共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

きちんとした話を

2013年08月18日 16時46分37秒 | 日記
ここ最近、何だか時事ネタブログみたいになってるね…と知り合いに突っ込まれましたが、どうも気になるニュースが続いているので、今日も一言うならせて頂きます。

先月、朝鮮半島の日本統治時代に日本で戦時徴用された韓国人4人が未払賃金などの補償を求めた裁判で、ソウル高裁が旧日本製鉄、現在の新日鉄住金に対して計4憶ウォン(約3500万円)の賠償を命じた判決に対し、新日鉄側が「世論を無視できないから、敗訴判決が確定した場合には賠償に応じる」という意向を示したのだそうです。もうびっくりしてしまいました。

日韓間の賠償請求権については1965年に『日韓基本条約』という国際条約を提携した時に、国家賠償から元徴用工を含めた個人賠償に至るまで最終的かつ完全に解決したということを確認しています。そのことを当時の韓国政府がきちんと国民に周知徹底するのを怠ったのと、今の企業側のトップにいる役員が日韓賠償請求権についてちゃんと勉強していないから、条約提携から50年近く経った今頃になってこんなスットンキョウなことになるのです。


歴史認識をとやかく言うのであれば、まず自国の歴史をきちんと教えてからにして頂かなければ困ります。


かつて大学にいた韓国からの留学生が韓国併合について熱く語っていた時に

「でもね、1910年に日本が韓国を併合したのは、時の韓国皇帝が『請願』したからなんだよ」

と言ったらびっくりしていました。その後自身でいろいろと紐解き、近代史についての認識や価値観がかなり変わったと言っていました。


また中国から来ていたヴァイオリン奏者が靖国神社について「A級戦犯を合祀したあの神社は破壊すべき」という過激な持論を展開した時に

「ところでA級戦犯って何した人だかわかってる?」

と聞いた途端、あれだけ熱っぽくまくし立てていた当人がピタッ…と黙ってしまったこともありました。

「え?まさかA級戦犯って何だか分からないまま今まで喋ってたの?」

となった後は、その人が何をまくし立てようと、もはや周囲に響くものでは全くなくなってしまっていたのを覚えています。


いずれにしても新日鉄の偉いさん達には、戦後処理の顛末について一から勉強してから事に当たって頂くよう希望します。そして韓国側も、本当に日韓基本条約という『国際条約』を蹴ってまで賠償請求を強行するというのであれば、自国の裁判所などでこじんまりと解決しようとするのではなく、正々堂々と国際法廷に訴え出てくるべきです(採りあってもらえればいいですけどね)。


なお、日本の韓国に対する戦後補償と謝罪について、具体的な数値を挙げて非常に分かりやすく解説したサイトがありますので、以下にリンクしておきます。嫌韓主義者の書いた過激なものではなく、一般の方が非常に冷静な目で作成したものですので、安心して御覧になってみて下さい。韓国がいかに杜撰な戦後を歩んできたかがよく分かります(戦後補償を北朝鮮の分までもらったのを、当時の韓国政府が使っちゃったことまで詳しく載っています)。

こちら
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またですか…

2013年08月17日 15時08分16秒 | 日記
今日もうだるような暑さが続けております(;´д`)ゞ!。こう暑いと、もう何にもする気が起きません。

しかし、ただボーっとしていてもつまらないので、ネットニュースをつらつら見ていたら、昨日に引き続いてまたしても『ムムッ?!』というトピックを発見してしまいました。島根県松江市の教育委員会が、昨年12月に他界された漫画家中沢啓治さんの代表作《はだしのゲン》について「描写が過激で、判断のつかない小中学生が自由に持ち出して閲覧するのは不適切」という判断を下し、所蔵している学校に対して閉架措置をとらせ、出来るだけ子供たちに貸し出さないように口頭で求め、市内の小中学校49校のうち保有している39校全てが閉架措置に応じているというのです。

何でも昨年8月、一部の市民から「間違った歴史認識を植え付ける」として学校図書室から撤去を求める陳情が市議会に出され、同12月に不採択とされた後で市教育委員会が内容を改めて確認し、「旧日本軍がアジアの人々の首をはねたり、女性に性的暴行を加えたりするシーンが、小中学生には過激」と判断し、その月の校長会で《はだしのゲン》を閉架措置としたのだそうです。

またしても『頭のいい人達による下々への先回り』が敢行されたようです。今までにも教育委員会に巣食う輩は、もう何百回このテの愚行を繰り返してきたのでしょう。

これははっきり言って「教育的見地からの配慮」という名の下に行われた『検閲』に他なりません。戦争描写がグロ過ぎるったって、実際の戦争というのはファイナルファンタジーの戦闘シーンのように、やられた敵キャラがキラキラした光に包まれて跡形もなく消えてしまうのではなく、銃撃されれば身体に穴の開いた死体が転がるわけだし、原爆でなくても手榴弾や地雷に当たれば手足のもげた凄惨なバラバラ死体が降ってくるわけです。それを「はい、エグいからよい子は見ちゃダメですよ~」と後ろからそっと子供たちの目を覆い隠すことを本気で『教育的配慮』だなんて思っているのだとしたら、ちゃんちゃらおかしくて聞いていられません。

先の大戦末期、私の祖母は雨あられの如く降り注ぐ弾丸の中を、当時4歳だった私の父を抱えて防空壕へ駆け込んで難を逃れました。しかし、祖母が必死の思いで辿り着いたその数十秒後、壕の付近に投下された砲弾が炸裂し、壕の入り口が崩れて何十人という人が生き埋めになってしまいました。もっとも、それが幸いして戦闘終了後に助け出された時には、壕の中に閉じ込められていた人達全員が助かったのだそうですが、そのすぐそばに、ほんのタッチの差で壕に間に合わなかった人達がバラバラになって飛び散っていたのだそうです。恐らく炸裂した爆弾の直撃を受けてしまったのでしょう。その中にはご近所にいらした仲良しのおばさんの頭もころがっていたそうです。

私はこの話を小学校低学年の時に祖母から聞きました。淡々と話す祖母の壮絶な体験に耳を傾けながら、いつまで経っても涙が止まりませんでした。国と国との諍いの中で、何の関わりもない一般市民が犠牲になっていく…そんな理不尽さが幼心に許せなかったのと、もし祖母の足がもう少し遅くて壕に間に合っていなければ、祖母も、抱えられていた幼少期の父もこの世にいなかった…つまり私という人間もこの世に存在し得なかったのだという、言いようのない恐怖感とで…。話し終えて優しく抱きしめてくれた祖母の腕の中で、ただ一言「生きててくれて有り難う…」というのが精一杯だったのを覚えています。

通常の銃撃戦でもこのような凄惨さだったわけです。ましてやそれが、人類がそれまで経験したこともない原子爆弾というものが投下された現場では…雨あられの如く降り注ぐ幾千万の砲弾ではなく、たった一発の原子爆弾によって10万人からの命が一瞬に失われたことを子供たちに教えない理由がどこにあるというのでしょう。

それに《はだしのゲン》は海外でも高い評価を得ていて、現在様々な言語に翻訳されて出版されているのです。その出版元の国の教育に関わる機関が、まるで『発禁本』のような扱いを強行する…何と無様で、悪辣で、姑息で、ナンセンスなことでしょう。

第一、こんな中途半端なことをすれば、かえって「《はだしのゲン》ってどんな内容なんだろう?」と子供たちの好奇心を掻き立てて、こんな措置を取る前よりも逆に閲覧の度合いが高まるかも知れません。何なら図書館に無くたって、アマゾンやブックオフで買えばいいだけの話ですから(まさか松江市教委によって《はだしのゲン》を購入したと思われる家のサイトの調査まではしないと思いますが…)。

何でも『臭いものには蓋』をするのではなく、あえて臭いものも『臭いもの』として子供のうちに嗅がさなければいけないこともあるのです。そうしないと、今の子供たちが大人になってから『臭いもの』を嗅いだって、それが『臭いもの』かどうかの判断力も養われていませんから、エラい先生方があれこれと気を使った結果『我々には想像もつかないような腹痛』を引き起こしてしまうかも知れません。

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大きなお世話

2013年08月16日 13時30分10秒 | 日記
ここ最近、いろんな意味で話題のジブリ最新作《風立ちぬ》ですが、あるニュースサイトで『日本禁煙学会』なる団体が《風立ちぬ》の制作担当者宛てに要望書を送付したとありました。作品の中で喫煙シーンが多いことについて、かの団体から苦言が呈されたということです。

これによると、作品中で大学の教室内や就職後の職場内、高級リゾートホテルのレストラン等での様々なシーンでの喫煙場面が、日本を含めた世界177か国以上が批准している『タバコ規制枠組み条約』なるものの条項に違反しているとし、大学内のシーンで友人から「タバコくれ」といって喫煙する場面は未成年者の喫煙を助長し、惹いては未成年者喫煙防止法にも抵触するものであるから、法令を遵守した作品作りに留意せよ…というのです。特に、肺結核を患っている妻の菜穂子の手を握りながらの喫煙描写に至っては、明確に『問題です』と断罪しています。

一つだけはっきりと言えるのは、この映画を観に行ったこの会員さんは¥1,800払って、上映中ず~っと目を皿のようにして「どんな喫煙シーンがあるか」ということだけをチェックし続けて憤慨し続けていた…ということです。そんなことに2時間以上ず~っと目くじらをたてていた方が、よっぽど体に悪そうですが…御苦労様なことです((^皿^))。

私は筋金入りの嫌煙者ですが、敢えて意見させて頂けるなら「日本国民はお前さん方が勝手に憂慮するほどバカじゃないよ」ということです。

仮にこの人たちがこの考え方をもって過去のジブリ作品を洗い直したら、彼らは間違いなく「ジブリ作品を発禁にせよ!」と言い出しかねません。《天空の城ラピュタ》のドーラ、《耳をすませば》の主人公月島雫のお父さん、《千と千尋の神隠し》の湯婆婆、《ハウルの動く城》の荒地の魔女…作品内での喫煙シーンは、それこそ『枚挙にいとまがありません』。しかし、これらの作品が世に出た後で、未成年者の喫煙率が飛躍的に高まった事実でもあるというのでしょうか?少なくとも、あの映画に大学校内の喫煙シーンがあったからって、それで免罪符を得たかの如くこぞって喫煙しだすほど、今の子供たちはバカじゃありません。

第一、あの映画の舞台は第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の時代が中心なのであって、そこに21世紀に降ってわいたような『喫煙悪』の概念を持ち込むこと自体がナンセンスです。

勿論体にいいことはありませんが、喫煙は古来より『文化』の一端として熟成されてきた歴史があります。日本でも、特に江戸時代に入ってからは『粋』を表現するアイテムとして、趣向の凝らされた煙管や煙草入れや根付等が作られて今でも国内外で高く評価されていますし、歌舞伎十八番の《助六由縁江戸櫻》では、花道から颯爽と三浦屋に登場した助六に居合わせた花魁衆から『吸い点け煙草』が次々と贈られ、その場にいたライバルの髭の意休がモテっぷりを見せつけられて内心歯噛みするというシーンは、劇中の名場面の一つです。その『文化』に、昨今声高に言われ始めた『グローバルスタンダート』などという薄っぺらい概念で切り込もうというのは、かつてこの薄っぺらな横文字を錦の御旗にして執拗に大相撲の土俵に登りたがった某女官房長官や某女大阪府知事と同レベルの愚行です。

とかく人間は「自分は正しい」と思い込むことで自己のアイデンティティーを確立しようとするものですが、自己主張するには一度深呼吸をして、言いたいことを胃の腑に落として「本当か?」と自問してからの方がいいようです。

まあ、そうはいっても、今後私自身が喫煙を容認する気もさらさら無いのに違いはありませんが…。


因みにこのニュースが配信されて以降、かの学会には非喫煙者からも「的外れ」「偏見」といった意見が殺到して、サイトが炎上状態になっているのだそうです。

日本禁煙学会
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悼めぬ国

2013年08月15日 16時07分25秒 | 日記
今日は68回目の終戦記念日です。ここ数年、時間のあるこの日には、厚木神社にある忠霊碑に来るようにしています。

お昼前に到着した時には何人かの年輩の方々がおいでになっていました。そして正午の時報に合わせて、一分間の黙祷が捧げられました。私の横で車椅子に乗った小さなおばあさんが、合わせた手を震わせて声をたてずに泣いておられました。

ところで、昔実家にいた頃には毎年この日の正午になると、市の公報スピーカーから一分間サイレンが鳴らされて、それに合わせて黙祷をしたものですが、少なくとも厚木に居を移してからは、そういうものは全く聞かれなくなりました。テレビでもNHKで武道館での慰霊祭と甲子園球場の試合中の黙祷は流されますが、それ以外は何か腫れ物に触るように何にもしません。

それよりも話題になるのは、やれ誰が靖国神社に行ったの行かないのという、毎年毎年繰り返される次元の低い報道ばかり…何だか虚しくなります。

このテの報道で問題になるのは『国際社会への配慮』ということですが、本当にそんな『国際社会』というグローバルな話なのでしょうか?朝○新聞が中心になって、中国と韓国だけの反応を見て言っているのを、さもさも真っ当な意見のようにすり替えて言葉遊びをしているだけなのでは?

一体どこを向いてものを言っているのでしょう?今日は、かの戦災で亡くなられた310万人とも言われる戦没者の御霊をお慰め申し上げる日ではないのでしょうか?彼らがいなければ、今生きている私たちの誰かは、この世に存在すら出来なかったはずなのです。ドイツでだってイタリアでだってそれぞれにキチンと慰霊をしているのに、ほんのちょっとした的外れな外圧によって亡くなった方々を悼めない国というものは、はっきり言って異様です。

いい加減このテの話題で、やれ右だ左だ言っていないで、キチンとかの戦争に思いをいたす日として向き合うべきだと思います。

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気をつけて下さい

2013年08月14日 15時58分57秒 | 日記
今日も厚木市はうだるような暑さに見舞われております(;´д`)。こう酷暑が続くと、物事を考えることが段々と億劫になってきます。ただ、そうは言ってもボーッとしていても腹だけは減るので(-_-;)、とりあえず近所のコンビニに買い物をしに、酷暑の熱気を掻き分けて向かいました。

キンキンに冷えた店内には、お盆中ということもあってか家族連れが多く見受けられました。そんな中、30代半ばくらいと思しきちょっと目立つ夫婦が私のすぐ側で買い物をしていたのですが、そのやりとりがあまり穏やかなものではありませんでした。


妻:ねえ、おにぎり何食べるの?

夫:(サングラス越しに眉間に目いっぱいシワを寄せて、かなりの大声で)何でもいいっつったろーが!

妻:(おにぎりを選びながら)いくついるの?

夫:適当でいいよ、早くしろよ!

妻:じゃあ買っとくから○○(夫が抱いていた娘)トイレに行かせといて。

夫:…(ビーサンをパタパタいわせて無言でトイレに向かう)


それからしばらく経っていきなり…


夫:よぉ!いつまでかかって買い物してんだよ、さっさと済ましちめーよ!

妻:もう他に何にもいらないのね?


…と言った時には返事もせずに娘を抱えて店外へいってしまった夫。そして私の隣のレジで精算を済ませていると


夫:(突然一人で店内に戻ってきて)よぉ!タバコ!(と怒鳴るように言うだけ言ってまた店外へ)


最後の一言を聞いた時の奥さんの表情は、何ともいえないものでした。


私は茨城県出身です。神奈川の大学へ入学した時に、自分が気にもしていなかった茨城弁のキツさや語気の荒さを(特に都内や横浜地区出身者に)指摘されて苦労させられたものでした。しかし、厚木に住み続けて20年以上経ちますが、どういたしまして神奈川県央弁もなかなか粗野で荒っぽいものです。特に男性が人を呼ぶ時に「ねぇ」というニュアンスで使う「よぉ!」という言葉は、いきなり後ろから言われると何か怒られているのかと思うほどの威圧感があり、今でもまだ慣れません。かつて学生時代にバイト先の店長から「よぉ!」と呼ばれた時、それが神奈川県央地区で割りと普通に使われている言い回しだということを認識していなかった私は「なんと不遜な!」と、ひどく憤慨したものです。

しかし、茨城のズーズー弁とはまた違った独特の語気の荒さが神奈川県央弁に存在しているということを割り引いても、先程の旦那さんの奥さんに対する言葉遣いと態度はいただけません。奥さんを小間使いか何かと間違えているのではないでしょうか。私を含めたその場の第三者はその場限りで「何だろう…」と眉を顰めて思っていればいいだけですが、あの不遜な言動や振る舞いが、これから出かける狭い車中は言うに及ばず、それこそ四六時中身近に展開されているのかと思っただけで陰鬱な気分にさせられます。

昨今耳にすることの多くなった『熟年離婚』なるものについて個人的にはあまりいい印象をもっていないのですが、今日の夫婦のように旦那さんが奥さんに対してぞんざいな言動や態度をとっているのを目の当たりにして見ると『せめて子供が大きくなるまで…』と奥さん方が何十年と耐え難きを耐え、忍び難きを忍んでのことかと、ちょっと気持ちがわかるような気がしてきました。

世の既婚男性諸氏、特に40を過ぎてくると家族に対しての言葉数が無くなってきたりしがちではありませんか?ただ、男性は何かにつけ「言わなくたってわかるだろう」という思考をしがちですが、女性というものはいくつになっても「ちゃんと言葉で言ったり態度で示したりしてくれなければわからない」という思考を持っているものなのです。そういう女性の思考傾向を無視して、普段から御自身の奥様に対しての言葉遣いや態度を大事にしていないと、老齢を迎えたある日、とんでもない『しっぺ返し』を食らうかも知れませんよ…。


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今も昔も…

2013年08月13日 13時55分16秒 | 日記
先日、奇声を発する子供の記事で《枕草子》の中の『にくきもの』を引用したら、一部から「他に書いてあることも知りたい」という御要望がありましたので、列挙してみました。

『にくきもの』(第28段)

●出掛けなきゃいけない用があるのに長居する客(目上の人だったりすると余計面倒くさい…)
●硯に髪の毛が入っちゃったり、墨に石が混入して音を発てたりする(黒板的な…)
●急いで呼びたい時に限っていつもいるはずの場所にいない加持祈祷師
●大袈裟に物事を言い立てるヤツ
●火桶の火に、やたらと掌を返し返しあたるヤツ(年寄りは足までのせて摺り合わせたりして…)
●酒癖の悪いヤツ
●「人様が羨ましい。アタシって可哀想」と殊更嘆いてみせるヤツ
●知らないのに知ったかぶりするヤツ
●話を聞こうとすると泣く子供(それをほったらかす親も)
●ギャアギャア鳴くカラス
●夜中に忍んで来た人を見知って吠える犬
●『非常事態』で奥に隠した人が立てたいびき(正に台無し…)
●忍んで来た時に簾に烏帽子を引っ掛けて音をたてる男
●障子や蔀戸の開け閉めの音のうるさいヤツ
●寝てる最中に飛んでくる蚊(いっちょまえに羽風まで立てやがって…)
●整備の悪いギシギシいう車(オーナーの耳大丈夫なの?)
●人の話す先から出しゃばってくるヤツ
●ちょっと可愛がってやったら調子づいて、用もないのに来るガキ
●会いたくない人が来て狸寝入りしてるのに、わざわざ揺すり起こしに来るヤツ
●前カノをやたら褒めるヤツ
●これ見よがしにデカいくしゃみをするヤツ
●衣の中で跳ね回る蚤(これは現代社会では少なくなったのではないかと…)
●戸を開けっ放しにして閉めないヤツ

要するに『空気の読めないヤツ』『自分本位のヤツ』『デリカシーのないヤツ』は、犬やカラスや蚊や蚤レベルだっていうことです。気をつけませう(^_^;)。

それにしても、今から1000年も前にこれだけズバズバ言いたいことを言える女性というのもなかなかのものです。もしかしたら清少納言という人は、差し詰め今なら辛口コメンテーターとしてメディアに引っ張りだこになるような人だったのかも知れませんね。
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暑いよぉ…

2013年08月12日 16時58分57秒 | 日記
今日はあざみ野の大人の生徒さんの楽器の見立てをしに、久し振りに銀座の山野楽器に行きました。と言っても何日か前に本人が一人で来店して目星を付けておいた楽器を見てほしいということでしたので、そんなに大層なことをしたわけではありませんが…f(^_^;)。

それでも、本人が選んだルーマニア製のヴァイオリンはなかなか馬力のありそうないいものでしたので、安心してGoサインを出すことができました。お盆休み明けのレッスンから、早速その楽器で臨みます。

それにしても東京は暑い(;´д`)ゞ!全国版天気予報などで関西方面の気温の数値を見ているだけならまだ関東の方がマシとも思えるのですが、それでも暑いには違いありません。

思うのですが、東京の暑さはただ気温が高いだけではなく、空調の室外機から一斉に排出される熱気の影響も大きいでしょう。息を吸っただけで喉の奥に暑さを感じさせられるというのは、はっきり言って異常です。

涼を求めるために回す空調が、かえって外気を高温にしているこの矛盾…それでもこの利便性を知ってしまった以上、元には戻れないでしょう。せめて、もう少し外気温に影響の少ない室外機が開発されることを、願わずにはいられないのでありました。さぁ、早いトコ厚木に帰りませうC=C=\(;・_・)/。
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何とも…

2013年08月11日 15時38分04秒 | 日記
今日は我が家の超近所にあるスポーツ公園で、金曜日のあざみ野の教室に来ている生徒の弟さんがサッカーの試合をしに来るということで、ちょっと覗きに行きました。

何の日除けもない川原にあるグランドでは、いい色に焼けた少年たちが、盛んに土煙を発てながらボールを追っていました。私が行った時にはあざみ野のチームの予選が始まるところでしたが、ゲーム後半で出場した弟クンがハットトリックを決める活躍で6ー1で大勝しました\(^o^)/。

しかし、この試合の傾向なのかどうか分かりませんが、沢山あるコートで行われていた試合が、いずれも何ともオットリしているのです。本来ならもっとボールにガッツいていくべきシーンでもパス回しやシュートが何ともおとなしくて、外野で見ている大人達がそうとうヤキモキしていました(^。^;)。

ところで、これらの試合を見ていて気づいたことがあります。子どもたちの身体能力とは別に、勝っているチームのコーチや監督さんというのは、共通してボキャブラリーが豊富な方が多いようです。

よく見ていると、どこかを指差しながら「おい!コラ!こっち!」と怒号を発してだけいることの多い監督さんのチームは大概ダメです。「ほら○○!右サイドおさえろ!」「ディフェンス!左が甘い!」といった具体的な支持を短いセンテンスで伝えられる監督さんのチームは当然選手の動きも良く、いい結果が出ていました。あの炎天下で必要だったのは、冷静な判断と人一倍デカい声でした?!

『ボキャブラリーの豊富さと的確さ』というものは、あらゆる指導者に大切な要素であるということを、はからずも再認識させられた場面でした。
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気にしてほしい…

2013年08月10日 12時34分50秒 | 日記
夏休みに加えてお盆週間の実質的初日を迎えました。個人的には先月に墓参を済ませてしまったのですが、この酷暑を鑑みるに、先月済ませてしまって本当によかったと思うことしきりです。

町中は酷暑にもかかわらず何処もかしこも家族連れで賑わっております。ただ、こういう状況下でよくあるのが、幼児たちが気でもふれたかと思うような、ジャングルの猿でも出さないような金切り声を上げて泣いたりわめいたりしている光景です。

一体いつぐらいから、小さな子供たちがあんな気違いじみた奇声を発するようになったのでしょうか。少なくとも20年前には聞いた覚えもありませんが、今の幼児達は計ったように同じような周波数の奇声を発しています。しかも、電車の中だろうが公共の場だろうが、ところ構わずわめき散らしている子が少なくないのです。

おまけに、それを連れて歩いている親は親でその周波数にすっかり慣れきってしまっているのか、泣こうがわめこうがお構いなし、子供が泣き騒いだ挙句何らかの狼藉をはたらいたりしても「あら、ダメよ~」くらいしか言わない…こんなんじゃあいつまで経ったって事態は収まりません。清少納言の随筆《枕草子》の『にくきもの』の中にも、素行の悪い子供をキチンと叱らない親のことが書いてありますが、もしかしたらこういう親子問題って平安時代から連綿と続いてしまっているの?!とも思ってしまいます。

いずれにしても、ここ最近の子供のあの奇声だけはどうも解せません。もしかすると、過度の高周波な声を内側から発し続けていることによって、脳神経が打撃を受けているのかも知れません。そうならないように、出来れば普段からお子さんに奇怪な声で叫ばせないように、お家の中にいる時から注意を喚起して頂ければ…と思います。
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考えて…

2013年08月09日 10時23分05秒 | 日記
今日も教室に出勤すべく小田急線の急行に乗り込みました。

駅を出発して程なくして、辺りが突然むせかえるようなアロマな香りに包まれだしたのです。何事かと思ったら、座っていた女が車内で物凄く香りのキツいハンドクリーム状のものを、手から肘に至るまで、まぁ入念にすりこみ始めたのです。

冷房のために窓を閉めきった車内は、たちまち人工的に凝縮された花の香りに占拠されてしまいました。と同時に、塗りたくっている本人が悦に入っているのとは裏腹に、あちこちの乗客の眉間に段々と浅からぬシワが寄り始めたのです。それを知ってか知らずかそのアロマプンプン女はその後カバンからコンパクトを取り出したかと思うと、おもむろに化粧を始めたのでした。

あの…一つ疑問なのですが、このテの女性はあのケミカルな臭いを、本気で『素敵♪』と思っているのでしょうか?

そもそも日本人は欧米人と比べてそんなに体臭はキツくはないのですから、もとでそんなに匂いを付けまくらなくたって大丈夫なはずなのですが…。

かつてこういうの話をしていた時、そこにいた一人が

「え~、だって昔は宮中の人達だってお香の匂いプンプンさせてたんでしょ?一緒よ一緒。」

と言っていたことがありました。

確かに、その昔のやんごとなき方々は直衣(のうし)や桂(うちき)といった衣服に自分好みの香を焚き染めて着ていました。でもそれは、今と違って家の中にトイレが無くて、袴を穿いたまま『おまる』で用を足していたり(袴の側面がパックリと開いているのは、その時代に右横から『おまる』を入れて左側から取り出していた名残です)、10日に一度くらいしかお風呂に入らなかったりといった人たちがしなければいけなかったことであって、そこら中に水洗トイレがあって、毎日お風呂に入ったりシャワーを浴びたりしている現代日本人には、過度の香水やアロマの塗布は必要ないと思うのですが…。

それに、百歩譲って香りのものの塗布を黙認するとして、化粧を含めたそういう行為は自宅内で済ませてくるものです。公共の場所にあるお手洗いを『化粧室』とか『パウダールーム』と呼ぶのも、化粧というものは本来、人目を忍んでするものだからです。ですから、人前で己の装いの手の内を曝け出すというということは『私は下品でだらしのない人間でございます』と、首から看板をぶら下げて歩いているのと同じです。

かつて《女性の品格》という本がベストセラーになった時、これで現代日本女性も電車内で化粧したりしなくなって、少しはマシになるのかしら…と期待したのですが、ちょっとしたブームとして喉元を過ぎてしまったら、敢無く元の木阿弥と化してしまいました。それでも、今一度女性陣には思いを新たに、『装う』とは何かということを考え直して頂きたい…と思わずにはいられない出来事でした。
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何だかねぇ…

2013年08月08日 13時13分13秒 | 日記
教室が始まる前にちょっと腹ごしらえしておこうと、あるチェーン店(ここポイントになります)に入りました。

とりあえずメニューの中からシステマティックに選んで、システマティックに調理されたものがシステマティックに出て来ました(笑)。さて頂こう…と思った時ふと気づくと、カウンターに座っていた60そこそこくらいのハゲ散らかしたヲヤジが店員と何やらもめていました。何だろう?と思いつつそれとなく耳をそばだてていたら、どうもセットメニューの中身を自分の好みに取り替えさせろと言っているようでした。

ヲヤジ曰く「同じ値段のものに替えるんだから、問題ねぇじゃねえか!」

どうやら、ランチセットに付いているサイドディッシュが気に入らないので、違うものと替えろということだったようです。それで、本来付いているものと替えてほしいものとが単品で注文すると同じ値段なんだから何とでもなるじゃないか…と言っているのでした。

それに対して店員はひたすら

「それは出来ません」

を繰り返すのみ。

要するにこのテの店というのは予めコンピュータ上にセットアップされたメニューからハンディ端末機でオーダーをとる形式なので、そこに設定されていること以外を店員の裁量で勝手には出来ないわけです。

まぁ、内心このヲヤジの言わんとするところは解らんではありません。昨日の機種変更の顛末もそうですが、マンパワー的に考えたらある程度出来そうなことが、ヘタにコンピュータにタテヨコきっちり管理されているがために、かえって不便な思いをするということは決して少なくはないでしょう。そういった意味では『値段が同じなら替えてあげたら…』とも思うわけです(勿論、それによって在庫管理の数値に影響が出てしまうという、別の問題が発生してしまうのでしょうけど…)。

確かにこういう雁字搦めなシステムというものは、時に人間の裁量を挟む余地を与えてくれないことがありますし、それを苦々しく思うことも多々ありますが、逆に言えば、そうやっていろんな部分がシステマティックになっているからこそ、たとえ店長さんや正社員が不在でも、バイトさんが調理したって遜色ない味のものが、しかも自分の好きな時間に安価に味わえるわけです。そういった意味では、この雁字搦めなシステムに感謝もしなければなりません。

それよりももっとイヤなのは、このヲヤジの態度と物言いです。どうしてこのテの世代の人たちって下品な輩が多いのでしょうか。二言目には「こっちは客だぞ、金払う人間の言うことが聞けないたぁ、どういうことだ!」という傍若無人も甚だしい振る舞いは、見るにも聞くにも堪えません。一体いつ頃から、こういうヒネた人格を身に着けてきてしまったのでしょうか。

今日の事だって、目の前の店員さんにはどうしようもないことですから、彼等には何の咎もないわけです。それなのに、執拗に食い下がり声を荒げて怒鳴り散らすその態度と阿修羅の如きその形相は、とても長きに渡って人生経験を積んでこられた人のすることではありません。はっきり言ってゴロツキ以下です。

もう20年くらい前のことですが、私が某コンビニでバイトをしていた時にも、その当時で70代(今なら90代)くらいと思しきこういう輩が、我々にはどうにも出来ないシステム的なことについてレジ前でゴネたことがありました。その時にも何回も「こっちは客だぞ!」と怒鳴り散らされたので、仕舞いにはこちらも頭に来て「恐れ入りますが、『お客様』というのは当店と金銭授受が成立した方のことです。お宅様はいきなりレジに来て、先程からあれこれ理不尽なことを言い散らかしているだけですから、こちらにしてみればただの『通りすがりの要らんこと言い』です。」といってやったことがあります。それで、いよいよギャアギャアやかましくなったので、仕方なく

「あなた、今のその態度と物言いで靖国の御英霊に顔向けできますか?知覧から飛び立った方々や回天に乗って行かれた方々は、この時代にあなたにこんな無様な態度をとらせるために、南の海に散っていかれたのでしょうか?」

と言ったら、途端に黙りこくってスゴスゴと帰っていったことがありました。

誤解して頂きたくはないのですが、この時の対処やものの言い方が良いことだったなどとはちっとも思ってはいません。ただ、少なからず人生経験を積んでみえた方には、少なくとも若いモンにこんなことを言わせるような情けない態度や物言いをしないで、もっとクールでいて頂きたいと思うのです。そして、いくら年の功を錦の御旗に振りかざしたところで、時代と共に世の中の仕組み自体が、彼等が世の中の中枢を担って生きてきた頃とは比べ物にならないくらいの変化と発展を遂げているのですから、それを受け入れて一旦ことを心の内に飲み込んでから行動なり言動なりを起こしてもらいたいと思います。

いずれ私も齢を重ねていった時にそんな行動をとらないように自戒したいと思いながら食事を終えて、まだ押し問答を続けていたヲヤジを尻目に教室へと向かったのでありました。
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しばらくは…

2013年08月07日 16時57分55秒 | 日記
いきなりですが残念なお知らせです。昨日ミントの写真を投稿した後から、いつも使っているウィルコムの携帯が突然うんともすんとも言わなくなってしまいました。

今使っている機種が、SIMカードというだいぶ旧式のカード式のアンテナを使っているものなのですが、どうやらそのカードと本体との接触が何らかの原因によって悪くなってしまったようなのです。それが証拠に、試しに知人が譲ってくれたSIMカードを差し込んでみたら、ちゃんとアンテナが反応するのです。

『まあ、電話としても機能してくれないといろいろと支障をきたすので、とりあえず機種変更扱いで譲ってもらったカードに移行して使おう。機種変更手続きでお金かかっちゃうけど、仕方ないや…。』と思いつつ、たまたま滞在していた海老名のウィルコムショップに入って、ことの次第を説明して手続きをしてもらおうと思ったのです。

受付の若者に『面倒くさいモンに当たっちゃったなぁ…』みたいな顔をされてしまったのですが、それでも何とか手続きをしてもらうべく、関係各所に電話で問い合わせてくれました。

ところがここで、予想外の展開が待ち構えていました。というのも、ウィルコムのサービスセンターに問い合わせたところ『SIMカードでの機種変更受付は可能』という返答があったのですが、その後でメーカーであるシャープのテクニカルセンターに問い合わせたところ『そんなことは出来ません』という、真っ向からぶつかり合う答えが返ってきてしまったのです。それぞれのセンターに2回ずつ問い合わせを入れてくれたのですが、返答はそれぞれ2回とも『出来る』『出来ない』の一点張り…ことここに至って、完全に行き詰ってしまったのです。

私の周りでも何人かいるのですが、私の使っている機種は歴代ウィルコムの端末の中でもとても使いやすく、ユーザーさんはみんなこの機種そのものが製造中止になった後も壊さないように大事に大事に使って、多少調子が悪そうでも騙し騙し使っている方が多いものなのです。だから何としてもこの電話を使いたい!というのが、たっての望みなのです。

さて困った…と万策尽きたかに思えたその時、受付の若者がひらめきました。

「それならSIMカードを修理に出してみましょう。」

そうか!機種変更がダメなら、不具合のあるアンテナそのものを直すという選択肢があった!それなら、うまいこと直ればまた使えるんだ!…もう、若者が神に見えました(T_T)。

そんなわけで、とりあえずSIMカードを修理に出すことにして、その間に使う代替品のPHS端末をお借りすることにしたのですが…「すみません、うちにある貸し出し用がこれしかないんです」と若者が申し訳なさそうに取り出した機械を見て…しばし固まってしまいました。

まぁ何百年前のPHSかしら?と思うような旧タイプの端末が出てきたのです。画面の大きさは今使っている端末の半分くらい小さく、今までに散々雑に扱われていたのか、本体のそこいら中がキズだらけの、正直お世辞にも綺麗とは言い難い代物なのです。おまけに写メを撮るためのカメラのレンズカバーに深々としたキズが2本も入っていて、試し撮りしてみたところ、画面中央に心霊写真のような不快な縦筋がどうしても入ってしまいます。

おまけに、今まで使っていた端末は本体下にパソコンと同じキーボードがあって、文字を打つ際にはキーボードを出して使っていたのですが、代替品は数字ボタンを何回も押して文字を出すタイプなので、字をうつのにものすごく時間がかかります。今までなら『お』は『o』を押せば一発で出たのに、これからは『あ、い、う、え、お』と5回も押さなければならないのです。

そういうことで大変申し訳ございませんが、ことが何らかの解決をみるまで、しばらく画像無しの地味な文字だけブログになります。字も頑張ってうってみますが、挫けた場合には短めのブログになってしまう恐れも否定できません。

以上、しばらくの間何卒御了承下さいますよう、お願い申し上げます。
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ス~っと…

2013年08月06日 08時29分04秒 | 日記
今朝、近所のコンビニに買い物をしに行った帰りに、いつもと違う道を通って遠回りして帰りました。

川に近い土手沿いを歩いていたら、一角に見たことのある草が一面に生えていました。近寄ってみたら、ミントが群生していました。ちょうど花も咲いていたのですが、これを見ると『ミントってやっぱりシソ科だなぁ』と改めて認識させられるくらい似ています。

写真だとわかりにくいのですが、花の周りには沢山のハチがいて、盛んに花に群がっていました。もしかしたらミントのハチミツっていうのもあるのかも知れませんが、どんな味がするんでしょうか?舐めたらス~っとしたりして…。
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涼音

2013年08月05日 16時56分05秒 | 日記
小田原に来ました。お堀端通りに面したお店の軒先には、この時期になると風鈴が下げられ、涼やかな音色で行き交う人の耳を楽しませてくれています。

私も最近知ったのですが、小田原というところはかつて鋳物産業も盛んだったのだそうです。そして数々の鋳物製品の中で特に風鈴が有名なのだそうで、通人の間では『小田原御殿風鈴』と呼ばれて珍重されているのだそうです。

御殿風鈴の特徴としては、他の産地のものが殆ど鉄製品なのに対して、『砂張(さはり)』と呼ばれる合金で出来ていることです。これは古くは飛鳥・奈良時代に『佐玻理』と呼ばれ、法隆寺を始めとする古刹にも碗を始め様々な仏具に広く用いられているものです。

何でも、黒澤明が映画《赤ひげ》の一場面に風鈴を使用するにあたり、スタッフに「日本一の風鈴を探して来い!」と命じたのだそうです。そして、日本全国の様々な風鈴が聴き比べられた結果、見事黒澤監督のお眼鏡にかなったのが、小田原御殿風鈴だったのだそうです。

写真に写っているのは七連の豪華版ですが、これだけでなく、もう一つの小田原の名産である小田原提灯の形をしたもの等、様々な形の風鈴が下げられていますので、一度訪れてみては如何でしょうか。
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これって…?

2013年08月04日 17時50分38秒 | 日記
大賀ハスの花です。ちょっと終わりかけていて、何枚か花びらが落ちてしまっていますが、それでも美しい薄紅色の花を楽しませてくれています。

ただ、この花をよ~く見ていておもったのですが、色合いといい八重の重なり具合といい、もしかしたら海老名高校の裏の蓮田の蓮は大賀ハスかも知れません。真偽のほどは定かではありませんが…。
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