じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

司馬遼太郎「梟の城」

2024-04-27 16:22:55 | Weblog

★ ゴールデンウィーク初日。来客もなく静かな1日だ。

★ 司馬遼太郎さんの「梟の城」(新潮文庫)を読み終えた。重厚にしてドラマチックな作品だった。毎年多くの作家が生まれ、多くの作品が世に出されるが、長く読み継がれる作品はそれほど多くない。そんな中、漱石、鴎外、太宰、芥川と並んで、司馬遼太郎、松本清張作品はこれからも読まれていくであろう。

★ 「梟の城」、1960年の直木賞受賞作。時代小説の利点は、時を経ても違和感を感じず読めることだ。

★ 時代は、戦国の世が終わり、豊臣秀吉が天下を統一した頃。主人公は伊賀忍者の葛籠重蔵。戦乱の中、伊賀一族は虐殺に遭い、太平の世となればなったで、もはや為政者にとって忍びは脅威でしかなかった。

★ 伊賀忍者の生き残り重蔵は仲間からも一目置かれる上忍。そんな彼が、師匠から秀吉暗殺の指令を受ける。政治向きのことはさておき、指令を受けた以上、その遂行に命を懸けるのが当時の忍びの生きざま。重蔵は綿密な計画をたて実行に及ぶ。

★ その間、恋愛あり、ライバルとの死闘あり、甲賀衆との戦いありと飽きさせない。

★ 重蔵は今の時代でいえば孤独な殺し屋(テロリスト)といったところか。静かなはずの忍びの心にも、事あるごとにさざ波が立つ。忍びとしての生きざまと人としての生きざまの揺れ動きが面白い。

★ 「梟の城」は2度映画化されている。1963年版を観た。重蔵役を大友柳太朗さん、ライバルの風間五平役を大木実さんが演じていた。木さる役の本間千代子さんがかわいい。

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椎名麟三「深夜の酒宴」

2024-04-26 21:43:34 | Weblog

★ 季節の変わり目だからだろうか、本を読むとすぐに眠くなる。それに、今年は花粉症がきつい。老いたかな。

★ さて今日は、椎名麟三さんの「深夜の酒宴」(集英社「日本文学全集」第78巻所収)。

★ 私小説なので主人公は作者本人が投影されている。主人公は戦時中、共産党で活動し、投獄された経験をもつ。物語は、戦後貧民窟のようなアパートで暮らす底辺層の人々を描いている。

★ 何やかんやと言いながらも、今の時代、栄養失調になったり、餓死する人は稀だ。戦後まもなくは、最低限の食べることにも困っているこうした貧困はごく身近だったのだろう。

★ 死は日常の一部で、明日は我が身の出来事だったようだ。

★ 暗い絶望的な状況だが、もはやここに至ってはかえってあっけらかんとしている気さえする。

☆ いよいよゴールデンウィーク。とはいえ、塾は平常通りの営業。暇な塾生が押しかけむしろ忙しくなるかも。

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レイ・ブラッドベリ「霧笛」

2024-04-21 11:22:41 | Weblog

★ アニメ「夏目友人帳」を観ている。孤独で、ちょっと変わり者だった祖母には妖怪が見えた。彼女は妖怪と勝負して勝っては彼らから名前を奪った。その名前は「友人帳」に記され、友人帳の持ち主は彼らを従わせることが出来るという。

★ 物語の主人公は彼女の孫。彼もまた妖怪が見える。家族に恵まれず親戚や知人の家を転々とし、見えないモノを見えるというから奇妙がられていた。彼は高校生となり、妖怪たちにうなされる日々が続いた。彼らは祖母が集めた名前を返してもらおうとやってくるのだ。彼はふと出会った妖怪「にゃんこ先生」(本当は上等な妖怪らしい)と共に妖怪と接していく。

★ 怖いだけでも、面白いだけでもなく、切ないエピソードが魅力的だ。

★ さて、今朝の朝日新聞「天声人語」で、レイ・ブラッドベリの「霧笛」が取り上げられていたので、本棚からその作品が収められている「ウは宇宙船のウ」(大西尹明訳、創元推理文庫)という古い本を取り出し読んでみた。

★ 二人の男が灯台を守っている。灯台は赤や白の光を発し、濃霧の日には15秒ごとに霧笛が響く。そんな彼らの前に、すでに絶滅したはずの恐竜が1頭、姿を現す。どうやら霧笛を友の声と思っているらしい。彼は深い海の底で100万年も息を殺して孤独に生きてきたのだ。

★ 思い余ってか、彼は灯台に歩み寄り、あろうことか破壊してしまう。そして霧笛は消え、彼の姿も消えたという話。

★ 「夏目友人帳」にも通じる切なさを感じた。

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永瀬隼介「閃光」

2024-04-19 17:22:35 | Weblog

★ 以前、「新説・三億円事件」(1991年)というドラマを見た。実行犯が警察官の息子で、真相を知った警察官の両親が息子を殺害するというもの。警察官役が小林稔侍さん、息子役が織田裕二さんだった。

★ 永瀬隼介さんの「閃光」(角川文庫)を読んだ。この作品も三億円事件をモチーフにしている。

★ 三億円事件は当時の警察が見立てた単独犯ではなく、複数犯であり、生き残った仲間たちのその後が描かれている。そして、その仲間たちが次々と殺されるという事件が起こる。

★ 犯人たちの仲間割れなのか、それとも組織を守るため過去を隠ぺいしようとする警察組織の仕業なのか。

★ 定年前の老刑事と血の気の多い所轄の若い刑事が真相を追う。そして、思いがけない真犯人が登場する。

★ 3億円事件から56年。グリコ森永事件から40年。下山事件に至っては75年が経過している。真相は永久に封印されてしまうのだろうか。

☆ 寒暖差は大きいが良い季節だ。この週末はのんびりと過ごしたいものだ。

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北杜夫「岩尾根にて」

2024-04-17 14:20:43 | Weblog

★ 昨夜の雷雨が嘘のような晴模様。春を通り越して初夏がやってきたようだ。

★ 映画「トゥルーマン・ショー」(1998年)を観た。もっとコミカルな映画だと思っていたが、なかなかシリアスなテーマだった。私が「現実だ」と思っているこの世界。実は作り物だとしたら、という内容。深く考えれば哲学的だ。映画「ダークシティー」とも似た感じだ。

★ 北杜夫さんの「夜と霧の隅で」(新潮文庫)から「岩尾根にて」を読んだ。登場するのは2人の人間と1つの遺体。

★ 主人公はロッククライミングの途中、墜落死した遺体を発見する。同時に、1人の男が今まさに岩を登っている光景を目撃する。やがて、岩の上の平らなところで、主人公とその男が語る。

★ この男はまるで主人公自身のようだ。そして墜落死した遺体はこの男のようだ。時間軸が前後するような奇妙な作品だ。ここでも、私が経験している現実は、もしかしたら脳が作り出したバーチャルリアルティなのかも知れないと感じた。

★ 次は本命「夜と霧の隅で」に挑みたい。ナチスが掲げた優性思想。要は社会に役立たない人間を抹消しようというもの。それに抵抗する医師たちが描かれているという。興味深い。

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尾崎真理子「現代日本の小説」

2024-04-14 14:47:48 | Weblog

★ 好天が続く。洗濯物がよく乾いてありがたい。

★ さて今日は、尾崎真理子さんの「現代日本の小説」(ちくまプリマー新書)を読んだ。「ちくまプリマー新書」は比較的若い人をターゲットに、時々のテーマに入門、基礎に立ち返ってわかりやすく解説されている。

★ 尾崎真理子さんは読売新聞の文化部で「文芸批評」を担当されたという。第3章までは記者として折に触れて接した作家のエピソードや当時の新聞に掲載された時評が豊富に取り上げられている。

★ 「文化部、文芸部担当記者の仕事とは」という感じだ。そして、1987年以降、よしもとばななの「キッチン」、村上春樹の「ノルウェイの森」以降の文壇の変遷を論じている。

★ 3章までは何となく遠慮が感じられるが、「第4章 パソコンから生まれる新感覚」では著者の思いが強く述べられている。

★ 肉筆からワープロ・パソコンに変わり、現代文学は大きく変わった。

★ 本書が発行されたのが2007年。それから15年以上を経て、文学の世界はさらに大きく変化を遂げている。人間とAIの融合、近未来ではAI作の作品が生まれててもおかしくない。

★ その時、小説(とりわけ純文学といわれるジャンルの作品)はどう変わるのか。存在意義はあるのか。作家と作品の関係はどうなるのか。AIが人間以上に人生に苦悩し、哲学し、宗教を信じ、苦しみからの脱却を描く時代が来るのか。

★ 科学技術の進歩はとどまらない。未来が恐ろしくもあり興味深くもある。

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石原慎太郎「太陽の季節」

2024-04-13 14:47:26 | Weblog

★ 新学期が始まって1週間。今年度スタート時の塾生は70人で確定した。例年、これからパラパラと20人ほど増える。

★ 先日、YouTubeで立川談志さんと石原東京都知事(当時)の対談を見た。70代も半ば(収録時)のお二方。「老い慣れしていない」というフレーズが印象的だった。

★ ということで、今さらながら石原慎太郎さんの「太陽の季節」(新潮文庫)を読んだ。1955年度の「文学界」新人賞、そして翌年「芥川賞」を受賞。戦後10年を経て、自由奔放な青年の生きざまが新鮮だったのであろう。

★ とにかく、主人公を始め登場人物たちは裕福だ。多分自ら得た富ではなく、親や先祖から受け継いだものだろう。その豊かさの中で、彼らは刹那的に生きている。彼らとて悩みがないわけではないが、それは極めて個人的な問題だ。

★ 主人公の竜哉たちは、街で英子たち女性3人をナンパする。竜哉と英子は恋仲になる。最初は英子に振り回されていた竜哉だったが、やがて立場が逆転。そうすると英子に追いかけられることに竜哉は煩わしさを感じるようになる。

★ 物語は終盤の数ページで悲劇的に終わる。「何故貴方は、もっと素直に愛することが出来ないの」という英子の言葉が印象に残る。英子の母性と竜哉の幼さを感じる。

★ 今の時代から見ると随分と理屈っぽく感じるが、当時としては竜哉のような新しい人々の登場が魅力的だったのだろう。

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眞邊明人「もしも徳川家康が総理大臣になったら」

2024-04-10 14:42:27 | Weblog

★ 近隣の小学校では昨日が入学式。そして今日は中学校で入学式だ。

★ さて今日は、眞邊明人さんの「もしも徳川家康が総理大臣になったら」(サンマーク出版)を読んだ。

★ かつてヒットした「もしドラ(もし高校野球のマネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」や、最近言われだしてきた「もしトラ(もしもトランプ前大統領が再びアメリカ合衆国大統領に返り咲いたら)」という言葉があるから、この作品も略称で呼ばれるようになるかも。

★ 室積光さんの「史上最強の内閣」(小学館文庫)では、国家が危機に瀕したとき、現内閣が京都に隠されていた本物の内閣に政権を譲るという話だった。

★ 「もしも徳川家康が総理大臣になったら」は、新型コロナウイルスにより内閣総理大臣を始め主だった政府高官が病死。後継に困った国会は後継選びを天皇に一任し、その結果、AIとホログラムによって生成された歴史上の人物が、疫病対策を目的に内閣を編成するというもの。

★ 内閣総理大臣に徳川家康、官房長官に坂本龍馬、経済産業大臣に織田信長、財務大臣に豊臣秀吉、外務大臣に足利義満、総務大臣に北条政子、防衛大臣に北条時宗を配するというから奇想天外だ。

★ 彼らがまず打ち出した方針はロックダウン。その期間の国民の生活を支えるために全国民に1人あたり50万円の生活給付金(「太閤給付金」という)の支給を、それも10日間で支給するという。財源は当面国債(「安土国債」という)で賄い、後に都市の再開発や万国博覧会などのイベントで収益を増やすという。

★ 果たして、この内閣は国民の支持を得られるのか。コロナ禍が一応の収束を見た後、北条政子の名演説を機に、総選挙が行われる。

★ この作品を読んで感じたのは、1つ目は、現行の法令という制約はあるがその中での徹底したトップダウンだ。カリスマゆえの為せる業か。もはや欲や損得に縛られないホログラムゆえの特性か。

★ 2つ目は、ユヴァル・ノア・ハラリ氏による「ホモ・デウス」(河出書房新社)という作品で学んだが、人間の思考や行動も所詮はデータの集積からくるアルゴリズムで、それはAIで代用できるということ。AIが支配する近未来を予想させる。

★ 3つ目は、歴史上の人物が生成できるならヒトラーやスターリン、毛沢東も再現でき、またイエスや釈迦も現れるということか。何か凄い世界が出現しそうだ。

★ 何はともあれ、発想が面白かった。

☆ 追記。2024年(第21回)本屋大賞は宮島未奈さんの「成瀬は天下を取りにいく」(新潮社)に決まったという。この作品、確か宮島さんのデビュー作。読みやすさ、話題性では候補作中群を抜いている気がする。夏川草介さんの「スピノザの診察室」(水鈴社)、青山美智子さんの「リカバリー・カバヒコ」(光文社)は文庫化されれば読んでみたい。川上未映子さんの「黄色い家」(中央公論新社)は途中まで読んだ。力作だが、いよいよというところに至るまでが長い気がした。

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干刈あがた「ウホッホ探検隊」

2024-04-08 19:57:50 | Weblog

★ 新学期が始まった。クラス替えがあったり、新しい担任の先生に変わったりと、子どもたちにもストレスがたまる時期だ。スクールカーストなどと嫌な言葉がはびこる時代。最初の1週間が子どもたちにとっても勝負の時期ようだ。

★ さて今日は、干刈あがたさんの「ウホッホ探検隊」(福武文庫)を読んだ。1987年4月4月に読了の記述があるから読むのは2度目だ。

★ 理由はよくわからないが(たぶん夫の不倫が原因なのだろうが)、夫婦が別れることになった。夫婦には小二人の小学生の息子がいる。母親が二人を引き取ることになったが、微妙な年ごろだから、夫婦の問題をどう伝えるか悩む母親。

★ 子どもたちは、父と母の微妙な空気を感じていら立つこともあるが、子どもながらに親を思いやっている様子。

★ 中盤までは母親が長男に「君」と語る文体で進む。二人称の文体は当時とても新鮮だった記憶がある。

★ 終盤は、母親と次男との関係が描かれている。まだまだ子どもでありながら、それでいて一人の男として成長しようとする次男の姿。それを見守る母親の人間としての覚悟と成長が印象的だった。

★ 1984年芥川賞候補作。干刈あがたさんは若くして亡くなられたので残念だ。

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福永武彦「草の花」

2024-04-07 17:30:17 | Weblog

★ 春休み最後の日曜日。今日も好天に恵まれ、桜は満開だ。

★ 福永武彦さんの「草の花」(新潮文庫)を読んだ。物語は終戦からそれほど遠くないある冬から始まる。舞台は郊外のサナトリウムで、主人公(語り手)は他の患者と共に結核の療養をしている。彼はそこで汐見茂思という同じ年頃の男性と出会う。

★ 汐見は病状が重く、友人からの自重を勧める声に迷うこともなく、当時まだ危険であった片肺の全摘手術を希望する。手術は始め順調に進んでいたが、やがて血圧が低下し、亡くなってしまう。

★ 主人公は汐見から2冊のノートを託されていた。それを読みながら、彼の死が術中死なのか、それとも彼が自ら望んでの体の良い自殺だったのか思いを巡らす。

★ 2冊のノートには汐見が経験した2つの失恋が描かれていた。

★ 理知的で純粋であるがゆえに苦悩も大きかったようだ。神の愛か地上の愛か。信仰に篤くない私などには理解できない領域だ。ただ文章が巧いので思わず物語に引き込まれる。

★ この物語は作家自身の体験が下敷きになった私小説だという。作家は主人公に死を与えることによって、自らは生きることができたのではないかと思った。

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