じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

姉歯事件の悲劇

2006-03-28 17:51:58 | Weblog
★ 耐震偽装問題を引き起こした姉歯氏の妻が自殺とのニュースを見た。何とも言いようのない悲劇を感じる。

★ 欠陥マンションの住民にとってみればマンションを販売した企業、施工した建設会社、設計をした姉歯氏を決して許せるものではないだろう。それは当然である。

★ 姉歯氏は偽装に手を染めた理由として、建築主からの依頼を断れば仕事がなくなり、病気がちの妻をかかえて収入の道が断たれることを挙げていた。たとえどのような理由があれ法令に違反する行為は許されるものではないし、被害を受けた住民の苦しみを顧みず、自らの都合だけを考えた自分勝手さに弁明の余地はない。

★ しかし、姉歯氏が偽装に手を染めざるを得なかった建設業界の現状については大いに改善すべき点があろうと思う。今となっては木村建設もヒューザーも破産し、結局この事件は何だったのかと怒りをぶつける当てもなく、虚しさだけが残ってしまう。

★ バブルで踊った日本のツケなのか、小泉改革の犠牲者なのか。一連の事件は悲劇としか言いようがない。大きな負担を背負わざるをえない住民にとっては、悲劇では済まされないことだけど。
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中途半端な英語必修化はムダ

2006-03-27 23:12:20 | Weblog
★ 中央教育審議会の外国語教育専門部会は小学校5、6年生で週1回程度の英語科の必修化を決定したそうだ。これは極めて中途半端でほとんど意味がないと思う。

★ 確かに小学校で「英語」を必修にしてもらえれば、我々のような民間教育機関にとっては願ってもないビジネスチャンスだけれど、もっと大局的な見地に立てばムダ以外の何ものでもないのではないか。

★ 導入当初や一部の学校(つまりこういう取り組みに積極的な教師がいる学校)ではなんらかの効果があるかもしれない。しかし大多数の学校では結局また負担が増えるだけで、その上、週1回程度の申し訳程度の授業では英語によるコミュニケーション能力などつくわけがない。

★ そんな中途半端なことをするくらいなら、小学校は本来行うべき基礎・基本の充実や人権教育(社会の中でいかに生きるかを考える教育)にもっと力を注いでもらいたい。外国語教育は公的、私的を問わず学校外での教育機関に委ねた方が効率的でもあるし、効果的でもあろう。

★ もし本気で外国語教育を行うなら、週1時間といわず週5時間ぐらいつまり国語科と同じぐらい、それも低学年から導入すべきであろうし、スタッフももっと充実させるべきである。それができないなら、学校ではイベント的に学期に1回ぐらいAETを活用したセミナーを開く程度でよいのではないか。

★ 前にも述べたが外国語教育は民間に委ねた方がよい。民間ではどうしてもダメだというなら公民館などを活用した公的な講座を開けばよいではないか。
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民間校長辞任

2006-03-25 10:45:19 | Weblog
★ 大阪の高津高校で民間から採用された校長と教職員が対立し、「混乱を避ける」との理由で校長が辞任した。

★ 校長の言動に教職員が反旗を翻したということだが、教職員の要求によって校長が辞任する、あるいは更迭されるといった前例を残したことは、これからの学校運営に大きな波紋を残しそうだ。

★ ここ数年、民間からの校長の採用が増えてきた。これは公務員、中でも専門職の名のもとプライドが高い、言い換えれば頭の固い教職員の牙城である学校に民間的な発想、いわば生産管理による効率化や競争原理を導入し、教職員の意識改革を図ろうというショック療法である。

★ 民間校長については成功例も報告されているが、先の尾道の校長をはじめ、今回の件など全体的な評価は芳しくない。

★ 民間校長の難しさは、文部省対日教組といった対立構造が緩やかになったとはいえ、管理側(行政側)にある校長と教職員との対立の中にあって、極めて同族意識の高い教職員に対し「よそ者」である民間校長がどのように支持を得られるかという点である。

★ 民間の会社なら校長つまり経営の責任者が経営方針の決定権はもとよりそれに基づき、ヒト、モノ、カネをほぼ自由に運用することができる。私立学校においてもある程度の裁量が与えられている。しかし公立学校の場合は、「雇われ校長」であり、校長とはいってもこれは民間の経営者とは雲泥の差がある。校長とは教育行政の末端にあり、長とはつくものの一事業所の長、会社の機構で言えば係長か課長クラスである。

★ 校長をめぐる問題は今始まったものではない。長年教職にあるものにご苦労さんの意味で校長職につかすもの、校長とは名ばかりで閑職で草むしりをしているものなど。しかしそれであっても教職員にとっては校長は自分たちの先輩であるとの一定の認識があった。

★ 公立学校において民間の校長を採用することは一般的には難しい取り組みである。もちろん例外はあるし、それは生かせばよい。民間校長を採用するならいっそ公設民営を実現するか、あるいは教育と経営を分離し、経営の領域、例えば理事会のような組織に民間人を採用するかだろう。しかし今の日本の教育行政制度ではそれほどまでには学校の独立性は認められておらず、教育委員会やその事務局と個々の学校との経営をめぐる関係を整理しておかなくてはならなくなる。

★ 報道に基づく限りではあるが、今回の件でやはり気になったのは、辞任した民間の校長が「進学率」あるいは「進学者数」に目標(これは経営目標なのか、教育目標なのか?)をおいた点である。「ドラゴン桜」ではないが学校の評価つまり校長自身の評価を世に知らす方法としてブランド大学への進学率しか掲げることのできない現実を考えておく必要があろう。

★ いうまでもなく、教育は人をつくる営みであってモノをつくる経営、生産管理とは理念も手法も異なる。教職員のわがままや組合の利害を過度に受け入れていては学校経営は成り立たないが、学校といった特殊な経営体を運営するには特有なノウハウも必要であろう。

★ 民間人の経験や知識を学校に生かすことはこれからも求められるが、それをいかせる条件整備が欠かせない。まずは教職員をどうやって働かせるかである。そこに校長のリーダーシップが問われ、これは民間企業でも同様である。
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サリン事件から11年

2006-03-21 05:48:14 | Weblog
★ 地下鉄サリン事件から11年だそうだ。早いものだ。それにしてもオウム裁判はまだ延々と続いているし、教祖が裁かれる日はいったいいつなのだろうか。それとも裁かないことによって、「殉教」といった事蹟を残さないようにしようとしているのだろうか。

★ キリスト教を例にだすのは甚だ不適当かもしれないが、キリストの受難がなければその教えはここまで広がらなかったかもしれない。

★ それにしても一民間機関、それも粗末な施設で毒ガスの「サリン」やVXガスが製造されたのはショックだった。核兵器を持たずとも、こうした毒ガスを使うことによってまた使い方によっては国家を大混乱に陥れることができるといったことが実証されてしまったのだ。細菌兵器も同様である。

★ こうした兵器は国際法上禁止されてはいるが、いざ最終戦争(勝手な思い込みにほかならないが)となれば、核兵器に代わり武器として使われない保証はない。自爆テロも辞さないといったご時世である。

★ 環境ホルモン、オゾン層の破壊、BSE、新型インフルエンザ、テロ・・・。通り魔や交通事故もそうだけど、我々って案外危険な毎日を送っているのだなぁと思う。最近、正月に「おめでとう」と挨拶する意味がわかってきた。「生きて年を越せて、おめでとう」なのだ。

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イラク戦争から3年

2006-03-21 05:28:25 | Weblog
★ イラク戦争が始まってから3年が過ぎたそうだ。大量破壊兵器が存在するといったデッチアゲからはじまったこの戦争、実際に大量破壊兵器は存在せず、大義なき戦争であった。

★ 無能はアメリカ大統領と「強いアメリカ」を誇示したいその取り巻き(あるいは彼らを支持する軍事産業)が演出した下手な策略だった。

★ イラクの人々にとっては内政干渉以外の何ものでもなかろう。まったくもって大国の横暴である。

★ フセイン政権に問題があるのはわかるが、政権を倒すだけならこんな戦争を起こす必要はないのではないか。「プラハの春」にしてもソ連のアフガン侵攻にしてもベトナムのカンボジア侵攻にしてもクーデターや傀儡政権を擁立しもっとうまく戦ったではないか。

★ この3年間、イラクの混乱が収まらないのは、イラクの人々にとってこの戦争が望ましいものではなかったからに他ならない。アメリカはただドンパチやりたかったのではないか。ブッシュ政権は戦争を利用し自らの支持率を確保しようとしたのではないか。9・11テロ以来、アメリカはおかしくなった。虚勢を張れば張るほど「強いアメリカ」が没落することへの恐怖心がにじみ出て見える・

★ 石油をめぐる利権やキリスト教対イスラム教など背後にはもっと大きな問題がある。これは今後もさまざまに形を変え、新たな紛争を生むのだろう。

★ テロを許してはいけないが、「聖戦」を掲げ、自爆テロも辞さない「鉄砲玉」は次々と生まれてくる。もっと根本的な解決を模索しないと戦いの火種は尽きない。その点絶望的な思いもするが、人類に課された課題だから人類が解決しなければなるまい。

★ アメリカばかりを批判はできまい。アメリカというボスに付き合わされて(形の上では主体的な参加だが)、イラク戦争に参加した小泉政権(つまり日本国民)はやがて歴史的な評価を受けることになる。日本人は商売はうまいが外交はヘタである。特に小泉内閣の外交はまずい。

★ 確かに北朝鮮から5名の拉致被害者とその家族は奪還したが、その後の進展はない。国連の安保理問題で挫折し、中国、韓国など近隣諸国との関係は冷え切っている。ロシアとも平行線のままだ。

★ 小泉退陣後は外交に秀でた人物、吉田茂のような豪腕な人物に政権を担ってもらいたいものだ。総理が無理なら外交にはエキスパートを任用してもらいたい。

★ 冷戦が終わり、たがが緩み各地で民族紛争が起こった。そしてまた、キリスト教対イスラム教、アメリカ対中国といった新たな構図ができつつある。人類というものはなぜにこれほど好戦的な生き物なのだろうかと思う。
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教科書の営業規制緩和

2006-03-17 12:46:50 | Weblog
★ 規制緩和の流れの中、公正取引委員会は教科書採択に絡んで、教科書会社が教科書を採択する教育委員会関係者らに対する営業活動の規制(贈答や接待など)を緩和する方針を発表した。

★ 要するに、出版社は自分の会社の教科書を採用してもらうために教育委員会の人や学校関係者に対して自由に接待や贈り物をしてもいいですよってことになる。

★ 原則で考えれば教科書も一つの商品なのだから、価格を自由に決めたりまたどういう営業活動をしようと自由である。今までが強い規制下、統制下にあったともいえる。

★ しかし、教科書と言えば全国の小中あるいは高校生が使うものであり、出版社にとっては自社の教科書が採択されるかどうか死活問題である。であればこそ、営業活動も自然とエスカレートしてしまう。

★ 今回のニュース、公取委の方針は原則論を貫いている。

★ 規制緩和は「聖域」なき構造改革の核心である。規制緩和されて困るのは既得権益をもっている人々である。例えば今回の教科書とは別に新聞販売に関して同様な規制緩和の方針が示された。販売店の営業活動を自由化しようとするもの。ある販売店では新聞代が3000円、ある販売店では2800円といった風にディスカウントをできるようにするものだ。これは一般商品の場合はごく当たり前の日常風景である。卵1ケース、牛乳1本買うにもスーパーの広告を見比べて庶民は走り回っている。消費者にとっては少しでも安いほうがありがたい。

★ 一方新聞社や販売店にとってはデメリットが多い。販売店は値下げ合戦を繰り広げるだろうし、新聞社は販売店に価格を強制できなくなってしまう。こんなこともあって、規制緩和を歓迎している新聞社も自らに火の粉がかかる規制緩和には反対の姿勢をとっている。

★ 確かに規制緩和は聞こえがよいし、消費者にはメリットも大きいが、自由競争は資本力のあるもの、大きいものに有利な戦いとなりかねない。過剰な値下げ合戦の繰り返しはその大手企業の体力すら消耗させる。その結果、カルテルなども起こりかねない。ただ、他の業種ではみんなこの競争にさらされている訳で、一部業種だけが保護されるのであれば、それなりの納得のいく理屈が必要である。

★ 話を教科書に戻すが、今から約100年前、1902年に「教科書疑獄事件」なるものが起こった。教科書販売をめぐる贈収賄事件である。営業活動の自由化はこうした事件の温床になる可能性もある。

★ 事件の結果どうなったか。教科書は検定制度から国定制度に変わった。事件が起こったのが12月、それから3週間後には教科書国定化法案が閣議決定されている。そのあまりにも素早い対応に、意図的な捜査だったのではないかとの疑いももたれている。

★ てことは、今回もそのような深謀遠慮があってのことか。
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納得いかない米兵への処分

2006-03-16 13:04:43 | Weblog
★ 公務中に「ひき逃げ」した米軍の女性水兵への処分が減給2ヶ月らしい。子どもに大けがを負わせたままその場を離れてこの処分とはどう考えても納得できない。日米地位協定とはなんぞや。

★ 日本は独立国ではないのか。たとえ米軍の関係者であろうと日本の国内で起こした犯罪には日本の法によって裁かれるのは当然のことである。治外法権を許していいはずが無い。

★ そもそも外国の軍隊が独立後も駐留しているということ自体が異常だ。「非武装中立」などといった理想論を唱えようと、また「核武装」などと過激なことを考えようと方法論はいろいろあろうが、日本の安全は日本自らが守るべきであり、片務的な日米安保条約なんぞを維持しているからこのように米軍の顔色を伺わなくてはならないのだ。日本はアメリカの属国ではない。対等な国家でなければならない。

★ 自動車を買ってもらうために姑息になる必要などないのではないか。

★ 相次ぐ米兵による犯罪。全く困ったものだ。ろくでもない連中が日本に駐留しているとしか思えない。岩国市が新たな米軍の受け入れをを拒否する気持ちはもっともだし、数十年にわたり米軍基地を抱え込まされてきた沖縄の苦痛は察するに余りある。

★ 中国の脅威が益々高まるとはいえ、10年先、20年先までも米軍頼みの安全保障でよいのだろうか。これは「右」「左」といったイデオロギーをこえて考える問題であろう。「平和」を維持することの大切さは言うまでもないが、理想論だけでは国をそして自らの命を守れないのも現実である。
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ウィルスの恐怖

2006-03-16 00:04:01 | Weblog
★ 今人類は2つのウィルスの恐怖に直面している。一つは昔から戦ってきた病原体としてのウィルスであり、もうひとつはコンピュータウィルスである。

★ 病原体としてのウィルスはエボラ出血熱やエイズウィルスなど新しいものが登場してきたが、中でも新型インフルエンザはジワジワと人類に迫りつつある。腰の重い国が特効薬の「タミフル」を備蓄しようとしている点を見ても、大流行の時が近づきつつあることを物語っている。

★ ただ悲観的な見方をすれば我々はこの新しいウィルスとの戦いを防ぎようがない。多くの人類がウィルスの餌食となるであろう。ただささやかな希望は、人類のうちある者たちはこの戦いに打ち勝ち、免疫を手に入れるということである。

★ 人類は何度となく病原体、ウィルスと戦い、今ここに存在する我々はその勝者の末裔である。次の戦いで、自分が勝者になるか、敗者になるかはわからないが、人類が絶滅することはなかろう。ウィルス同様、人類もなかなかしたたかに生き延びるであろう。

★ もうひとつのウィルス、コンピュータウィルスはなかなかやっかいな存在である。昨今「ウィニー」による情報の漏洩が報告され、政府が「ウィニー」を使わないようにと呼びかけるなど異常事態となっている。

★ ひとつ心配なことがある。これはSFの世界の話かも知れないが、もしコンピュータウィルスが自己の複製を作ったり、また進化できるとしたらどうであろう。ビデオテープを通して伝染していく「リング」のように広がっていくことはないのだろうか。

★ 今や電子ネット社会である。経済も軍事も電子機器を介さなくては成り立たなくなってきている。

★ 映画「2001年宇宙の旅」ではコンピュータがロケットの乗組員に反旗を翻す姿が描かれていた。万が一、軍事関連のコンピュータが暴走したら、核戦争が勃発するなんてことはないのだろうか。ハッカーによって軍事システムが誤作動し、核戦争直前まで至ると言った映画は何本かあったと思う。

★ 私たちの社会と言うものは案外、砂上の楼閣なのかも知れない。
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「ゆとり教育」の失敗

2006-03-14 18:18:30 | Weblog
★ 今さらながら「ゆとり教育」の失敗を実感している。

★ 暗記中心の詰め込み教育の反省、新しい学力観、生きる力、週5日制などさまざまな言葉が行き交い、教育内容が大きく縮減されてきた。

★ 「七五三」と呼ばれるように、小、中、高を通じて、教育内容を未消化のままただ先に進み、「落ちこぼれ(落ちこぼし)」を生んできた実態を反省する意味もあった。

★ どのみち未消化のままに終わってしまうのであれば、教育内容を削減し、学習内容のレベルを引き下げれ、その完全習得をめざした方が良いのではないかと私も思った。しかし最近指導している生徒を見ていてそれが間違いであったことを実感している。

★ なぜなら、内容を引き下げ、進度を遅くしてもやはり理解ができない子はできないのだ。

★ 学校では習熟度別クラスが実施され、あるいは少人数での指導もされている。1クラス45名だった私たちの時代に比べればはるかに条件整備がされているように思う。そして内容も簡単になったのだから、少なくともそれぐらいは定着させてくれているのかと思いきや全く不十分である。

★ 私の塾に通う生徒、まもなく小学5年生になるが小学2年生レベルの計算が満足にできない。特に繰り下がりの引き算がひどい。基礎的な計算が不十分だから、それから先の学習にも支障をきたしている。結局は算数は面白くないとやる気をなくし、算数嫌いになっている。

★ 能力の問題もあるだろうし、家庭での学習環境の問題もあるであろう。しかし小学校低学年ぐらいの内容はなんとしても理解しないと、将来困ることになると思える。本人は「算数などできなくてもなんとかなる」と嫌いな算数を益々避けようとしているが、算数自体は数学と名前を変えてもあと数年間はつきまとうし、高校受験もある。

★ 「ゆとり教育」によってほとんど得るものがないならばそれは見直す必要があると思う。私は少なくとも以前のレベルに戻すべきだと思う。数学では不等式や二次方程式の解の公式は入れればよいと思う。理科ではイオンを入れたい。社会では都道府県や主な国の地誌については概略でも知識として習得してもらいたい。(今は主だった都道府県の概要や好きな国調べ程度で終わっている。)歴史ももっと詳しくてもよかろう。

★ 「詰め込み」と批判され、知識や暗記が軽視されてきたが、教養の基礎には共通して学んだ内容、知識が必要であろう。知識がなければ深い思索も不可能ではないだろうか。知恵が求められるのはもっともだが、知識もまた軽視すべきではないと思う。
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ローハイドとコンバット

2006-03-10 00:08:25 | Weblog
★ NHK-BS2では毎夜深夜に「ローハイド」と「コンバット」を放映している。

★ 私がこの番組を見たのは確か幼稚園ぐらいの頃だと思う。だから「ローハイド」といえば「ローレン、ローレン、ローレン・・・」で始まるテーマ曲と西部劇のイメージしか残っていないが、それでも懐かしい。

★ それにしてもこのテーマ曲は名曲中の名曲だと思う。私にとっては「七人の刑事」のあのハミングとならび心に焼きついている曲だ。「ローレン」と言われても幼い私には何のことか分からなかったし、最近になってやっと「Rollin'」ということがわかった。でも「ローリン」ではなく、今聞いても「ローレン」に聞こえる。

★ 「コンバット」もテーマ曲が有名だし、キャスト紹介が印象に残っている。戦争映画というのはうっすらと覚えていたが内容までは覚えていない。最近の放送をチョット見て、単なるドンパチではなく、戦争と言う極限状態の中での人間の微妙な心理が描かれているなぁと思った。

★ 私が幼稚園から小学校低学年時代、昭和30年代後半から40年代初頭はアメリカのドラマがたくさん放映されていたように思う。人間の言葉を話す「エド」という馬が登場するものや、自動車が話をするものや、みすぼらいし農夫がひょんなことで油田を掘り当て億万長者になるものなど。少し遅れて「宇宙大作戦」(スタートレックのこと)や「スパイ大作戦」(ミッション・インポッシブルのこと)、「トワイライトゾーン」「ミステリーゾーン」なども面白かった。

★ 「トワイライトゾーン」などはやがて「ウルトラQ」などにも影響するのかな。

★ それらはほとんどが白黒映像だけれど、白黒ならではの味わいがあるように思う。
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