河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2014- ドン・ジョヴァンニ、広上、読響、2015.11.15

2015-11-16 00:28:48 | コンサート・オペラ

2015年11月15日(日) 2:00-5:40pm 日生劇場

日生劇場プレゼンツ
モーツァルト作曲
菅尾友 プロダクション

ドン・ジョヴァンニ
Ov.6′
ACTⅠ 85′
Int 20′
ACTⅡ 89′

キャスト(in order of appearance)  of  overture
1.レポレルロ
2.ドン・ジョヴァンニ
3.騎士長
4.ドンナ・アンナ
4.ドン・オッターヴィオ
5.ツェルリーナ
5.マゼット
6.ドンナ・エルヴィーラ

キャスト(in order of appearance) of ACT
1.レポレルロ、 青山貴 (Br)
2.ドン・ジョヴァンニ、 池内響 (Br)
2.ドンナ・アンナ、 宮澤尚子 (S)
3.騎士長、 峰茂樹 (Bs)
4.ドン・オッターヴィオ、 望月哲也 (T)
5.ツェルリーナ、 鈴木江美 (S)
5.マゼット、 金子亮平 (BrLirico )
6.ドンナ・エルヴィーラ、柳原由香 (S)
C.ヴィレッジシンガーズ

広上淳一 指揮 読売交響楽団

ニッセイオペラの出し物を観てきました。ここに来ることはめったにありませんが、さすがに古い、というより、入口入って階段などひとまわり小さい、バーでいうと銀座のルパンの様な感じで、建材の経年変化ではなく作りの小ささに時代を感じてしまうもの。曲線を強調したデザインは出来上がり当時ハイカラだったんだろうとしんみり思う。

照明が消える前に、チューニングの前に、指揮者の広上は既に指揮台に立っている。そのままざっくりとチューニングが始まり、おもむろに照明が前方から落ち、カーテンがあがり序曲開始、第一音とともに後ろの照明も落ちる、といっても、通路の足元ランプはたくさん点いているので真っ暗という雰囲気は無い。
序曲中にキャストが順番に登場してきます、歌はもちろんありませんけれど、とりあえず全員出し切る。この種の演出はもう何度も書いていますが既に陳腐化している。演出は古くなり音楽だけが残る。その繰り返しです。
硬質のホールサウンドで読響の音が明瞭すぎるぐらいクリアに序曲を奏でる。

周り舞台にはむき出しの階段が交錯するように何個かあり、シーンに合わせて回ったり止まったり、シンプルなもの。両幕とも同じです。
奥行きの無いステージだからというわけではないと思いますが、階段の手すりの下をくぐりながらの動きは窮屈そうに見える。
冒頭にやられてしまう騎士長は、その後かなり頻繁に出てきていて、最後まで舞台を歩き回る。最初から最後まで良し悪しは別にして印象的。
キャストのメイクが奇抜で特に顔、目の色彩感が尋常でない。ブレードランナーに出てくるレプリカントのプリスがセバスチャンの前でするあのアイメイク、思い浮かびます。男連中のメイクも似合うかどうかは別にして同様な奇抜さ。
以上により現実感が無くなるようなぼかしを故意にしていると思えます。もともとそういうストーリーかもしれませんけれども。
フィガロソングではバンダと言った特別な趣向もなく流れ的にちょっと起伏感が薄れてくる中、最後に騎士長が出てくるところには、上から大きな暖簾の様な幕がぶら下がり、そこにプロジェクションマッピングか、別映像として騎士長の上半身が映し出される。ずっと歩きぱなしのリアルな騎士長は別にいて歌っていて、このマッピング映像はリアル歌と口がまるで合っていない。映像とリアル、二人存在する騎士長、どのように理解すればいいのか。

ここまでくると創作というより実験工房的な世界に近くなってくる。結果顧みずの世界観はそれなりに面白いものではありますけれど。瞬間瞬間のシーンで興味をつなぐようなところがあり、ともすると、創作と田舎芝居の崖っぷちに立たされているような眩暈を感じる、けれども、スタッフの意欲はかいます。

それで、歌と伴奏。
伴奏の広上&読響は硬い響きのホールを手玉に取り素晴らしく整った演奏で指揮者の意向を見事に取り込んだ読響の演奏は素晴らしいもの、躍動感もダークな響きもおしなべて表現されていたと思います。コントロールの効いた演奏。
歌の声はよく通るもので、階段の上での歌はさらにクリア、一部PAも使用していると思われましたが、全員バランスの取れたものでした。ただ、流れが無い、歌の羅列でつなぎが良くない、シームレス感がない。またアンサンブル局面での声が重なるこのような個所での多重的な押しが無く勢いが出てこない。断片の切り口でいうと個々の歌は相応なものであるので別の問題があると思う。まぁ、勘でいうと、オケ指揮はそれはそれで、歌と動きはそれはそれで、リハ積み重ねあげたと思いますが、一体化したリハあったのかしら、と。
広上のオケ指揮よくてもシンガーが彼に共鳴してシングしているようには見えない。信頼感が無いというのでもない、常設の小屋とオケと指揮なら当然あるはずのものがまるで感じられない、イベント性の強い瞬間的な出し物への出演という感が濃厚。プログラム冊子には副指揮者5名載っていますので、パート部分では彼らのほうが意思疎通のとれた指揮と歌唱になっていたように思えます。広上さんも前半は歌への指示はほぼ無く、後半少し指図は出てきましたが、一体感はありませんでした。歌手も指揮者の意向をくみながら歌唱を進めていたようには見受けられませんでした。流れが良くないというのは次の局面への展開つながりを感じながらのプレイかどうか、それは指揮者がまず一番に認識しオケと歌に伝播させなければならない。歌は棒のコントロール下には無かった。山のようにオペラを振りつくしている指揮者ではないのでしょうがないところではありますが、なんというか、オペラ・ハート、欲しかったですね。
結果、各シーンは理解できるもののストーリー展開が拡散していく感じ。焦点が無くフラットな印象となりました。2幕とも同じ舞台でしたが色々と趣向ありましたので舞台には飽きない、伴奏オケは充実、歌や動きも深刻だったりウィットに富んだり、これらを総合的にまとめていければさらに楽しめたと思います。

タイトルロールは身のこなし軽く鮮やかスタイリッシュでなかなか良かったですね、ドン・ジョヴァンニの役にふさわしい。
女性陣の爆発系のヘアメイク、お化粧、アイメイク、衣装、動き、キャラクター的な要素が強調されていて配役の妙がよくわかるものでした。
ベームがフィデリオを振ってこけら落しをしたホール、由緒あるものでしょう。もはや、プロダクション関係者や若手シンガーが次へのステップアップを目指す場と感じたのは自分だけなのかもしれませんけれど時代の流れを感じました。

マゼットがドンジョ扮するレボレルロにたたかれて、痛い痛いと日本語で。
おわり

 


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