河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1292- ワーグナー ジークフリート牧歌、ブルックナー7番、アルミンク 新日フィル2011.9.9

2011-09-10 23:50:33 | インポート

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この日が2011-2012シーズンコンサート聴き始め。
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2011年9月9日(土)7:15pm
すみだトリフォニー
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ワーグナー ジークフリート牧歌
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ブルックナー 交響曲第7番(ハース版)
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クリスティアン・アルミンク指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団
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今まで生聴きしたブルックナーの7番の最高峰は、カルロ・マリア・ジュリーニ&ロスアンジェルス・フィルのもの。あの高貴な溜息のような深呼吸のような何とも言えない森でありながら実は林のような名状し難い演奏は今でも耳に焼き付いている。かたや構造支配のミスターSの演奏も素晴らしく、構造に光をあてればあてるほど曲の弱点が露わになるといったこれまた別の意味で素晴らしい演奏、これも忘れがたい。
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アルミンクの解釈はこれらに比べるべくもないのだが、それでも素晴らしい楽器を得て精いっぱいやっておりました。
第1楽章21分
第2楽章23分
第3楽章10分
第4楽章12分
タイミングはこんなところ、後半2楽章が弱く特に第4楽章は展開部がもう少しあったほうが前半2楽章とのバランスが保たれる。アルミンクのせいではないのでいかんともしがたいのだが、この日の演奏は結果的にこの弱点が補われたような聴後感覚はある。
アルミンクの棒はためがなく呼吸がない、ブルックナーの構造レベルの美しさとは別の深呼吸して音が降り注いでくるような生きた美しさにあまり関心がないのか少し立ち止まって息をついてほしいところでもサラッっと次に行く。その瞬間に残念だなと思ってしまう。3主題の提示の仕方が自分はこうなんだ、と言われればそれまで。だけれどもその一つの主題のなかにあっても陰影がほしい。
第2楽章の第2主題の速度感は結構なもので重い演奏からの脱却は感じる。主題毎のメリハリがあっていいと思いました。
第3,4楽章のブラスのバシャーというアクセントは、ズシーンという底から湧いてくるような音の出とはだいぶ異なるもので、爽快感はあるものの空洞が出来てしまうような響き。棒は棒でそれなりの確信があって指示しているけれども、オーケストラの方はその棒の通りの呼吸をするしか音の出し入れしかできず可能性の広がりを心の余裕としてもてないし、そもそもブルックナー・オンリーのオーケストラでもないし指揮者でもないのだからしかたがない、そういう意味ではルーチンワークの種々の曲をこなさないといけないオーケストラをドライブできるのが現代の、昔もそうか、大指揮者の一つの才能なんだろうね。
第3,4楽章はダイナミックで小ざっぱりした演奏で、結果的にこの部分の構造的な弱さを忘れさせてくれた。ゆっくりめのコーダには少し驚いた、オーケストラの方が駆り立てて最後の響きがホールに昇天した。
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前半のジークフリート牧歌は一番気持ちがいいのはたぶん奏者自身だろう、いつものことだ。それを共有しよう。リラックス。
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おわり

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