じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

中上健次「十八歳」

2022-06-30 18:23:14 | Weblog
★ 18歳は今や「成人」だが、子どもと大人の間の微妙な時期だ。多くが高校3年生で18歳となる。中上健次さんの「十八歳、海へ」(集英社文庫)から「十八歳」を読んだ。

★ 「十八歳」はある若者たちのエピソードを描いている。短い作品ながら、さらに「歌」「川」「断層」「恋」「幸運」「仲間」「十八歳」の章に分かれる。

★ 「歌」では、体は大人だがまだ精神的には幼児性が残っている男子高校生の日常が描かれている。「川」は死を身近に感じたエピソードを回想している。「断層」は家族の問題、「恋」では文字通り恋愛を描いている。

★ 「幸運」は初デートの風景と思いがけず他のグループから暴行を受けたことを、「仲間」はその仕返しに向かった仲間たちが遭遇した事件、そして「十八歳」ではベトナム戦争という世相を背景に、迷える18歳を描いている。

★ 「なにもかも、俺は知ってるんだ。なにやったって駄目さ」という独白が心に響く。

★ 藤田敏八監督の「八月の濡れた砂」をイメージしながら読んだ。藤田監督はこの作品集の「隆男と美津子」を映画化しているという。機会があれば見てみたいと思った。

★ 1965年から70年。高度成長のピークからはや50年以上。世の中がすっかり変わってしまった気がする。一方で科学技術は進歩しても、人間の精神はさほど進化していないようだ。高校の国語教材に載っていた長谷川眞理子さんの「ラップトップを抱えた『石器人』」を思い浮かべる。
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藤堂志津子「幸運の犬」

2022-06-29 14:27:02 | Weblog
★ 京都の梅雨明けは祇園祭と共に訪れるものだった。それが今年は「しとしと雨」も終盤のバケツをひっくり返したような豪雨もなく、6月にあっさりと明けてしまった。地球がおかしくなってきているのを実感する。

★ 今朝の京都新聞のコラム「凡語」。蘇民将来のエピソードを紹介していた。明日は氷を模した和菓子「水無月」を食べる日。小豆の色は厄払いとか。エアコンなどなかった時代。古の人々のちょっとした癒しだろうか。

★ さて、今日は藤堂志津子さんの「秋の猫」(集英社文庫)から「幸運の犬」を読んだ。他人の男女の仲など興味はないが、藤堂さんの文章に引き入れられた。

★ 主人公の女性は40歳を迎える。若い頃はヤンチャな日々を送っていたが、今の夫と知り合い、彼を支えることに生きがいを感じていた。彼の職業はグラフィックデザイナー。結婚当初は貧乏で、小さなアパート暮らし。彼らはある日、子犬を拾う。たまたまなのか、あるいは何らかの力が働いたのか、それから急に仕事が舞い込むようになった。

★ 夫はこの犬(吉を招いたからキチ坊と名付けられた)が幸運を招いてくれたと信じることにした。

★ それから仕事は途切れることはなく、夫婦は豊かさを手に入れた。しかし、年月は人の心を変える。まだ芽が出ない頃は、彼の才能を信じて励ましてくれる妻をありがたく思っていた夫だが、今はそれを重荷に感じるようになった。才能の限界を感じ始めているからなのかも知れないが、おだてるのではなく、一緒に歩いてくれる人を求めるようになった。

★ 妻の方も変わった。妻という役割よりも夫のファン、夫のマネージャーとして彼を見るようになった。それがあるいは夫にとって重荷だったのかも知れない。夫婦仲は急激に冷めていった。

★ 遂に離婚を決意した二人。妻が(ハッタリ気味に)出した条件は慰藉料5000万円。夫の出した条件は、今後二度と「キチ坊」と会わないこと。両者話し合いが成立。めでたく離婚となったのだが。

★ 男女の仲は難しい。
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出久根達郎「無明の蝶」

2022-06-28 10:54:46 | Weblog
★ 東京の神保町や大阪のカッパ横丁ほどではないが、京都は学生の街だけあって、多くの古本屋がある。河原町通、京大周辺など広く分散しているのが特徴だろうか。学生時代は古書巡りを楽しんだものだ。

★ 先日、老舗である京阪書房が閉店したという。河原町三条上がるの店舗には何度か足を運んだ気がする。デジタル化の波に紙媒体は衰退が顕著だ。古書の価値も一部のマニア本は別にして下がる一方だという。

★ さて、今日は古書店の店長が主人公の物語、出久根達郎さんの「無明の蝶」(講談社文庫)から表題作を読んだ。

★ 古書流通の仕組みは素人には分かりにくい。古書店の店主は本を愛している。しかしそれだけでは商売にならない。前の所有者から次の所有者へと本を回していかなければならない。古書店の役割はこの中継ぎにあるという。

★ 古書店の店主は、骨とう品と同じく目が利かなければいけない。そう意味ではプロ中のプロだ。ただどうしても本を値段に換算してしまうところが職業病だという。

★ ある古書店、開業以来の常連客だった花田君が急死した。店主は彼と親しくなり、彼に店番や買取の手伝いを頼んでいた。数日前まで元気だった彼が死んだという。事故だという。

★ 店主は彼にまつわる思い出を振り返る。そして、ラストには思いがけない真実が明かされる。このあたり少々複雑そうだが。

☆ 我が家の蔵書は果たして何冊あるだろうか。ざっと数えると8000冊ぐらいかな(出版業界にかなり貢献したものだ)。もはやほとんどが買い取り不可(つまり商品価値がない)の文庫や新書類だが、私が死んだらどうなるやら。

☆ 「一流の古本屋は児孫に美田を残さない。古本屋の美田とは商品のことである」「死んで実にきれいさっぱり、寒々とした商品しか残さなかった古本屋こそ一流なのである」

☆ 私は古本屋ではないが、示唆に富む一節だ。本は所蔵し風景として眺めて楽しむのも良いが(少々臭いは気になるが)、やはり読まれてこそ価値がある。そのあたりをそろそろ考えていこうかな。

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筒井康隆「東海道戦争」

2022-06-27 03:25:01 | Weblog
★ 暑い日が続く。中学校の期末テストが終わると次は高校の期末テストだ。それが終わると夏期講座。スタミナをつけて頑張らねば。

★ 筒井康隆さんの「東海道戦争」(中公文庫)から表題作を読んだ。ある朝、男が目覚めると戦争が始まっていた。伊丹空港の近くに住む主人公は騒々しい雰囲気に、戦争が始まったことを知るが、敵がどこなのかわからない。しばらくして、東京と大阪の戦争であることを知る。名付けて「東海道戦争」だという。

★ 何が原因なのかはわからない。ただ自衛隊の師団に右翼、労働組合、全学連それに一般市民が参加して戦いが進んでいる様子だ。全員参加の戦争にウキウキ感さえ漂っている。

★ もちろん架空の話だが、戦国時代から天下分け目の関ヶ原の過程や幕末の幕軍VS官軍の戦いもこんな感じだったんだろうなぁと思って読んだ。

★ まさかが起こるのが世の中だ。いつに時代か、再び東西の覇権争いが起こるかも知れない。

★ この作品集には「堕地獄仏法」も収められている。ある宗派の「講」を母体とする宗教団体。その宗教団体を支持基盤とする政党。この政党が政権をとった全体主義的な社会を描いている。よくここまで書けたものだと感心する。詳しくは時節柄、自粛した方が良さそうだが・・・。

★ 今日は他に、津村記久子さんの「浮遊霊ブラジル」(文春文庫)から「運命」を読んだ。この世をさまよっている魂あるいは転生している魂の物語か。うまく成仏できれば良いのだが。
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立原正秋「薪能」

2022-06-25 15:41:37 | Weblog
★ ヤクルト1000の品薄が続いているという。毎週配達してくれる人に聞くと、店の方でも(販売の)制限がかかっているという。「定期購入して頂いている方が優先で」とのこと。質の良い眠りに効果があるというのだが、どうだろうか。

★ さて、今日は立原正秋さんの「剣ヶ崎・白い罌粟」(新潮文庫)から「薪能」を読んだ。家族に恵まれなかったいとこ同士が互いに魅かれつつも、破滅に向かって進んでいく話だった。

★ 和泉家は土地屋敷を持つ名家だったが、長男は戦死、次男は終戦直後に米兵との諍いで銃殺された。共に若い妻と子がいた。妻たちは早々に他家へ嫁ぎ、幼い子どもは祖父が引き取って育てた。当時13歳の昌子と9歳の俊太郎である。

★ いとこ同士の二人はまるで姉と弟のようであった。まだ幼い俊太郎は昌子に母の面影を求め、昌子もそれに応えようとした。二人はやがて成長するのだが、祖父が亡くなる頃には家はすっかり没落し、わずかな土地と小さな能楽堂を残すばかりになっていた。今では昌子は見合いで嫁ぎ、俊太郎だけがその能楽堂に住んで、能面を彫って細々と暮らしていた。そして5年が過ぎた。

★ 引かれながらも血の濃さゆえに避け合う二人。運命の歯車は二人をそっとしておいてはくれなかった。

★ 能楽堂での幽玄な終幕は悲劇だが美しい。


☆ 昼食を食べ、本を読んでいるとついウトウトしてしまう。手にした本がバッサリと床に落ちて目が覚める。私の場合、サプリなしでも十分に眠れそうだ。
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城山三郎「ある倒産」

2022-06-24 16:36:21 | Weblog
★ 中学校の期末テストが終わった。新聞の折り込み広告で、近隣のスーパーにマイナンバーカード作成の特設ゾーンが3日間だけ設けられるというので早速出かけた。市役所までわざわざ行くのは難儀だが、近隣のスーパーなら買い物のついでである。無料で写真を撮ってくれ、書類の書き方を教えてくれ、封筒の封までしてくれた。ここまでやってもらえば便利だ。(受け取りには市役所まで行く必要がありそうだが)

★ さて、今日は城山三郎さんの「ある倒産」(新潮文庫)から表題作を読んだ。昭和39年(1964年)の作品だが迫力があって面白かった。

★ 一流企業に勤めて30年、主人公は部長とは名ばかりの閑職にあった。物語は宴会の場面から始まる。この部長(何事も慎重を旨とするので「非常口さん」と揶揄されている)が子会社に専務として出向するという。

★ 祝宴の主催者は、主人公と同期ながらやがては社長も目指そうという常務取締役。主人公、常務、先だって子会社に出向している経理担当役員(常務の取り巻き)の3人ながら、芸者を交えての宴会であった。リズミカルに会話は進むが、言葉の裏に腹黒さを感じる。

★ 子会社それも経営不振にあえいでいる企業への出向ながら、定年まで2年に迫った主人公にとって、専務の椅子は満更でもなかった。専務用の運転手付き自家用車も当てがわれた。

★ 真面目だけが取り柄の主人公。企業再建に向けて努力を始めるのだが、親会社の企みを知ることに。親会社への忠誠か今籍を置く会社への義理か、主人公は迷った挙句、ある行動に出る。そしてそれが意外な展開を巻き起こす。

★ ドラマ化するならどんなキャスティングが良いかなと思いながら読んだ。適役はイメージできたが、昔の俳優なので名前が浮かんでこないなぁ。常務か経理担当役員には西村晃さんが良いなぁ。
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白石一郎「江戸山狼」

2022-06-23 17:51:36 | Weblog
★ 中学校の期末テスト1日目。好天にして高温。30度を超えるとやはり暑い。セブンイレブンに「ユッケジャン」スープが売られていたので試してみる。辛い、そしてクセになりそうだ。トウガラシとニンニクで暑気払い。

★ 今日は白石一郎さんの「孤島物語」(新潮文庫)から「江戸山狼(えどやまいぬ)」を読んだ。

★ 江戸時代の佐渡が舞台。坑夫として江戸から無宿人(浮浪者)が送られてくることになった。そこで、地元民から彼らを監督し仕事を教える人々が選ばれる。体が大きく顔立ちの荒々しい(落盤事故で傷ついたのだが)友作が「親方」に選ばれた。

★ 「江戸山狼」と呼ばれる流人。極悪人が来るに違いないと、友作たちは緊張する。反抗されれば命さえ危ない。役人からは「人と思うな、死んでもお前たちのせいではない」とのお達しが。

★ しかし、送られてきたのは狼とは程遠い人々だった。友作たちとも次第に打ち解けてきたのだが。

★ 期末テストはあと1日。頑張ろう。
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朱川湊人「トカビの夜」

2022-06-22 15:07:28 | Weblog
★ 昨日は夏至だったらしい。1年で最も長い昼間だが、あいにくの雨天で実感できなかった。

★ さて、今日は朱川湊人さんの「花まんま」(文春文庫)から「トケビの夜」を読んだ。胸の辺りがシクシクするような作品だった。

★ 大阪万博の前というから昭和40年代前半だろうか。父親の事業が失敗して、小学生のユキオは両親とともに大阪の親戚の所に身を寄せていた。「文化住宅」とは名ばかりのぼろ長屋。隣のくしゃみまでがありありと聞こえる環境。貧しい人々が寄り添って暮らしていた。

★ 「文化住宅」の一角に朝鮮人の家族が住んでいた。両親とユキオより少し年上の兄・チュンジ、ユキオより一つ年下の弟・チェンホ。チェンホは病弱であまり表には姿を見せなかった。

★ 貧しさを共有する下町の人々ながら、民族差別はぬぐえなかったようで、住民はこの家族と一線を引いて接していた。親のこうした態度は子どもにも伝わり、子どもの間でも、微妙な空気があった。

★ とはいえ、あるキッカケでユキオはこの病弱なチェンホと親しくなる。彼もユキオに気を許しているようだった。当時子どもたちが熱中した怪獣やウルトラマンは、民族の違いや親たちの偏見を乗り越えて彼らを親しくさせたようだ。

★ ところが、チェンホは急変し亡くなる。そしてそれから、「文化住宅」では不思議な出来事が起こり始める。中には朝鮮の鬼「トカビ(トッケビ)」の仕業だという人も。

★ 国語の教科書にも掲載されるような作品だった。作品を通して流れる「パルナス」のCM曲。懐かしい。私もずっと関西に住んでいるから、あの歌が歌える。洋菓子店のCMなのに悲しくなるようなメロディー。胸がシクシク痛むような曲だ。

★ ランニング姿のチェンホの笑顔が見えるようで心が痛む。
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マヌエル・リバス「蝶の舌」

2022-06-21 18:13:10 | Weblog
★ 今日は1日中雨。買い物に行けず、とはいえ腹はすく。出前館でマクドナルドを注文する。2000円足らずで、ハンバーガー4つと、ナゲット、フライドポテトそれにコーラが買えた。この時ばかりは「アメリカ資本主義万歳」だ。

★ さて、今日は柴崎友香さんの「春の庭」(文春文庫)から「見えない」とマヌエル・リバス「蝶の舌」(角川書店)から表題作を読んだ。

★ 「見えない」は、あるアパートの住人の話。ある朝目覚めてみると裏庭の大木が剪定され、今まで見えなかった隣のマンションが目の前に。同じような窓を備え、それぞれの部屋にはそれぞれの生活があるようだ。住人の観察が始まる。

★ 「蝶の舌」は映画化もされ、スペイン内戦の前後で揺れ動く人々の様子を少年の視点で描いている。

★ 「スズメ」というあだ名の6歳の少年。学校に通い始め、ヒキガエルのような顔をしたグレゴリオ先生と出会う。グレゴリオ先生は少年に世界の不思議を教え、少年は知識を深めと視野を広げていく。

★ そんな平和な日々が急変する。内戦が勃発したのだ。共産主義者、アナーキスト、無神論者といった人々が逮捕され、護送される。巻き添えを恐れる人々は、彼らを罵倒し、石を投げる。少年の父も共和派だったが、涙を流しながら彼らとともに「裏切り者」と叫んだ。

★ 逮捕された人々の中にはグレゴリオ先生も。母親は少年に先生を罵倒するよう強要する。

★ 古くはゴルゴタの坂を十字架を背負って歩くイエス。近くは文化大革命に揺れる中国。遠藤周作さんの「ヴェロニカ」も記憶に残っている。誰も我が身は大事だ。転向か死かと迫られたとき、私は信念を貫くことができるだろうか。

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司馬遼太郎「権平五千石」

2022-06-20 16:15:39 | Weblog
★ 先日塾生が過去のことをあれこれ後悔して気に病んでいるという話をしてくれた。「先生は後悔することはないのか」と問うから、「この年になると、今さら後悔しても仕方がないので、先のことを楽しみに生きている」と言った。

★ 学生時代、有島武郎の「惜しみなく愛は奪う」を読んだ。過去を後悔ばかりのセンチメンタリスト、未来を夢見るばかりのロマンチスト、現実を生きるリアリスト。「どの生き方が良いか」とある女性に聞かれたことがある。当時の私はセンチメンタリストで後悔ばかりしていた。後悔し気を病むのは誰もが経験する通過儀礼なのか。

★ さて、今日は司馬遼太郎さんの「侍はこわい」(光文社文庫)から「権平五千石」を読んだ。人生万事塞翁が馬、何が幸いし、何が不幸を招くのか。

★ 信長、秀吉、家康と政権が目まぐるしく移り変わる時代。信長に取り立てられ、にわかに大名となった秀吉は、急遽家来を集めることとなった。秀吉のもとに集まったまだ年若い一軍は、「台所で飯でも食いやい」という待遇で出世のチャンスを待っていた。

★ やがて、信長が本能寺の変で倒れ、秀吉が天下人となる。かつての若者も「賤ケ岳の七本槍」として出世し、大名に取り立てられた。そんな中、ただ一人、平野権平だけは五千石に留め置かれた。ミスをしたわけではない、手柄をたてなかったわけでもない。派手さがないためか、とりたてて理由もなく据え置かれた。そして本人もそれを気にすることがなかった。

★ 時代は秀吉から家康へ。かつての同僚はいずれも大出世。しかし権平は相変わらずだった。そしてそれが功を奏したのか・・・。

★ 価値観などは時代とともに変わる。他人と比べて一喜一憂し、嫉妬や優越感に浸ってもそれは一時のこと。自分なりの揺るぎない価値観をもちたいものだが。

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