太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

煤払い

2020-12-14 09:12:44 | 日記
13日が多いようだがこの時期になると大きな竹で神社で煤を払う光景がニュースになる。昔東大時の近くに住んでいたが年末には白い布で仏像を拭くお身拭いという行事(仏事?)もあった。お身拭いも煤払いも単なる大掃除ではなく1年で積った厄を取り払うという意味があるとのこと。今は成田さん新勝寺に近い所に住んでいるが煤払い(神事)のニュースがあった。ここで混乱する。成田山はお寺だと思うが煤払いは神社の神事である。多分意味はあるのだろうが子供の頃はどちらも1年に1度と言わず毎日掃除をしろよと思っていた。我が身の1年を振り返ると憶えておくことも忘れたいこともなく厄も積もりようがない。人生∓ゼロだとするとここ数年はどちらにもカウントされない日々である。それでも僅かでもプラスを積んでおかないと最後にとんでもないマイナスが起こる事もあり得る。
 まだ少し早いがプラマイゼロの死はあるだろうか。病気で長患いをするのは御免蒙りたい。車を運転するが反対車線に出て事故るのは加害者になる可能性もありこれもNO。何かが飛び出して事故るのも同じで両方に何時も注意を払っている。ではゼロになる死とは何か。隕石に当たって死ぬことである。一瞬のうちに骨まで蒸発して何も残らない。葬式だって不要だ。残ったものは何と運の悪いと思うかも知れないが本人は運も不運も考えられない。もし隕石が地上の何処かに、誰かにロックオンしているなら私で良い。的が絞れないならブログを読んで欲しい。多分凡その行動パターンは出ているから探せると思う。もし頭の上に煤が溜まっていればそれも目印である。