4つの塊に分けられるシンフォニックな世界のようにも見える。序曲付きの4幕物オペラの様でもある。大野の表現様式だとまさにそれを目指しているかのよう。オケは見事にパンチが決まった。ツボにはまった演奏。

2001年の同日は渋谷の百軒店にあった磐梯山という小料理屋で知り合いと飲んでいた。テレビが置いてあってなにやらすぐにはのみ込めない事態が映し出されていて、大変なことがおきたと、切り上げてそそくさとうちに帰り朝までテレビを見ていたのを思い出す。
ワンワールドの69階よりもう少し上の方に先に突っ込んだ模様で、ツーワールドは後で突っ込まれて先に瓦解。先に突っ込まれたワンワールドが後に崩壊。と記憶する。両方とも垂直に地中に沈んでいくような映像だった。
ワンワールドの1階はアレキサンダーというデパートで丈夫な皮製品を安く買えたのでお昼休みによく顔を出していた。地下はコートランド駅。島内通勤だったのでこれは利用することが無かった。両方とも無くなってしまったのかという虚脱感。
ワートレがもしウォールストリート方向に横に倒れていたら、ブロードウエイとクロスしたところにあるトリニティチャーチまでとどいていたと思う。

同じ日付に聴く天地創造。全ては前向きに。

プログラム冊子とは別にリブレットが付いていて、さらに字幕も付くというサービスっぷりで、理解の良く進む演奏会。いいですね。
大野の棒は序曲の混沌描写からいきなり圧倒的。これはベートーヴェンではないのかと思わせるようなえぐり具合。弦のボウイングがものすごい。凄まじき混沌。最初から驚天動地、まだ地球は出来ていないけれども。

ティンパニが毎度強すぎるこのオケ、もうちょっと抑えると周りのアンサンブルがよく聴こえるのだが容赦ない打撃。指揮台からはほどよいバランスに聴こえるのかしら。
というところがあるのだが、今日のクリエーション、こんくらいみんなバクバクやってくれれば壮快感のほうが先に来る。
だんだんと地球が出来上がってくるのが目と耳の両方から入ってくる。
創造は続く。この天地は地球のどこら辺の事なのかな、古事記の世界観とは随分と違う。神話というのは時間軸を縮めるための技だと思っているので、話の中身にはともに違和感は無くて興味だけが湧いてくる。

ということで、混沌の描写、お見事。筋肉質で骨太の演奏で4日目まであっというまに出来上がった。一服して、5日目で生き物がゾロゾロと。4日目までとムードが変わり、ここでも大野の棒が光る。骨太一辺倒でもないですね。シンフォニックなダイナミズムを感じる。
休憩後の6日目は規模が大きく、ソリスト連の活躍もここまでの役としての盛り上がりが冴えてくる。ガブ林さんは拡散系の華やかさがあって、オペラティックな装い寸前の濃い表現。ラフのヘンシェルはストイックな佇まい。今年の2月にリサイタルを聴きました。同じ物腰ですね。
ウリエル吉田のレチタティーヴォはわかりやすい。声が前に出る。かれの一声のあとアダムとエヴァの世界へ。
この別々感。ある一つの音楽的スタイルのイメージ、到達する位置のようなものが、みなさんにあって、指揮者は指揮者でイメージがあり、合唱も然り。
今日の演奏会のイメージ合わせをして、ひとつの着地ポイントへ。といった方針である必要は無くて、別に、統一感のあるものが理想という話でもない。天地創造の表現の一本化を、今回の演奏会で目指す一番のところのものであるとするのならソリスト連は別に揃えればいいわけで、このようにビッグバン的な拡散系の表現はこれはこれで楽しめました。
16人×2列の合唱はポジション的にも拡散しており、都響の音圧的な後ろ壁になるだけの力強さがあった。合唱体としての雄弁さはやや薄れていて、大野の棒にもっと積極果敢に反応して欲しかった。

ジワジワとくる余韻があまりありませんで、ビッグバンで一気に強固な天体が出来上がったような雰囲気。
大野さんの力強いタクト、圧倒的でした。
おわり


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