2017年5月19日(金) 7:00pm 東京芸術劇場
ブルックナー 交響曲第5番 (シャルク版) 26-20-13-20′
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー 指揮 読売日本交響楽団
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Ⅰ i3-2-4-4-5-1-3-2-c2
Ⅱ 3-3-4-5-4-c1
Ⅲ 7-t3-3
Ⅳ i2-1-3-3-5-1-1-2-c2
ハイスピードのスーパースローモーション演奏となった第1楽章。この棒についていけるのはチェリを経験したオーケストラだけのような気もする。DNAか。
並み居る5番名盤名演奏の3割増しロングとなった演奏、その導入部、無から始まる。ミスターSが召されたことによる代振りとなったロジェヴェン棒。殊の外、柔らかい音色。Sの強靭な音とはだいぶ違う。最初から別世界。
導入部にコッテリと時間をかけ、あとは推して知るべしなのだが、その一様でゆらぎのない演奏は柔らかくも型崩れしない、強固な構築物。天に突きさすひとつのビルではなく、むしろ連立するスカイスクレイパーを遠目のスカイラインとして眺めるような安定感。
強烈なブラッシングの第1主題。読響の正三角錐の音場が見事、ほれぼれする。ベースの力感が凄い。空気が揺れる。
超スローの第2主題はやぶの中から何やらバケモノでも出てきそうな気配。自分の感覚ではこの主題の速度設定が物差しの基準になっていると思える。限界ピッツィカート。
同主題が不動テンポで繰り返される。読響渾身の咆哮第3主題は2種、という具合で、展開部まで15分近くかかってしまった。各主題揺れない等速、同じ物差しと尺度で等速。ロジェヴェンのバランスはいいものです。というより驚異的なオケ。ロジェヴェン棒にピッタリとついていく演奏は驚異的ですなぁ。
シャルク版の飾りは展開部のあたりからちらほら目立ってくる。ここらへん殊更騒ぐほどのものでもない。棒は展開部でさらにガクッとテンポドツボにはまると思いきやそうでもない。主題の陳列とからみの素晴らしさ、それに余計なリタルダンドを全くしないというのもあって展開部はそれほど苦労することなく通過。とはいうものの全般を覆うスローモーション、この部分でパートの絡み合いのあやをバランスよく表現できているのはオケメンのコンセントレーションがそうとうな高みにあるからだろう。聴きようによっては息もできないような演奏ではあるが、プレイヤーのテンションの高さが作品に乗り移っていて最高の表現とも言える。
再現部は提示部に比べてだいぶ短いものとなるがそれでも第2主題の濃厚さはかわらない。肝主題です。この真ん中にある中心主題が前と後ろのシーソーの支点。
うなりをあげながら再現部へ。ここの締め具合は加速したくなる歯車的な音符の塊だが、等速。プレイヤーも前のめりにならない。もはや、覚悟が出来ているといった演奏で、ここを全く崩さずできる読響さん凄いもんです。右腕ほぼオンリーでほとんど動かないこともあるロジェヴェン棒。チョコっと動かすと疾風怒濤の音がうなりをあげて出てくるさまは大迫力で、オーケストラの醍醐味、ここに極まる。
長い第1楽章でした。揺れが全くない演奏。揺らぎが無くて演奏には芯がありアンサンブルのレヴェルの高さは驚異的。緻密な演奏でした。
空気緊張のまま一息ついてアダージョ楽章へ。
主題Aは2拍子と3連符。ロジェヴェンの棒は右手のみで2拍子と3拍子をまるで同時に振っているように見える。とんでも棒!極みの芸風。
第1楽章と同じテンポで進む空気。読響のどこが凄いって、このロジェヴェン棒にマジについていってること。チェリ覚醒か。
主題Bの安定感は羊水のようだ。節目をつけて2回目のAB、音符に飾りが出始め、最初のABより長めになる。速度傾斜は無い。ここらあたりまでくると、秘境の世界に踏み入ったような錯覚。オケはここでも柔らかいし、ダークブルーな色合いの音色が美しい。等速で均整の取れた演奏はこの楽章を平板なものとしない。主題の切り替えは明確だし、色合いも変わる。素晴らしい表現。3回目のAでクライマックスの頂点を示すが、安らかな盛り上がりですね。前のめりにならない演奏はここでもロジェヴェン感覚をしっかりと消化しているのがよくわかる。踏みとどまっているようには見えない。緊張感がもたらす自然さかもしれない。まぁ、双方、離れ業。
そして短いコーダ、針のむしろを歩く雰囲気はないですよ。あっけなく終わるコーダにはやや安ど感が漂う。
ここまでで、約50分、ほっとどよめく。聴衆よりむしろプレイヤーのほうがホッと。
ツートップのコンマスも含み笑い、ホルンなど苦笑い、タップなのかもしれない、ここからが本番吹き、大変、と。今更やめるわけにもいかない、と。
シャルク版のカットが待っているとはいえ、2楽章までこんなに時間かけて、この版選んだ意味あるの?みたいな雰囲気がある中、その真意はロジェストヴェンスキーさんのみぞ知る。20年以上前に彼のブルックナーCDが、たしか3曲1セットだったかで何度かに分けて発売されたことがあった。今どこに置いたかわからなくなってしまったが、あのCDの5番は何版だったのだろうという興味は少しある。が、彼のメインテーマはそこにはなかったように思う。今日の演奏も同じだと思う。自分の芸風を確かめているのやもしれぬ。
後半2楽章は、前半2楽章に比べたら、想定内よりもっと内側。ちょっと霧が晴れたような演奏になった。
スケルツォ楽章は読響のヘヴィーな演奏が印象的。トリオを挟んだあとの再現スケルツォは大幅にカットされている模様。トリオと同じ規模でしかない。
と、普通なら、スケルツォの波形は前楽章の主題Aと同じだよねと言った話が有ってもいいと思うが、そんなこと、みんな忘れてしまっている。前半2楽章があまりに驚天動地だったためか、ホッと、記憶もなくなった。
フィナーレの導入部は第1楽章のナイトメア的モードが脳裏をよぎるが、進行具合は良い。前楽章再帰、そして提示部。この3主題はリズミック、低弦から上までおしなべて機動力のあるものでぴったりと合った呼吸、アンサンブルの妙を聴くことが出来る。地響きのコントラバスやねじのようなブラスが束になったフーガが進行する様は苦悶の音楽のようでもある。第2主題のリズムの妙、第3主題でのブラス主体の咆哮。それぞれギリギリのテンポで空間をびっしりと埋めていく。
展開部の律動はさらに激しさをます。シャルクカットは丸見えで、まるでレコードの針がずれたかのごときだ。カットしていなかったら、今日の演奏、さらに空恐ろしいものになっていたことだろう。
カットでその先の再現部の配列をやや見失うなか、第3主題の咆哮から一気にコーダ。音量の線系な積み重なりは威力十分で作曲家が基本的に望むものだろう。圧力は増し、さらにステージ奥に横一列に配したバンダがようやく増し増し吹奏。圧倒的な圧力でブルックナー空間を生成したかと思うと、突き刺さるような下降音型のあと5個の打撃音でフィニッシュ。指揮者の棒が冷静で演奏は克明。最後まで緊張感の持続した演奏でした。
破天荒な解釈によるブルックナー5番。全体を俯瞰すれば前半2楽章までのウエイトが高い。後半はカットと解釈ともども7番的尻つぼみ感が否めない。シャルクカットは造形軽視、広めたい一念のものと。指揮者の意向もそれに沿ったもの、とは、まるで思えない、けれども、独特なテンポ設定による音楽の膨らみは、後半楽章に心的な膨らみで厚みを加え、バランス補てんするというところまでは至らず。ただ、この驚天動地の演奏をもう一度してみろと言われても簡単には出来そうもない、読響屈指の演奏でした。永久の時を魅せてくれたオーケストラには敬意のまなざし。あの時のチェリを思い出させてくれたし。
楽しかったです。
おわり
Ps
5番の保有音源は77個です。