2017年3月22日(水) 7:00-9:20pm 東京文化会館
モーツァルト ピアノ協奏曲第20番ニ短調K466 15′9+7′
ピアノ、上原彩子
Int
マーラー 交響曲第5番嬰ハ短調 12+13′18′9+14′
エリアフ・インバル 指揮 コンチェルトハウス管弦楽団、ベルリン
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上原さんのモツコンは、切れ味鋭くみずみずしいタッチ。両端楽章のややウェット感が漂う中に快活に進んでいく様は気持ちがいい。均一なオタマの運び。正確な筆の運び。モーツァルトの短調、屈折率の高い音楽と思いますけれども、愁いが潤いを帯びて響いてくる。そんな感じが表に出ていた佳演。上原さんが弾くと作品の表情がよくわかる。
他方、カデンツァや緩徐楽章で思うのは、モーツァルトを戻るものとして感じているのではないか、戻るというのは、近代技巧を前提としてその面で時代を遡るような意識がちょこっとだけ出てしまうようなところ、そういたものを少し感じた。
おそらくこれからモツコンをたくさん弾いてくれるでしょうから楽しみですね。
伴奏をしたのはインバル&KOB。インバルはこの前プロと後半のマーラーでは別の指揮者みたいな変化。このモーツァルトの伴奏はオーソドックスな味付けでモーツァルトの深みが出ました。
インバルの左手の手刀チョップに確実に反応するオーケストラが雄弁。それにメンバーがピアノの音を聴いていてアンサンブルの呼吸を感じさせる。いろいろな楽器の組み合わせによるアンサンブル、多重に重なってくる。一つのアンサンブルがモノインストゥルメントのように響き、それらが重なる。なんだか久しぶりに聴くアンサンブルの妙。ここらへんはドイツのオケだなとあらためて認識した、ああそうだったと思い出したような世界。
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後半のマーラーはもう一人のインバルが振っているよう。
80越えにしてストレートで過激、フィナーレに近づくにつれさらに猛速となり最後は不敵な笑みを浮かべつつエキセントリックな爆炎。炎上サーカスフィニッシュ。オケは乱れまくり即興的な棒であったのだろう。そこまで、してみたかったのだろうと思うしかない。年寄りの冷や水とは言うまい、山のように振ってきたマーラー、何処の誰がどう思おうと、してみたかったのだ、と。
やり過ぎ感は否めないものの終えてなおかつ笑みは不敵に満足げ。
第1楽章の各主題は同一テンポで陰影は濃いものではなくて過ぎ行く音楽に表情の変化は感じ取ることが出来ない。2楽章後半のファンファーレのあたりで猛速演奏の断片が顕在化し始める。
ロングな3楽章、展開される主題フレーズの先取り強調がよくわかる。何気なくやっていそうに見えるがこういった関連フレーズの強調は一つの作品としての完成品を目指している、日ごろやってきたことの毎回集大成的積み重ねなんだろう、と思うところはある。同時に現代音楽振りまくりだった頃のことも脳裏をかすめる。そういう意味も込めてしたいことをしていると。
アダージェットは斜め上向きシャープさがあり、オケの特質がでたもの、なまめかしさとは対極で、これはこれで。
終楽章は斜め上向きが垂直方向にさらにしなっていくベクトル。まぁ、やれるところまでとことん振っているんだよ、この実感。何がそこまで彼をエスカレートさせたのか、わかりません。神のみぞ知る。
音楽作品をより完成度の高いものにするには、一度カオスを作り出さなければならない。劇的ライブな再創造による蘇る音楽とフォルムの高完成度、両方の同時実現性、的な実験演奏?、カオスが最後に来たのはやっぱり失敗では?、頭の中はさえざえとしているとは思いますが。
おわり