太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

過ぎたるは猶

2020-08-15 07:05:55 | 社会観察
梅雨の頃はあれほど心待ちにしていた太陽だがこうも晴天で高温が続くと雨も懐かしい。無いものねだりの勝手なものである。そのくせ秋風でも吹き始めると、冬の寒さを想像して憂鬱になる。ますます勝手である。熱中症予防にはエアコンをかけてこまめに水分補給をと言われる。しかし部屋にはエアコンが無い。もう30年くらい扇風機で耐えている。証拠はラベルに93年製とある。汗だくになるので水だけは十分摂っている。しかしそれがまた直ぐ汗になる。エアコンが嫌いかというとそうではない。快適である。しかしまず1年の内本当にエアコンを必要とする日が何日あるかと考えると頗る設備利用率の悪い家電だと気づく。もうちょっと我慢すれば秋風と思ってしまい買う時期を逃す。部屋で散々汗をかき、水もたっぷり飲んだ後で車に乗ってエアコンをかけると一気に体全体がサラリと乾燥し汗など一切出ない。さっき摂った水は体内に過剰に蓄えられている筈だ。この不自然な環境が体に良い筈がないというのがエアコンを遠ざける第2の理由である。年中冷暖房完備で快適な住環境に居るなら別だが暑いから、寒いからと都度対策するのは本当に健康に問題はないのかと古い考えが過る。子供の頃は暑かったという思い出が殆ど無い。夏休み、暑ければ川に泳ぎに行き、ちょっと山に入れば冷たい湧き水もあった。野球はすり鉢の底のような運動場で太陽が周りの丘陵にかかる頃涼しい中でやっていた。少年野球チームの鬼監督ではなくガキ大将は自分も暑いから遊びも暑さを避けてやっていた。タワマンで育つ子供たちは多分自然の変化に適応するのは苦労するだろう。何も無かった戦後に生まれ育った我々はイザとなったら何も無い時代に戻れる自信がある。明日からスマホパソコン禁止となっても何とかやっていけると思う。
今日は75回目の終戦記念日である。戦後生まれだが父親の世代は戦争に行っている。しかし悲惨な経験を聞いたことはない。若くて1兵卒だったのだろう。中国の兵舎の前だろうか銃を持って衛兵のような写真を見たことがある。戦地に行ったが航空機の整備士が足りないということで直ぐに呼び戻されたそうだ。戦ったことはあるのと聞いたら瞼にある傷は弾がかすめた跡だという。本当?と聞いたら映画俳優の高田浩吉と同じ部隊だったから聞いてくれと言う。当時高田氏は既に俳優で、国に還ったら私を訪ねて来いと言ったそうだ。君なら俳優になれると言われたとのこと。確かに若い頃の写真は物凄い男前である。しかし待ち受けていたのは戦後の悲惨な生活だったようだ。実家は関東大震災で既に焼失し、先祖の財産で食いつなぎながらろくに働きもせず商売に手を出しては失敗していた父親に連れられて各地を転々としたようだ。自身も応召された時は名古屋の親戚宅に居た頃だったとのこと。戦争の悲惨より戦後の生活の方が大変だったようだ。夢ばかり見ていた生活は父親譲りの世間知らずと同じである。違うのは先祖が残したものは使い果たされていたことだ。そんな混乱の中で私が誕生する。父親は戦争体験というより時代に乗れなかった戦後の苦しい生活の方が記憶に残っていただろう。
終戦記念日よりも今年はコロナの方が話題になる。昨日は全国で1358人、東京は389人、沖縄106人の感染だ。高止まりもいいとこ。終戦記念日を最も重く受け止める沖縄は今感染拡大で大変な状況にある。こんな時GOTOで沖縄に行く人は一体どんな人なのだろう。他人の命をかけてまで経済に貢献しようとするのか。これも書いたがまず政府は沖縄を終息モデルとして対策をしたらどうだ。あらゆる問題が凝縮しており知恵を試す価値がある。大阪は何れ東京を超える日が来るだろう。長く大阪に居たから大阪人気質は分かっている。喩えて言うなら少年野球チームの監督だ。良きにつけ悪しきにつけ自分の世界を持っている。わが道を行く誇りと無茶が同居しており、誰の影響も受けない。1日も早くコロナ終息記念日が迎えられることを願う。